「書ける人」になるブログ文章教室/山川健一
最近こいつ、なんかマメにブログ書いてるな、と思われていることだろう。
基本的に、今後しばらくは、毎日何か書くことにしたのだ。
表現欲求ゆえではない(ではない、と言い切ると若干語弊があるかも)。
文章の修行をしようと思ったのだ。
もともと、自分の勝手な感想を書き散らすだけのメモブログである。
こんな本読んで、こんな事を思ったよ、と妻に伝わればそれで目的は十二分に達成される筈であった。
そもそも、書く前からどうだったこうだったと結構あれこれ話したりしているので、話した事をまとめただけ、という場合も多い。その程度のものであった。
しかし、妻以外にも、極少数の近親や友人知人などが時折見てくれているらしいし、アクセス記録を見ると通りすがりの見物人も時折いるようである。
それはそれで結構なのだが、そう考えて過去の書いたものなどをたまに読み返すと、ボッと顔から火がでることがある。
青臭い独りよがりの偏った内容を、間違いだらけの稚拙な文章で、論旨も構成もメチャメチャに書き殴っている。
うわー、と思う。特に誤字や脱字などを発見すると瞬間火照るのが分かるね。
まあ、内容は変でも良いでしょう。それが個性なのだから。逆に変でなければわざわざ自分が書く意味がない。
ただ、もう少し文章をどうにかしたいなあ、と思った。読みやすく、正しく、分かりやすい、そんな文章が書きたい。すらすらと書きたい。できることなら、惚れ惚れするような素晴らしい名文を流れるように書きたい。
そこで、だ。
少しでもそのような境地に近づくために、修行をすることにした訳だ。
まず第一に、とにかく書きまくる。
実は、文章を書く、と言う行為には、これまで結構心理的ハードルを感じていた。いざ書こうとすると、気負って身構えてしまう。よって、そんな気負いを感じるスキもなくなるほど大量に書いて書いて慣れるべし。
そして、第二に、文章に関する本を片端から読んで学ぶ、と言うこと。
とりあえず図書館の該当の書架にある文章教室の類書を端から順に借りて読むことにした。
第一弾が、表題の本である。
ブログ文章、と来ては、まさに狙い通りの本ではないか。
で、内容なのだが、割と役に立った。
著者は全然知らない人なのだが、古参の小説家で、最近ではアメーバブックスでブログ本を出版することに精を出しているらしい。そうした経緯を活かして、主に、ブログを書こうぜ、上手くいけば本にもできるぜ、というような視点での指南書である。
細かいてにをはの文章指導などではない。そもそも、人が何かを書き表すということはどういう事なのか?という所から始める、書く、という行為についての精神論などがメイン。後半はブログ特有の分析や、ブログ本、そして小説での文章作法が続く。
読めば分かるが、30年選手の小説家の癖に、はっきり言ってこの人は文章があまり上手くない。しかし、やや衒学趣味の性格らしく、そうした点を活かして、他の文豪その他の人達の文章論がちりばめられており、そう言う所を拾い読みするとすごく為になる気がして良かったのだった。
と言う訳で、今後もバリバリ文章本を読みあさりつつ、ブログを書き殴って練習したいと思う。
ブログを書いていて、良かったな、と思う点がある。
それは、キーボードを前にして、さて、この作品はどうだったかな、何か書くべき所があったかな、と考える時間をもつことで、それまで自分の中で曖昧だった、その作品に対する印象や感想が、言葉という輪郭を得て、とてもはっきりしてくるという事である。
言葉にして綴ってみて初めて、ああ、そうか、自分はこの作品をそう捉えたんだ、と分かることがある。言葉という光で照らして初めて、それまで気づかなかった、作品の別の側面が浮かび上がってくることもある。
作品に触れている間には、感じてはいても気づいてはいなかったことが、言葉にすることで、作品から離れた後になって突然はっと気づく、そういう感覚はとても面白いものだと思う。
山川健一
「書ける人」になるブログ文章教室
基本的に、今後しばらくは、毎日何か書くことにしたのだ。
表現欲求ゆえではない(ではない、と言い切ると若干語弊があるかも)。
文章の修行をしようと思ったのだ。
もともと、自分の勝手な感想を書き散らすだけのメモブログである。
こんな本読んで、こんな事を思ったよ、と妻に伝わればそれで目的は十二分に達成される筈であった。
そもそも、書く前からどうだったこうだったと結構あれこれ話したりしているので、話した事をまとめただけ、という場合も多い。その程度のものであった。
しかし、妻以外にも、極少数の近親や友人知人などが時折見てくれているらしいし、アクセス記録を見ると通りすがりの見物人も時折いるようである。
それはそれで結構なのだが、そう考えて過去の書いたものなどをたまに読み返すと、ボッと顔から火がでることがある。
青臭い独りよがりの偏った内容を、間違いだらけの稚拙な文章で、論旨も構成もメチャメチャに書き殴っている。
うわー、と思う。特に誤字や脱字などを発見すると瞬間火照るのが分かるね。
まあ、内容は変でも良いでしょう。それが個性なのだから。逆に変でなければわざわざ自分が書く意味がない。
ただ、もう少し文章をどうにかしたいなあ、と思った。読みやすく、正しく、分かりやすい、そんな文章が書きたい。すらすらと書きたい。できることなら、惚れ惚れするような素晴らしい名文を流れるように書きたい。
そこで、だ。
少しでもそのような境地に近づくために、修行をすることにした訳だ。
まず第一に、とにかく書きまくる。
実は、文章を書く、と言う行為には、これまで結構心理的ハードルを感じていた。いざ書こうとすると、気負って身構えてしまう。よって、そんな気負いを感じるスキもなくなるほど大量に書いて書いて慣れるべし。
そして、第二に、文章に関する本を片端から読んで学ぶ、と言うこと。
とりあえず図書館の該当の書架にある文章教室の類書を端から順に借りて読むことにした。
第一弾が、表題の本である。
ブログ文章、と来ては、まさに狙い通りの本ではないか。
で、内容なのだが、割と役に立った。
著者は全然知らない人なのだが、古参の小説家で、最近ではアメーバブックスでブログ本を出版することに精を出しているらしい。そうした経緯を活かして、主に、ブログを書こうぜ、上手くいけば本にもできるぜ、というような視点での指南書である。
細かいてにをはの文章指導などではない。そもそも、人が何かを書き表すということはどういう事なのか?という所から始める、書く、という行為についての精神論などがメイン。後半はブログ特有の分析や、ブログ本、そして小説での文章作法が続く。
読めば分かるが、30年選手の小説家の癖に、はっきり言ってこの人は文章があまり上手くない。しかし、やや衒学趣味の性格らしく、そうした点を活かして、他の文豪その他の人達の文章論がちりばめられており、そう言う所を拾い読みするとすごく為になる気がして良かったのだった。
と言う訳で、今後もバリバリ文章本を読みあさりつつ、ブログを書き殴って練習したいと思う。
