【釈迦の十大弟子】
 釈迦の十大弟子とは①舎利弗②目蓮③摩訶迦葉④須菩提⑤富楼那⑥阿難⑦阿那律⑧羅睺羅⑨優婆離⑩摩訶迦旃延の十人です。そのうち、舎利弗と目蓮が二大弟子とされました。それに摩訶迦葉を加えて、三大弟子と言います。
 仏教には、階級による差別がありませんでした。例えば、舎利弗、目蓮、摩訶迦葉、須菩提、富楼那、摩訶迦旃延などは、バラモンで、阿難、阿那律、羅睺羅は、クシャトリヤ、優婆離は、シュードラだったからです。ちなみに、バラモンが最高位で、シュードラが最下層とされています。また、十大弟子には、親族もいました。阿難や阿那律は、従兄弟で、羅睺羅は、実の息子だったからです。十大弟子は、全員が、悟りを開いた阿羅漢だったとされています。そして、それぞれには、得意分野がありました。

【三大弟子】
 釈迦の一番弟子で、リーダー格とされたのが舎利弗「しゃりほつ」です。舎利弗は、釈迦の教えをよく理解したので、知恵第一とよばれました。般若心経は、その舎利弗に、観音菩薩が語りかけるという形式になっています。
 舎利弗の幼馴染で、親友だったのが目蓮です。目蓮「もくれん」は、神通力第一とされました。神通力とは、千里眼など超自然的な力のことです。悟りを開いた者が、それを使えたとされています。目蓮の母が死んだ時のことです。母は、前世の罪で餓鬼道に落ちました。それを供養して助けたのが目蓮です。このことが、お盆の由来になったとされています。目蓮は、敵対勢力に殺され殉教しました。ちなみに、二大弟子は、釈迦の後継者ではありません。なぜなら、舎利弗も目蓮も、釈迦より先に死んだからです。
 後継者になったのは、摩訶迦葉、「まかかしょう」です。釈迦の後継者になることを衣鉢を受け継ぐと言います。摩訶迦葉は「第一結集」の中心人物となりました。結集とは、釈迦の死後に行われた会議のことです。摩訶迦葉は、頭陀第一とされました。頭陀とは、衣食住にとらわれず、托鉢などをして、清貧な生活を送ることです。晩年、摩訶迦葉は、世間を離れ隠遁しました。そして、瞑想状態のまま死んだとされています。釈迦が、1輪の蓮華を見て、微笑した時のことです。この時、以心伝心で、教えを伝えていたとされています。その意図を悟ったのは、摩訶迦葉だけでした。それを拈華微笑「ねんげみしょう」と言います。

【思想と教え】
 釈迦の説法をよく聞き、言行をつぶさに記録したのが阿難「あなん」です。そのことから、多聞第一とされました。経典には、よく如是我聞「にょぜがもん」という言葉が出てきます。それは、私「阿難」が、このように聞いたという意味です。阿難は、釈迦の身の回りの世話をする従者だったとされています。常に近くにいたので、直接、釈迦の言葉を聞く機会が多くありました。多くの経典を残すことが出来たのは、阿難がよく釈迦の話を聞いていたからです。また、阿難は、公平な性格だったとされています。女性の出家を釈迦に進言したのも阿難でした。
 空の思想を最も理解したとされるのが須菩提「すぼだい」です。須菩提は、解空第1と呼ばれました。大乗仏教では、その須菩提を特に重視しています。
 弁舌に最も優れていたとされるのが、最古参の弟子、富楼那「ふるな」です。富楼那は、理解度に応じて、臨機応変に教えを説きました。そのため、説法第一とされています。
 釈迦の教えを分かりやすく伝えたのが、摩訶迦旃延「まかかせんえん」です。摩訶迦旃延は、一般人にも人気があったとされています。ディベートに優れていたので、論議第一とされました。

【改心と障害】

 阿那律は、天眼第一とされています。天眼とは、内なる知恵の目のことです。阿那律「あなりつ」は、居眠りをして、釈迦に怒られたことがありました。その後、一切寝なかったとされています。そのため、視力を失いました。その代わりに得たのが、天眼通「てんげんつう」です。
 羅睺羅「らごら」は、サンスクリット語でラーフラと言います。ラーフラとは、障害や妨げという意味です。羅睺羅は、釈迦の出家の妨げだったとされています。後に、羅睺羅も舎利弗に導かれて出家しました。もともとは、羅睺羅は、傲慢で嘘つきな問題児だったとされています。しかし、その後、ストイックに修行に励む求道者「ぐどうしゃ」となりました。羅睺羅は、密行第一とされています。密行とは、内面の修行のことです。
 優婆離「うばり」は、弟子入りに障害がありました。なぜなら、王族に使える理髪師という低い身分だったからです。しかし、それを乗り越え、十大弟子の一人となりました。優婆離は、よく戒律を守ったとされています。そこから、持律「じりつ」第一とされました。僧団、「サンガ」の運営には、戒律が欠かせません。結集では、その戒律の整備に尽力しました。