読んだり観たり聴いたりしたもの -75ページ目

先週読んだ漫画 13/2/3-2/9

●境界のRINNE 1-3巻/高橋留美子

積み漫画消化。割合面白かった。が、どこか淡々とした印象。多分、高校生の描写がオールドファッションである(しかし、これはこれである意味リアリティでもあると言える)のと、主人公桜の、「~なんだ」という口癖が表す、僅かな心証を滲ませた上での飄々とした肯定と許容にあるだろう。是非機会があれば続きを読みたい。というか、その前に、すっかり忘れていた犬夜叉の続きが読みたいな、と思い出した。


●パタリロ! 5巻/魔夜峰央

順調にコツコツと読む。段々とギャグがハイブロー化の兆しを見せる。スターダストはもう少し後の巻かと思っていたが5巻にして既に登場とは。また、タマネギの美青年設定や、パタリロの4本指設定、スーパーキャットやプラズマなど、定番設定・キャラも早々登場で驚いた。主要3キャラの掛け合いは和むなあ。


●ハチミツとクローバー 7巻/羽海野チカ

竹本の自分探しの旅、終わる。一回り成長した姿が頼もしく微笑ましい。相変わらずの、青春=こっ恥ずかしい黒歴史、という認識はいただけないが、まあ、これぐらいのテイストなら何とか。それにしても北海道の景色、綺麗だったな。


●幸福喫茶3丁目 13巻/松月滉

シリアス化第二幕。安倍川草も告白は早まったのでは。でも、まあ、彼の勇気に免じてヨシとしよう。暗躍社長などダーク話も思った程は後味悪くないが、もちろんベターでもない。


●君に届け 18巻/椎名軽穂

ようやく最新刊を買ってきましたよ。内容的には読者の期待通りの展開で、ホッとした人も多かったのでは。風早が爽子に思いを伝え、ギクシャク解消。以後は甘甘展開となり、黒沼家でウキウキ女子会からクリスマスパーティでのトリプルデート展開と、ここ数巻分のもやもやもカタルシスを見たことだろう。ただ、風早は、まだ半分残ってるな。伝え切れていない。そこは次巻に期待だ。それと、ビックリしたのだが、いつの間にこんなタッチになってしまったのか。キャラの作画がガラッと変わってしまった。所々、これ丸々アシが描いているのでは?と言うぐらいピントが合ってないコマがある。あと、全体的に薄いね。気持ちを丁寧に描写したいのは分かるが、大ゴマを費やせば伝わる、というモノではない。まあ、これだけ名が売れてしまうと、いろいろ大人の事情があるのだろうが…。終了までもう2巻ぐらいだろうか。いよいよ明かされる、風早と野球の秘密に期待せよ!


謎のチェス指し人形「ターク」/T・スタンデージ/服部桂

1997年にIBMのコンピュータ、ディープ・ブルーがチェスの世界チャンピオンであるカスパロフを破って早15年。
IT技術の凄まじい発展の象徴であったが、実は、はるか昔1770年に、奇怪なトルコ人の風貌で無敵の強さを誇る自動機械(オートマトン)が存在していたという。この本は、その伝説のチェス指し人形「ターク」の謎に迫るノンフィクションである。
蒸気機関による産業革命前夜である往時の欧州。音楽を演奏したり、著名な戦いの場面を再現したりする精巧なオートマトンによる人間の英知の発露は、人々の間で絶賛されていた。人間の呼吸器や咽頭口舌を精巧に再現する事によりフルートの演奏を可能にした驚異的なオートマトン制作者として知られていたケンペレンは、予算を与えられ、半年間を掛けてさらに素晴らしいオートマトンを製作するようオーストリア王女の勅命を受ける。成功すれば自身の出世のまたとない機会である。こうして生み出されたのは、ターバンを巻いた神秘的なトルコ人(ターク)がチェス台で挑戦者を迎え撃つ、極めて巧妙なオートマトンであった。タークは自らの腕を伸ばして駒を掴みあげ移動させる事が出来た。対戦相手が狡をしてルールに反した駒の動かし方をすると首を振って見咎めた。何度も狡を繰り返すと、最後は腕で盤上の駒をなぎ払ってしまったという。タークは王の期待に応えたばかりか、大人気となり、開かれた展示会で続々とやってくる腕自慢をことごとく打ち負かしたのである。

