なんか、このドラマのことを何度か書いた気がするが……
そもそも全く興味のないドラマ(漫画)だった。
内容も全然知らない。
子どものころなのか?有名な漫画だったのでタイトルだけは知っていた。
その実写版
興味はない。
ただ、一つの理由、カエルの声を満島ひかりちゃんがやるという理由だけで見たドラマ。

素敵なドラマでした。

現代で見ると、不思議なことがたくさんあるのだけれど、
特に違和感なく入ってきました。
そもそもカエルが平面カエルになっただけで無理のある漫画の世界ですから。

最終回の一回前に、
かねてから寿命を感じさせていたぴょん吉くんが、
祭りの一日前に死んでしまう。
泣かせていただきました。

しかし、最終回、やっぱりこのドラマはハッピーエンドで終わらなければならなかったのです。

なぜ、今この漫画を実写でドラマ化するのか?
一回目を見たときから思っていました。
『根性』という死語になりつつある、今の若者には格好悪い言葉
これが、やはり今必要とされているのではないか?
そしてやはり最終回にそのセリフはありました。

脚本は、私の大好きな岡田恵和さんでしたね。
だから温かいドラマでした。

『根性』という言葉が、若者に格好悪い言葉ととらえられるようになって
二十年くらい経つのでしょうか?
当時から若者に演技を教える仕事をしている私は、
それでも『努力と根性』と言い続けていました。
今も言い続けています。
初心者にモノを教える時、
例えば、腹筋をやらせる時、
「できないのは仕方がないが根性がない奴は無理だ」と言ってしまうような人です。

『努力と根性』が必須だった時代に成長しましたから。

そして、変わらず、『努力と根性』は美しいと思っています。

今の若者がこのドラマを見て、どう感じたのでしょうか?

そして、登場人物のすべてが、昭和の香りを漂わせていました。
舞台が東京の下町、どこもかしこも昭和でした。

最終回を見ながら、私はこんなことを考えていました。

現代は、問題が多すぎる。
実際、若者は、未来に希望が見いだせない人が多いと聞く。
社会がうねるように変化していく時、そこにはいろいろなものが介在しているから、
そうそう流れを変えることは出来ないのだけれど、
『ど根性ガエル』の最終回を見ながら、
単純に思いました。

「ここに戻ればいいのではないか?」と
出来るとか出来ないとか、そういうことは置いておいて、
単純なこと。
このドラマで見られる社会に戻ればいいのだ。
そしたら、すべてが解決する。
ように感じました。

人間が単純で熱く、
子どもが子どもらしく、
男が女の子をまっすぐに好きになり、
カエルも含めた命を大切にする人々
そして、お節介にも生活の中に介入しているご近所さんたち。

高度経済成長で、私たちは実に多くのモノを失ったのだと
改めて思うのでした。
7月~9月のドラマは、なんだか短いものが多かった。
まさか、打ち切りでしょうか?

私が、長い役者生活からの観点と、個人的な趣味で、
ドラマの良し悪しを感想として書いていますが、
面白いドラマでも見る人が少なければ視聴率が低いという理由で打ち切りになることもあるし、
つまらないものでも、視聴率が上がればどんどん作られる。
ドラマは、やはり根本的には芸術ですから、
いろんな作品があっていいけれど、
いい作品は、きちんと作られて欲しい。

そういう気持ちで、今回の夏ドラマの視聴率を見てみたら……

圧倒的な勝利は、『花咲舞が黙ってない』
次に安定していいのが『恋仲』でしょうか?
両方とも見ていました。

『花咲舞が黙ってない』が人気あるのは、
もちろん内容的に正義が勝ってすっきりすること。
もう一つの大きな要因は、一話完結ものということだと思うのです。
刑事ドラマや、病院ドラマが、そこそこ視聴率をとれるのも、
一話完結だから。
つまり人々は長編モノによりも短く楽しめるものにより人が集まる傾向がずーっとあるということです。

