読んだり観たり聴いたりしたもの -106ページ目

ごくせん 5巻/森本梢子

突然現れた理事長が衝撃の閉校宣言。ヤンクミはそんな理事長を半分脅して、何かで日本一になれば閉校を取り消すと言質を取り付けた。なんだかんだ言って愛校心のある教師がそろっており、各自必死で取り組むものの次々と玉砕してゆく。さて、ボクシング部を立ち上げたヤンクミは…という話が前半。

展開が粗すぎて鼻白む。
個人的にはツボが外れているのでギャグとしても微妙。
ヤンクミのなりふり構わないやり方には共感できずに引いてしまう。お里が知れたという感じだ。

後半は、弁護士先生の話と、最後は慎の退学話の引きで終わる。

まあ、慎の話は少々気になるので次巻も読んでみようかと。


森本梢子
ごくせん 5巻

かけ算には順序があるのか/高橋誠

書評に挙がっていたので読んでみた。

どうにも趣味の合わない本であった。興味が持てないので、ほとんど流し読みで終えた。

小学校での算数の教育では、かけ算の式を立てる際に順序の約束事があるよ、という話である。

「6人の人に、一人4個ずつミカンを配ったら、全部でいくつミカンが必要でしょう?」

という問題を解く際、式として、「6×4=24」と書くと、バッテンをもらうという事らしい。
なぜなら、かけ算では、「一つ当たりの数 × いくつ分の数 = 全体の数」という考え方をすべきであると教育指導の指針があるからと言うものだ。この場合、4×6=24、と書かないと正解では無いというのだ。

この本では、そうした教育方針がいつ頃、なぜ生まれ、どのように引き継がれてきたかを追ってゆく。

が、残念ながら、個人的には、そんな事はどうでもいいだろうとしか思えなかった。

かけ算には交換則が成り立つので、6×4=4×6であり、どちらで式を立てても構わないはずだ。
それ以上の議論は暇人が重箱の隅をつつく以上の事柄とは思えない。

しかし、一昨年あたりwebで話題になったらしいので、こうして書籍がまとまったとの事らしい。

6×4という書き方を正当化するために、「一つ当たりの数 × いくつ分の数」になるよう変換する話など、よくもまあと思うような話題もあり、単に、「いくつ分の数×一つ当たりの数」という考え方を認めれば済むだけの話だろうと思わずにはいられなかった。むしろ、考え方をどちらかしか認めないという異常性に注目すべきだろう。

しかし、あの森毅まで順序にこだわっていたというのが驚きだった。意外である。

もう少し数学的な内容の話を期待したのに、算数教育論がほとんどで残念だった。


高橋誠
かけ算には順序があるのか

まだ科学で解けない13の謎/マイケル・ブルックス/楡井浩一

妻のお薦めで読んだ。

当然の事ながら科学では解明されていない事柄は多数存在する。むしろその方が多いだろう。しかし、人間は自分の見える範囲だけを見て、己の力を過信し、成果に安住しようとする。20世紀初頭、相対論と量子論が勃興する直前、世の科学者に、物理学は完成されてしまい、もはや落ち穂拾いしか残っていないと言わしめた雰囲気がそれだろう。
どんなに精緻な理論でも、それはあくまで現実の近似に過ぎないと言うのが科学の立場である。
一見異常と思える結果を、単なる測定誤差やエラーと見過ごすか、それとも変則事項(アノマリー)と見なし、そこから新しい見知を引き出すか。
科学の進歩はいつもこうした変則事項に対するブレイクスルーによりもたらされてきた。

この本は、気鋭の科学ジャーナリストが、そうした現代の変則事項と思えるものを13取り上げ、取材し、読みやすくまとめたものである。特に、幅広い科学分野から抜き出したテーマを順に関連づけて並べていく編集手腕にはなかなか興味深いものがある。
やや主観で先走った表現をするので、取り上げられたテーマの中には根拠をつかみにくいものもある点が残念だが、読み物としては非常に楽しく読めるだろう。書かれた事柄の真偽は読者が自分で調べて見た方が良い。


