今年も「新語・流行語大賞」が発表になった。大賞には「リアル二刀流/ショータイム」という、大谷翔平選手関連の言葉が選ばれた。
この決定はすごく良かったと思う。この1年間、明るい気持ちでいられたのは、この言葉だけかもしれないから。
その他でベスト10に選ばれたのは、次のような言葉だった。
<オリンピック・パラリンピック関連> 「ゴン攻め/ビッタビタ」「スギムライジング」「ぼったくり男爵」「ジェンダー平等」
<コロナ関連> 「人流」「黙食」
<世相関連> 「うっせぇわ」「親ガチャ」「Z世代」
オリンピック・パラリンピック関連が4つも入ったけれど、そもそも開催を巡って大揉めに揉めた経緯があった。直前まで、まさに国論を二分したというべき状態だった。
そんな中で、組織委員会の会長だった森喜朗・元総理の辞任の原因となった、「ジェンダー平等」という現代の思潮の流れを〝わきまえない〟発言があった。
また、IOCのバッハ会長は〝やることなすこと〟すべてにわたって、自分たちの金儲け第一という姿勢が批判を浴び、海外紙が命名したのを意訳した「ぼったくり男爵」は大受けした。
それに対して、スケボーという新しい競技の解説者が発した言葉から出てきた「ゴン攻め/ビッタビタ」や、パラリンピックのボッチャ競技の「スギムライジング」は楽しい。
平昌冬季オリンピックの女子カーリングから生まれた「もぐもぐタイム」と同様、私たちが知らなかったり、興味を持っていなかった競技が、この言葉で一躍知られる様になった。
今年の東京オリンピックは、〝熱い感動〟を呼び起こすというには、何となくしっくりと来なかったところもあった。それでもなお、これだけの印象的な言葉を生んでいた。
これが、やはりオリンピック・パラリンピックの底力ということだろう。それでも1年間を通して、私たちにワクワク感を与え続けてくれた大谷選手の大活躍が大賞でよかった。
コロナ禍から生まれてきた言葉は、「人流」であれ「黙食」であれ、確かに今年の一面を強く表していると思うけれど、受け取る側が〝もうけっこう〟という気分かもしれない。
それよりも、今年の世相をよく表していたと思うのが、「うっせぇわ」と「親ガチャ」という言葉のような気がする。
「うっせぇわ」という歌詞は、言葉にキツさや下品さがありながらも、そう言っている自分は〝けっこう真面目〟だというフォローが、すぐ後ろに続けて入っている。
それでも、「親ガチャ」が〝はずれ〟だったという、怨みというより悲しみというかあきらめが、「うっせぇわ」と叩き返すような言葉で締めくくられることになるのだろう。
「親ガチャ」が〝当たり〟というのはごく少数の人間であり、大半は〝はずれ〟の入っていたプラスチックのボールを握りながら、〝それでも生きて行くさ〟とつぶやくしかない。
だから「親ガチャ」という言葉には、大半の人間が、決して認めたくはないけれど、底の部分では共感できる温かさもあるように思う。
そこだけを捉えて言うなら、大谷翔平選手なんかは才能・体格に加えてルックスまで完璧過ぎて、ガチャの器械から〝金色のボール〟が転がり出てきたようなものだ。
これほど大当たりの「親ガチャ」なんて、どこを探してみても、これ以上の大当たりの「親ガチャ」など有り得ない。これ以上何を望むのか、ということになってしまう。
それでも、大谷選手の大当たり「親ガチャ」は、みんなが祝福することはあっても、それを恨んだり僻んだりすることはないだろう。
それが「ショータイム」と言われるくらいに、誰からも受け入れてもらえる、彼の持って生まれた性格の良さだと思う。
たとえ「親ガチャ」が大当たりだったとしても、周りから嫌がられる性格の人間だったら、きっとその人の人生は詰まらないものになってしまう。
今年の「新語・流行語大賞」の発表を見て、ついこんなことを思ってしまった。