果たして、当時の技術で、このような精緻な機械が本当に作れたのだろうか。
タークの実演前、ケンペレンは、チェス台下の機構本体であるキャビネットもタークの背中も、ありとあらゆるハッチを開け、そこにぎっしりと詰まった機械を観衆に見せていた。タークの本体にはキャスターが付き、容易に移動や回転が出来た。実演中、ケンペレンは、なにやら怪しげな木箱を触ったり操作のような事をする事もあったが、一方で、対戦中のタークをほっぽり出して、客席で客と話しに興じる事もあった。

タークの謎は一世を風靡した。人々は考えた。
・何らかの方法を使って、ケンペレンやアシスタントが、外部から駒を動かしているに違いない。
・内部に隠れた人間がタークを操ってチェスをしているに過ぎない。
・タークは実際に精巧な機構でチェスを行っている。

公演時の環境の違いを意に介せず、また当時では遠隔操作として実用的な技術は磁力だけであったことから1番の可能性は低かった。また、開演前に内部を公開する事から、2番の可能性も低かった。そこにはどう見ても人が隠れられそうなスペースは無かった。当時の理論でも計算によって3を行うだけの機構は組み込む事が不可能と言われていた。
誰にも謎は解けなかった。その間に、タークは様々な人々とチェスを指した。

タークは王侯貴族に人気だった。あのナポレオンもタークと指したという記録が残っている。
階差機関を発明し、コンピュータの父と言われるバベッジもタークと対戦している。
エドガー・アラン・ポーは、タークの謎に魅せられ、その秘密を解明せんと詳細な研究書を著し出版した。そこで確立された推論・検証の文章構成スタイルが、のちに花開き、探偵小説へ繋がっていったと言われる。

タークは、一体どのような仕組みでチェスを指していたのだろうか。その秘密は、所有者がメルツェルに変わり、アメリカでの興行を行い、やがてメルツェルの死後に複数の所有者を経て、所蔵された小さな博物館の火事で無に帰すまで明かされる事はなかった。

答えを書いてしまうと、実は中に人が入っていたのである。チェスが強く口が堅い人間を雇い、筐体内から精巧な仕組みで盤上の駒の位置を知り、同様に精巧なタークの腕を操作してチェスを指していたのである。キャビネットを開いた時に見える機械のいくつかは人が隠れるスペースをごまかすはったりの飾りで、内部での機械的な動作を演出する駆動音を出す装置も付いていた(中の人がセキやくしゃみをする時もコレでごまかす)。

なーんだ、とお思いだろう。しかし、何十年もの間、何千何万という観衆を欺いてきたその実績は凄い。
実際、奇術の世界では、ケンペレンは人が隠れる箱のマジックの先駆者とされている。人の目の錯覚を利用して、どう見ても隠れるスペースなど無いように思わせ構造を工夫したのだ。そしてその演出法も一流であった。仕掛けだけでは人はだませないのである。皇帝ナポレオンを前に、タークは機械ですと騙してショーをやりきる度胸と技術がその辺の三流マジシャンにはあるだろうか。

結局、タークはインチキ奇術であって、ITやオートマトンとは何の関係もないのか。そう短絡しそうになるが、そうではないのだ。考えてみるに、人とオートマトンとの境界は、一体どこにあるのか難しい問題であると思う。