でも、どんなに面白いドラマでも宣伝力は必要です。
まず見てもらわないことには、次も見てもらえない。

今回、初回の視聴率がよかったのは、
『ど根性ガエル』『探偵の探偵』 『デスノート』この三つは、その後、ガタッと視聴率を下げます。
が、最後まで(打ち切られることなく)きちんと作られたドラマだと思います。
『ど根性ガエル』は、年長者にその知名度から、実写でどのように作られるのか?という興味があったのでしょう。
私は、残念ながら、この漫画を読んだことも見たこともなかったけれど、
満島ひかりちゃんが、ぴょんきち君をやるというそれだけの理由で見て、
最後までとにかく楽しめました。
この3か月、私は家で、意味なく「ど、根性ーっ」と叫ぶこと、たびたびでした。
そのくらいあのカエルは魅力的で、
登場人物のすべてが昭和の臭いをぷんぷんさせた、熱く優しい人たちでした。
『探偵の探偵』はなぜ?
北川景子さんの人気でしょうか?
彼女演じた役の強さは、嘘が多かったけれど、
北川景子さんは、本当に素晴らしい女優さんに着々と成長しています。
綺麗でスタイルがいい上に頭の良い女性なのでしょう。
『デスノート』は、漫画が原作ですよね、多分。
あまりにもご都合主義の、嘘八百のところが、私にはどうにも無理でした。
初回は面白かったのは、アイデア倒れの典型だと思います。
窪田くんの演技力が無駄になりましたね。

『恋仲』が視聴率がよかったのは、月9だからでしょうか?
ラブストーリー大好きの私は、それなりに楽しみましたが、
主演の女優さんが、(初めて見る方でしたが)笑顔が素敵な魅力のある人ではあるのですが、
芝居がとっても下手で……なんか久しぶりに下手な主演女優を目の当たりにしたというか……
彼女の魅力でキャスティングしたのならば、もう少し脚本をいじるなどしてなんとかできなかったのか……?と
ちょくちょくドラマから冷めさせられたことが、かなりがっかりでした。

そして、今回のドラマのベスト1は、視聴率6%前後ですが、
『表参道高校合唱部!』
なあんとなく、1話を録画してみたら、めちゃくちゃ面白く、
その後は大したことはなかったのだけど、
芳根京子ちゃん演じる香川真琴が、とてもかわいらしく魅力的で、
見ずにはいられなかった。

あと楽しみにこれから見るのは『ナポレオンの村』です。

視聴率ってなんなんだろう?
今まで、ずーっとドラマを山ほど見ている私ですが、
私が見たという事実は、一度だって視聴率には跳ね返っていないわけです。
それでも、これが原因で打ち切られたり(4話で突如終わった『シメシ』とか打ち切りですよね)
これのために、人気のあるアイドル系の対してお芝居できない子が主演を演じたりすることも。
作っても見てもらわなければ意味がないから、
視聴率とれる人を使うのも無理はないけれど、
役者として優れた人で、厚みのあるいいドラマを作ってもらいたい。
そして、それがきちんと視聴率も取れるドラマになってもらいたい。
と思うのです。
最近だと『天皇の料理番』でしょうか。
いい作品は、いい!とわかってくれる人がたくさんいなければならない。
そのためには、きちんとしたドラマを作り、
漫画にしか触れてこなかった若者にも、こんな面白いものがあるのだと
気付いてもらえるようになってほしい。
それでないと文化は、芸術は、だんだんすたれていきます。


さっきネットで見つけたニュース。

これだけの短いニュース


栃木県日光市は17日、記録的な豪雨の影響で、
東京電力
福島第一原発事故に伴う除染で出た汚染土や草を詰めた
「フレコンバッグ」と呼ばれる土嚢(どのう)袋(容量1立方メートル)が川に流出したと発表した。
少なくとも334袋が流出したとみられ、うち20袋は下流で回収したが、中身は空だった。】

でも小さなニュースでしょうか?
大変なニュースだと思います。

フレコンバッグというのは、あの下品な黒や青の袋、
今や福島県の至る所に積み上げられている袋です。
除染土が入っているけれど、耐久性は低く、
数年後にどうなるのか分からない。
つまりやっつけ仕事みたいな除染作業から出た原発のゴミ
この作業のために多くの人が駆り出され、
多額の税金が使われ(なぜか東電のお金ではない)
多くの人が大なり小なり被爆しながら作業した。

今後、これをどうするのか、どこに埋めるのか
よくもめていますが、
日光市では、川に流されたそうです。
耐久性の低い袋ですから、除染土は、放射能と一緒に川の水に紛れてしまいました。

