小説 猫と女 第三話
前回までのあらすじ
寂しい僕と、
はぐれ猫との生活。
ある日猫は、女を連れてきた。
酷薄は冷笑を浮かべ、女は猫を連れ帰る。
女は淫猥なビデオに出演しているのか。
「僕」はレンタルビデオ店で、女に瓜二つの女優を眼にする。
僕は女が出演しているビデオを、ひとつ借りてきてプレーヤーで再生した。
残虐なシーンの連続だった。
女は男につばを吐き、殴り、陵辱した。
下品な言葉で、男を徹底的に罵っているのだが、なんと男は恍惚とした表情で、うめき声を上げていた。
僕は、アダルトビデオの本来の使用目的を達成することは出来ずに、DVDをプレーヤーから取り出した。
とんでもない女だ、あれは。
僕は戦慄した。
もちろん演技であると、考えられないこともないが、女の冷淡な表情からは、とても演技とは思えない真に迫った迫力があった。
「嫌だな、こんな目に遭うのは」
僕は苦笑して、レンタルDVDを返却用の袋に放り込み、立ち上がった。
こんな変態じみたビデオなど、一刻も早く返却してしまいたかった。
上着を着込み、玄関に向おうとしているとき、チャイムが鳴った。
新聞屋の集金か。
そう思い、無造作に玄関を開けると、僕は飛び上がるほど驚いてしまった。
なんと、
女が、片側の口角を僅かに上げ、冷笑していた。
「猫、ここに戻ってなくて?」
「……」
僕が唖然としていると、女は首を伸ばし、部屋の中を眺め回した。
「あっ」
僕は思わず声を上げてしまった。
女の目が、DVDの収められた袋に向いたからだ。
女は僕を押しのけるようにして、さらに体を半分、無理矢理玄関にねじ込んできた。
女の胸が、僕の腕に触れた。
「猫、戻ってきたの?」
すぐ目の前に、女の顔があった。
呼気が顔を打つ。
成熟した女の香りなのだろうか。
甘い匂いがした。
「いいえ、戻ってませんよ」
「ほんとうなの?」
「ええ」
「なら、あがって探しても、よくて?」
「あああ、いや、それは……」
僕がうろたえると、女は僕を押しのけ、靴を脱いで、部屋に上がってしまった。
「ななな、何するんですかあ」
女はトイレやクローゼットを開け放ち、猫の存在を確認して廻る。
僕は、あっけにとられたが、とっさに女を追いこし、汚れた下着などが放置してある籠を取り上げ、女の目に晒されるのを防いだ。
女の視線の先を、追う。
女の視線が、一箇所で凝固した。
洗濯物よりも、それを、片付けるべきだった。
僕は、頭から血の気が引いてゆくのを感じた。
女は僕の変化に気付いたのだろう。
冷淡に笑い、DVDの袋をつまみ上げ、ゆっくりと開いた。
ビデオには題名と、出演女優の名前が記されている。
今度は、僕の方が、女の驚く表情を観察する番だった。
「あなた、こんなもの観ながら、大事な青春期を、無駄に過ごしているわけね?」
予想と反して、女はなんの反応も示さず、平然と言ってのけた。
女の蔑んだような視線が、僕を射貫く。
たまらなかった。
「あの、このビデオの……」
女は、僕が言わんとする言葉を遮り、何か嫌なものでも見るかのような視線でこういった。
「変態ね。こんなものを見ているなんて。あんたそういう趣味なわけ?」
ビデオのタイトルは、内容を容易に想像できるものだった。
「ち、違いますよ!」
女の顔が近づいてくる。
眼は半眼で、軽く開いた口から白い歯が覗いていた。
さらに顔が接近し、唇をすぼめ、目が閉じられた。
「ちょっ、あっ……」
背中に無数の芋虫が、ぞろぞろと這い上がるような感覚。
これは、快感、なのか?
鼻と鼻が触れあうくらいに接近すると、女はいきなり目を開き、声を上げて笑った。
「馬鹿ね。からかってみただけよ。童貞君」
僕は顔を赤らめ、顔を伏せた。
視線の先に、むき出しの、女の大腿部が見えて、視線を女の顔へ戻す。
「猫が戻ったら、連絡してくれるかしら?」
女は、名前と携帯の番号だけ書かれた名刺を僕に渡した。
当然といえば、当然なのか。
DVDに記されている、女優の名前とは、違っていた。
「新見美和、さん?」
「そうよ、よろしくね。あなたの名前、まだ聞いてなかったわね」
「長倉、です」
「下の名前は?」
「純一」
女はその後、すぐに帰った。
ビデオの中の女は、この新見美和と名乗る女ではなかったのか?
世の中、似たような顔の女がいても、不思議はないだろう。
しかし。
僕は、放心したまま、新見美和の微かな残り香に、陶然とし、身動きが出来なかった。
やっぱり、別人だよな。
僕は自嘲しながら家を出た。
DVDを返却するために。
そして。
二日後、猫が戻ってきた。