Gon のあれこれ

Gon のあれこれ

読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

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突然降って湧いたように過去の傷が浮上する。

それは自分の人生だけでは無く、自分が胎内で育んだ生命の人生にも関わるのだ。

その傷は、自分の体面を保つために秘密にし、秘密にするがゆえに

それを糊塗するために嘘で塗り固めたものでもある。

 

この「秘密と嘘」は1996年カンヌ映画祭で最高賞パルムドールと

ブレンダ・ブレッシンが主演女優賞を受賞、ジャン=バプティストが

助演女優賞にノミネートされた。

 

このような評価を得たことを理解するためにいくつか考えてみる。

 

イギリスは国王を頂点とする階級社会で、貴族、中産階級・ブルジョワ

労働者階級に区分される。勿論中産階級と労働者階級とは教育などによる

階級間移動もある。労働党党首はサーの称号を持つが労働者階級の出身で、

オクスフォードを出た後、法曹界で検察局長官を務めた事による称号だろう。

労働者階級の下はわれわれ東洋の黄色人種や旧植民地出身の大抵は黒人。

偏見と差別に晒されている者たちだ。

メーガン妃に対するバッシングの凄さを考えてみるとそれがわかる。

 

幼くして母親を亡くしたシンシアはすぐ父親や弟の世話をする羽目になり、

ずっと独身だが婚外子の娘ロクサーヌと同居し、父親の死後工場に勤めている。

ロクサーヌはもうすぐ21才だが市の清掃員で、恋人は足場作業員。

弟のモーリスは写真館の経営者で結婚式の写真を主な柱に裕福な暮らしをしている。

子供は無く、実は妻モニカは不妊治療を受けているが夫婦以外には秘密である。

 

シンシアにはロクサーヌに隠している大きな秘密があった。

それは16歳の時最初の婚外子を出産し、その子を抱くことも無く養子に出したこと。

 

一方その子は中産階級の中で成人し、大学教育を受けて検眼師になっているが、

養父母の死後、遺品の中から実の母親と養父母との間に交わした約定を発見する。

その娘ホーテンス・カンバービッチはシンシアの住所を確認し、電話をする。

驚いたシンシアは取り乱すが、会いたいというホーテンスに断り切れずに会うことを承知。

地下鉄の駅で待ち合わせする。

 

が、目の前に黒人の娘がうろうろするが眼中に無い。

ホーテンスのファミリーネームは由緒ある白人の名前だから、シンシアはてっきり

白人とばかり思い込んでいたのだ。

もう一つは、出産時に嬰児をろくに見ていなかったことがある。

ふたりは会うようになり、シンシアの心境は変化し、むしろホーテンスを誇りに思う。

一方ロクサーヌの21才の誕生日パーティを弟モーリスが主催することが決まり、

ホーテンスにそれに出席しないか、と誘い、モーリスの許可を得る。

 

無論シンシアはホーテンスが自分の最初の婚外子であることを皆には隠しており、

ホーテンスが玄関に立ったとき黒人であることに皆が驚く。

ロクサーヌはホーテンスを含めて皆からプレゼントを受け取り、日頃に似合わず素直に

楽しんでいる。ホーテンスは自分の事が秘密にされたままの状態に気分が落ち込んで行く、

母親のシンシアもホーテンスの心中を察し追い込まれてゆく。

 

そしてホーテンスとシンシアの二人の心の共鳴が深まり、シンシアの感情が爆発し、

過去の真実が明るみに出される。

 

われわれは私秘性(プライバシー)をもち、それが尊重される。

私秘性は個人の尊厳にかかわり、それを他人に暴露されることを好まない。

その秘密は国家が握ると、個人に対する脅迫手段ともなり得る(マイナーカード)

 

しかし、今ここでの会話の中で、秘密が隠されていることで、

真のコミュニケーションが阻害されることもある。気まずくなり場に入り込めないのだ。

その秘密を明るみに出し、共有することで、関係が深まり親密度が増すこともある。

 

このプロセスの中で、ロクサーヌの父親についてシンシアから明かされる。

そしてホーテンスが「私の父親はどんな人だった」とシンシアに尋ねたとき、

シンシアは泣きながら、それだけは勘弁して、とホーテンスに謝罪する。

 