どうやって処分するか困っていた行政にとっては、
面倒なものを処分出来て、内心助かっているかもしれません。

そして、問題は、こんな小さなニュース、テレビでは今報道している場合かっていうことです。
小さくても重要なことはたくさんあります。
ラッキーなことにネットで検索すれば、いろいろな情報を得ることは出来ます。

知ることで、辛くなることはたくさんあるけれど、
自分たちの国で、自分たちの近所で起きていることだもの
知らなければいけないと思い、ブログにアップしてみました。

今日もなあんとなく心が暗くなる、そんな天気です。
昨日、与党の一方的な数の力で、安保法案を参議院で通過させました。
これは民主主義ではありません。

安倍政権は、選挙で勝ったことを理由に「民意」だとしょっちゅう言いますが、
実は、それは違うのです。

2014年の選挙で、自民党は実際議席を減らしています。
(まるで自民党が選挙に圧勝したかのような印象を与えたのは、マスコミのせいでもあります)
この時、自民党は票をかなり減らしているのです。
2009年民主党政権になった時よりも178万票も減らしました。
が、議席は、119議席から291議席に増えています。
つまり小選挙区制度の問題点です。
昨年末の選挙は、あとほんの少しで野党が勝った選挙だったのです。

そこで、やっぱり思うこと。
選挙に行かなかった人たちの罪です。

選挙に行って、自民党を支持していたり、戦争や原発に賛成していたりする人(私には信じられないですけど)は、
まだ人として認められます。
だって自分の意見を持っているのですから。
意見を持っている人は、今後意見が変わる可能性もあります。

しかし!
選挙に行かなかった人は、
どうでもいい無関心な人たちです。
その人たちに罪は大きいと思います。
さらに、問題なのは、
彼らに罪の意識がないことです。

若い人たち、一人一人に選挙に行くように言っています。
「私一人が行ったところで何も変わらない」という人がいます。
それは大きな誤解です!

もしも……
もしも、日本国民全員が選挙に行ったら……
行くだけでいいんです。
白票だろうが、全員が与党に入れようが、
とにかく日本国民全員が選挙に行ったら、
この国は、この国の政治は、画期的に変わるのです!!!
それを見てみたいと思いませんか?

今は、国民の半数くらいしか選挙に行かないので、
一部の政党は、支持者だけで選挙に勝つことが出来ます。
だから、支持者以外の国民を馬鹿にしているのです。
選挙に来ないでくれて彼らは喜んでいるのですよ。
でも、全員が選挙に行くと、
政治家は、今やっているように国民を無視した政治をやることが出来なくなります。
いつも国民の意見に耳を傾けざるを得なくなります。
それでこそ民主主義だと思います。

昨日、国会で起こったこと。
国会前で多くの人が抗議活動を続け(13人逮捕、数人のけが人を出しています)たこと
どれもこれも仕方のないことではないです。
選挙に行かなかった人、お願いですから、真剣に考えてください。
あなたの一票で、この国をいい国にすることが出来るのに。

十代で選挙権を持っていない方は、
身近な大人で選挙に行かない人が居たら、言ってください。
「選挙に行け!」と
今政治家が決めていることは、あなたたちの未来です。
年寄りだけで勝手に決めていいことではないのです。

来年の参議院議員選挙で、自民党は大敗すると予想されます。
しかし、この安保法案のことや、原発のことや、TPPや、
それが一年後過去のことになってしまったら意味がない。
さらに、マスコミの操作で、またまた「与党が勝つ」とか「投票率は低そうだ」と言われるかもしれません。
そうすることで、政権与党は、勝つ可能性が増えるのです。

だからどんなことがあっても選挙に行かなければいけないのです。
どんなことがあっても選挙に行けばいいのです。
投票したい議員がいない場合は、
嫌いな政治家の反対政党に入れましょう。
そうそう、自分の選挙区に好きな政治家がいるわけではありません。

アフガニスタンで選挙があった時、
投票所に行くと殺される危険性があるにもかかわらず、
女性たちが選挙に行く姿を報道していました。
そこまでして自分の国のことを考えているのが普通の人間だと思います。
日本人はだから平和ボケだと言われるのです。
しかし、集団的自衛権が法律的に認められることで、
まさしくこの国は、今までのような平和な国ではなくなります。
国民も平和ボケしている場合ではなくなりました。

だから、必ず選挙には行ってください。
宜しくお願い致しますm(_ _ )m 



最近、品種改良なのか、辛くないとうがらしというのをよく見かける。
とうがらしにもいろいろな形や品種があるようなのだが、
わざわざ「辛くない」と明記している。
それが売りになっている様子。
つまりそのまま食べられますよ。って意味。
辛いとそれほど売れないけど……っていう意味?