ブログを書いていて、良かったな、と思う点がある。
それは、キーボードを前にして、さて、この作品はどうだったかな、何か書くべき所があったかな、と考える時間をもつことで、それまで自分の中で曖昧だった、その作品に対する印象や感想が、言葉という輪郭を得て、とてもはっきりしてくるという事である。
言葉にして綴ってみて初めて、ああ、そうか、自分はこの作品をそう捉えたんだ、と分かることがある。言葉という光で照らして初めて、それまで気づかなかった、作品の別の側面が浮かび上がってくることもある。
作品に触れている間には、感じてはいても気づいてはいなかったことが、言葉にすることで、作品から離れた後になって突然はっと気づく、そういう感覚はとても面白いものだと思う。
西洋骨董洋菓子店/よしながふみ
何か面白そうな本は無いか、と職場を漁っていたら、全4巻のこの漫画を発見した。
聞いたことのない作者だが、興味を引くタイトルなので、パラパラと見てみると、地味なコマに、地味な人物。
絵はあまり上手くなく、どうにもつまらなそうな雰囲気だった。
最初の数ページ、同性愛ネタなのか?と言う感じで、話もつまらなそうで、止めようかと思った。
それが最初の印象。
でも、何か引っかかる所があり、こつこつ読み進めて、読了した今となっては、読んで良かったと思う。
タイトル通り、骨董趣味の小さなケーキ屋「アンティーク」の話である。と言っても、メルヘンチックなほんわかしたストーリーを期待してはいけない。
何しろ、大手商社のトップ営業マンから脱サラしたオーナーで主人公の橘を筆頭に、高校卒業時に橘に手酷く振られた魔性のゲイで天才パティシエ小野、小野の作る洋菓子に惚れて弟子入りした元世界チャンプボクサーの神田、大資産家である橘家でずっと橘の付き人だった無能の人千影、と、これら一癖もフタ癖もある男四人が切り盛りするケーキ屋なのだ。
洋菓子の蘊蓄はすごい。実に詳細に描写され解説されるそれは、圧巻の一言である。ただし、95%は台詞での描写であり、絵面はそう美味しそうではない。
物語の背景も設定も、きちんと定められており、物語はじっくりと進行していく。
それぞれの男達が現在に至るまでのエピソードをちりばめる中、主人公橘がこの店に掛ける想いが、徐々に明かされていく。ケーキ屋なので当然洋菓子が話題の中心ではあるが、それとは別に、物語の象徴としてのケーキの持つ意味。それらが店のスタッフや客の間で交錯し、そして4巻で収束していく伏線の緊張感。
とろけるように甘い洋菓子の世界に、ゆっくりゆっくり浮かび上がってくるのは、人の心の闇の因果である。
子供の時に誘拐監禁された忌まわしい経験を持つ橘。その時の記憶は、トラウマ故か、ほとんど何も覚えていない。作中、彼がずば抜けた記憶力を持つのはその代償ではないだろうか。
生来の明晰な頭脳と合わせ、抜群の才能を発揮し、人並み以上の容貌と、マメで尽くす性格にもかかわらず、何故か橘が好きになる女性は、ことごとく彼の想いを受け止めきれず、謝りながら別れを告げる。
女性達は、橘の心の底にたゆたう闇の水面を敏感に感じ取ったのだろう。トラウマに隠されて橘自身も分からない、彼の本心が見えなかったのだ。
そうして高校卒業の日に長く付き合った彼女からの別れを告げられた橘は、直後に小野からの告白を受け、彼の勇気を土足で踏みにじる衝動に抗えなかった。
しかし、それは橘の闇の底に眠る本心ではなく、彼はそれから15年それを悔やむことになる。
一方で、橘に手酷く振られ死をも考えた小野は、死ぬぐらいなら逆に自身の気持ちに忠実に生きようと吹っ切ってしまう。マイノリティーとしてでも自らの心のままに生きるよう小野の心を解放したのは、心を解放できない橘の闇だった。そうして本当に自由になれた小野は橘の顔すら忘れてしまう。
そうして15年の月日が過ぎ、洋菓子店のオーナーとパティシエとして偶然再開した二人は、奇妙な共同作業を営みながら、掛け違えた因果の輪をゆっくりと手繰り始める。
ラストの展開は意見が割れる所だろう。
結局、トラウマも心の闇も、そんな簡単にばっさり消せるものではない。
自分自身の本心が自分で掴めない。それは辛く悲しい状態であるが、しかし、多かれ少なかれ、誰しもそうした心の闇を棲まわせているのが現代人ではないか。
それでも例え表面的でも人との関係は築けるし、時間と意志と少々の幸運さえあれば、それは十分に深めていけるものであるはずだ。
そうした、闇を持ちながらでも人生を進めてゆける、という小さな希望こそが、作者がこの作品に込めた想いではなかったろうか。
物語として綺麗で安易な展開によるハッピーエンドに比べ、それは多くの人にとってより福音として響くだろうと思う。
全くもってへんてこな設定で、生臭いゲイ話と洋菓子の蘊蓄だらけの変な漫画だが、固い線画にも関わらず、妙に柔らかい読後感なのである。
調べてみると、話題の大奥の作者だった。この「西洋骨董洋菓子店」も漫画賞を受賞しているようだ。
たしかに変だが素晴らしい漫画だと思う。
ただ、絵はあまり上手くない。特に、男性キャラは魅力的に描けるのに、アンバランスなほど女性キャラが下手すぎる。下手というか、魅力ある女性キャラが皆無。多分作者は女性があまり好きではないんだろうと思う。せめて、でこちゃんだけでももうすこし何とかならなかったか。
全く同じ構図の、特にフェイスのアップを、連続もしくは離散的に繰り返し配し、その中に僅かだけ変化を入れることによって心情の機微を表現する技法が好きなようで、多用していた。かなり効果的だったと思う。
次は機会があれば大奥を読んでみたい。
よしながふみ
西洋骨董洋菓子店
聞いたことのない作者だが、興味を引くタイトルなので、パラパラと見てみると、地味なコマに、地味な人物。
絵はあまり上手くなく、どうにもつまらなそうな雰囲気だった。
最初の数ページ、同性愛ネタなのか?と言う感じで、話もつまらなそうで、止めようかと思った。
それが最初の印象。
でも、何か引っかかる所があり、こつこつ読み進めて、読了した今となっては、読んで良かったと思う。
タイトル通り、骨董趣味の小さなケーキ屋「アンティーク」の話である。と言っても、メルヘンチックなほんわかしたストーリーを期待してはいけない。
何しろ、大手商社のトップ営業マンから脱サラしたオーナーで主人公の橘を筆頭に、高校卒業時に橘に手酷く振られた魔性のゲイで天才パティシエ小野、小野の作る洋菓子に惚れて弟子入りした元世界チャンプボクサーの神田、大資産家である橘家でずっと橘の付き人だった無能の人千影、と、これら一癖もフタ癖もある男四人が切り盛りするケーキ屋なのだ。
洋菓子の蘊蓄はすごい。実に詳細に描写され解説されるそれは、圧巻の一言である。ただし、95%は台詞での描写であり、絵面はそう美味しそうではない。
物語の背景も設定も、きちんと定められており、物語はじっくりと進行していく。
それぞれの男達が現在に至るまでのエピソードをちりばめる中、主人公橘がこの店に掛ける想いが、徐々に明かされていく。ケーキ屋なので当然洋菓子が話題の中心ではあるが、それとは別に、物語の象徴としてのケーキの持つ意味。それらが店のスタッフや客の間で交錯し、そして4巻で収束していく伏線の緊張感。
