先週の49ers戦に負けた時、自力でプレイオフに行く可能性はなくなったなと思ったけど、

今日のサーズデーナイト、同地区首位のファルコンズ戦に負けて、

今年のセインツのプレイオフ進出は消えたと言っていいのでしょう。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


接戦だったけど、完敗の理由は、

コーチ陣にありますよね。

明らかにプレイコール、戦術の掛け合いで負けているとしか言えない。

だって、QBの力の差は歴然だもの。


マット・ライアンはたいしたQBじゃない。

ブリッツかけ続けると、もうほとんどパスは通らない。

あれだけ素晴らしいレシーバーを抱えているにも関わらずです。

結局、TEゴンザレスの力で通しているくらい?

フリオ・ジョーンズも力のあるレシーバー。


それに対して、ブリーズは、かなり厳しい所でパスを通したと思います。


良かったのは第3クォーターだけでしたね。

前半ラストの、キックを決める時間を残せなかった失敗シリーズの時に、

久しぶりにスプロールズのランが決まり始めたお蔭で、

第3クォーターには、トーマスのランがボンボンで始めた。

そうなるとパスも通り始める。


でも、エースレシーバーと言われるコルストンは、

相変わらず背の高さのみで、落球もあるし、ランアフターキャッチも少ない。

つまりWRが弱いのだ。

だから、最近はTEのグレアムがマークされてほとんどこの試合でもパスが通っていない。


あああ、大好きなランス・ムーアは今日も大活躍してくれて、

私の記憶にある限り、

初めてセインツの先発メンバー紹介に顔を並べてくれたけど、

大事なところでスーパーキャッチタッチダウンを逃したのも痛かった。


ディフェンスも、ラインも、レシーバーもRBも素晴らしい上に、

プレイコールも優れているファルコンズに対して、

ブリーズが個の力で奮闘した試合でした。


マット・ライアンがいいのは、無理をしない点だけ。

インターセプトが非常に少ない。

だから、このチームにとっては無難なQBだし、実際勝ち続けている。

でも、面白くはないですね。


今年前半が悪く相変わらず全体32位の座に甘んじているセインツディフェンスも

最初のシリーズ以降、よくなって、

この試合では、ディフェンスの頑張りによってセインツの攻撃権がたくさんあり

私としては、観戦を楽しめる試合だった。


でも、どうも勝利に繋がらない。

いいところはたくさんあるんだけど。

来年は、ショーン・ペイトンが帰ってくるので、

プレイコールも今年とは比べ物にならないほどよくなるだろうから、

来年に期待します。


個々のプレイヤーは悪くない。

出来ればこのオフには、大型(新人で構わないから)WRを獲得して欲しい。

お金のない(と思われる)セインツならではの新人を発掘できるかは重要。


それにしてもファルコンズには素晴らしいレシーバーがたくさんいて、

羨ましい限りでした。

先日、寒い八ヶ岳用に羽毛布団を購入した。


最初に行った時は夏だったので、薄い羽毛布団

もうこれでは冬は越せないと、買わなくちゃ買わなくちゃ……と

結局、ギリギリになって

八ヶ岳に着いた日に楽天で購入した。

たまたま楽天から来ていたメールで素敵な羽毛布団を見つけたからだ。


そして次の日には配送してくれる。

ネットショッピングは本当に便利だ。


それにしても楽天で何かを購入するとどんどんメールがやってくる。

時々、楽天に行って、メールマガジンはいらないという設定をするのだが、

また買い物するとメールが来て、

とにかく常時、少ない時でも一日に2,3通のメールが来る。

多い時は、天文学的な数だ(;´▽`A``

どうやら何かを購入する時に、わざわざチェックを外さなければならない箇所があるらしい。

が、面倒だから気にしていない。

どっちが面倒かよく分からないけど、

毎日楽天からのメールを削除し続ける日々。


それでも時々、

本当にまれに、来たメールの写真やコピーに気を引かれて

そこをクリックしてしまったりする。


先日の羽毛布団は、丁度買わなくちゃ~と思っていた時に凄いタイミングだった。

そして商品にも不満はない。


ところが……

その次の日から毎日のように「羽毛布団」のメールがやってくるのだ!!