実は、私はこのところ、辛いとうがらしを探していたのだ。
というのは、タバスコを作るため
前記の通り、辛くないとうがらししか見つからなかったので、
辛くないとうがらしでタバスコを作ってみたのだけれど、
ちっとも楽しくない。
やっぱりタバスコは辛くなくっちゃ。

先週、山梨、長野に出向いて、
久しぶりに見つけました!
たくさんの「辛い!」とうがらし。
今度は、「辛い!」「世界で一番辛い品種」とか、辛いのオンパレードで
ドキドキしながら唐辛子を二種購入。

早速、一種をタバスコにしました。

はい、こちらです。
作り方は簡単です。
辛い唐辛子とニンニクに酢と塩を入れて撹拌するだけ。

久しぶりの辛い唐辛子なので、本当に辛いのだろうか?と心配。
ミキサーで撹拌し終わった時、
臭いをかいでみた。
「すーっ」と息を吸ったら、
「辛い!」香りに思わず咳が出ました。
これは間違いない。
間違いなく辛いタバスコができます。

ということで、
半月もすると、辛いタバスコを楽しむことが出来ます。
しばし待つだけ……


私のラッキーナンバー(好きな数字)は、「4」である。
その流れで、「44」も好きだし、「444」も好き。
とにかく「4」が入っていれば好き。

どんな時でも、なるだけラッキーナンバーが入っているものを選ぶ。

「4」という数字を、この国では嫌う傾向がある。
何故?
「死」と意味するとか言うのだが、
これがどこから来たことなのか知らない私にはまったく関係がない。

それよりも「4」という数字は、もっとも平和な数字だと思っている。

そもそも家族構成は4人が多かった。
私が子どもの時の家族も4人家族だった。

どこかへ食事に行く。
テーブル席は、いつも4だ。
とても都合がよい。

車に乗る時も4人は最高だ。
5人乗りの車だって、5人は乗りたくないでしょう?

友人と遊ぶ時も、4人は割り切れるので都合がよい。
遊園地に行って乗り物に乗る時も、誰かがあぶれる心配がない。
二人組は、その都度グループを変え楽しめる。
二人より四人のほうが遥かに楽しい。
そして、仲間はずれを作りにくい。
そんな平和的な数字「4」を私は愛している。

さらに私にとって好都合はなのは、
この国ではこの数字を嫌う人が多いということだ。

靴箱や、ロッカーなど、
外出時に使う何かに番号をついている時、私は必ず4がついている数字を選ぶ。
そして、結構空いていることがある。
ほかの人が、どれほど番号を気にしているかはわからないが、
ロッカーなどではなく、もっと運が関係してくるような場合には、
明らかに「4」を外す人が多い。

コインパーキングに停める時も空いていれば必ず4番に止める。
賭け事だって、根拠がなければ必ず4が入っている数字を選ぶ。

そうやってずーっと生きてきた。
少なくとも40年以上。

ただ、困るのは、
ホテルとか病院に行くと、この数字が存在しないことだ。
病院に行くとロッカーにもこの番号がなかったりする。
散々探して……ない。ことに気付く。
ありえない!!と思っているのは私だけなのだろうか?

10月からマイナンバーというのがやってくるらしい。
使用については、基本的に反対なのだが、
私は使いませんと言えるのかどうか?
それよりも、問題は、ナンバーだ。
国が私に勝手に12ケタの番号を振る制度。
制度については、この際置いておく。
12ケタもある番号の中に、もしももしも……もしももしも……
「4」っていう数字が入っていなかったら〃!!!!!!!!
これは、もう私の番号ではないのだ!!!!
ありえないのだ。
この場合、変えてくれと言えば変えてくれるのだろうか?
それとも車のナンバーのようにお金を払えば好きな番号が選べるのだろうか?
車のナンバーとは違う、私自身につけられる数字が、
嫌いな数字ばかり並んでいたら、
それは残りの人生、ずーっと気が重くなる……そんな気がしているのだけれど……
今朝は、東京地方で大きな揺れがありました。