T・スタンデージ/服部桂
謎のチェス指し人形「ターク」

震災恐慌! 経済無策で恐慌がくる!/田中秀臣/上念司

東日本大震災の3ヶ月後に発行の本。対談をまとめたもの。

この本の要点をまとめると、

・復興には、20兆円規模のまとまった金額を、ごく初期に、一気に投下しないと効果がない。
・そのためには、国債を日銀に買い取らせて捻出しろ。他の国庫支出の振り分けでは足りないし、増税では間に合わない。
・震災+デフレ+増税で、恐怖のスパイラルが完成してしまう。
・過去にも震災後には恐慌が来た。それを防ぐには金融緩和しかない。
・金融緩和しても滅多な事ではハイパーインフレは来ない。むしろ数%のインフレは活況な経済には必須。
・デフレは絶対悪。年間3万人の自殺者はデフレが原因。
・上記を分かっていながら、先例事なかれ主義で何も手を打たず、むしろデフレ主導の日銀は絶対悪。
・そうした日銀の手綱を取れない政府は無策。
・こうした事を理解できない報じられないメディアは無能。
・何も知らされないまま20年もあえぎ続ける国民は不幸。

と言うところか。明快な論点でバッタバタと仮想敵を切り倒していく対談の様子は耳に心地よく響くであろう。
しかし、論拠はあまり確固としていない。
確かに、デフレ下で発生した関東大震災に際し高橋是清は国債を日銀に買い取らせ不況を脱した。阪神大震災後の消費税増税では不況が来た。自殺者の急増とデフレ水準は相関がある。

しかし、経済のような複雑な系では、いくら相関データを集めてもその実体を知る事は難しい。ましてやそのコントロールについては、善悪で簡単に二分できるものではない。

ドンと国債を発行して日銀に引き受けさせ、インフレ目標値を目指す、というこの本が提唱する方針は、まさにこれからアベノミクスが目指すところだ。そして震災からのこの2年間は恐慌とまでは言えないかも知れないが、経済的な成績は惨憺たるものだったろう。
ならば、アベノミクスとは、この本で提唱されるような我々が目指すべき正しい方策なのか。既に期待感から先走って現れているその効果を踏まえてさえ、やはりそうそう簡単には諸手をあげて歓迎という訳にはいかないだろう。

まず第一に、この本で論じているのは、経済のための経済施策であって、経済成長は絶対の善、人々には取り敢えず「お金」が無いと不幸なので、とにかく金を回せ、という短絡的で表層的な議論である。人々の幸福を、成長率と消費で計るのは20世紀的な発想であろう。デフレとは平たく言えばモノあまりであると、この本では論じている。必要以上に余っているから安くなるのだ。ならば、お金を刷ってどんどん人々に渡せば、余分なお金で余っているモノを買い、需要と供給の均衡がとれ、つまりデフレが解消すると説く。平たく言えば、何十兆円を国民で無駄遣いして大消費祭りを打ち上げろと言う事である。そんな事が理性ある人間の幸福であろうか?多少なりともまともな意識があれば、余る程作る方がおかしいのでは?と思わないだろうか。一方で社会生活に全く不便を感じない人はいないだろう。不便があると言う事は、「足りてない」ものがあると言う事である。誰も要らない商品を山積みする企業を導いて、先見の明を持って足りてない分野にリソースを誘導するのが政治の仕事ではないのか。
また、どんどん発行しろと言う国債は、言うまでもなく借金である。どうやって返すのかの議論はない。景気がよくなれば税収が増える、経済的な体力が付いてからじっくり財政改革すべき、とお茶を濁すに留まる。我々が無駄遣いの享楽に耽る費用は次世代に払ってもらおうというのが国債という借金である。
さらに、国債を発行し、企業が潤い、ターゲット通りのインフレを実現したとしても、なお、庶民の所得は上がらない、という事が考えられる。昭和時代とは雇用構造も人的流動性も違う。非正規雇用が過半数に迫る勢いの労働市場で、企業に利益が出たからといっておいそれと賃金が上がるものだろうか。物価は3割増、上級サラリーマンの給料は5割増し、そしてパートバイトはせいぜい時給100円アップ、という様な事にならない事を祈るばかりだ。
ここまでは国内の話だが、国際的な問題もある。世界的な不況の中、各国が足並みを揃えて財政再建に取り組む中、日本だけが抜け駆けのような金融緩和を行う事は、世界からどう見られるだろうか。円安になれば輸出が伸びると言うが、それはつまりその分、他国の企業の売上が減る訳である。日本の景気さえ良ければいい、という方針で、安く無ければ売れない程度の需要のない商品を無理矢理世界中にまき散らすことで国際社会から顰蹙を買う恐れがある。一方で円安になれば、大部分を輸入に頼る食品とエネルギーは高騰する。その打撃を一番に受けるのはやはり庶民である。