とろけるように甘い洋菓子の世界に、ゆっくりゆっくり浮かび上がってくるのは、人の心の闇の因果である。
子供の時に誘拐監禁された忌まわしい経験を持つ橘。その時の記憶は、トラウマ故か、ほとんど何も覚えていない。作中、彼がずば抜けた記憶力を持つのはその代償ではないだろうか。
生来の明晰な頭脳と合わせ、抜群の才能を発揮し、人並み以上の容貌と、マメで尽くす性格にもかかわらず、何故か橘が好きになる女性は、ことごとく彼の想いを受け止めきれず、謝りながら別れを告げる。
女性達は、橘の心の底にたゆたう闇の水面を敏感に感じ取ったのだろう。トラウマに隠されて橘自身も分からない、彼の本心が見えなかったのだ。
そうして高校卒業の日に長く付き合った彼女からの別れを告げられた橘は、直後に小野からの告白を受け、彼の勇気を土足で踏みにじる衝動に抗えなかった。
しかし、それは橘の闇の底に眠る本心ではなく、彼はそれから15年それを悔やむことになる。
一方で、橘に手酷く振られ死をも考えた小野は、死ぬぐらいなら逆に自身の気持ちに忠実に生きようと吹っ切ってしまう。マイノリティーとしてでも自らの心のままに生きるよう小野の心を解放したのは、心を解放できない橘の闇だった。そうして本当に自由になれた小野は橘の顔すら忘れてしまう。
そうして15年の月日が過ぎ、洋菓子店のオーナーとパティシエとして偶然再開した二人は、奇妙な共同作業を営みながら、掛け違えた因果の輪をゆっくりと手繰り始める。
ラストの展開は意見が割れる所だろう。
結局、トラウマも心の闇も、そんな簡単にばっさり消せるものではない。
自分自身の本心が自分で掴めない。それは辛く悲しい状態であるが、しかし、多かれ少なかれ、誰しもそうした心の闇を棲まわせているのが現代人ではないか。
それでも例え表面的でも人との関係は築けるし、時間と意志と少々の幸運さえあれば、それは十分に深めていけるものであるはずだ。
そうした、闇を持ちながらでも人生を進めてゆける、という小さな希望こそが、作者がこの作品に込めた想いではなかったろうか。
物語として綺麗で安易な展開によるハッピーエンドに比べ、それは多くの人にとってより福音として響くだろうと思う。
全くもってへんてこな設定で、生臭いゲイ話と洋菓子の蘊蓄だらけの変な漫画だが、固い線画にも関わらず、妙に柔らかい読後感なのである。
調べてみると、話題の大奥の作者だった。この「西洋骨董洋菓子店」も漫画賞を受賞しているようだ。
たしかに変だが素晴らしい漫画だと思う。
ただ、絵はあまり上手くない。特に、男性キャラは魅力的に描けるのに、アンバランスなほど女性キャラが下手すぎる。下手というか、魅力ある女性キャラが皆無。多分作者は女性があまり好きではないんだろうと思う。せめて、でこちゃんだけでももうすこし何とかならなかったか。
全く同じ構図の、特にフェイスのアップを、連続もしくは離散的に繰り返し配し、その中に僅かだけ変化を入れることによって心情の機微を表現する技法が好きなようで、多用していた。かなり効果的だったと思う。
次は機会があれば大奥を読んでみたい。
アイアンマン
PSNトラブルよりもう何ヶ月が過ぎただろうか。
先日7/7にようやく日本のストアが復旧し、SCEが「感謝とおわびのパッケージ」とふざけた名前を付けた補償プレゼント、主にDLコンテンツの無料ダウンロード、が可能となった。
そのラインナップのしょぼさ加減を見れば、SCEがどれだけ本気でお詫びしようとしていることか、誰しもすぐに分かるだろう。
パッケージの案内を見ていると、ムービーの無料レンタルを見つけた。指定のたった3本の映画を、7/7~7/10という極々短い期間のみ、無料で視聴できます、というセコい物だった。もちろんタイトルが微妙なのも言うまでもない。
しかし、PS3でオンデマンドでHD映画を見る、という体験には興味があったため、とりあえず3本ともダウンロードし、週末と言うこともあり試しに表題の映画を選んで見てみた。
ダウンロード容量は約8G、所要時間は30分ぐらいか。360と同様バックグラウンドでDL出来るので、ゲームをしていてもOKで便利だが、電源を切っているとDLしてくれないのは残念。
HDの画面は流石に美麗で、これが自宅でその場でオンデマンドでできる時代かと感慨にひたる。
さて、前置きはこれくらいで映画の内容についてだが、まあ、ハリウッドアクション映画の内容を云々、というのも野暮の極みだろうが、一応書いておく。
アメコミで有名なマーベルの原作で、世界的な兵器企業を率いる天才科学者が最新科学によるパワードスーツを開発し、自ら装着しアイアンマンとなって悪を倒す、という話である。
ストーリーはそれ以下でもそれ以上でもない。そもそもストーリーなど不要だろう。最新CGによるド派手なアクションが見られればそれで十分な訳で、つじつまを検証したり、人物の心情を酌んだり、テーマを想像したりするようなことは無粋だろう。もちろんベタベタのプロットや丸分かりの展開は様式美である。
パワードスーツに関する科学的論考も、もちろん無粋だ。というか面倒くさくて突っ込む気も起きない。
と言うことで、この映画の主題は、いかに映像で魅せるか、に尽きる訳だが、想像していたよりスーツがちゃっちい感じで残念だった。
ただ、アクションはそこそこ派手で楽しめたので、それは良かったと思う。
エンドロール後のシーンが意味不明だったが、多分、マーベルのアメコミヒーロー集団への参加を認められたというような事だろう。めでたしめでたしである。
と、こんな感じで無難に終わろうと思っていたが、やっぱり書かずにはいられないので書く。
主人公が、スーツを開発してつぶやく。自分だけがこれを正しく上手く使えるんだ、と。
ああ、これがアメリカなんだな、とぞっとした。ミサイルもスーツも本質的には何にも違いがないと言うことが分かっていない。
アメリカだけが絶対的に正義で、ゲリラは悪である。自分で兵器を作って売っておいて、意に添わない使われ方をしたら、話も聞かずにたたきつぶす。そしてエンディング記者会見での自慢げな表情。
流石に平均的日本人の感性では、やや引いてしまうのではないだろうか。興行が振るわなかったというのもむべなるかなである。
先日7/7にようやく日本のストアが復旧し、SCEが「感謝とおわびのパッケージ」とふざけた名前を付けた補償プレゼント、主にDLコンテンツの無料ダウンロード、が可能となった。
そのラインナップのしょぼさ加減を見れば、SCEがどれだけ本気でお詫びしようとしていることか、誰しもすぐに分かるだろう。
パッケージの案内を見ていると、ムービーの無料レンタルを見つけた。指定のたった3本の映画を、7/7~7/10という極々短い期間のみ、無料で視聴できます、というセコい物だった。もちろんタイトルが微妙なのも言うまでもない。
