ガダルカナル戦書籍一覧   
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)

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母娘ふたりガダルカナルの旅 目次

母娘ふたりガダルカナルの旅 最新 第十一話 (鋭意更新中)

 

タラワ環礁 その十五 米軍メモリアル

タラワ環礁 その十四  南西角砲台 20糎要塞砲 より続いております。

 

 

タラワ環礁ベチオ島西端 20糎要塞砲を後に米軍が上陸し多くの戦死者を出した北側ビーチへ移動すると

↓の写真はオーシャン(外洋)

沖が濃い青で水深が深くなり潮流が速いと谷浦英男氏の「タラワ、マキンの戦い」にあります。

この早い潮流が米軍上陸用舟艇の障害となりラグーン(環礁内)からの上陸となったのでありました。

 

日本軍のベチオ島要塞化工事にあたりオーシャン・ラグーンどちらから米軍が上陸するかを議論する場面が谷浦英男氏著「タラワ、マキンの戦い」にある。 

陸軍から築城の為に陸軍大尉が派遣されている。

ラグーンからの米軍上陸を予測し南側外洋より内海の防御を強化すべきと主張する著者谷浦海軍大尉。

以下同著より引用

築城指導陸軍大尉

「・・・敵が、これだけ平坦開濶な外洋海岸を捨てて、明らかに防備容易と思われる環礁側に、しかも未知危険な狭水道を通過して進入する愚を犯すとは何ゆえに思われるのか、理解に苦しむことである」

と彼は結んだ。筆者は無性に腹が立った。

(糞ッ。 テメーの意見を言うだけでいい。こちらの考え方を侮辱するとは何事だ !)

以上引用終わり

 

このような遣り取りを経て防御はオーシャンを強化する事となったのであります。

現実は谷浦海軍大尉の主張通りラグーン(環礁側)から米軍は上陸したのでありました。

 

↓こちらレッドビーチ1と2の中間地点付近

遠浅で濃い青はありません。

 

視線を右(東)へ穏やかなラグーンであります。

さらに視線を右(東)

 

応!!   難破船

サイクロンを避けてラグーン内に停泊していたと思われます。

大潮とサイクロンが重なりここまで打ち上げられてしまったのではないかと想像します。

ガ島でも何度か目にしたことがありますが環礁の中に難破船というのは想定しておりませんでした。

 

難破船を右に見ながらさらに東進すると  応~~~!!!

高射砲であります!

 

谷浦英男氏著「タラワ、マキンの戦い」の要図で位置関係を確認

左青丸の7cm野戦高射砲を赤丸・現在地へ移設したものと思われます。

この高射砲の撮影時刻は 2018‎年‎3‎月‎8‎日、‏‎9:12:44

日本との時差が三時間なので12:12:44という事になります。

 

ジョージホテルでランチを摂るためジョージホテルへ向かう途中、案内されたのが↓のメモリアルでした。

正面

 

裏側

コーストウォッチャーメモリアルに続き帰国後ゆっくり翻訳すれば良い 等と撮るだけ撮って来たのですが・・・

 

正面上拡大

米国第二海兵師団の記念碑であります。

この部分は解読できました。 以下、入力テキスト化して

"Follow me"
2nd Marinr Division.
United state marine corps.
Battle of TARAWA.
Novenber 20 1943.

To our fellow marine who gave their all.
The world is free becouse of you!
Good rest your souls.
1,113 killd.  2,290 wounded.
The central pacific spearhead to world victory in world war Ⅱ.
"SENPER FIDELIS" 

 

グーグル翻訳  黒字アラ還のおっちゃんの想像修正

"フォローしてください" 後に続け かなぁ・・・
第二マーリン部門。 第二海兵師団
合衆国海兵隊。
TARAWAの戦い。
Novenber 20 1943。 
昭和18年11月20日

みんなに与えた私たちの仲間に。 彼らの総てを捧げた我々の仲間海兵隊員に
世界はあなたのために無料です! 世界の自由は貴方たちのおかげです
あなたの魂は良い休みです。 安らかにお眠りください
1,113キル。 負傷者2,290人。 戦死者1,113名 戦傷者2,290名
第二次世界大戦で世界の勝利を目指す中央パシフィックの先駆け。
"SENPER FIDELIS" 
米国海兵隊の標語「常に忠実な」

 

このような翻訳で良いだろうか^^;

 

タラワ戦での戦没者数をWIKIでは米軍の戦死傷者を

戦死者 1009名    戦傷者 2296名

としている。

 

勝った側が書ける戦傷者の数字で日本軍に戦傷者数字は無い。

日本軍戦死者 4,599名 息のあった戦闘員は火炎放射器で焼かれたとの記録がある。

捕虜は日本人14名(軍人3名) 朝鮮人設営隊員132名 

 

国益の為、国民の義務とはいえ当時を生きた方々の御苦労があらためて心をうちますね。

 

そしてメモリアルの正面下

何とか読めそうな気もしますが・・・  気力が

 

裏面上

裏面下

ここでもコーストウォッチャーメモリアル同様

現地では深く考えもせず写真を撮って後で調べればよいと軽く考えておりましたが高画質のカメラで確りと残さないと後で後悔する典型的な写真となってしまいました。

をそのまま再現してしまいました。

 

米軍のメモリアルの次の画像データは

ジョージホテルのランチ画像でありました。

 

蓋を開けると

インスタントラーメンです。

アラ還のおっちゃんはあらためてラーメン好きななのだと編集しながら再認識した次第。

 

此処までの位置関係は↓の通り

GPSが機能しておらず米軍メモリアルの位置が怪しい事を白状致します。

 

つづく

 

 

此の地を訪れる為、慌てて勉強したマキン・タラワの戦い

タラワの戦いを一から勉強してみる その一

タラワの戦いを一から勉強してみる その二

タラワの戦いを一から勉強してみる その三

タラワの戦いを一から勉強してみる その四

タラワの戦いを一から勉強してみる その五

最後まで勉強し切れて居りません。

 

 


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