私は、ベッドの中で起きていたのですが、
最初の大きな縦揺れに、上半身を起こし、
しばし様子を見ました。

それほど長い地震ではなかったので、
その後、もう一眠りしてからニュースを見ました。
震源地は東京湾で、
調布震度5弱
調布からは、かなり近いです。

5時過ぎにバイクで出かけた旦那が心配になり電話すると、
せっかく山登りに行ったのに、
一緒に上るはずの友人はみんな電車が止まり
現地集合は不可能になったとこぼしておりました。
無事でなにより。

さて、ここ数日は台風の影響で栃木、茨木を中心に
関東地方で大きな被害がありました。
我が家は、引っ越す時にチェックした通り、
基本的に低い地域ではないので、水害の恐れはなく
(我が家が水没したら町中全部水没という意味で、これからは何が起こるか分からない?)
今一番怖いのは富士山の噴火……とよく言っています。

ここ数年、地球温暖化によって気候が変わり、
例えば、九州地方は、亜熱帯地方のような気候になったのだと思う。
だから、雨の降り方が今までと比較すると異常。
北海道も、なあんとなく梅雨があるような天気に変わってきています。
そして東日本大震災以降、止まることがない地震の恐怖。
台風、豪雨、竜巻、土砂崩れ
予想外の被害を起こしています。
そう、もう予想内で収まると思ってはいけない時代になってしまった。

こうしたあらゆる災害の恐れのない場所が日本にどのくらいあるのだろうか?

そもそも日本は平地が少ないから山の頂などにも家々が立ち並んでいるのに。

そんな狭い国土に、海沿いには原発という人間が作った怖ろしい災害武器もある。

自然が怒っている。
人間が好き勝手に切り崩してきた自然が……

自然と共存していく方法を進めていかないと大変なことになる。
多くの人がかなり前から言っている。
そうして環境のことを常に考えながら生きている人も増えたが、
相変わらず、自分ひとりくらいどうでもいいだろうと思っている人も少なくないのかも。

被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

東日本大震災から復興することもままならず、
あちこちで災害が起こり、
被害者が、避難者が、減ることがない。

世界各地でこのような被害が起きている。

私たちひとりひとりが、もっと環境に優しい生き方を心がけていく時期なのだと感じているのですが、
いかがでしょうか?



若い者たちに教えるという仕事を始めてもう二十年以上になった。
最初に教えた人たちは、もう40代になっている計算だ。
今教えている子たちの中心も20歳前後
実際は中学一年生から三十過ぎまで。

教えているのは、「演技」だが、
そのためにいろいろな寄り道をする。

そして、親しくなると、いろいろな相談を受ける。
基本的には、役者として今後どうしていったらいいか?
みたいな質問が多い。

売れるためにはどうしたらいいか?
私は、その養成所で教えている講師に過ぎないから、
選択肢を与える以上の意見は言えない立場である。

さらに親しくなると、相談が込み入ってくる。
辞めようかどうしようかという悩みの中に、家庭の事情が絡まってくる。
私の場合は、
辞めようかどうしようか?悩んでいる人には、100%辞めることを勧める
(これも立場上微妙なのではあるが)

ここ一か月も実は、いろんなトラブルが発生して相談を受ける日々だ。
当然、人間関係の悩みも多い。
あの子がどうした、この子がどうした……的な?
話をすることが嫌いではないので、
延々話を聞いて、私の意見を言うことになる。
聞いていると、話がループしてくる。
悩んでいるということはそういうことなのだと思う。
そして、私は頭の中で(つまらないことで悩んでいるのだなぁ)と感じる。
しかし、次の私が話す段には、真剣に私の意見を言う。
結構、大人のような意見を言えるようになってきたと感じる。

(少しは大人になっているのだ、私も)

そして、長い相談が終わって、また思う。
つまらないことでくよくよと悩んでいるのだなぁ、と。

それが若者なのではないかと思う。
私も、そういえば、こんなつまんないことで、たくさん悩んでいたなぁと思う。
それは若者の特権というか、
若いうちに、やっておいて損はないことのように思う。

