先日、あるアンケートで

16日に衆議院選挙に行きますか?という問いに対し、

選択肢は、

・ 選挙に行く予定

・ 選挙にはいかない予定

・ まだ分からない。


となっていた。


「行く予定」ってなんだ?

選挙には「予定」ではなく、

行くのだ!


そのために、年寄りでも誰でも行けるように

近所の学校で行われているのだから。

多少体調が悪くたって歩いて行けるのだ。

仕事のスケジュールで当日どうしてもどうしても行けない人には

期日前投票と言う方法もあるのだ。

つまり予定ではなく、必須。全員行けるように設置されているのだから、

当日どこかで行き倒れてでもいない限り行くのだ!


アフガニスタンや一部のまだ民主化されていない国では、

平等に選挙が行われない。

行われても、数時間も歩いて投票所に行かなければならなかったりする。


私達は、ラッキーにも子供の時から教育を受け、

字も読めるから、選挙用紙に候補者の名前を書くことが出来るのだ!

なんてラッキー!!


選挙権は、日本国民としての権利であり、義務であると思っている。


選挙には必ず行きましょう!


あっ、生徒に言わなくちゃ。

大人になって得た折角の権利を行使しましょう!


そういうと、若い者たちから二つの答えが返ってくる。


「よく分からないから、誰に入れたらいいか分からない」

勉強しましょう! 

自分の生活に直結していることだから。


「入れたい政治家がいない」

納得のいく人がいない場合は、白票を出しましょう!

それが意見と権利の行使です。

または、政治家になりましょう!


てなわけで、選挙は行かなければならないモノであり、

行こうかどうしようか考えるモノでも、

アンケートでどのくらいの人が行くのだろうかと探る必要もないモノなのです。

旦那の風邪をもらって

いつも旦那より悪い状態になる私です。


目の前に風邪ひきさんがいる。

移されないように気を付けながらも、

どうせいつか移るのだろうと思いつつ生活してる。

家族がいるってこういうこと?って思います。


お子さんがいる人なんてもっと大変でしょ?

家族が多いし、

子どもは弱いし。


そう、だから我が家でも旦那の風邪をいつも貰う羽目になる。

私の風邪は旦那に移るとは限らない。

そして必ず私の方が重くなる。


仕事がなければいいけど、

体調が悪いのに仕事行くのは辛いモノ。

だから、仕事以外の時間は治すために全力を尽くす。

栄養を取って、薬を飲んで、寝る。

ただ、それだけ。


それにしても不健康になると健康のありがたみを感じるのはいつものこと。

治った時は、当たり前すぎて何も感じないんだけどね。


ただ、身体は正直なもので、

具合が悪いといつまででも寝ていられるけど、

元気だと起きて何かしたくなるものです。


つまり体調が悪い時は安心して寝ていていいということだ。

しかし、仕事がある。


明日も仕事があるから、そのために今夜も早めに寝て明日の仕事に備えるのだ。


な、わけで、ブログ休みがちですぅ(´□`。)

我が家では、いつも旦那が風邪を持ってくる。


旦那は、今の所、健康。

私より体力もある。


しょっちゅう風邪を引くけど、

一日寝るとすっきりした顔してる。


しかし、それを移される私は、

その後、酷い風邪に発展することもある。

だから移さないように最善の注意をして貰いたいと

いつも注意する。


しかし、ほとんどの場合移される。

というか、移る…………トホホ


一週間くらい前に旦那がやはり風邪を引いた。

そして今回は長引いている。


今年の風邪は、熱が出たりしないけれど、

症状は軽いけれど、

その分治りにくいとか。


旦那の症状は、咳。

朝方いつも咳き込んでいる。


一度、病院に行って薬を貰ってきたけど、

風邪って、ホント、時間が経たないと治らないって感じ。


そして今朝は、私も咳…………

ああああああ~移ったかも。

しかし、そう考えると本当に風邪状態になるから、

今の所、移ってないと信じつつ、仕事に行く。


それにしても家族がいるということはこういうことだ。

旦那が風邪を引くと、必ず必ず、それを貰う。


そして、私の風邪は、どんなに頑張っても、

どんなに薬を飲んでも、

フルコースを通り過ぎてから治る。


なんか、これから当分風邪状態になるかと思うとすごく憂鬱。

風邪って大したことないようでも、ホント、憂鬱。


だから、風邪引かないようにお気を付け下さい(^o^;)

地震大きかったですね。

東京で震度4.それもすっごく長かった。

すぐに震源地をチェック。

えええ、あの時と同じあたりじゃない!!