しかし、PS3でオンデマンドでHD映画を見る、という体験には興味があったため、とりあえず3本ともダウンロードし、週末と言うこともあり試しに表題の映画を選んで見てみた。
ダウンロード容量は約8G、所要時間は30分ぐらいか。360と同様バックグラウンドでDL出来るので、ゲームをしていてもOKで便利だが、電源を切っているとDLしてくれないのは残念。
HDの画面は流石に美麗で、これが自宅でその場でオンデマンドでできる時代かと感慨にひたる。
さて、前置きはこれくらいで映画の内容についてだが、まあ、ハリウッドアクション映画の内容を云々、というのも野暮の極みだろうが、一応書いておく。
アメコミで有名なマーベルの原作で、世界的な兵器企業を率いる天才科学者が最新科学によるパワードスーツを開発し、自ら装着しアイアンマンとなって悪を倒す、という話である。
ストーリーはそれ以下でもそれ以上でもない。そもそもストーリーなど不要だろう。最新CGによるド派手なアクションが見られればそれで十分な訳で、つじつまを検証したり、人物の心情を酌んだり、テーマを想像したりするようなことは無粋だろう。もちろんベタベタのプロットや丸分かりの展開は様式美である。
パワードスーツに関する科学的論考も、もちろん無粋だ。というか面倒くさくて突っ込む気も起きない。
と言うことで、この映画の主題は、いかに映像で魅せるか、に尽きる訳だが、想像していたよりスーツがちゃっちい感じで残念だった。
ただ、アクションはそこそこ派手で楽しめたので、それは良かったと思う。
エンドロール後のシーンが意味不明だったが、多分、マーベルのアメコミヒーロー集団への参加を認められたというような事だろう。めでたしめでたしである。
と、こんな感じで無難に終わろうと思っていたが、やっぱり書かずにはいられないので書く。
主人公が、スーツを開発してつぶやく。自分だけがこれを正しく上手く使えるんだ、と。
ああ、これがアメリカなんだな、とぞっとした。ミサイルもスーツも本質的には何にも違いがないと言うことが分かっていない。
アメリカだけが絶対的に正義で、ゲリラは悪である。自分で兵器を作って売っておいて、意に添わない使われ方をしたら、話も聞かずにたたきつぶす。そしてエンディング記者会見での自慢げな表情。
流石に平均的日本人の感性では、やや引いてしまうのではないだろうか。興行が振るわなかったというのもむべなるかなである。
ほこ×たて/フジテレビ
義弟に、面白いよと勧められて、途中からこれまで数回見ている。
かなりくどくどしくオーバーなナレーションや繰り返しシーンは気に触るが、内容は面白いことが多い。
これには絶対的な自信がある、という挑戦者が、人生を賭けて登場する様が素晴らしい。
負けたら商売上がったりじゃないのか?と人ごとながら心配になる。多分、宣伝効果の方が大きいのだろう。
前回、ソースカツ丼対決など、そろそろネタ切れで終わりかなと思っていたが、今回は、まともな対決で良かった。
昔花粉症が酷いときだったら泣き女優にも勝てるな、と思った。まあ、常に涙が流れっぱなしで演技以前の問題だが。
いつも録画で後日見ているが、今日の金庫対決楽しみである。
かなりくどくどしくオーバーなナレーションや繰り返しシーンは気に触るが、内容は面白いことが多い。
これには絶対的な自信がある、という挑戦者が、人生を賭けて登場する様が素晴らしい。
負けたら商売上がったりじゃないのか?と人ごとながら心配になる。多分、宣伝効果の方が大きいのだろう。
前回、ソースカツ丼対決など、そろそろネタ切れで終わりかなと思っていたが、今回は、まともな対決で良かった。
昔花粉症が酷いときだったら泣き女優にも勝てるな、と思った。まあ、常に涙が流れっぱなしで演技以前の問題だが。
いつも録画で後日見ているが、今日の金庫対決楽しみである。
お茶にごす。 1巻/西森博之
高校生の頃、サンデー担当だったので、この作者の「今日から俺は!!」は読んでいた。別に嫌いではなかったが、積極的に好きと明言するほどでもなかった。
ちなみに、担当とは、発売日に雑誌を買い、いち早く読んだ後、教室で回覧に回す係のことである。当時、担当につくことで別の回覧雑誌の閲覧権を得ることが出来るという自助組織が存在したのである。
ジャぱんも終わったので、次は何かないかと探して、なかなか良さそうだったのでこのシリーズを読んでみることにした。
まず1巻、まあまあの出だしである。線も綺麗だし、ストーリーも今後に期待できる。ギャグも好みのタイプだ。
以前から知ってはいたものの、この作者の漫画を改めてこうしてまじまじと読んでみて、魔夜峰央を彷彿とさせる感じがした。もちろん絵も作風も全然違う訳だが、何か通底する物を感じた。
次巻以降楽しみである。
西森博之
お茶にごす。
ちなみに、担当とは、発売日に雑誌を買い、いち早く読んだ後、教室で回覧に回す係のことである。当時、担当につくことで別の回覧雑誌の閲覧権を得ることが出来るという自助組織が存在したのである。
ジャぱんも終わったので、次は何かないかと探して、なかなか良さそうだったのでこのシリーズを読んでみることにした。
まず1巻、まあまあの出だしである。線も綺麗だし、ストーリーも今後に期待できる。ギャグも好みのタイプだ。
以前から知ってはいたものの、この作者の漫画を改めてこうしてまじまじと読んでみて、魔夜峰央を彷彿とさせる感じがした。もちろん絵も作風も全然違う訳だが、何か通底する物を感じた。
次巻以降楽しみである。
バナナの皮はなぜすべるのか?/黒木夏美
一応カテゴリを専門書にしてみた。
落ちているバナナの皮を踏んで、滑って転ぶ。
良くあるギャグである。漫画や映画、コント、小説など、誰しも何度か目にしたことがあるだろう。定番中の定番、お約束とも呼ばれる。
では、このバナナで滑るギャグの起源は何だろう?誰がいつ、それをギャグとして始めたのか?
そう思ってしまったのが著者の運の尽き。
古今東西の文献資料を漁り、バナナで滑るギャグの歴史を紐解いていく。目も眩むような労作である。
ゆめゆめ、さおだけ屋はなぜ潰れないのか?のようなタイトル詐欺と一緒にしてはいけない。
この本は決して、バナナの皮はなぜすべるのか?をとっかかりにして、ギャグ表現の系譜や歴史を俯瞰したり、ギャグの分類や解説を行ったりする解説書ではない。
本当に、「バナナで滑る」ギャグのみに絞って一冊まとめ上げた、バナナの専門書なのである。
どのような作品にバナナギャグが使われていたかを、漫画、アニメ、小説、映画、そして歴史をさかのぼって延々調べていく。そのギャグの表現のされ方、受け取られ方の変種分類も考察する。
バナナ自体の歴史を調べることも重要だ。なぜならバナナが無ければ、バナナの皮で滑ることもあり得ないからだ。バナナがどこで生まれどう広まりどう流通しどう消費されてきたか、そして日常に根付き、表現作品にどう登場するようになるのか調べ上げる。
また、バナナの皮がきちんとゴミ箱に捨てられていてはこのギャグは生まれない。バナナの皮は、昔はしばしば路上に捨てられていたのか?実際にころんで負傷した新聞記事は?バナナの皮捨てを取り締まる法律は?
