吉田山❝横断❞の散歩で名残りの紅葉 | がいちのぶろぐ

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今日は午後から夜までの半日間、スマホがインターネットにつながらないし、挙句の果ては一時的にパソコンのネット接続まで不安定になるという、トラブル続きの日になった。

 

千葉都民の娘にまで迷惑をかけて修復の方法を相談し、何とか回復することができた。こういう時は、やはりなんと言っても若い世代にはかなわない。

 

午前中は、我が家から徒歩圏の吉田山にある吉田神社まで、ほんとに久しぶりに散歩に出掛けていた。吉田神社は、京都大学のキャンパスを見下ろす位置に鎮座している。

 

 

 

この吉田神社は貞観元(859)年に、藤原山蔭が奈良の春日大社から勧請して、京都における藤原氏の氏神様としたことから始まっている。

 

 

 

またこの藤原山蔭は「割烹に長じ、能く魚・鳥を調理し、包丁の術に妙を得ていた」と、神社のリーフレットに書かれていた。

 

 

 

だから境内の一角には山蔭神社があり、料理の神様として祀られ、京都の料亭などの信仰を集めているので、この神社の玉垣には、見たことのある料亭に名前がいくつも見受けられた。

 

 

 

それはともかくとして、吉田神社はとりわけ「節分」の〝鬼やらい〟が有名で、節分の時は参道にびっしりと露店が並ぶし、参道でも鬼が愛嬌を振りまくなど賑わっている。

 

 

(かつての節分の賑わい)

 

だけど、節分以外の時に吉田神社を訪れたのは、本当に記憶がないくらい前のことになる。今日も近くの保育園なのか、大勢の子どもたちを遊ばせている風景もあった。

 

 

 

 

また1組だけ結婚式が行われていて、ちょうど式が始まるところに行き合わせた。それにしても平日の午前中で、紅葉の名所でもないから、人も少なくてのんびりできた。

 

 

 

本殿からさらに上った場所に、全国の神々を集めたという「大元宮」がある。ここは15世紀末に、吉田神社の社家出身の吉田兼倶という人が「唯一神道」を唱えて設けたという。

 

 

 

 

吉田神社は京都市内を見下ろす、吉田山という小高い丘の中腹にあり、広い神域にいくつもの摂社があるような神社だ。

 

 

 

私は神社の西側から上って、大元宮を越えた吉田山の反対側へと向かった。こちらには黒住教の「宗忠神社」があり、そこを過ぎると紅葉の名所「真如堂」に行き当たる。

 

 

 

 

 

 

真如堂の前は、さすがにそれなりの人出があった。今日はあえて真如堂には立ち入らず、境内をぐるっと迂回するように、吉田山を東側へと下って行った。

 

 

 

それで下りきったところにある「錦林車庫前」のバス停から、バスで帰宅したのだが、これでもほぼ2時間近くは歩いていたことになる。

 

 

 

それほど汗をかくというわけでもなかったが、一応は岡を上り下りしたのだから、けっこうの運動にはなったと思う。

 

 

 

どこをとっても名残りの紅葉という感じで、散り紅葉も少なくなかったけれど、まだまだきれいに色付いているところも多かった。

 

 

 

ほんの少し、得をした気分の散歩だった。