くよくよくよくよ考えて、
たくさんたくさん悩んで、
なりたくもない大人になっていくのだと思う。

だから、今、10代、20代のうちに、
たくさん悩んでください。
ウェルテルのように……
なんか、ここ一年くらい?さらに視力が下がっている。
急激に下がっている。
不安になる。

そもそも遠視気味だった私は、
老眼になるのも41歳からと早く、
それ以降、どんどん視力が下がり、
ここ2、3年は、遠くを見る視力も下がっている。

昨年、区の眼科診療に行って来た。
緑内障ではありません。と言われ安心したけど、
あれは、白内障の検査はなかったよな。

白内障は、かなり多くの人がかかる病気で、
放っておくと失明する怖い病気。
でも、それを直すために手術はそれほど難しいものではない。とか。
でもできれば手術なんかしたくない。

ということで、先日「ためしてガッテン」で、白内障を扱っていた。
早期発見する方法を教えてもらった。
安心するためにもチェックしたほうがいい。
その方法は、月を見て、月が二重になっていると、よろしくないらしい。

しかーし、ここ数日、月そのものが、ない!
一重も二重もないのだ!
月が見られない。
参った。

ということで、月が出る夜を心待ちにしております。

因みに……
早期発見で、白内障の恐れがあった場合、
一体何が出来るのか?
については、すっかり忘れてしまった。

やっぱり定期的な眼科検診が必要かと思う。
近くで、定期健診できる病院も探さなければ……トホホ
タイムマシーンに乗って、どの時代に行きたいですか?

こんな質問に、「未来」の時間をいう人がいるが、
私の場合は、ありえない。

行きたい時は、間違いなく「過去」に存在する。
それは、「過去」に会いたい人がいるからだ。

一番会いたいのは、もちろん「母親」である。

考えてみたら、現存している人で、会いたい人がいるならば、
何としてでも会うべきだということなのかもしれない。

亡くなった人に、無償に会いたくなることがある。
会えないから会いたいという気持ちだけで、胸が張り裂けそうになる。
思い出す。
いろんな表情を。
ほかにも会いたい人は、大抵、過去のある時間のある人なのだ。
未来には興味はない。
なぜなら、未来は、これから生きて見ればいいから。
私が死んだ後の未来を、見てみたいか?
答えは「NO」である。
特に興味がない。

さて、ほかにも無性に会いたい人は、
自分自身である。

19歳の時の自分に会いたい。
今、頭で考える時、
19歳の私は、とてつもなく忙しく、あらゆることをやっていた。
一体、一日二十四時間しかないのに、どうしてそれほどのことをが出来たのか?
めちゃくちゃ頑張っていた自分を見てみたいのだ。

時々、幼友達に、小学生の時の私が言った言葉を聞いてびっくりする。
私は全く覚えていない。
友人なので、多分、いいことだけ言ってくれているのだろうが、
その言葉を覚えていない以上、
その言葉を吐いた自分をイメージすることもできない。
そうすると、無性に見てみたくなる。
そんなことを言った9歳の自分。
5歳の自分。
今よりも頑張れていた若いころの自分。
今よりもまっすぐに、疑いもなく夢を追いかけていた自分。

でも、その夢は叶わないだろう。

そんなことを考えていて気付いたことがある。
私は、中学三年の年末から三十七歳(だと思う)まで日記をつけていたのだ。
ほぼ毎日。
いつか自分史でも書こうかと、その記録として取ってある。
読み返すことは基本的にはない。
自分の字はきれいではないので読みたくもない。
でも、19歳の時の自分の日記を読んでみたら、
当時の自分にあったような雰囲気だけは持てるかもしれない。
と、今は期待している。

まだその時期はやってこない。
いつか、自分の日記を読み返したい時がきたら、
おいしいお茶を入れて、少しだけ思いを過去に馳せてみようと思う。

最後に、19歳のころの(この時代が私の青春真っ盛り、大忙しだったので)自分に会ってみたいとは思うが、
19歳に戻りたいとは思わない。
19歳の若さを見て、美しいし、うらやましいと思うけれど、
もし、誰かがくれると言っても、貰わないだろう。
不思議なことだけど、
あの19歳の楽しくも大変な時間を経過して、今の自分があるのだから。
今の自分にこれ以上を望むものではないのだ。