東日本大震災を思い出し、涙が止まらない。

なんで泣いてるのか分からないけど、

津波情報があの時と同じように

東北の太平洋側に出てる。


なんか悲しい(iДi)

新宿南口、高島屋方面に行く時、

いつも階段を登ってから気づく、

ああ~南口じゃなくて、新南口から出ればよかったんだぁ~


昨日は、気を付けて、

中央線もきちんと一番前に乗って

ホームに降りてからは、

心の中で「新南口、新南口」と繰り返しながら、

そして、無事、新南口から駅を出られました。


さて、心の中で、

そして目で「新南口」という文字を見ながら

ずっと正しい道を進んで行ったわけですが、

この「新」ってどうなんだろう?と考える。

今は、まだいいけど、そのうち「新」ではなくなることは明白なのに、

「新」とつけてしまったこと。


この改札口を作る時に、

名前について考え、考察したことを思い浮かべる。


すでに南口を作ってしまったのだから、

それより南にできる改札口の名前をどうするか?

JRの社員たちが頭を悩ませるのだろうか?

それともある権限を持った人の独断で決まってしまうのだろうか?

細かいことは分からないが、

南口より南の改札口の名前に悩んだ様子が目に浮かぶ。


そして「新南口」になってしまった。


もっと素直な発想はどうだろう?

南口よりももっと南にある改札口だから

「もっと南口」というのはどうだろう?と頭の中で考える。


ちょっと可愛らしい

「新宿駅もっと南口」

音にしてみると結構いい感じ。


友だちと待ち合わせる

「明日は、13時に新宿駅のもっと南口改札を出たところね(^-^)/」

悪くない。


十年後、古くなった新南口を「新」をつけていうよりも

「もっと南口」の方がちょっぴりおしゃれなような気がするのだが、

いかがだろうか?

今朝テレビをつけていたら、ニュース速報が入った。

中村勘三郎さんの死を告げるモノだった。

たしか、癌の治療のためにお休みしていたはず、

その会見も見た記憶があるから、

初期の発見だと思われたのに。

進行性のモノだったのかもしれない。


最近、知っている人がどんどん亡くなる気がする。


知っている人と言うのは、

別に直接の知り合いだけに限らす、

会ったことがあるだけの人も含まれているし、

有名人であるだけのこともある。


それなのに知っている人が亡くなる気がするのは、

どうしてだろう?と考える。


若い頃だって、同じように著名人の訃報は耳に入っていたはずだ。

しかし、今とは感じ方が違う。


それは、同時代をかなり長くこの地球上で生きてきたということで

近しく感じられるのか?

そりゃあ、向こうは知らなくても、

こちらは彼の活躍ぶりをたくさん知っていれば、

相ではない人よりも近しい人のような気がするものだ。


それでも、勘三郎さんが57歳という若さで亡くなったと言っても、

それでも、まだ私より年上の方。


これがあと二十年経ったら、

私があと二十年長生きできたらの話だが、

同年代は勿論、自分より若い方もたくさん亡くなることになる。

そして、自分の将来は今よりも短くなっている。

その時に、また違った感じ方をするのだろう。

それは、今のそれとは比べ物にならないほど、厳しいモノだろうと思われる。


どんなこともその年齢年齢で感じ方が違うのだと

最近、よく思う。


だから、人は歳を取ってみないと分からないことがたーくさんあるのだ。

戯曲に触れていると、最近の若者間で死語となった言葉も良く登場する。

昨日やっていた戯曲では、今では放送禁止用語となった単語がたくさん出てきていたので、

少しの間、生徒たちとその話になった。


先日も、他のクラスで、「日がな一日」が死語化していることにショックを受けたことをここに書いた。

そして、昨日はもっとショックだった。

もっと簡単な↑その放送禁止用語になった単語も知らない人が多かったし、

「日がな一日」もひとりしか知らなかった(x_x;)


それでは、どんどんこうやって死語が増えて、

何か言葉が生まれているのだろうか?