私は、羽毛布団を購入した人なんだから、

とりあえず、羽毛布団はいらないのだ。

だって、買ったんだもの。


ケーキとかだったらともかく、

良かったから、もうひとつ買おうっ!ってモノじゃないと思うのだ。

それなのに、

日々、やってくるのだ。

羽毛布団のセールスメールが…………( ̄∩ ̄#

一体どうなってるんだろう?


誰も考えているわけでなく、

購入したらメールマガジンが届くにチェックがついてて、

そのままアドレスに自動送信されているだけなのだろうが、

とにかく、もう当分、羽毛布団は我が家では必要ないのだ!

日本の女性の社会進出は、先進諸国ではかなり遅れている。

とずーっと言われ続けている。


今年、女性議員の割合が、日本は世界で105位

先進国では最下位?


実際、政府関連の会議の映像をテレビで見ると、

女性の姿がほとんどないことに驚かされる。

日本社会は、まだまだ男性のよって動かされている。


その理由はいろいろあるが、

最近感じるのは、

以前は男社会になっている理由は、

日本の歴史からずーっと続いてきた男尊女卑の社会

つまり男によって決められてきたからだったが、

最近は、男性だけではなく、女性にも同じくらい原因があるということだ。


最近の若い女性の専業主婦指向である。


現実には、貧富の差が激しくなり、

晩婚化が進み、

一人で家族を養える男性の割合が低くなっているにも関わらずだ。

だから、結婚しない、または出来ない人を増やしているのかもしれないが…


女性の社会進出の遅れは、通常

出産を機に女性が会社を辞めざるを得ず、

その後、同レベルの職業に就けないということが問題だと言われている。

そしてそれは事実だと思うが、

もしかしたら、女性のマインド的にも

出産を機に、仕事を辞めたいと思っている人が多いのではないかとも思う。

そりゃあ、愛すべき子どものためには母親が傍にいた方がいいに決まっているし。


しかし、何度も書くが、先進国でこれほど低い国はないのだ。

それが女性のマインドにもあるとしたら、

どうしてこの国だけがそうなのだろう?

どうして、仕事で成功したり、政治参加したいと望む女性の人数が少ないのだろう?


マインドの問題なので、基本的には教育からくる。

子どもの頃の親からの教育。

政治家の子どもが政治家になるのも小さい頃からのマインド教育による。

普通の家庭で育った女の子が政治に興味を持つようになるためには、

何かきっかけとなる事件が必要かもしれない。


結論から言うと、

日本の男性も女性もそれを望み、

経済大国と言われ、

つまり先進国でいられるだけの経済力を持っているならば、

この状態はもしかしたら何も間違っていないのかもしれないと時々思うのだ。


男女雇用機会均等法は

あくまでも働きたい女性に対して平等の機会が与えられればいいことだ。

望んでいない女性に働いてもらう必要はないのだ。


ただ、現実には、生活のために共働きが当たり前になっている。

働かなければならないならば、

パートやバイトで誰でも出来るような簡単な仕事で時間給で働くよりは、

多少の責任が乗ってもやりがいのある仕事をした方がいい。

その方が大変だけど充実している。


男性だって、女性だって

自分のいいところを生かし、実力を発揮できる場があったら

仕事はやっぱり面白いモノだし、

どうせ働くならば仕事は面白い方がいいですよね。





以前は、ブログの中にあまり登場しなかった私の旦那様

でも生活の中で一番影響を及ぼしている人なので、

中称化し続けるのは結構面倒でして、

時々、登場させるようにしている。


(昨日まで呼んでいた江國香織さんの本「いくつかの週末」だったかな? の影響もあるかも)


その時、彼のことを何と呼称したらよいか悩む。


普段、私は彼のことを苗字にさんをつけて読んでいる。

苗字と言っても、私たちには仕事の名前があるので、

仕事の姓

つまり我が家の姓とは異なる。


「○○さん」と呼んでいる。(時々呼び捨てになるが…)

それをここで書くのはちょっとまずいので、

何とか書くか?


