「四万六千日」の続きを書きます。
建替えられましたが、以前は棟続きに建てら
れていましたので、神仏習合の名残りを感じます
御堂内には、正観世音菩薩立像、地蔵菩薩立像、毘沙門天立像の三体が安座されており、写真でお見せ出来ないのが残念です。
最後に、境内の縁起を記した「由来碑」をご紹介して、終わらせていただきますが、ルビと注釈を入れて解説してあります。
観法寺村鎮守正観世音菩薩略縁起
(大悲山放光院観法寺由来)
伏而 厥濫觴(※濫觴=物事の発端、起源、始まりの事)ヲ尋子奉ルニ、人皇四十五代聖武天皇御宇、天平年中行基菩薩當国行脚シ玉フ折、河北郡井上庄(※井家とも)、紫雲タナビキ霊気タダヨウコノ山道ヲタドラセ玉フ時ニ當リテ、不思議ナルカナ土中ヨリ、光明ノ奇瑞ヲ感得シ玉ヒテ、是ゾ霊地ナラント草庵ヲムスビ、一心観法ノ床ニ座シ玉ヒケルニ、眼前正観音ノ示現ヲ蒙リ、実ニ仏法有縁ノ霊地ナリト深ク喜ビ玉ヒテ、自ラ霊木ヲ探リ彫刻シ玉フ、一刀三礼ノ尊像也。
而シテ行基菩薩草庵ニコレヲ安ジ玉ヒ、大悲山放光院観法寺ト号シテ御弟子明山法師ニ譲リ玉ヒ、更に衆生化益(※衆生=この世に生を受けた輪廻転生する全ての生き物をいう)ニ寸暇ナケレバコノ地ヲ去テ能越ニ赴キ玉フ。然ルニ明山法師、師ノ尊命ヲ蒙リ爰ニ錫ヲ留玉フニ、専ラ大悲観音ヲ念ジ傍ニ佛法守護ノ善神等ノ尊像ヲ彫刻シ奉リ、普遠近ノ世人を化導(※化導=仏教用語の教化指導のことで、人を救うこと)シ玉ヒケルニ、風ニ草木ノ靡ノカコトシ因、茲終ニ七塔伽藍建立ノ基ヲ開ニ不日(※不日=近日中とか近い内にという書面用語)ニ造営成就シテ、速ニ七塔棟高ク聳ヘ、七坊ノ甍永ク輝キ玉フ大山トハナリニケリ。
其後、木曽義仲公此ノ地ニ在陣ノ折、コノ観音ヲ祈願シ玉ヒケル時哉、一乱オコリテツイニ峩キタル伽藍兵火ノタメニ空シク一斤ノ煙トナリニケリ。然ルニ、其後時の別當堂宇再建イタシ大悲ノ威光カガヤキ玉ヒケリニ歎哉。又候享禄年中(※1828年~1532)火災ニカカリテ堂宇並ニ霊寶コトゴトク焼亡ヒ玉ヒ。今ハコノ大悲霊像及ビ地蔵菩薩・毘沙門天三尊ノ霊像ノミ小堂ニ残ラセ玉ヘ。善ク衆生結縁(※結縁=仏様と縁を結ぶ事)ノタメニトテ、一村ノ鎮守トナリ玉ヒテ、和光ノ慈悲ヲ垂玉フ大切ナル霊像ナレバ、方々称名(※称名=仏・菩薩の名を称える事)モロトモニ謹デ拝礼ヲ遂ゲラレヨ。」