実際、言葉と言うのは生き物なので、

なくなっていくのも仕方はない。

しかし、単に減っているのだとするとそれはヴォキャブラリーが減っているという事、

感情表現できる言葉と言うモノが減っていくと、

それはそれは色彩の薄いモノになっていくということだ。


若者言葉が流行る。

全ての言葉を略して喋るのが高校生用語のように流行る。

しかし、略した言葉は、増えたわけではない。


新しいモノに対しては、勿論名前が出来る。

そういえば、「ガラケー」なんて単語は、増えた単語と言えるのだろうか?

そもそもあれは「携帯電話」という単語の別名か?


いえいえ、名刺が増えても表現は広がらないのです。

自分の感情や、食べたものの味や、見た景色の美しさを表現するためには、

もっと多くの言葉があった方が伝わりやすい。


そういう意味で、芝居をやっていると、消えた言葉が悲しい。

その微妙な雰囲気を表現しきれないのだ。


因みに、昨日「日がな一日」を生徒に説明し、それを何と言うの?と聞いたところ

「一日中」と答えてくれた。


確かに意味は同じなのかもしれない。

が、違うのだ。

イメージが違うのだ。

雰囲気が違うのだ。

匂いや、色や、五感を使って感じるような雰囲気、イメージを伝えるためには、

やっぱりあった方がいい言葉が、どんどん消えていくのは哀しいことだ。


それは若者のせいではない。

私たち、知っている者が、もっともっと頻繁に使わなければならないのだ!!


ということで、もう少し考えて文章書くように心がけますです(゚_゚i)