アベノミクスにより一時的な景気浮揚効果があるのは間違いないだろう。しかし、それだけでは何ら本質的な解決にはならないのだ、という点が重要である。経済とははしょせん道具に過ぎない。経済の問題は、経済だけでは解決できないと言う真理を忘れてはいけない。

田中秀臣/上念司
震災恐慌! 経済無策で恐慌がくる!

先週読んだ漫画 13/1/27-2/2

●パタリロ! 4巻/魔夜峰央

パタリロ、バンコラン、マライヒの掛け合いに油が乗ってきた。やはりパタリロの中で一番面白い要素とは、ここだろう。ヒューイットも登場。この頃はまだまともそうだね。諜報機関の活動の描写も多いが、発行年と世界情勢を思い描いてみると、なかなか味わい深いものがある。

●死神とチョコレート・パフェ 1-2巻/森崎くるみ

ちょっと手が空いたので、積み漫画消化。死神少女と、その少女に魂を狙われた少年の、ドタバタ同居生活ラブコメ。エロではない。萌キャラ漫画であって、他に見るべき内容はない。

●ハチミツとクローバー 6巻/羽海野チカ

ちょっとだけ竹本にフォーカス。青春とは何か。大人の階段を昇るとはどういう事か。やや目線の角度が気になるものの、描かれる風景は悪くない。次巻にも期待。

遺体 震災、津波の果てに/石井光太

もうすぐ発生から2年になろうとする東日本大震災。そのルポである。

被害状況についても、そしてこれからの復興についても、震災という巨大な現象には多様な側面があるが、この書籍は、特に死した人々、つまり「遺体」を中心に記録したものである。もっと言うなら、それは否応なく遺体に向き合わされた人々の視座である。

この震災での万を超える死傷者は東北三県に集中しているが、さらにそのほとんどはリアス式の海岸線に沿った集落を襲った津波による被害である。町が丸ごと消滅した地区もある。手酷い被害を受けた自治体の一つである釜石市は、国道を挟んで海側の漁師町は壊滅し、内陸側の工場・新興住宅地帯は残った。災害発生時の存在地点という偶然によって運命を分けられた人々は、一方で累々たる物言わぬ遺体と成り果て、もう一方では喪失のショックに胸を引き裂かれながら、積み上がった遺体と瓦礫の前に茫然自失するばかりだった。
著者は震災2日後に釜石市などに赴き、3ヶ月の間取材を続けた。
廃校舎の遺体安置所に続々と運び込まれてくる正視に耐えぬ骸の数々。あまりの数に検死も身元確認も遅々として進まず、物資不足のため棺もない。火葬場も震災の影響で操業停止しており、また例え再開したとしても、とても小規模都市の火葬場のキャパでは捌ききれない。日にちが過ぎ、さらに春めいてくれば、腐敗も進む。土葬の検討も必要だ。
このように、災害地釜石の多種多様な立場の人達が、自らも被災に打ちのめされているにもかかわらず、膨大な震災遺体の処理という抜き差しならぬ現実を突きつけられ、様々な想いを胸に、悲痛な覚悟でその業務にあたってゆく。ある者は責任者として、ある者は専門家として、ある者は業務として、ある者はボランティアとして、ある者は市井の一人として。その様を、抑えた筆致で、それぞれの人々の視点から淡々と綴ってゆくのだ。抑えているがゆえに、むしろ胸に刺さり脳裏に浮かぶような描写がとても印象的で、読み出すと引き込まれてページを繰ってしまう。私にとってこの震災はちょうど愛猫の死と重なっている事もあり、本文中で幾度と無く繰り返される、身内の遺体を前に狂乱し慟哭する人々の描写を読む時は辛かった。