マイケル・ブルックス/楡井浩一
まだ科学で解けない13の謎

オプーナ オリジナル・サウンドトラック/ベイシスケイプ レコーズ

ゼノブレ、アークザラッド3と最近立て続けにゲームサントラを購入して、やっぱりいいな、としみじみ感じていた。
そうした思いに背中を押され、前々から欲しかったオプーナのサントラも購入。

ということで、私は仕事机で、妻はリビングで、早速リピートしまくっている。
何度聴いてもやっぱり良い。
SF世界のRPGであるオプーナの世界観に合わせた、テクノなアンビエントっぽいサウンドがベースであるので、仕事などでのながら聴きにもってこいである。
もちろんじっくりと耳を傾けるとゲームシーンを思い出して懐かしい。オプーナのゲーム自体について興味があれば過去のエントリを見て欲しい。

ボリュームの3枚組で、基本2ループ。短いウクレレ曲が3つ入っていてなんだこれと思ったら、やってないイベント曲みたいだった。そういえばウクレレの修行をしろって言っている人がいたな…。

また機会があればランドロールの世界を巡ってみるのも悪くないと思った。
続編が出ると嬉しいんだけど、たぶん無理だろうな。


ベイシスケイプ レコーズ
オプーナ オリジナル・サウンドトラック

Wii/Wiiで遊んでおきたいタイトル

2006年の12月、寒風吹きすさぶ中長時間並んで発売日にWiiを購入してから早5年が経過し、今年は後継機のWiiUが発売される。
WiiUはWiiソフトに関して上位互換を持つ事が発表されている。だから何も焦る必要はないのだが、区切りというか、整理の意味で、未プレイでかつプレイしたいと思っているWiiタイトルを、備忘のためにまとめた。タイトルはアイウエオ順で未発売のものは入っていない。★マークは所持して積んでいるタイトル。

  • WE CHEER
  • Wiiリモコンプラス バラエティ
  • ウイニングイレブン プレーメーカーシリーズ★
  • ウィングアイランド★
  • エキサイトトラック★
  • エレビッツ★
  • 大神
  • 朧村正
  • 影の塔
  • カドゥケウスシリーズ
  • GO VACATION
  • ゴールデンアイ 007
  • 斬撃のREGINLEIV
  • シェイプボクシング
  • スーパーペーパーマリオ
  • スーパーマリオスタジアム ファミリーベースボール
  • ソニックと秘密のリング
  • ダンスダンスレボリューション フルフル♪パーティー
  • ダンスダンスレボリューション ミュージックフィット
  • テイルズ オブ グレイセス
  • テイルズ オブ シンフォニア ラタトスクの騎士
  • 突撃!!ファミコンウォーズVS
  • バイオハザード4 Wii edition
  • パンチアウト!!
  • ビリーズブートキャンプ Wiiでエンジョイダイエット!
  • ファミリーフィッィング
  • ブーム ブロックス
  • Hula Wii 楽しくフラを踊ろう!!
  • 星のカービィWii
  • HOSPITAL. 6人の医師
  • MARIO SPORTS MIX
  • みんなのリズム天国
  • メトロイドプライム3 コラプション★
  • Rooms 不思議な動く部屋
  • レッドスティール2★
  • ワリオランドシェイク★

ところで、WiiUではWiiタイトルの互換はあるものの、GCタイトルの互換性については公表がない。8cmディスクの対応が明記されておらず、またNOAのレジーが互換はないと語ったとされている事から、互換がない可能性が強い。確かに製造とサポートのコストを考えるとGC互換を切る事はメリットがあるだろう。しかし全てのWii用機器が使用できると明記されている点を素直に解釈すると、GCコントローラーポートは残るはずである。GCコンの使用可能なWiiタイトルやVCの存在があるし、何より、マット系コントローラはGCコンポートを使用するからだ。もしGCコンポートを切れないとなると、GC互換を切ってもそれほどは製造コストダウンメリットが出ないのではないか。もちろん、全てのWiiソフトはWiiリモコンだけで操作できるよう作ってあるのでそれで対応してくれ、という態度を任天堂は取る事ができる。
いろいろ憶測できるが、結局は公式情報を待つしかない。WiiUがWiiの完全上位互換となる事を願うばかりである。そして、Wiiからの完全引越機能を搭載してくれる事も。そうすれば安心して完全にリプレイスできる。