これは勿論会話の中でも起こる。


旦那様のコトを会話の中で持ち出す時に、

旦那様のコトを知らない人にどの言葉を使って伝えるか?


一番多いような気がする「主人」という言葉は勿論使わない。

何故なら、私は「主人」に対する「召使ではないからだ」


一番、口を突いて出るのは 「旦那」

「うちのだんなは……」と言う。

嫌いではないのだが、なんか変な感じもする。

「旦那」という言葉が、

なんとなく江戸の料亭で着物を着ている男のようなイメージを沸かせるからだ。

↑なんだこりゃ?


「夫」と呼べばいいのだろう。と考える。

しかし、なんとなく「夫」ということばは、洒落ていてくすぐったいのだ。


もっと良い呼び名はないだろうか?


アメリカ人のように

「マイダーリン」とか「ハニー」とか呼ぶわけにもいかず、

そもそも全然甘くない゛(`ヘ´#)


誰かいい呼び名をご存知な方教えてください。


ということで、

とりあえずは、「旦那」と「夫」が入り乱れるのだろう~

(読み返してみたら2つ前のブログには「夫」としゃれっ気たっぷりに書かれていたぁ!!)

時だけが誰にも平等に流れている。

しかし、感じ方によってそれは長くも短くもなる不思議なモノ


年を取るごとに時のたつのが早くなるとみーんないう。

小学校は長かったけど、

二十歳を過ぎると急に時のたつのが早くなる。

三十を過ぎるとさらに早くなり、

年上の人はみんな口をそろえて、

「もっと早くなるのよ」と脅す。


でも年を取ると少し暇になる。

もちろん人によるし、年を取るっていつから?ってのも人によって違うけど...


私の場合は、2年前から。

自分の生活をかなり変えた。


そもそも10年一区切りの生活をずっとしてきて(10年経つと達成感と飽きが同時にやってくるの)

2年前に重要なことを辞め、

生活を一変させた。

生活の主だった部分を辞めたので、

一気に時間が出来た。

良かった。

時間がたくさんあるからいろんなことが出来る。

一日二十四時間、

一週間はその七倍。

そこから仕事と通勤の時間を引いたのが自分の時間だ。

その時間がぐーっと増えたから

これからは好きなことがたくさんできる!!!!   はずだった...


が、予定外のことが起こったのだ。


夜、起きていられないのだ。


夜ご飯を食べてお風呂に入ると必然的にだるくなって何もする気がなくなる。

ボーっとテレビを見るか、

お酒を飲みながら家族団欒。

そして眠くなる。

楽しい時間だったとしても眠くなる。

これは計算外だった。


これじゃあ、夜好きなことなんてできないじゃない!!!!