秀逸な記録だと思う。どうやら著者は虐げられた人達、特にその身体としての人間にテーマを持っているようである。別の著作も読んでみようと思った。

本書を読んで気づく事に、その見た目の凄惨さに惑わされ、うっかりやり過ごしそうになる問題点がある。
言うまでもなく、宗教と弔いの問題である。

死者を悼むとは、どういう事なのか。なぜ、それが必要なのか。今回の震災のような、超日常的な事態に際し、行政的な対応が迫られた場合には、個人の趣味趣向を超えた、明確な基準が必要だろう。

仮説の遺体安置所には、誰かが気を利かせてあり合わせの焼香台が置かれ、坊主がボランティアでやってきて、経を唱える。一家全滅などして身寄りのない遺灰は地元の寺の団体が引き取り安置する。
それらは、一体誰が望んだ事なのか。
例えば私は無神論者なので、自分が遺体だったら経など唱えてもらいたくない。妻の遺体に向かっても唱えて欲しいとは思わない。物言わぬ遺体の中には、キリスト教信者もイスラム教信者も存在した可能性はある。
もちろん被害者の一人一人の宗教的指向を調べるなんて事は不可能だ。身元すら分からないのである。しかし、それと、それなら仏教ひとくくりでいいか、という事はまた別だ。
そしてさらに問題なのは、経を唱えるだけという、一見、現場では何の役にも立って無さそうな坊主が遺体安置所を回る事で、そこで働く人々や遺族にとって、実際に精神安定に多大な効果をもたらした事だ。
遺体のためではなく、遺体を取り囲む人々のために、宗教はある、と言う事であろう。
しかし、だからといって、宗教法人の活動を野放図に容認する事は問題がないとは言えない。実際、この機に乗じた檀家獲得合戦を牽制するため、地元の寺は相互監視の団体を設立した程だ。ある意味営業なのである。
完全に宗教色を排除した死者の悼み方、遺体の処理、遺族のケア、などがあれば良いだろうと思う。しかし、宗教はそもそも悼むという語義に内包される様な密接な関係を持つ。

十分な時間を掛け、社会的意識を涵養する事で、遠い将来には、こうした宗教的な呪縛から人は脱却できるのだろうか。構造上それは可能だと私は信じている。

石井光太
遺体 震災、津波の果てに

先週読んだ漫画 13/1/20-1/26

●スクールランブル 15巻/小林尽

ゆっくりと読み直し中。忙しかったので1巻だけ。

●スクールランブルZ/小林尽

先日妻も本編22巻を読み終わったので、満を持して購入。連載終了後にかかれた番外編を集めた巻である。江戸時代物などのパロディ外伝や、過去物、パラレルワールド物、そしてその後の展開らしき話など、10編収録。私は本編エンドでもかなり満足した口であるので、このZによってさらに広がった物語の幅を満喫できて楽しかった。詳細はまた稿を改めて。


●桜蘭高校ホスト部 2巻/葉鳥ビスコ

1巻があれだけ面白かったのに、満を持して読んだ2巻は、あれっ?と言う感じで、特に何が変わったという事はないような気がするのだが、やっぱり何かが違う印象。よって、面白くない訳ではないのだが、ふーんというありきたりな印象に。双子が腹黒いところとか良かったが…。ハルヒが薄いのかな。まあ、取り敢えず3巻は読んでみようかと。