Wii/ゼルダの伝説 スカイウォードソード/任天堂

という事でクリアしたので、色々書きたいと思う。

2周目はまだやってない。1周目だけだが、イベントは全クリアしたはず。命のメダル×2個装備でライフMAX20になるので、ハートの欠片も多分全て取ったと思われる。
プレイ時間は90時間弱。

まず、正直に言うと、事前の期待感の度合いによって内容の評価が変わってきてしまう恐れがある。
あのゼルダシリーズの最新作、というだけでハードルが上がる。
しかも、任天堂自らシリーズ最高の濃密ゼルダと喧伝し、各所のレビューも高い。
これでは、もし事前情報通りの内容だったとしても、それだけか、となってしまいやすい。期待を越えるから驚きが生まれるのであって、期待が上がりすぎてしまう弊害というものはプロモーションなどでももう少し考慮の必要があるかも知れないと感じた。

実際、このゼルダは誰にでも勧められるとても面白いゲームである、という事実に間違いはない。
ただ、この作品がゼルダシリーズの最高傑作ですか?という質問には素直に首を振れない自分がいる。
そしてそれは、そもそもゼルダって何なんだろうという、非常に個人的な印象が原因である。

ゼルダの初プレイは時のオカリナである。
このゲームには、造り込まれた箱庭世界を冒険して回る楽しさが満ちていた。突き放した(それでいて丁寧に見守っている)難易度のダンジョンを攻略する歓びもあった。この二つが自分にとってのゼルダの象徴だと思う。
次にプレイしたムジュラの仮面では、そこに、世界に息づく人々の確かさ、が加わった。風のタクトでは、一見簡単なアニメ調に見えるトゥーンレンダリングを採用したが、その実、グラフィックス表現は、凄まじい進歩を遂げていた。そのパワーで繊細に描かれる世界の確かな感触が素晴らしかった。だから一転リアル調に転じたトワイライトプリンセスでは、初め違和感を感じて残念だったが、組み上げられた世界を駆け回る楽しさはゼルダそのものだった。

スカイウォードソードは、こうした数多の名作の、しかもその美化された印象と戦わなくてはならい。
それらと同等程度の予想通りの内容では納得してもらえないのである。
ある意味不遇とも言えるが、美化された印象を補正する方法も、上がった期待を下げる術も無いのであるから仕方がない。
実際、かなりのハイペースでバリバリとプレイして90時間、ダレる事もなくあっという間に感じるほどのめり込んでいた、という事実は、客観的に見れば、過去のゼルダシリーズを大幅に凌駕する内容と規模を持った作品であったのだろうと判断できる。

喉に刺さった小骨は何なのだろうか。
一つは、謎解きである。
まず、ダンジョン攻略での謎全般がやさしくなっている。何をしたら良いのかどうしたら良いのか分からない、という謎が少なくなっている印象だ。ヒントやシチュエーションで、このアイテムを使えば良いのだ、とか、あの部屋へたどり着いたら良いのだ、という方向付けを早々提供してしまう。これが要らないお世話なのだ。とくにあからさまにファイが強制ヒントを出すシーンが多く、トワプリでのミドナでも同様だったが、「分かってるから言うな!」という気分にさせる。
初心者対策としての調整だろうが、折角シーカーストーンというヒントシステムがあるのだから、現場はもっと謎レベルの底上げをして欲しかった。
もしくはストーリー上の必須の謎はそれでも良いとして、クリアには必要のない上級の謎を配置して欲しかった所。
さくさく解けすぎてしまうと、その場は楽しくても、クリア後に印象に残らない。上記の旧作、とくに64系では小一時間悩んで試行錯誤し続けた謎とかザラであった。今作ではほぼ皆無。
とにかく謎の難度が低く、同じような仕掛けの繰り返しなので印象に残りにくい。
ボスバトルでの戦略性も薄れている印象。とにかく適当に攻撃していれば倒せてしまうし、やはりヒントが執拗で、倒し方が最初から分かってしまう。はい、あとはアクション頑張って、という作りは感動度が低い。やはり自分で見つけてこそである。
自称上級者なら2周目の辛口を楽しめばいいじゃないという意見もあるだろうが、謎は解法を見つけるまでが謎なのであって、アクション難度が上がっても興味が大幅に回復する訳ではない。
アイテムも、不遇のものがある。特に後半のパチンコは他のアイテムにお株を奪われてほぼ使用しない。これを謎解きにもっと活用するアイデアが欲しかった。