などなど。丸々一冊バナナである。書き上げた著者の労を思うと、この本の存在自体がシュールなギャグであると考えて間違いないと思う。
バナナで滑るギャグは、定番中の定番であり、他のギャグとは一線を画すような特別なものである。
だが、それにしても、そのバナナギャグに絞って延々突き詰めて考え抜くことで、図らずもギャグという笑いという現象そのものに非常に肉薄した論考となっていることは非常に興味深い。
黒木夏美
バナナの皮はなぜすべるのか?
落ちているバナナの皮を踏んで、滑って転ぶ。
良くあるギャグである。漫画や映画、コント、小説など、誰しも何度か目にしたことがあるだろう。定番中の定番、お約束とも呼ばれる。
では、このバナナで滑るギャグの起源は何だろう?誰がいつ、それをギャグとして始めたのか?
そう思ってしまったのが著者の運の尽き。
古今東西の文献資料を漁り、バナナで滑るギャグの歴史を紐解いていく。目も眩むような労作である。
ゆめゆめ、さおだけ屋はなぜ潰れないのか?のようなタイトル詐欺と一緒にしてはいけない。
この本は決して、バナナの皮はなぜすべるのか?をとっかかりにして、ギャグ表現の系譜や歴史を俯瞰したり、ギャグの分類や解説を行ったりする解説書ではない。
本当に、「バナナで滑る」ギャグのみに絞って一冊まとめ上げた、バナナの専門書なのである。
どのような作品にバナナギャグが使われていたかを、漫画、アニメ、小説、映画、そして歴史をさかのぼって延々調べていく。そのギャグの表現のされ方、受け取られ方の変種分類も考察する。
バナナ自体の歴史を調べることも重要だ。なぜならバナナが無ければ、バナナの皮で滑ることもあり得ないからだ。バナナがどこで生まれどう広まりどう流通しどう消費されてきたか、そして日常に根付き、表現作品にどう登場するようになるのか調べ上げる。
また、バナナの皮がきちんとゴミ箱に捨てられていてはこのギャグは生まれない。バナナの皮は、昔はしばしば路上に捨てられていたのか?実際にころんで負傷した新聞記事は?バナナの皮捨てを取り締まる法律は?
などなど。丸々一冊バナナである。書き上げた著者の労を思うと、この本の存在自体がシュールなギャグであると考えて間違いないと思う。
バナナで滑るギャグは、定番中の定番であり、他のギャグとは一線を画すような特別なものである。
だが、それにしても、そのバナナギャグに絞って延々突き詰めて考え抜くことで、図らずもギャグという笑いという現象そのものに非常に肉薄した論考となっていることは非常に興味深い。
凍りのくじら/辻村深月
「少し・不在」と、藤子・F・不二雄の「SF=少し・不思議」になぞらえて自身の疎外感を表す高校生の主人公理帆子。
彼女は、周囲の人間が自分の本当の気持ちや考えを吐露する事など適わぬ程愚かな者達ばかりだと感じていた。周りに合わせるには頭が良すぎると自分で思っている人間だった。
そして、そうした自身の偏狭な観測を疑いもせず、それに囚われて疎外感で息を詰まらせていく程度には愚かな人間だった。もちろんそれには全く気づいていなかった。若さ故である。
つまり、彼女は、自分は周りの誰とも違いすぎて馴染めないが表面的には誰とだって馴染めると思っている、どこにでもいるような、至って普通な思春期の少女なのである。
その心情を彼女の視点で綴ってゆく。
彼女は実に嫌な人間である。
周りの人間など頭からバカにして、けれど自分一人だけでは寂しくて日々を過ごしていけないから、手駒のような交友関係を上手く利用して浅く広く、自分に都合の良い関係性の上澄みを啜っている。周りの幼稚な人間の考えることなど手に取るように分かるし、頭がいいからそんな彼らのマネジメントなど造作もない。
彼女を癒してくれるのは、本、そして漫画の創作世界だけだ。中でも、父譲りの藤子・F・不二雄作品ひいても「ドラえもん」の存在は別格であった。けれど、そういった話題を理解し共有できると期待できる人間など周りにはいない。
最初の数十ページは、非常に辛い。何度投げ捨てようと思ったか。
理帆子の青く棘のあるむき出しの自意識に触れ、痛くて読んでいられないと思うだろう。かつての自分を見るようで、という理由で、そう思う人も多いだろう。
だが、最初を過ぎれば何とか耐えられるので安心して欲しい。
この作品は、作中にドラえもんの逸話や道具が多々登場すると書評で話題になっていたので、興味を引かれて読んでみたのだった。
主人公は父譲りのドラファンということで、確かに多々登場する。主人公が他者を小馬鹿にする遊びでも、ドラえもんの道具になぞらえたりする。章立てもひみつ道具の名前である。
中盤、ドラえもんについて語れる人物と出会ってから、堰を切ったようなドラえもん談義は、なかなか面白い。
この物語は、人間というのは、自分の小さな目で見ている以上に、深く大きな存在である、と言うことを描いたものである。
父の失踪、癌の母との確執。上辺だけの交友関係。所在の無さ。分かり切っていると思っていた世界は、全く分かってなどいない世界だった。そこに生きるのは、自分が小さく判じた価値のない人物などではなく、自分が想像もしえない内面を持った生きている人間だったのだ。自分自身を含め、想像できなかったほど素晴らしく、そして想像できなかったほど愚かな人間達。
理帆子の性格形成には、家庭環境が大きな影響を与えていると思うが、そこには、読書、もあると思う。読書ばかりして過ごした子供、という面もあると思うのだ。分かりよく過ごしやすい本の世界があれば、そこに引きこもってしまうのは当然だ。
本は所詮エンターテインメントである。私は、昨今の、読書は絶対的に良い、という考えには強い違和感を感じる。読書は国語の学習にもなるし掛け替えのない体験をもたらす。しかし、同時に、読書のしすぎによって失った物も確かにあるし、人生を棒に振った人もいるだろう。メリットがあれば弊害もあるのが当然である。読書をしたらゲームもさせる、運動も音楽もさせる、そういうバランスが大事だと思う。TVばかりゲームばかりしてたら叱る癖に、読書ばかりしている子供を指導しないのでは片手落ちである。
紹介に小さくミステリーと書いてあるが、ミステリではない。ミステリ風かも知れないが、構成が下手なので、途中ですぐばれてしまう。
ストーリーも表現も文章力も、可も不可もなく、という感じ。ただ、構成はちょっとイマイチに感じる所があった。伏線の回収を何個か始末を付けてないので、やや投げやりな感じを受ける。
ドラえもんネタの活かし方は甘いと思う。もすこし頑張って欲しかった。
主人公がもう少しだけ魅力的に描かれていたら、評価が大分変わる作品だと思う。
理帆子の母の描写は素晴らしかった。また壊れていく若尾のメールも良かった。良く取材している。
サクサク読めるので割合お奨めである。ただ、ドラえもんに全く思い入れが無かったり、逆にありすぎると辛いかも知れない。
辻村深月
凍りのくじら
彼女は、周囲の人間が自分の本当の気持ちや考えを吐露する事など適わぬ程愚かな者達ばかりだと感じていた。周りに合わせるには頭が良すぎると自分で思っている人間だった。