●幸福喫茶3丁目 12巻/松月滉

あーあ、という感じ。事件も進展もないほのぼの漫画、その何もない空気感が取り柄だったのに、急背伸びしてストーリー入れちゃおうという感じか。暗雲急を告げる展開だが、正直、これまでの流れに合ってない。確かに、画力はここ1,2巻で凄まじく伸びたと思うが、だからといって無理する事はない。この漫画は、ほのぼので終わらせて、次で色々試せばいい。全15巻なので、結局これが幕引きに繋がってしまったのだろうな。

●ガラスの仮面 48巻/美内すずえ

万感胸に迫った47巻にはもちろん及ばないものの、48巻も順調に進展して素晴らしい。一皮むけた亜弓。マヤとの対決が一層楽しみに。ハミルも押す気だな美内センセ。なにより47巻の展開をひっくり返えさんとするかのような紫織の爆弾アクション。真澄も一時停止はやむなく。桜小路くん、どう演技が開花するのか次巻で真価が問われるぜ。非常に待ち遠しい。

相田家のグッドバイ/森博嗣

自分は、どこから来たのだろうか。どうしてこういう人間になったのだろう。

自身の成長と入れ替わりに、老いてゆく両親。その死に行く様を見つめ、失った後に気づく精神的出自への理解。
自由、解放、そして陶冶されたもの。それは選択。やがて継承されるもの。枷から外され、いま心に満ちるもの。

齢を重ねる事で、ようやく見えてくる地平。そんな自伝的私小説的なエッセイのような、なにか。それがこの本である。
読み終わって正直驚いている。森さんの文章が、これほど沁みてこれほど響いてくる事があるとは思わなかった。分かる歳になったのだ、と断じる事は容易だが、ここはその鏡面のように滑らかな筆致のもつ力ゆえと思いたい。

親について、子供について、教育とは、環境とは、人間とは何か。そして生きる事とは。
これまでの森作品でも繰り返し述べられてきた、もっとも人間らしい人間としてのあり方、その由来と意味を、相田家の年譜として綴り込んである。
奇人として描かれる両親は、まったくそんな事はない。なぜなら、誰しも、自分自身でしかいられないからだ。奇か否か。そんな事を他の誰かの視点で評価しても意味はないのだ。測れるのは自分自身。

死ぬという事、親の死を受け入れるという事。それはこんなにも白く透明で、涼しげな気持ちが満ちる事なのか。死んだのではない。「生きた」のである。生き終えた人に掛ける言葉。それは、グッドバイ。

読後感の素晴らしさでは、森作品中1,2を争う作品だろう。


森博嗣
相田家のグッドバイ

Xbox360/シュタインズ・ゲート/5pb.

カルトファンの付いた高評価作品という事で、いつかはプレイしたいと思っていた。正月に日本橋に行った時、特売ワゴンで廉価にゲットできたので、FF13-2が落ち着いたのに合わせて早速プレイ開始。

取り敢えず、現在第4章までプレイ中。

非常に面白いと思う。
ただ、お話は面白いが、する事と言ったらテキスト送りのAボタンを押しているだけなのだ。設定でオートに変更すれば押す必要すらない。ひたすら画面を見て、セリフを聴いて、テキストを読んでいるだけである。
ADVやサウンドノベルにあるような、選択肢を選んだり、アイテムを使ったり、場所を移動したり、といった操作がほとんど何もないのである。
唯一の操作としては、これはこの作品の特徴でもあると思うのだが、携帯電話の操作を自分で行う、という点がある。Xボタンで携帯を取り出して画面右側に表示し、メニューを操作して、メールの送受信や通話を自分の操作で行うのだ。ただし、過去メールはいつでも再読できるが、送信や通話は特定のシーンでのみ可能となる。シナリオの進行中にメールが来て、別件について別のキャラに連絡したり、通話によってシナリオが進んだりする。
しかし、この唯一のゲームらしい操作の中でも、プレイヤーの意志を反映させられる物と言えば、リプライメールを作成する際の話題を、受信メール中のいくつかの候補となる単語から選ぶ、という事だけだ。このチョイスによってストーリーの分岐などが起こるのだろうか。取り敢えずエンドまでプレイすれば何か分かるだろう。取説によれば、読みがメインのゲームで、分岐しながら何度も繰り返し読んで全貌を掴め、とあるので、1周目は固定ストーリー、2周目から選択分岐という事かも。