二つ目は、箱庭感だろう。
朝日が昇らない3Dゼルダの世界ってどうなんだろう、という事だ。時オカでの、朝日に向かって撃ての鮮烈な印象は10年経っても消えないし、風タクでの夜明けのジングルと朝の海の新鮮な空気も同様である。
スカイウォードソードでは時間経過がないのが非常に残念だと思う。
そして全てのフィールドが繋がった広大な世界、という印象がない。各所に散らばった3つの世界と、それを繋ぐ空という構造では、やはり手狭な感じがぬぐえないのだ。
空は空で、ロフトバードの飛翔感は楽しかったが、できればそこで流鏑馬をやりたかった所。

三つ目は、操作による演出の減少が気になった。
時のオカリナでは、文字通りオカリナの演奏がゲームのキーであった。新しい曲を覚えるたび、至る所で演奏しまくったものだ。スカイウォードソードのハープでは、折角曲を覚えても、活用の機会がない。演奏する場所は固定だし、勝手に覚えて勝手に使うので曲が印象に残らない。
このように、プレイヤーにわざわざ操作させることで一体感を高めるという、ゲームという表現の特権を放棄した作りが諸所に見られたので残念だった。
ネタバレであるが、ラストシーン、例のものを納める場面でも、ムービーではなくプレイヤーに操作させてこそ、自分でこの冒険を終えたんだ、という納得感、充実感が得られるはずである。それは一見小さな事であるが10年後の印象には絶大な差が現れるはずである。

最後は、バグである。
プログラム作成において、バグの検出と排除は統計的に管理されるものである事は常識だ。という事は、どんなにチェックに努めても、バグが残る可能性は完全には排除できないという事である。コンピュータープログラムというものは、今や人間が作成する工業製品の中でダントツに複雑な構造物だからだ。
だからゲームにも、特に昨今の巨大で複雑なゲームなら、通常細かなバグが多数あり、時に裏技と呼ばれたりもする。ある程度はプレイヤーもそうしたバグを許容するしある意味愛してさえいるだろう。
しかし、ゲーム進行を阻害し且つ復旧できないという、凶悪で致命的なバグについては別である。
このゲームでの勇者の詩イベントに関する致命的進行バグの発表は、とても残念で、まさかゼルダで、とショックだった。特にその発生条件が、ごく基本的であったことが驚きだ。シナリオ分岐でのバグはまず真っ先にチェックするような箇所ではないか。はっきり言って、開発管理体制を疑うレベルである。

とまあ、散々な書きようであるが、バグは別にして、これも最初に書いたようにゼルダ新作の宿命である。
単なる一つのゲームとして見た場合、もちろん名作と評するに値するゲームであるので、今度は良かった点を書いていこう。

上でも少々書いたが、やはり、バリバリプレイして90時間というのは普通に考えればかなりボリュームがあるといえるだろう。やらされ感の強い水増し要素がほぼ無くての数字である。ミニゲームやスコアアタックをそれほどやっていない状態でこれであるから、辛口を含めガッツリ遊び込んだら百二百は堅いだろう。

プレイ感を左右する操作性は、かなり良好だ。特にモーションプラスを活用したポインティング機能は精度がやや甘い点にイラッとする事もあったが、概ね楽で快適だった。アイテム選択メニューの使いやすさは特筆すべき点だ。そしてもちろん剣術戦闘の醍醐味を十分に引き出したアクション性の高いバトル、そしてその一体感は素晴らしい。