そして、そうした自身の偏狭な観測を疑いもせず、それに囚われて疎外感で息を詰まらせていく程度には愚かな人間だった。もちろんそれには全く気づいていなかった。若さ故である。
つまり、彼女は、自分は周りの誰とも違いすぎて馴染めないが表面的には誰とだって馴染めると思っている、どこにでもいるような、至って普通な思春期の少女なのである。
その心情を彼女の視点で綴ってゆく。
彼女は実に嫌な人間である。
周りの人間など頭からバカにして、けれど自分一人だけでは寂しくて日々を過ごしていけないから、手駒のような交友関係を上手く利用して浅く広く、自分に都合の良い関係性の上澄みを啜っている。周りの幼稚な人間の考えることなど手に取るように分かるし、頭がいいからそんな彼らのマネジメントなど造作もない。
彼女を癒してくれるのは、本、そして漫画の創作世界だけだ。中でも、父譲りの藤子・F・不二雄作品ひいても「ドラえもん」の存在は別格であった。けれど、そういった話題を理解し共有できると期待できる人間など周りにはいない。
最初の数十ページは、非常に辛い。何度投げ捨てようと思ったか。
理帆子の青く棘のあるむき出しの自意識に触れ、痛くて読んでいられないと思うだろう。かつての自分を見るようで、という理由で、そう思う人も多いだろう。
だが、最初を過ぎれば何とか耐えられるので安心して欲しい。
この作品は、作中にドラえもんの逸話や道具が多々登場すると書評で話題になっていたので、興味を引かれて読んでみたのだった。
主人公は父譲りのドラファンということで、確かに多々登場する。主人公が他者を小馬鹿にする遊びでも、ドラえもんの道具になぞらえたりする。章立てもひみつ道具の名前である。
中盤、ドラえもんについて語れる人物と出会ってから、堰を切ったようなドラえもん談義は、なかなか面白い。
この物語は、人間というのは、自分の小さな目で見ている以上に、深く大きな存在である、と言うことを描いたものである。
父の失踪、癌の母との確執。上辺だけの交友関係。所在の無さ。分かり切っていると思っていた世界は、全く分かってなどいない世界だった。そこに生きるのは、自分が小さく判じた価値のない人物などではなく、自分が想像もしえない内面を持った生きている人間だったのだ。自分自身を含め、想像できなかったほど素晴らしく、そして想像できなかったほど愚かな人間達。
理帆子の性格形成には、家庭環境が大きな影響を与えていると思うが、そこには、読書、もあると思う。読書ばかりして過ごした子供、という面もあると思うのだ。分かりよく過ごしやすい本の世界があれば、そこに引きこもってしまうのは当然だ。
本は所詮エンターテインメントである。私は、昨今の、読書は絶対的に良い、という考えには強い違和感を感じる。読書は国語の学習にもなるし掛け替えのない体験をもたらす。しかし、同時に、読書のしすぎによって失った物も確かにあるし、人生を棒に振った人もいるだろう。メリットがあれば弊害もあるのが当然である。読書をしたらゲームもさせる、運動も音楽もさせる、そういうバランスが大事だと思う。TVばかりゲームばかりしてたら叱る癖に、読書ばかりしている子供を指導しないのでは片手落ちである。
紹介に小さくミステリーと書いてあるが、ミステリではない。ミステリ風かも知れないが、構成が下手なので、途中ですぐばれてしまう。
ストーリーも表現も文章力も、可も不可もなく、という感じ。ただ、構成はちょっとイマイチに感じる所があった。伏線の回収を何個か始末を付けてないので、やや投げやりな感じを受ける。
ドラえもんネタの活かし方は甘いと思う。もすこし頑張って欲しかった。
主人公がもう少しだけ魅力的に描かれていたら、評価が大分変わる作品だと思う。
理帆子の母の描写は素晴らしかった。また壊れていく若尾のメールも良かった。良く取材している。
サクサク読めるので割合お奨めである。ただ、ドラえもんに全く思い入れが無かったり、逆にありすぎると辛いかも知れない。
日曜劇場 JIN-仁- 完結編
ようやく完結。
TV放送されたのは随分前だが、時間がなかったので録画しておいた物をようやく先日見た。
やはり誰しも、最後どうなんのかな?というのが最大の気になり所だったと思うのだが、まあ、それなりに上手いことまとまった感じでは。
あの写真はずるい。ああいう、ある人が生涯を生きた証、みたいなポイントでは、どうも他に比べて涙腺が緩む。
謎解説が拍子抜けだ。大体、あの若手医師誰だ?ぐらいの印象じゃないだろうか、普通の視聴者は。その人に仮説を述べさせて、フムフムで終わりではちょっとなあ。
この物語の中では、その輪郭はさておき、神が登場する。ある時は試練を与えるものとして、そして歴史を管理するものとして。
では、その神が、わざわざ南方仁という人間を選んで維新期にタイムスリップさせた、その理由は何だったのか?そしてその痕跡を消した理由は何だったのか?それをどう納得するのか?その描かれ方が弱かったように思う。
ただ、○○先生のアイデアには脱帽した。あれは素晴らしいシーンだった。
タイムパラドックスなど、細かい矛盾点は挙げ出すときりがないので、最初から気にしてはいけない。根幹に支障がなければニコッと笑ってスルーしてあげるのが大人の嗜みだ。
ドラマは総じて面白く楽しめた。グロすぎて見れない人もいただろうが、それでも手術シーンの拘りは良かったと思う。役者の演技も良かったと思うが、演出がややオーバー気味で、もう少し押さえた感じでも良かったのではないか。軽すぎる印象。
原作の表紙を見ると、仁が結構歳のような描かれ方だが、雰囲気は結構違うんだろうか、と気になった。
TV放送されたのは随分前だが、時間がなかったので録画しておいた物をようやく先日見た。
やはり誰しも、最後どうなんのかな?というのが最大の気になり所だったと思うのだが、まあ、それなりに上手いことまとまった感じでは。
あの写真はずるい。ああいう、ある人が生涯を生きた証、みたいなポイントでは、どうも他に比べて涙腺が緩む。
謎解説が拍子抜けだ。大体、あの若手医師誰だ?ぐらいの印象じゃないだろうか、普通の視聴者は。その人に仮説を述べさせて、フムフムで終わりではちょっとなあ。
この物語の中では、その輪郭はさておき、神が登場する。ある時は試練を与えるものとして、そして歴史を管理するものとして。
では、その神が、わざわざ南方仁という人間を選んで維新期にタイムスリップさせた、その理由は何だったのか?そしてその痕跡を消した理由は何だったのか?それをどう納得するのか?その描かれ方が弱かったように思う。
ただ、○○先生のアイデアには脱帽した。あれは素晴らしいシーンだった。
タイムパラドックスなど、細かい矛盾点は挙げ出すときりがないので、最初から気にしてはいけない。根幹に支障がなければニコッと笑ってスルーしてあげるのが大人の嗜みだ。
ドラマは総じて面白く楽しめた。グロすぎて見れない人もいただろうが、それでも手術シーンの拘りは良かったと思う。役者の演技も良かったと思うが、演出がややオーバー気味で、もう少し押さえた感じでも良かったのではないか。軽すぎる印象。
原作の表紙を見ると、仁が結構歳のような描かれ方だが、雰囲気は結構違うんだろうか、と気になった。