主人公が厨二設定ということで、ネットスラングに溢れたテキストはとても面白い。まあ、開発が2008年頃なので、数年経過して結構古びた味わいなのだが、それが却って丁度よい塩梅。tipsも充実しているので、ネット文化に詳しくない一般の人でも流れを追って行く分には支障ないだろう。しかし、雰囲気や空気感となるとやっぱり難しいし、そうした部分に纏う魅力は放棄するしかない。それがこのゲームの価値として、トータルでどの程度を占めるのかはまだ分からないが、今のところ非オタだと魅力は3割減だろうな~という印象。

主人公が自身の厨設定にどこまで殉じられるのかが見物だと思う。非常に期待している。

科学アドベンチャーと銘打たれている訳だが、そこには実はあまり期待していない。SF風味であればそれで十分だと思う。細かい突っ込み入れ出すと切りがないから。ただ、描写などで、脚本家が明らかに理系テイストじゃないよね、というのがチラチラ見えてしまうのがちょっと残念。というか文系と言うにも文章は結構酷い所がある。ただし、それはライティング上の技巧であってわざとなのかも知れない。

キャラ造形と声優さんの演技は素晴らしい出来だと思う。

ところで、ホームシアターを設置して初のADVなのだが、シーンのキャラ配置によって、ちゃんと声が横や後ろから聞こえてくるのは新鮮で面白いと思った。

以上、初見感想。じっくり遊んだらまた書こうと思う。

5pb.
シュタインズ・ゲート

Wii U Direct Nintendo Games 2013.1.23

新年挨拶のミニダイレクトを除けば、今年一発目。
WiiUの今年1年の展望を見据えたアナウンスである。

まず嬉しかったのは、春と夏に本体更新を予定し、機能改善や新しいサービスの開始を予定している点。
特に、ソフト開始・メニュー復帰の高速化は最重要課題と認識されているようで、二回に分け、漸次改善される予定だという。対応は容易ではないだろうから簡単に凄まじい効果と言う訳には行かないだろうが、期待して待ちたい。

次に、WiiUソフト情報。
まず、1月2月のソフト販売の遅れ。やはりHD開発は遅れ気味という事か。本体牽引のためには発売直後の着々としたソフト供給が何より大事と過去に語って いたにも関わらずこの体たらくはどうだ。最後にはソフト品質を重視した判断はもちろん買うが、もう少し何とかならなかった物か。ソフト供給の遅れにより WiiUの普及が伸び悩みユーザー数が増えない事で不利益を被るのは初期ユーザーである事は十分に認識して欲しいところだ。発売日情報が欲しかったところ。

発表済みソフトの続報は、Miiverseがらみの話が少々。Miiverseは今後どんどん機能追加がされカスタマイズが進みそうだ。ソフト事 のマルチコミュニティやクローズドコミュニティなどが例示されていたが、クローズドコミュニティでのクローズドスコアランキング機能があると嬉しいな。

新規発表ソフトは、まあ、順当なところだろう。3Dマリオが来たのは嬉しいね。東京頑張れ。

ゼルダも順調に遅れているようで、待ってる間の暇つぶし用に風のタクトを出してきた。今でもゼルダシリーズ中12を争う名作だと思っているので、 プレイ人口が増えるのは嬉しい。まあ、WiiUでGCがプレイできれば何の問題もなかった訳だが。また、風タクは秋頃の発売だと思うが、それに合わせて、GCのVC展開も開始し、GC風タクも同時リリースにするのでは?と予想。あと、内容については微妙な印象。確かにHD化された島々の風景は美しかった。しかし、タクトの トゥーンな作風に合致するのかは疑問。まあ、トゥーン派の青沼さんが異様にプッシュしていたので、多分違和感は無いのだろうが、どうも食指が動かない。