シナリオも良くまとまっており、ストーリーも感動を呼ぶに足るものであったと思う。ただ、ファイにもう少し幅があったならとも思った。キャラクターの造形もややフラットではあると思うが、それなりに個性的で味のあるものであった。特にヒロインのゼルダの描かれ方は情感に富んで鮮やかな印象。

これらの世界を織り上げる、水彩画調のグラフィックスも伝説の黎明期という世界観によくマッチしており、描き込みも素晴らしい。音楽もメインテーマなどはとても印象に残る。

エンディングの演出がまた気が利いていて素晴らしいと思った。

2周目をプレイするかどうかはちょっと迷っている。積みゲーが溢れている状態では時間的にキビシイかも知れないが、タイミングを見てやってみても良いかなと思う。


任天堂
ゼルダの伝説 スカイウォードソード

鋼鉄の華っ柱 1巻/西森博之

という事で、次なる西森漫画。連載中の作品である。

グループ50社を誇る資産家の御曹司、御前崎真道。ある日を境に、グループ企業は次々と倒産し、負債3兆円を背負って破綻した。父は逃亡し、何もかも失って世間の荒波に放り出されることになる。しかし普通の高校生以下の無一文の境遇ながら、真道には悲観も諦観もなかった。紳士としてのプライドを失わず、真っ直ぐ前を向いて彼は邁進する。全てをこの手に取り戻すために。
そして、彼と共に同時に無一文となった元守り役の高校生姉弟、朝涼と夏野、そして付いてきた爺の4人での奇妙な極貧共同生活が始まる。
というような話である。

本当の意味でのプライドとはなんぞや、というテーマが興味深い。

彼はプライドの高いお坊ちゃんだったが、全てを失ったあとでは、目的のためには平気でライバルに土下座もできる男だ。
しかも、心の中では決して誰にも屈していない。自分の将来の成功を信じ切って、その為に利用できるものならな何でも利用するのである。そう、あくまで紳士として。目の曇ったボンボンではなく、ちゃんと自分が見えているのである。

家賃を浮かすために曰く付き物件に入居しようとして、心霊現象を恐れた夏野が猛反対。真道は心配無用と舟幽霊を例に出す。底の抜けたひしゃくで騙される幽霊なんぞはバカであり、無害と断言する合理性には感銘を受けた。

非常に魅力的な主人公と設定で、早くも興味を釘付けにされ、続きが気になる所である。


西森博之
鋼鉄の華っ柱 1巻

PS3/ブロックス/ゲームロフト

ブロックスとは、4人対戦のボードゲームである。
各プレイヤーはそれぞれのカラーのブロックを21個ずつ持つ。ブロックは正方形が1~5マス繋がった形状であり、これを20×20マスのボードに順に1個ずつ当てはめるように置いてゆく。
ブロックの置き方にはルールがあって、まず他のブロックと重ねておく事はできない。また、各プレイヤーは四隅の指定の角に接するようにブロックをおいてスタートする必要がある。そして、すでに置いてある自分のブロックと、必ず角で接して、そしてブロックの辺では接しないように置かなければならない。誰も置けなくなるまで順に進め、置けたブロックのマス目の合計数が多いプレイヤーが勝ちである。
実物を一目見れば誰でもすぐに理解する事ができる簡単なルールである。しかしなかなか奥が深い。

名前と内容は以前から知っていたが、プレイした事はなかった。今度正月に妻の実家に帰省する際に義弟と対戦する事になったため、予習しようということで、DLしたのである。

できるだけ自分のブロックを多く置けるように、そして他のプレイヤーを妨害するように置いていくのが基本である。しかし、ブロックは必ず角で接しているため、囲碁で言うところの切り合いの形となって、他のプレイヤーはこっちの防衛戦を易々突破してくる。もちろんこっちもそう言う局面を虎視眈々と狙う訳だ。
手持ちのブロックが、そうした敵陣突破の形状にぴたりとはまった時の爽快感がよい。