これを買う前にノートパソコンを購入した。

その時、WINDOWSにすべきかAPPLEにすべきかかなり悩んだ。

が、周囲の若者たちの意見でWINDOWSにした。


iphone5を持って半月、人気のある理由が分かる。

楽しい、可愛い。


つまり、日本で仕事に使うためにはまだまだWINDOWSの方が都合がいい

というか、WINDOWSでないと困る局面がいろいろ出てくるのだが、

遊びに、私用に使うだけならapple製品の方が楽しいということだ。


というのが、今の私の結論。


ネットを見るということで楽しむならば、

iphoneは非常に使い易い。


よく見る画面を画面に落としておけば、

いつでもワンタッチでその画面を見るコトが出来る。

操作性の早さは素晴らしい。

アプリの数も半端ではないから、

それはそれは便利な機器に変貌する。


キーボードもこれまでの携帯より優れた。

が、これはどうしたってPCにはかなわない。

ノートパソコンを小さくする時にいつも引っかかってきたのはキーボードだろうから、

これを小さくして使いにくくするか、

あきらめるか、

そのことによって携帯する機能を得ることが出来る。


しかし、老眼の人間には、どうしたって携帯画面は小さすぎる。

眼鏡を掛けて見続けると目の疲れは半端ないし、

画面を大きくしてみるとスクロール回数が半端ない。

とにかく画面を見ていることが疲れる。


若かったらなぁ~と思う。

私が今20代か、30代だったら、

間違いなく、こんな楽しいツールはないだろう。


しかし、仕事でPCを使う割合がどんどん減ってきた。

または、PCは会社ので十分。

と言う人には、Appleの方が楽しい分、私用では使い易いだろう。


そもそも私は筆まめで、こうして長々と文章を書き連ねてしまう性癖があるため、

やはりキーボードは必須。


実は、ipad対応のキーボードも購入したのだ。

しかし、こうやってPCに繋がっているのが一番。

PCを立ち上げるのが面倒という理由で携帯電話をもっぱら使用する人も多いと思うが、

私としては、すでにデスク周りにすべてがあり、

ボタン一つでキーボード含めてすべてがたちあがり、

操作性に優れ、画面が大きいデスクトップが最高である。


ただ、お出かけには携帯が必要。

iphoneを持った私が、外で全く退屈せずに時間を過ごせるようになったことも事実である。


それにしても可愛らしい。

表示画面のボタンを移動するためにひとつを長押しする。

画面のボタンがプルプル震えだす。

その画面を見ているだけで笑顔になってしまう。ほど可愛らしい。

ずっとプルプルさせていたい≧(´▽`)≦


外出先から午後帰宅すると、とんでもないニュースが飛び込んできた。

中央高速道の笹子トンネルで崩落事故があったという。

今朝の話。


少なくとも3台が下敷きになり、

少なくとも7名が中に閉じ込められたまま、

中で車が炎上、その煙のために救出作業が出来ない状態...

というニュースをまず聞いた。


毎月、八ヶ岳まで往復する私にとってとてもなじみのある笹子トンネル。

4000メートル強の長いトンネルだ。


私にとっての笹子トンネルは、

下りでトンネルを抜けるとすぐ勝沼なのだが、

トンネルを出たところ、追い越し車線にある、三三七拍子だ。


走行車線にはないのだが、

追い越し車線には、トンネルを出た直後と、少し行った先にあるのだ。

三三七拍子が……


結構なスピードを出して走り抜けると

とても小気味よく

いいリズムで

三三七拍子が体に感じられる。


トントントン トントントン トントントントントントントン


と身体が揺れるのだ。

最初通過した時、冗談かと思った。

通り過ぎたあと、

旦那と二人、顔を見合わせて

「今の……そうだよねぇ」って感じ。

工事の人が洒落でやったのかと二人でにこやかな顔になった。


事故があったのは上り車線のトンネル。

60メートルに渡り天井のコンクリートが落ちたのだそうだ。

車で走っていて、トンネルの中で、逃げ場がない。

朝なので、これだけの崩落事故にもかかわらず

巻き込まれたのは3台ということだし、

その後の追突事故もなかったのは、不幸の中では救われる話だが、

いつも通っている私としては他人ごとではない。


当分、中央道は使えなくなるのかな...?


昨日もなんとなくお掃除したくなって、

オーブントースターを洗った。


エプロンのせいなのだ。

エプロンのポケットに猫の袖止めを入れてから

エプロンをかけると活動的になったのだ。


今日もシンクを磨いた。

お掃除って気持ちいい。

でも、すぐ疲れるから、あまり長くはやっていない。


ちょっと気になる所を磨いたり、

普段のお掃除では手を付けないところを丹念に磨き上げるのが結構好き。


そして気づいたら師走に入っていた。


今日からあと31日で今年2012年も終わり


年末になったからお掃除したい気分になったのかな?とも思う。


そして完璧主義の性格が時々顔をもたげる。

ひとつの個所を掃除し始めると

その周囲がみんな気になってくる。

で、あっちもこっちも手を付け始めると、

明らかに疲れが発生してきて厭になってくる。

とても全部を美しく仕上げるなんてできなくなってきて、

途中からもういいやと適当に片付け始める。


だから気になったところをちょっとだけ磨き上げるのが私には似合っているのだ。

これだって毎日ちょっとずつやれば

家じゅう綺麗になるはずなの。

毎日やらないんだけど。


どんなことでもやらなければならないことは

楽しく出来たらいいなと思う。

でも、掃除も洗濯も嫌いな人は、きっと楽しくやることが難しいのだろう。


しかし、時々、ほんのちょっとだけその気になった時にやってみるといい。

嫌いなことでも気が向く時がある。

そういう時に手を付けると、驚くほど成果があり、

結構楽しい時間を過ごせたりして、

これまで嫌いだったことの印象も変わったりするものだ。


目先の感覚なんて、そんなものだ。

年齢と共に変わったりもする。

だから、自分の気分に耳を澄ませることもいいな(^ε^)と