昨日は、金沢市城南公民館で、野田中校下(学区・校区を金沢弁で〔こうか〕という)婦人会主宰の「さくらんぼ学級」に、講師としてお招きいただきました。
で、講演テーマは、『金沢しぐさ
』
来月は、能登演劇堂 で、仲代達矢・若村麻由美
主演の無名塾公演『マクベス』を観劇されるという
ワシも行きた~い!でも、チケット完売だそうです
山登りとゴルフ、海とで顔と腕が真っ黒です
講演の話の中で、私の家の玄関に昔から掲げられている、ケヤキ板に漆塗りで「大」「小」と彫られた額板を持参したのですが、この額の云われについて説明しました。
これは、「大小暦」または、「大小月板」といって、金沢の旧家や商家に古くから伝わるものですが、「大便」「小便」と、便所に掛けるものではありませんよ…!。(^O^)/
当家に昔から伝わる「大小暦」
裏の「小」を掲げる
この「大小暦」には、こんな由来があります。
金沢の蛤坂(はまぐりざか)に、妙慶寺(みょうけいじ)という浄土宗のお寺があります。
この寺には、なんでも天狗からもらったという、火除けの木の額板があります。
今から三百年あまりも昔のこと、妙慶寺の五代目住職で、向誉上人(こうよしょうにん)とおっしゃる大変慈悲深いお坊様がおられた。
法事を終えて、ふと、金沢の庶民の台所である、近江町市場へ寄った時のこと。
何やら子供たちの騒がしい声がするんで、向誉上人が見に行くと、子供たちが、売り物の魚を盗んだトン ビを捕まえていじめておった。
向譽上人は、「これこれ、生き物にそんなことをするもんじゃない」とさとされ、子供達からトンビを受取って、逃がしてやりました。
その晩、向譽上人の枕元に天狗があらわれ、「ワシは、今日助けてもらったトンビです、元の姿はこの天狗なので、その霊力で何か恩返しがしたい」と、天狗は言いました。
だが、上人は、「別に何も欲しいもんはない」と言うので、天狗は、近くにあったケヤキの板に、天狗の爪で「大」「小」という字を彫り、上人に渡しました。
天狗は、「大の月には表を、小の月には裏を掲げておくように、そうすると、この寺は栄えて、火事にもあわない」と言って、フッと、姿を消しました。
それ以来、周りで大火事があっても、妙慶寺は、一回も火事にあったことがないそうです。
【用語解説】
「蛤坂」(はまぐりざか)……犀川大橋から寺町に向かう坂で、享保18年(1733)の大火でハマグリが口を開けたようになったため、この名が付いたという。
この大火でも、天狗の魔よけで、妙慶寺だけは燃えませんでした。
【暦の話】
現代の暦は太陽暦(グレゴリオ暦)で、4年に一度閏(うるう)日を1日入れて1年の時間を調整しています。
しかし、江戸時代までの暦は太陰太陽暦(たいいんたいようれき)が使用されていました。「旧暦」あるいは「陰暦」といわれるものがそれです。
旧暦の1年は太陽暦の1年より11日ほど短いため、暦の上の日付だけが早く進んでしまい、実際の季節とはあわなくなってきます。そのため、33ヶ月に1回の割合で閏月(うるうづき) を1ヶ月入れていました。従って、1年が13ヶ月ある年もあったのです。
また、閏月(うるうどし)にも大小があったので、江戸時代の暦は今のとは違ってやや複雑なものだったのです。
旧暦では、毎月を大の月(30日の月)と小の月(29日の月)にわけ、その配列も毎年変わるため、暦で毎月の大小を知っておく必要がありました。
商店では、毎月の支払いが月末だったこともあって店頭に工夫を凝らした大小の月板(つきいた)を吊って注意を促しました。