私秘性で全てが明るみにされない。しかし賢いホーテンスはそのことを

受け入れた上で、シンシア、自分、ロクサーヌの関係を新しく作り上げて行く。

 

「それだけは勘弁して」というシンシアに言わしめたものは、私秘性と、

イギリス社会に潜む黒人に対する偏見や差別である。

偏見や差別は明るみに出さなければ闇から闇に葬られ、問題は潜行し持続する。

この映画はその偏見を明るみに出し、可視化しようとした。

しかし可視化することで即解決に直結するほど簡単な問題では無い。

たとえばアメリカのオバマ大統領の8年で、黒人に対する偏見差別が解消したわけではない。

むしろそのことが白人至上主義者を刺激し活性化した面があり、トランプがそれを利用した。

アメリカ社会では黒人が自由に息を吸えるのはスポーツと芸能の社会である。

バイデンもオバマの築いた礎石の上に何とか2歩目を、と懸命の努力をしている。

そこに異国ながら希望を見いだすことが出来る。

 

さて映画に戻る。

ここに至るまで、シンシアは究極的に自分しか出来ないことを為し、

弟のモーリスも自分が役割を果たすべき時に果たす。

モーリスはホーテンスに向かい「あなたの勇気をたたえる」とリスペクトし

それを機に皆はホーテンスを受け入れる。

何事にも為すべき時に、為すべき事があるのだ。

(追記2参照:旧約コヘレトの言葉3章、新共同約1036-7)

 

映画としてシンシアの真情が出来事を大きく動かして行くが、

その真情の奥底は何だろうか?

哺乳類の雌は雄の精子で受精し、数ヶ月胎内でその子を宿して命を育む。

胎内で確かに生命が動いている実感。

出産すれば授乳してさらに生命が力強く育って行く。

そうした実感がその真情の奥底にあるのではないか、

それに通底してシンシアには、嬰児のホーテンスを胸に抱き授乳しなかった

悔いが真情の奥底に一層強くあるのだろう。

と雄の私は確証の得られない想像をするのである。

 

 

追記1:英国の現首相スナクはヒンズー教徒で、インド由来である。

両親はインド洋に面した東アフリカ(現ケニア)でイギリスの現地黒人の支配を

黒人を以てする、という植民地経営から、イギリス人の代理支配層としてインドから渡った

ものの後裔なのだろう。スナクはオクスフォードで哲学・政治・経済を学び米国のフルブライト

奨学金でスタンフォードでMBAを取得し、そこでインドの大実業家の娘と出会い結婚。

まあバリバリのエリートと言ってよい。

ボリス・ジョンソンのもとでナンバーツーの財務大臣を勤め最後はジョンソン政権崩壊の

引き金を引いた。その後2022年の保守党党首選挙で白人女性リズ・トラスと争い敗戦。

そのトラスの辞任を受けた党首選挙で対立候補がなく無競争で党首に就任した。

トラスとの選挙期間中、スナクが黒人である事で抵抗があったことが度々報道された。

いまも黒人に対する偏見は根強くあるとおもう。

しかしその彼も今の英国民の今の苦境を救うことが出来れば、評価は変わってくるだろう。

インフレやNHS(ナショナルホスピタリティシステム)などハードルは高い。

しかし偏見はなくなって欲しいものだ。

 

追記2:参考のためにコヘレトの言葉を抜粋する。

 

何事にも時があり、 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

生まれるとき、死ぬとき。

殺すとき、癒やすとき。

破壊するとき、建てるとき。

泣くとき 笑うとき。

嘆くとき、踊るとき。

求めるとき、失うとき。

黙するとき、語るとき。

愛するとき、憎むとき。

戦いのとき、平和のとき。

 

名声は香油にまさる。

死ぬ日は生まれる日にまさる。

悩みは笑いにまさる。

顔が曇るにつれて心は安らぐ。

 

この空しい人生の日々に、

わたしはすべてを見極めた。

善人がその善ゆえに滅びることもあり

悪人がその悪ゆえに長らえることもある。

善のみ行って罪を犯さないような人間は

この地上にはいない。

 