焼きたて!!ジャぱん/橋口たかし
かなり昔になるが、TVで結界師を見ていた頃、しばしば流れるサンデーのCMでこの小学館漫画賞受賞作の存在は知っていた。
1年ほど前に職場で十数巻のセットを拾ったので、何気なく読み始めたら、驚いた。
漫画賞受賞はダテではない。神懸かり的な面白さに、一気に引き込まれた。
太陽の手、と呼ばれるパン生地をこねるのに最適な体質を持ち、小さな子供の頃から世界に誇る日本のパン、ジャぱん創造に血道を上げる主人公、東和馬。義務教育を終えた彼は、東京の超大手ベーカリーの採用試験に臨み、そこで出会った個性溢れるパンマイスター達との死闘を乗り越え友情を育み、ジャぱんへの果て無き道を歩いていくのだった。といったバックストーリー。
いかにもな少年料理漫画のパターンだと思うだろうが、注意して欲しいのは、この漫画はギャグマンガであると言うことだ。パンを題材にしているので、もちろん製パン知識もふんだんに盛られ、パン勝負がメインのストーリーとなる訳だが、あくまでベースはギャグなのである。
そうして、7,8巻ぐらいまでは、本当に凄まじいキレを見せるのだ。
ただ、残念なことに、この漫画も連載中に賞を授与してはならないという典型で、ピークを迎えた後、落ちてゆく。
後半の焼きたて!!25編が始まってからのマンネリとレベルの低下は、その前半が神懸かり的だっただけに、その落差が否応なく目に付いてしまうのだ。
という所で入手した十数巻を読み終え、ネットで調べると、後半、特に最終巻周辺の酷評が目立つ。
じゃあ、逆にどこまで酷いのか見てやろう、と言うことで、こつこつと読んできた。
先日ようやく全26巻を読み通したので、ようやく総括ができる。
まず、この作品をミスター味っ子などから連なる少年料理漫画と捉えてしまうと、後半の展開にはついていけないだろう。
料理漫画では、食品という非常に身近なモチーフを扱う以上、そこにはストイックにリアリティの線引きをしておかないと、作品世界はすぐに瓦解してしまう。例えば、世界一おいしい幻の調味料といった架空のアイテムの存在を許せば、作品の存在する意味自体がそこで終わる。誰でも知っている食材を用い、主人公の才能と努力、リアリティのあるアイデアと技術によって素晴らしい料理を作り出す、その転換の妙が命だから、その枠組みであるルールはジャッジメントという意味でも厳格に存在していなければならない。そして、漫画である以上、それらを適切に表現しなければならない。
ところがこの漫画では、世界のリアリティを薄れさせ、途中から取っ払ってしまった。
パンに関する食材や製法などに荒唐無稽な嘘八百を入れてきた訳ではない。
が、そのパンのおいしさ、というジャッジメントに、リアクションという芸を持ち込み、これで主客転倒を図ったのだ。
オーバーリアクションは、いわば料理漫画の華である。どれだけその料理がおいしいのかを読者に伝えるために、描き込むことを避けては通れない部分である。そのページが死ねば全てが死んでしまう。よって昔から比喩的な漫画表現によるオーバーリアクションは多用されてきた。あまりの旨さに羽が生え、空を飛び回るような漫画的表現はなんら珍しいものではない。
この漫画では、リアクションの比喩性を廃し、リアクション自体が成果であるとした。つまりパンの出来映えによるおいしさが、身体に直接及ぼす非現実的で計り知れない影響を現実のものとして、ルールの枠組みに取り込んでしまったのだ。
先の例で言えば、本当に羽が生え、本当に空を飛び、後日、羽を持て余して日常生活に支障が出る所までを、パンが美味しいが為に発生した現実、として描いてしまうのだ。
他には例えば、美味しすぎて食べると死んでしまうパンというものが実在し、それを食べることで、作中人物が本当に死ぬ。そして死んだことがストーリーに影響してゆく。
また、トロロを混ぜたパンを食べると、体が本当にトロロになっていく。トロロに目と口があるトロロ人間なのだ。または、すりゴマを混ぜたパンを食べると、体が「釣りバカ日誌の浜ちゃん」になってしまう。なぜなら、すりゴマ→釣りバカの駄洒落だから。本当はトロロを食べたときはトトロにしたかったらしいが、版権の関係で諦めたらしい。そうして、トロロや浜ちゃんになったことが決して一コマギャグで終わらず、継続しストーリーに影響していくのだ。
一言で言えば荒唐無稽。パンのおいしさはそのリアクションの大きさで決まる、という図式に後半固まっていく。そのリアクションも終盤はほぼ駄洒落なのである。うっかり正当派料理漫画などと思っていた人は本書を投げ捨てるしかないだろう。
そして荒唐無稽のリアクションギャグは拡大の一途をたどり、ついには人類征服を企む悪のパン(食べた人間を支配してしまう意志を持ったパンなのですよ)との一騎打ち!人類の未来は東和馬のパンの出来映えに掛かっている!という様な所まで行ってしまう。
この辺の事情が、酷評の主因のようである。また、当初描かれたサブキャラの成長譚が何ら活かされず、後半サブキャラはギャグ要員に成り下がってしまった点もストーリー漫画視点からは問題だろう。
しかし、そもそもこれは製パン勝負をモチーフにしたギャグマンガなのだ、としたらどうだろう。
最初に書いたように、実は、私はそもそもからそう思ってこの作品を読んできた。だが、その視点でも、後半の変質は指摘を免れない。
ギャグや笑いは個人の嗜好の影響を強く受ける要素であるので、それが好きな読者もいるだろうが、個人的な評価としては、ギャグのスケールが大きくなるにつれ、その密度が著しく低下していると思われてならない。免罪符のような製パンの蘊蓄とストーリー数ページに挟んで、末高斗夢の駄洒落のようなネタを数ページ描くが如くの構成をマンネリズムに繰り返しては、前半の熱気も失せてしまう。
本当にギャグマンガは難しいとつくづく思う。
過大なリアクションが問題なのではない。ギャグが破滅的だったり駄洒落なのが問題なのでもない。思うに、キャラクターがギャグを演じるのではなく、キャラクターにギャグを演じさせるようになったことが問題なのではないか。露骨なギャグありきの姿勢が、肝心のギャグを殺してしまったように思う。
また、どう言い繕おうと、導入部ではキャラもストーリーもしっかりした正当派料理漫画にしか見えない訳で、こうした部分のファンの切り捨ては、酷評を甘んじて受けるしかないだろう。
評価が難しく人に薦めにくい漫画である。
漫画賞受賞は多分ダメだろう。
ギャグマンガとしては前半は超一流、後半三流である。ストーリー漫画としても、少年漫画としても、導入部は本当に素晴らしい出来映えである。ネタ切れか、意欲の減退か、連載の引き延ばしか、残念なことである。
取材力はあるし、構成力もある。何より絵は上手い。
特に美少女キャラの表現はかなりの実力だと思う。
橋口たかし
焼きたて!!ジャぱん
1年ほど前に職場で十数巻のセットを拾ったので、何気なく読み始めたら、驚いた。
漫画賞受賞はダテではない。神懸かり的な面白さに、一気に引き込まれた。
