日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -45ページ目

「時の流れ」

薄暗いキッチンから、洗面所の窓を眺めてた。

何の木だったのだろう。

枝と葉が揺れている。


僕らがここに越して来たときから、その木はそこにあって、

洗面所に丁度いい木陰を作ってた。



僕はふと思う。


現在。

過去。

未来。


そんなものは実は無く、

すべてが同一線上に並んだ、何の意味も無い、

くだらない事象なのじゃないかと。


過去から現在へ。

そして未来へ。


そんなこと、誰が証明出来る?



すべては同時に起こってるんだよね。



でないと、



この理不尽な世の中を、

理解することなんて、

到底出来はしない。


そうさ。


すべてが同時に始まり、

そして、


終わってる。



それで、すべてが理解出来るのさ。

小説 猫と女 第四話

前回までのあらすじ。

猫を探しに突然女がやって来た。
いきなり僕の部屋に上がり込む女。
冷笑を浮かべ、僕を見下す視線。
しかし、そんな視線に言いようの無い心地よさを感じる僕。
この女は、はたして暴力的なビデオに出演していた女なのか。
僕は女を、女として意識し始めていた。



猫と女 第一話

猫と女 第二話

猫と女 第三話


新見美和は僕の上にまたがり、僕のものを飲み込んだ。
始めてそうなったとき、僕はそれだけで果ててしまった。
そのとき、新見美和は僕のことを蔑むことも無く、優しく抱きしめてくれた。
これで何回目なのか。
新見美和は当たり前のように僕の部屋にやって来て、僕と体を重ね、冷蔵庫を開けて何かを食べて、帰って行く。
時には食べ物と酒を携えてやってくるときもあった。

猫は何度も僕の部屋に戻って来ては、新見美和が連れ帰り、そしてまた戻って来た。

その度に僕は、新見美和に弄ばれる。

いや、僕は快楽に恍惚とし、新見美和が現れるのを心待ちにするようになっていた。
猫のおかげなのか?僕は心から猫に感謝していた。
新見美和の行為は、いたってノーマルだった。
すべての行為が新見主導で行われる以外は。

それはキスから始まり、全身を愛撫される。そして一つになる。
僕はただじっとしているだけだった。
新見がアダルトビデオに出演していたという疑惑は、もう抱いていなかった。
しかし、僕はあることを期待していた。
新見美和に、痛めつけられながら、果てることを。

その日。僕が帰ってくると新見美和は既に部屋にいた。猫を抱いて何か話しかけているようだった。
キッチンにはスーパーの買い物袋が二つ置いてあった。

僕は美和の様子が何か少しおかしいと思った。
よく見ると、

美和は、猫に話しかけながら、泣いていた。

「ねえ、知ってる?」

「何ですか、美和さん?」

僕はいつだってこうだ。彼女を呼び捨てになどできなかった。いつもさん付け。
ほんとうに、情けなくなってしまう。しかし、それが心地よかった。
彼女は涙を隠そうともせず、頬に伝うがままにして、僕の方をみてこう言った。

「猫って………」

猫は美和に頭を撫でられ、ぐるぐると喉を鳴らしている。
その音が、僕にもはっきりと聞こえた。

「自分が死ぬ姿を人に見られたくないのよ」

「え?」

「だってそうでしょう?死ぬときは猫だって人間だってひとりなの。そのことを猫はちゃんとわかってる」

「………」

「だからジュン。この子が年老いて、その時が来たら決して家にとどめて置かないでね。ちゃんと外に出してあげて」

「それは僕じゃなくて、美和さんがそうしてあげればいいじゃないですか。美和さんの猫なんだし」


美和は悲しげに笑い、僕の元にやって来て唇を重ねた。
僕は母親に手を引かれる子供のようにベットに導かれ、

服を脱ぎ、
下着を脱ぎ。
それから。

いつもなら、そのまま僕の上にまたがる美和が、その日は先にベットに入った。
僕はどうして良いかわからなかった。
美和が手を差し伸べる。
僕は美和の隣に体を入れてキスをした。
僕が体を重ねると、美和は何処に隠していたのか、スカーフをとり出した。
僕ははっとし、鼓動が倍の早さに跳ね上がるのを感じた。
体全部の血が、下半身に一瞬にして集まってしまったかのような。
ついに、美和は本性を現したのだ、と僕は思った。

僕は心の中で歓喜した。

このスカーフで僕を縛るつもりに違いない。

僕が望んでいたこと。

新見美和に、あのビデオのように痛めつけられることを。

しかし、それは叶わなかった。

美和の濡れた唇から出た言葉は、僕の想像を超えるものだった。



「ジュン」


「………」




「わたしを縛って」


「黒い神様」 第一話

死ぬ意外に考えられなかった。

苦しみから逃れるため?
それとも、
本当の苦しみを得るため?