こんな単純なボードゲームのビデオゲーム化である。ゲームソフトとしての作りは可も不可もなくと言いたいところだが、残念な点が多々ある。
まず、起動してからプレイできるようになるまで、延々待たせる。
これはPS3の洋もの系ダウンロードソフトに多く見られる悪い点だが、注意画面が延々と出て、ゲーム会社のロゴが出て、ようやくおもむろにロードが入って、タイトルが出る、というような作りなのである。もちろんスキップできない。テンションが低い時だと、途中でもうプレイを止めようかと思うほど長く感じる。

そして、このソフトではネット対戦ができるのだが、1台のPS3から1人しか参加できないのである。
なんでこういうアホな仕様のソフトばかりなんだろう。ゲームを作っているのは能無しばかりなのだろうか?
テレビの前に複数いたら、みんなでやりたいと思うに決まっているではないか。
レーティングや戦績の残るネット公式戦なら、インチキ防止のために複数は参加できないという仕様でも理解できる。
しかし、フレンドとのフリー対戦まで不可とはどういう了見なんだろう。
はっきり言って手抜き以外の何物でもない。
もちろん、こういうネット対戦の仕様の細かい部分は購入前に調べても分からないのが普通という異常な事になっているので、やむなく思い切って購入したのであるが、もしできないと分かっていれば買わなかったかも知れない。

ネット対戦物は、こういう地雷ばっかりである。

ミス・ポピーシードのメルヘン横丁/山本ルンルン

例によって職場に落ちていた。先日「宇宙のスワン」を読んで感銘を受けていたのですかさずゲット。しかし、2巻だけだった。まあいいかと、それほど期待もなく読み始めたら、素晴らしい作品で、矢も楯もたまらず1巻を注文。すぐに届いた1巻も読み、深い満足に包まれた。

まず、素晴らしいのがその線画のデザインの美しさ。スワンでは全ページカラーであったが、こちらはモノクロ。しかし、美しい曲線とフリーハンドの直線、そして大胆に貼られたトーンと思い切りの良いベタで精緻に書き込まれたコマは、作品世界の何とも言えない息づかいを湛えている。そのセンスにまず脱帽。適度にデフォルメしながら描き込まれた世界のファンタジックなリアリティの確かさ。例えば曲線で縁取られただけの白抜きで表現された煙草の煙。ポピーシードはしじゅう煙草を吹かしているのだが、煙草の先から煙が流れているコマと煙が出ていないコマが交互に描かれる事で、彼女の呼吸が分かり、そして即ち彼女の心理が手に取るように伝わってくるのだ。

さて、作品は、現代のようで現代とはちょっとだけ違う世界でのお話である。ヨーロッパのはじっこシトラス公国にて。服飾学校に通うために下宿を探したマーガレットは、家賃不要の代わりに雑用をするという条件で入居したアパートで、若い女性で家主のポピーシードと見た目はねずみの執事ベルガモットに出会う。じつはポピーシードは魔女なのである。ユーレイも住み着くボロアパートには変わった入居者も多く、騒ぎには事欠かない。

快活で人情家、テキパキ動くマーガレットに対し、いつもやる気の無さそうな、何事にも斜に構えたポピーシード。しかし、その実、胸の奥には熱い部分もあるのである。それをことさらに強調するのではなく、あくまで自然体に描くところが素晴らしい。

メルヘンというタイトルと絵柄から想像されるような物語世界やストーリー、テーマとは、若干異なる印象を受けるだろう。可愛くてほのぼのとしただけの作品ではない。むしろ、変で、毒があって、皮肉で、ある意味グロテスクでさえある。絵柄は違うが、雰囲気の方向性で言うと「うる星やつら」に若干似ているかもしれない。あちらが和のテイストなら、こちらは洋風である。
そんなブラックでかつある意味本来のメルヘンとも言える世界で紡がれる掌編の数々はウィットに富んだものもあれば、しんみりと美しい話もあり、幅広くメルヘン横丁として織り上げられている。