太陽の手、と呼ばれるパン生地をこねるのに最適な体質を持ち、小さな子供の頃から世界に誇る日本のパン、ジャぱん創造に血道を上げる主人公、東和馬。義務教育を終えた彼は、東京の超大手ベーカリーの採用試験に臨み、そこで出会った個性溢れるパンマイスター達との死闘を乗り越え友情を育み、ジャぱんへの果て無き道を歩いていくのだった。といったバックストーリー。
いかにもな少年料理漫画のパターンだと思うだろうが、注意して欲しいのは、この漫画はギャグマンガであると言うことだ。パンを題材にしているので、もちろん製パン知識もふんだんに盛られ、パン勝負がメインのストーリーとなる訳だが、あくまでベースはギャグなのである。
そうして、7,8巻ぐらいまでは、本当に凄まじいキレを見せるのだ。
ただ、残念なことに、この漫画も連載中に賞を授与してはならないという典型で、ピークを迎えた後、落ちてゆく。
後半の焼きたて!!25編が始まってからのマンネリとレベルの低下は、その前半が神懸かり的だっただけに、その落差が否応なく目に付いてしまうのだ。
という所で入手した十数巻を読み終え、ネットで調べると、後半、特に最終巻周辺の酷評が目立つ。
じゃあ、逆にどこまで酷いのか見てやろう、と言うことで、こつこつと読んできた。
先日ようやく全26巻を読み通したので、ようやく総括ができる。
まず、この作品をミスター味っ子などから連なる少年料理漫画と捉えてしまうと、後半の展開にはついていけないだろう。
料理漫画では、食品という非常に身近なモチーフを扱う以上、そこにはストイックにリアリティの線引きをしておかないと、作品世界はすぐに瓦解してしまう。例えば、世界一おいしい幻の調味料といった架空のアイテムの存在を許せば、作品の存在する意味自体がそこで終わる。誰でも知っている食材を用い、主人公の才能と努力、リアリティのあるアイデアと技術によって素晴らしい料理を作り出す、その転換の妙が命だから、その枠組みであるルールはジャッジメントという意味でも厳格に存在していなければならない。そして、漫画である以上、それらを適切に表現しなければならない。
ところがこの漫画では、世界のリアリティを薄れさせ、途中から取っ払ってしまった。
パンに関する食材や製法などに荒唐無稽な嘘八百を入れてきた訳ではない。
が、そのパンのおいしさ、というジャッジメントに、リアクションという芸を持ち込み、これで主客転倒を図ったのだ。
オーバーリアクションは、いわば料理漫画の華である。どれだけその料理がおいしいのかを読者に伝えるために、描き込むことを避けては通れない部分である。そのページが死ねば全てが死んでしまう。よって昔から比喩的な漫画表現によるオーバーリアクションは多用されてきた。あまりの旨さに羽が生え、空を飛び回るような漫画的表現はなんら珍しいものではない。
この漫画では、リアクションの比喩性を廃し、リアクション自体が成果であるとした。つまりパンの出来映えによるおいしさが、身体に直接及ぼす非現実的で計り知れない影響を現実のものとして、ルールの枠組みに取り込んでしまったのだ。
先の例で言えば、本当に羽が生え、本当に空を飛び、後日、羽を持て余して日常生活に支障が出る所までを、パンが美味しいが為に発生した現実、として描いてしまうのだ。
他には例えば、美味しすぎて食べると死んでしまうパンというものが実在し、それを食べることで、作中人物が本当に死ぬ。そして死んだことがストーリーに影響してゆく。
また、トロロを混ぜたパンを食べると、体が本当にトロロになっていく。トロロに目と口があるトロロ人間なのだ。または、すりゴマを混ぜたパンを食べると、体が「釣りバカ日誌の浜ちゃん」になってしまう。なぜなら、すりゴマ→釣りバカの駄洒落だから。本当はトロロを食べたときはトトロにしたかったらしいが、版権の関係で諦めたらしい。そうして、トロロや浜ちゃんになったことが決して一コマギャグで終わらず、継続しストーリーに影響していくのだ。
一言で言えば荒唐無稽。パンのおいしさはそのリアクションの大きさで決まる、という図式に後半固まっていく。そのリアクションも終盤はほぼ駄洒落なのである。うっかり正当派料理漫画などと思っていた人は本書を投げ捨てるしかないだろう。
そして荒唐無稽のリアクションギャグは拡大の一途をたどり、ついには人類征服を企む悪のパン(食べた人間を支配してしまう意志を持ったパンなのですよ)との一騎打ち!人類の未来は東和馬のパンの出来映えに掛かっている!という様な所まで行ってしまう。
この辺の事情が、酷評の主因のようである。また、当初描かれたサブキャラの成長譚が何ら活かされず、後半サブキャラはギャグ要員に成り下がってしまった点もストーリー漫画視点からは問題だろう。
しかし、そもそもこれは製パン勝負をモチーフにしたギャグマンガなのだ、としたらどうだろう。
最初に書いたように、実は、私はそもそもからそう思ってこの作品を読んできた。だが、その視点でも、後半の変質は指摘を免れない。
ギャグや笑いは個人の嗜好の影響を強く受ける要素であるので、それが好きな読者もいるだろうが、個人的な評価としては、ギャグのスケールが大きくなるにつれ、その密度が著しく低下していると思われてならない。免罪符のような製パンの蘊蓄とストーリー数ページに挟んで、末高斗夢の駄洒落のようなネタを数ページ描くが如くの構成をマンネリズムに繰り返しては、前半の熱気も失せてしまう。
本当にギャグマンガは難しいとつくづく思う。
過大なリアクションが問題なのではない。ギャグが破滅的だったり駄洒落なのが問題なのでもない。思うに、キャラクターがギャグを演じるのではなく、キャラクターにギャグを演じさせるようになったことが問題なのではないか。露骨なギャグありきの姿勢が、肝心のギャグを殺してしまったように思う。
また、どう言い繕おうと、導入部ではキャラもストーリーもしっかりした正当派料理漫画にしか見えない訳で、こうした部分のファンの切り捨ては、酷評を甘んじて受けるしかないだろう。
評価が難しく人に薦めにくい漫画である。
漫画賞受賞は多分ダメだろう。
ギャグマンガとしては前半は超一流、後半三流である。ストーリー漫画としても、少年漫画としても、導入部は本当に素晴らしい出来映えである。ネタ切れか、意欲の減退か、連載の引き延ばしか、残念なことである。
取材力はあるし、構成力もある。何より絵は上手い。
特に美少女キャラの表現はかなりの実力だと思う。
OUT/二ノ宮知子
例によって職場で妻が拾ってきた。
イラストレーターのマコとヒモの歌ちゃんのドタバタ同棲コメディが数話と剣道もの読み切り1本。
可も不可もなく、といった内容。歌ちゃんがはちゃめちゃに引っかき回す謎の人物という事で、ほろほろと伏線を張っているのだが、短く終わってしまって無駄に、という感じ。
結構古く10年ほど前のもの。絵はのだめよりこっちの方が柔らかい感じで良い。
二ノ宮知子
OUT
イラストレーターのマコとヒモの歌ちゃんのドタバタ同棲コメディが数話と剣道もの読み切り1本。
可も不可もなく、といった内容。歌ちゃんがはちゃめちゃに引っかき回す謎の人物という事で、ほろほろと伏線を張っているのだが、短く終わってしまって無駄に、という感じ。
結構古く10年ほど前のもの。絵はのだめよりこっちの方が柔らかい感じで良い。