タイムマシーンに乗って、どの時代に行きたいですか?

こんな質問に、「未来」の時間をいう人がいるが、
私の場合は、ありえない。

行きたい時は、間違いなく「過去」に存在する。
それは、「過去」に会いたい人がいるからだ。

一番会いたいのは、もちろん「母親」である。

考えてみたら、現存している人で、会いたい人がいるならば、
何としてでも会うべきだということなのかもしれない。

亡くなった人に、無償に会いたくなることがある。
会えないから会いたいという気持ちだけで、胸が張り裂けそうになる。
思い出す。
いろんな表情を。
ほかにも会いたい人は、大抵、過去のある時間のある人なのだ。
未来には興味はない。
なぜなら、未来は、これから生きて見ればいいから。
私が死んだ後の未来を、見てみたいか?
答えは「NO」である。
特に興味がない。

さて、ほかにも無性に会いたい人は、
自分自身である。

19歳の時の自分に会いたい。
今、頭で考える時、
19歳の私は、とてつもなく忙しく、あらゆることをやっていた。
一体、一日二十四時間しかないのに、どうしてそれほどのことをが出来たのか?
めちゃくちゃ頑張っていた自分を見てみたいのだ。

時々、幼友達に、小学生の時の私が言った言葉を聞いてびっくりする。
私は全く覚えていない。
友人なので、多分、いいことだけ言ってくれているのだろうが、
その言葉を覚えていない以上、
その言葉を吐いた自分をイメージすることもできない。
そうすると、無性に見てみたくなる。
そんなことを言った9歳の自分。
5歳の自分。
今よりも頑張れていた若いころの自分。
今よりもまっすぐに、疑いもなく夢を追いかけていた自分。

でも、その夢は叶わないだろう。

そんなことを考えていて気付いたことがある。
私は、中学三年の年末から三十七歳(だと思う)まで日記をつけていたのだ。
ほぼ毎日。
いつか自分史でも書こうかと、その記録として取ってある。
読み返すことは基本的にはない。
自分の字はきれいではないので読みたくもない。
でも、19歳の時の自分の日記を読んでみたら、
当時の自分にあったような雰囲気だけは持てるかもしれない。
と、今は期待している。

まだその時期はやってこない。
いつか、自分の日記を読み返したい時がきたら、
おいしいお茶を入れて、少しだけ思いを過去に馳せてみようと思う。

最後に、19歳のころの(この時代が私の青春真っ盛り、大忙しだったので)自分に会ってみたいとは思うが、
19歳に戻りたいとは思わない。
19歳の若さを見て、美しいし、うらやましいと思うけれど、
もし、誰かがくれると言っても、貰わないだろう。
不思議なことだけど、
あの19歳の楽しくも大変な時間を経過して、今の自分があるのだから。
今の自分にこれ以上を望むものではないのだ。