「ポピーシードのよろず相談所」では、母に逃げられ、極貧生活の末に詩人の父を亡くした貧相な女性が、生活費を稼ぐために細々やっているポピーシードの相談所を訪れる。母の手がかりが見付かるかも知れないから、唯一残された鍵から父の遺品を探して欲しいという依頼であった。写真の一枚でも見付かれば自分の存在の確かさを再認できるのでは、という希望である。魔法で探し当てたスーツケースには、父が逃げた母に出し続け、宛先不明で戻った手紙がぎっしりと入っていた。手紙には彼女の成長の様子と、そして愛の詩が。「なさけない…」と彼女は言う。「ほんとに バカ…」「死ぬまで母に 恋わずらい してたなんて…」困ったような安堵のような涙を流しながら手紙を読みふける彼女。すてきな結末だったねと漏らすマーガレット。しかし、これで終わらないのである。彼女は手紙を手記にまとめ出版して大ブレイク。ポピーシードとマーガレットが再度あった時、一躍大金を手にした彼女は、華やかなセレブとなり彼氏とプール付きの家を探していた。お父さんとの大切な思い出をこんな俗っぽい本にして売るなんて…、と残念がるマーガレット。しかし作品では、このしたたかさをポピーシードを通じて肯定的に捉えている。美化もしない。貶めもしない。

変であっても曲がっていても、それが自然であると、そのまま現実の肯定として描く姿勢は、スワンと同様である。

趣味のドールハウスに没入して現実世界での他人とのコミュニケーションを放棄し、「そっちの世界」に入れあげて、最期は独立記念日に孤独死した女性を描く「ミス・ウェンディ」も良い。彼女の幸福について問う訳ではない。否定も批判もない。ほんのりと暖かいまなざしでその特異な生き様を見送るだけである。最後のコマでポピーシードの「独立記念日おめでとう」というウェンディに向けた台詞の多重性はすごい。ウェンディという名前に込められた意味と合わせ、読者の気持ち如何でいかようにも解釈できるのである。

2巻では一転して人情ものが増える印象である。
借金返済に働きづめの母親の帰りをじっと待つ息子の夢を描く「キラキラナイトチョーク」。
亡くした母親の傷心から立ち直り継母と向き合う少女を描いた「ポポとルミエル」。
若き日の初恋の甘い思い出、そしてそれを手放してしまった後悔を人生の晩年にやさしく巡り合わせる「口笛は風にのって」。
どれもほろっと来ること必定である。特にルミエルは緊張感で張りつめた空気の描画と展開による感動が素晴らしい。口笛は結界師でも似たようなモチーフが合ったのを何となく思い出した。

残念ながら、謎の多くを残し、2巻で終了なのである。この世界で、もっともっと作品が読みたかったな。

山本ルンルン
ミス・ポピーシードのメルヘン横丁

3DS/いつの間に交換日記/任天堂

先日追加になった3DSの新ソフト。eShopより無料でDLできる。

これは一言で言えば、豪華版ピクトチャット+簡易うごメモといった位置付けのコミニュケーションツールである(あれ、そう言えば今気が付いたけど3DSにはピクトチャット入ってないな…)。

基本単色で手書きの絵や文字を書けるメモのような「日記」ぺージが作成できる。日記はフレンドを選択して、いつの間に通信もしくはすれちがい通信で送信できる。受け取ったフレンドは日記にコメントを書いて返す事ができる。まさに交換日記という訳だ。
日記はフレームを選べたり、3DSで撮影した写真を貼り付けたり、音声を添付したりできる。
また、日記は、ペンで書いた順番そのままにじっくりと描画再生され、いかにも今書いてますという雰囲気が面白い。

うごメモのようなパラパラ漫画は描けないが、4コマ漫画はいける。
ライブアートというと言い過ぎだが、あんな感じで、相手と自分と、そして作品、この3つが同じ空間を共有しながら変化していくような微妙なニュアンスの表現は新しいと思った。
クローズドなコミュニケーションツールという位置付けであるので、不特定多数に作品を公開できない点が惜しまれるが、ライブ4コマというのはかなり可能性があると思う。

まあ、それはさておき、普通の交換日記としても楽しめるし、3DSにやっと搭載された、やや特殊なメーラーと考えても良いだろう。家庭に3DSが複数台あるならぜひ導入すべきである。