夜の街を彷徨いながら、俺は夜空を眺める。
完全な闇ではなく、町の灯りを薄汚れた大気が跳ね返し、微かな緑色に染まっている。
食欲は無かった。
しかし、まだ痛みに襲われる事もなかった。
黄疸が出始めている。
本当の苦しみはこれからだろう。
財布の中身は減る一方で、決して増える事は無かった。

俺は財布の中身をあらためた。
二千十五円。

半年前に肝臓癌に罹り長期病欠。
会社を解雇された。
おまけにそんな俺を置いて、妻子は家を出て行った。
一ヶ月後、離婚届が郵送されてきた。
金がなく、病院へ通院する事も出来ず、ひとまず食肉加工会社でアルバイトをしたが、そこも解雇された。


通り過ぎる人々。
親子連れ。
若者。
老人。


俺の目の前を、台車に荷物を山積みにした浮浪者が通り過ぎて行く。
ゴミ箱の前で停まり、中を漁り始めた。手にしているのは空き缶だった。
俺には浮浪者になる選択肢も無かった。
まもなく癌が進行し、どうにもならなくなって、あの世行きだからだ。
しかも、入院する金すら無く、頼る親類も無く、病院で静かに死を待つ事も出来ない。
街を彷徨いながら死に場所を探した。
繁華な街の中で、自殺を遂げる場所など何処にも無い。橋の上から川へ飛び込んだとしても、誰かに目撃され通報されたら?
もっとも、入水自殺はごめんだった。最も苦しい死に方だと、何かで読んだ事があったからだ。


飛び降り自殺。
首つり。
薬物。


考えるだけで、それらはあまりにもリアリティーを欠き、かけ離れた世界の寓話のように思えた。
それは、俺自身まだ生きたいと思っているからなのか?

気が付くと俺は、友人のアパートの前に立っていた。
友人は、俺を部屋に招き入れ、水割りを作り差し出してくれた。
ついこの間まで、病を克服してやろうとがんばってみたが、もうどうでもよく、今や酒を飲む事に抵抗も無く………。
最後の酒になるのか、と何となく思いながら、俺はちびちびと水割りを舐めた。

「袋小路。八方ふさがり。とにかく打つ手は無いな」
「俺に出来る事は?」
「こうして、話し相手になってくれているだけで十分だよ」
「………」

友人は一度天井を仰ぎ、ため息をつくと、ゆっくりと立ち上がり台所に消えた。
戻ってくると、新しいウイスキーのボトルにオイルサーディンの缶詰を抱えてた。

「なぜ………」

俺は黄色くなった手のひらを見つめながら呟いた。

「ん?」

「何故俺だけこんな目に遭うのか、といつも思ってた」

それから、ほとんど話す事もなく、俺たちは水割りを飲み続けた。
新しいウイスキーのボトルが半分ほどになった。

アルコールが体を駆け巡り、視界がまわった。
友人を見る。
そこにいたはずの友人は、黒い影のように見えた。

その直後、俺は絶句した。

一瞬にして友人の体がドロリと溶解し、飛沫を上げて床に落ちた。
友人の座っていた辺りに、赤黒い液体が広がり微かに脈打っている。
その液体がゆっくりと移動し一つに収束する。
大きな黒い固まりになり、脈打ちながら徐々に膨張していった。

人の形だった。

光を吸収して、何も跳ね返さない暗黒。

「なんてこった」

目の前の人の形をした黒い固まりは、頭に二本の角があり、背中には黒い翼が生えていた。
俺は頭の中で、悪魔だ、と呟いた。その言葉は目の前の異形のものに届いたようだ。
そいつは俺にこう言った。


「おまえ、俺の事ちゃんと見てるの?俺、神様なんだけど」
「神様?」
「あたりまえじゃん、なんか勘違いしてるんじゃねえの?」
「………」


俺は飲み過ぎたのだろうか?酔って幻覚を見ているのか。それとも、酔った挙げ句に眠ってしまい、今は夢の中にいるのだろうか?
目の前のそいつは、またもや俺の心の中のつぶやきを聴いたに違いない。
即座にこう返して来た。


「だからさあ、これは現実なんだよ。すべては俺の仕事なんでね」





~第二話に、続く。

第二話はこちら