モノリス新作、画面来ましたね。アーツゲージがあるし、どう見てもシステムとしてはゼノブレ風で間違いないでしょう。完全新作とは言うものの、人とマシーナ とが融合した、その後の世界、という設定くさい印象。オンラインに重点を置いてそうな気配も…。音楽はACEじゃ無くなって知らない人だ。これは落胆激しいな。

メガテンとエムブレム。タイトル画像しかなくてさっぱりわからんが、楽しみに待とうか。

毛糸のヨッシー(仮)、いいね。二人プレイが出来ると良いな。毛糸のカービィは、面白かったものの、ちょっとあっさりしすぎていた。ヨッシーでは、手塚さんがガッツリ監修に入るとの事なので、期待したい。

プラチナの101は期待してるよ。社長訊くを楽しみに待とう。

あと、大きなトピックスとしては、VCの開始だろう。
FC、SFCより順次開始。GBAなど新機種も予定。WiiでVCをDLしていたユーザ向けサービスとして、WiiUに引っ越しすると、WiiUでの同一タイトルVCが、FC100円、SFC150円、と破格で提供との事。マイスターユーザーとしては引っ越しするかどうか悩むところだ。また、引越にかかわらず、VC1本30円キャンペーンも。ここで何本かDLしてからどうするか考えよう。

新VC、MOTHER2ふっかつさい、ピクミン3とMiiverseに焦点を当てたプッシュが多かった。それだけWiiUのキモと認識しているのだろう。実際ユーザーコミュニティはかなり盛り上がっている様子だ。しかし、個人的には、Miiverseにはほとんど興味がないので、メーカーリソースの分配先としてはほどほどにしておいて欲しいなと言うのが本音だ。年末のファミ通で桜井氏が案じていたように、Miiverseコミュニティの活性度→ソフト評価→売上増という図式がメーカーに定着し、プレイ中にゴリゴリとMiiverseと強制連携させられるようなソフトが増えてしまうとしたらウンザリだ。まあ、Miiverseは本体設定でオフに出来るので、最悪切ってしまえば問題無い訳であるが。

ちはやふる2/読売テレビ

ちはやふるの漫画は大好きだが、アニメには興味はなかった。
個人的にはメディア展開というもにはあまり好意的な印象はない。しかし、新しくこれから第2シリーズが始まり、しかも既に読んだ2年進級時からのストーリーだ、と言う事を偶然知り、ちょっと興味が湧いて見てみた。

原作漫画にほぼ忠実に作っている。悪くない出来だと思った。
ただ、残念ながら声が全然違う。
漫画のアニメ化でいつも違和感を感じるのがこれだ。キャストに当てられた声優の声質としゃべり方が、私のアタマの中にある原作の「声」と全然違うのだ。とくに千早。千早はもっと丸い声であり、あんなに賢そうなしゃべり方はしない。もっと感情的に高低の振幅を付けるべきであって、そうしないと千早のひたむきさは表現しきれないだろう。あと、机くんは声高すぎだ。後のメンツはまあまあだろう。

しかし悔しい事には、こうしてアニメを観ている内に、徐々にこの声に侵食され、漫画を読んでいる時も彼らの声がしゃべり出すようになるのだ。

原作漫画の持つ「熱」を上手く映像化していると思った。初回では、ラストの菫のモノローグのシーンには泣きそうになった。しばらく続けて観てみよう。

これだけ原作に忠実なのに観たいと思うのは珍しい。
先日も「神様はじめました」のアニメを第一回を観て、うむ良くできてるな、原作に忠実だ。じゃあ原作読んだしわざわざ観る必要ないか、と思ってそれ以後は観るのを止めてしまっている。
逆にアニメを先に見てしまうと、原作を読むモチベーションが下がる。銀魂などがこのパターンだ。
結局何か心に留まる物があるかどうかという事だろうか。
今のところはよく分からない。