戯曲に触れていると、最近の若者間で死語となった言葉も良く登場する。

昨日やっていた戯曲では、今では放送禁止用語となった単語がたくさん出てきていたので、

少しの間、生徒たちとその話になった。


先日も、他のクラスで、「日がな一日」が死語化していることにショックを受けたことをここに書いた。

そして、昨日はもっとショックだった。

もっと簡単な↑その放送禁止用語になった単語も知らない人が多かったし、

「日がな一日」もひとりしか知らなかった(x_x;)


それでは、どんどんこうやって死語が増えて、

何か言葉が生まれているのだろうか?


実際、言葉と言うのは生き物なので、

なくなっていくのも仕方はない。

しかし、単に減っているのだとするとそれはヴォキャブラリーが減っているという事、

感情表現できる言葉と言うモノが減っていくと、

それはそれは色彩の薄いモノになっていくということだ。


若者言葉が流行る。

全ての言葉を略して喋るのが高校生用語のように流行る。

しかし、略した言葉は、増えたわけではない。


新しいモノに対しては、勿論名前が出来る。

そういえば、「ガラケー」なんて単語は、増えた単語と言えるのだろうか?

そもそもあれは「携帯電話」という単語の別名か?


いえいえ、名刺が増えても表現は広がらないのです。

自分の感情や、食べたものの味や、見た景色の美しさを表現するためには、

もっと多くの言葉があった方が伝わりやすい。


そういう意味で、芝居をやっていると、消えた言葉が悲しい。

その微妙な雰囲気を表現しきれないのだ。


因みに、昨日「日がな一日」を生徒に説明し、それを何と言うの?と聞いたところ

「一日中」と答えてくれた。


確かに意味は同じなのかもしれない。

が、違うのだ。

イメージが違うのだ。

雰囲気が違うのだ。

匂いや、色や、五感を使って感じるような雰囲気、イメージを伝えるためには、

やっぱりあった方がいい言葉が、どんどん消えていくのは哀しいことだ。


それは若者のせいではない。

私たち、知っている者が、もっともっと頻繁に使わなければならないのだ!!


ということで、もう少し考えて文章書くように心がけますです(゚_゚i)