70歳になったらもっと疲れやすくなるから

夜はもっと起きていられないだろう。

そう、何かをしようと思っても疲れて、

結局有り余っていると思われた時間は

休むために費やされてしまうのだ。


まだまだ働き盛りの五十代。

やりたいことは山ほどあるけど、

自分の時間はやっぱり限られている。

要は使い方だ。


二十代、三十代、四十代のように忙しい生活を辞めて

ありあまるはずの時間を

休むことも含めてどのように活用していくのか


そう、五十代が初めてなので、

予想外のことがたくさん起きているのだ。


いくつになっても模索の日々なのだ。

過去の思い出というのは、それを共有する人が必要なのだ。


友人を失った時に思った。

数日前一緒に持ったあの時間は消えてなくなるのだ、彼女と一緒に。

一緒に過ごした人がいなければ、もうその時間も私にとっては思い出にならないと。


亡くなった母とのことをなかなか思い出すことが出来ない。

いえ、母のことはよく思い出す。

が、幸せな時を思い出そうとするとき、

それは、母が病気などではなく、

私に何の悩みもなく、母の愛情に包まれていたころ

7歳の私が小学校に出かける時、

玄関先で 「いってきまーす」と大声で言い、

揺れるランドセル越しに見えた母の笑顔だったりするのだ。

が、それを思い出すことが出来ない。

思い出そうとすると辛くなるから、思い出そうとしない。という意味だ。


母が居たら、きっと話題にのぼるであろう楽しい過去の出来事を

話す相手がいない。

だから思い出さない。


私の夫の記憶はひどいモノだ。

一緒に行った場所の名前をほとんど覚えていない。

名前だけではなく、出来事もほとんど覚えていない。

彼の脳は、自分にとって重要なこと以外は、ほとんど頭から抜け出てしまうというという性質を持っている。


結婚して日々生活の中で、

時々旅行などに行って夫婦は思い出を積み重ねているわけだが、

今のあの記憶力だと、

年取って、二人で陽だまりの中でお茶飲みながら思い出話をすることは

ほとんど不可能だと思い、哀しくなる。




昨日の勤労感謝の日は、あいにくの雨でしたが、

私は大好きな子の結婚式にお呼ばれして、

いつになくオシャレな気分の一日を過ごしました。


そこは素敵なお庭もある結婚式場なのに、

雨なので外でのイベントは全部中止でしたが、

若い新郎新婦が自分たちで

式場の人たちと相談して作り上げた風の式は、

とてもほほえましい素敵なモノでした。


それにしても久しぶりに参加してみると、

時代の移り変わりを感じます。


新郎新婦が各テーブルを回ってくれるのですが、

一緒にみんなで写真を撮る。

ほとんど全員が、携帯電話というカメラを持っているので、

全員のカメラで撮ってくれる。

つまり自分の写真は自分のカメラに残るわけ。

そうですよね、もう写真プリンアウトして渡す時代ではないから。


それでもプロのカメラマンもいて、

その人が撮った写真というのは、

ネットで閲覧することが出来る。

もちろんパスワードがあって

参列した人たちは、閲覧したり気に入ったr写真を購入したりできるらしい。


そして一番驚いたのは、

ビデオカメラをたまに回していたのは気づいていたけど、

なんとそこで撮っていた映像は、

式のラストに編集されたものが映写される仕組みになっていて、

つまり参列していたお客様たちも一緒に写っている。

出演者のようにラストのテロップには名前まで!!!


いやあ、その編集の早さにも驚きました。


お食事もおいしかったし、

特別な時間を過ごさせてもらいました。


時に、オシャレをして出かけるのは必要なことです。

こうしたパーティーも減ってみると

その価値が認められるものですね。


若い頃は、周囲が結婚するたびに参列して

お金もかかるし、

アッといい馬に離婚する子もいたし、

なんて

それほど特別なものではなかったんだけど、


冠婚葬祭は、やはり特別なものとして、

しっかり準備から楽しめたのは素敵でした。

久しぶりにバックパックを使用した。

およそ一年半ぶりのことだ。

そう、四十肩(五十肩)のせいでバックパックの使用をやめていたのだ。

(五十肩その後については、後に書きます)


最初は、医者に聞いて使用をやめたが、

結局は、バックパックを持つ気になんてならない肩の不調がずっと続いていた。

しかし、今年の2月からずっと改善に向かっていて、

昨日、やっと使用したのだ。

それほどの決心があった訳ではなく、

使ってみよう!と思えるほど体調がよくなったということだろう。


どんな症状でも病気でも、快復するということは素晴らしいことだ。

治る病気であることに感謝したい。


そしてバックパックで出かけた私は、物凄くハッピーだった。

腕を振って歩くことが出来る!!


ウォーキングをする時は、勿論荷物は持たないので、

肩を回したり、腕を大きく振ったりして、五十肩治しにも利用していた。


が、日常でもバックパックを使用すれば

腕を大きく振ることが出来るから、肩を動かすことが出来る。


それに左右バランスがよくなるから、

下半身(垂体筋)に意識も持ちやすく

綺麗にサッサと歩くことが出来る。

つまり体にいい、運動にもなる。ということだ。


身体にひとつ不調が出来ると

その影響で、いろいろバランスが崩れたりする。

それでも治るうち、または治る年齢ならばいいけれど……


天気も良くて、バックパックでさっさと歩きながらお出かけした日は、

2年前当たり前のようにバックパックで出かけていた頃よりも

意識的に楽しむことが出来る快晴の1日でした(‐^▽^‐)

冬ですね。

急に冬を感じ、手袋とマフラーを出しました。

手がかじかんで、キーボード打つのままならぬ……


仕方ないからエアコン入れようと思ったら、

リモコンが作動しない。

きっと電池切れだ…………( ̄ー ̄;


あんなに暑い夏があって、

もう二度寒くならないんじゃないかっていつも思うけど

きちんと冬になってくれます。

四季があって、気分が変わって、本当に助かっているのだと思う。


ずーっと暑かったら厭になるし、

ずーっと寒かったら気が滅入る。


そして時間が経てば、春がやってくる。


季節だけではなく、

どんなに辛いことがあっても

時間が経てば必ず春はやってくる。


もう二度と春がやってこないんじゃないかと思うことは、

人生に何度かあるけれど、

必ず春はやってくるのです。


だから頑張れる。

寒いのだってそれなりに楽しもうと思える。

だって、春は、いつも冬の後にやってくるのだもの。


さて、今年の冬は、どうやって部屋をぬくぬくして、

どれだけ面白い本を読み漁ろうか?


そんなことも考える。


冬だからこそ美味しいモノもたくさんあるし……


しかし、そろそろ思うのだ。

あと何回の冬と、

あと何回の夏を経験できるのか?


何年生きるか分からないけど、

どうしてあと○回の春と数えると

時間があっという間のように感じられるのだろうか~ε=(。・д・。)


stingのブログ
亡きパパゲーンは、今日八ヶ岳の土の中に眠りました。


一昨日の朝から元気がなくなって

それから数時間で亡くなってしまったパパゲーノを想い、いろいろ考えました。

もう少し生きていてくれたらいいのに、

安らかに眠るようになくなっていたことを知り、

苦しんでももう少し一緒に居て欲しいと思うのは、

やはり生きている側の勝手なのだろうと。


最近は、ペットへの愛情も過多で

ペットの治療のために数百万円を掛けて

抗がん剤治療する飼い主もいるようだけど、

我が家では、

沢山いる猫たちにもいつも言い聞かせている

(みんなきょとんとした目で見つめるだけだが)

我が家では、「延命治療はしない」と


延命治療どころか、

基本的に病院には連れて行かないと。


実際、これまで何度か病院に連れて行き、

入院した子もいるけれど、

考えてみたら3,40年前には当たり前のコト。

病気をして、自力で治らなければ亡くなっていったのだ。


苦しい思いをして治療をして、

少し命を長らえても、

結局は、本人のためではなく、飼い主のためのような気がしてきたのだ。


もう少し、生きて欲しいのは、飼い主であり。

飼い主が、その子のためにいろいろやってあげるチャンスを貰いたいだけ。

つまりは自己満足。


勿論、すべてのことは自己満足だから、

飼い主のペットである限り、

飼い主の勝手なのだが……


そんなわけで我が家では、病気にならないで長生きしろ!

といつも声をかけ続ける。

そして、猫たちは、まん丸い目をして、こちらを見つめ

日々頑張って生きている。


ということにしておこう。にゃーわんわん