追記3:Filmosophy  Daniel Frampton 2006 Wallflower press より。

映画「秘密と嘘」は上記の最終章「Conclusion」において取り上げられている。

Film Phylosophy は既に定着して久しい用語だが、映画のテーマ、状況設定、

対話やナレーション、あるいは結末などを、たとえばハイデッガーやメルロ=ポンティ、

ウイトゲンシュタイン、映画論を書いたカベルやJドゥルーズなどを活用して分析する。

フランプトンは、われわれの眼前に広がる画面の中の世界を、われわれの世界の鏡として

ではなく、それ自身独自の世界として思考する。それをFilmosophy と名付けている

と理解しているが、「秘密と嘘」が、キャラクターが座れば映画も座り、同じように動く。

場面の展開も、急なクローズアップやジャンプカットなどをせず、見る我々の心に添って

動く。その共鳴がわれわれの知ー思考を深める。と概略主張する。

これに関して付け加えれば、各キャラクターの演技に誇張やムリが無いことが、

見終ったあとのすがすがしさに繋がっているとおもう。貴重な体験だ。

 

参考:同じマイク・リー監督とティモシー・スポールによる映画「ターナー」

のブログを以下に貼ります。

 

このターナーの姿勢、モーリスが記念写真などを撮るときに似ていますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アメリカの夜」というタイトルは、昼間カメラのレンズにフィルターをつけて

夜のシーンに変換する、多分フランス映画界の独自用語。

英題では「Day for Night」。邦題には「映画に愛をこめて」と副題が付いている。

 

この映画は端的に言えば自らシネフィル(映画狂)であったトリュフォーが

われわれ映画愛好者に向けて、ロケ現場の様々な出来事、なかには愛とセックスも

あり、映画監督を始め猫の演技?に苦労する小道具の役なども登場し、映画製作の

徒然を見せてくれる。Day for Nightもそうだが、映画を撮る時のいろいろなトリック

まで披瀝し、極めつけはトリュフォー自身が「フェラン監督」として出演する.

まことにサービス精神に溢れた映画だ。

 

そのせいか、1973年のAFFではテリーの「Badland」やスコセッシの

「Mean Street」より映画ファンの喝采を浴びたらしい。

 

よってあらすじがどうだの、あのシーンの意味はこうだの、、

などといった詮索は抜きにして、

先ずは楽しめ!

というのがトリュフォーのメッセージだと思う。

 

トリックの手始めは、

向かいの建物の男女と、同じ高さの階の部屋から会話しているシーン。

実はこちらの側は、仮枠に設けられたフレーム外は何もない部屋。

女優は時々こちらを見て部屋内の男性と対話している「フリ」をしているのだ。

他にも外は雨、の部屋の中のシーンを雨と見せかける方法もある。

 

余談だが、「映画製作」とは「先行投資」である。

封切り前に出演料や機材やスタッフの人件費などのかかった全費用、投資額を、

興行権の売却などで回収するために、デモンストレーションをして

なるべく高く買ってもらう。

もちろんその中には外国の映画配給会社も含まれる。

だから各国の映画祭カンヌもNYFFも勿論、「投資回収の場・プロモーションの場」なのである。

勿論「投資額」は少ない方が回収しやすく、当ったときの儲けも大きい。

この映画でトリュフォーは別の映画のセットをそのまま借りて撮影し、省投資に努めている。

またトリュフォーは日本を含む海外の批評家達にインタビューには快く応じ、

あれこれと便宜を提供し、丁寧に接している。(トリュフォー最後のインタビューは好例)

それもまた、自分の映画の評判を高めるための涙ぐましい努力なのだ。

ついでだが、マリックの「Badland」は30万ドル、スコセッシの

「MeanStreet」は50万ドルと安上がりで制作している。

 

次は監督が、主演女優に演技をつけているところ。

監督は女優の「親密距離」つまり男女であれば、恋人や愛人など肌を合わせた者同士で

あってはじめて抵抗ない距離にずけずけと入り込み、身体の一部を触れ合っている。

この関係性がしばしば監督と女優の実際の親密感をもたらし、一時的であれ

愛人関係であれ結婚であれ実際の親密な関係をもたらす。

トリュフォーもジャンヌ・モローやカトリーヌ・ドヌーブと秘密の関係を

もった、と言われるし、ベルイマンは監督として女優との演技での接触が

その後の関係に発展したことを自伝で告白している。

 

余談だが、トリュフォーは主演女優のジャクリーヌ・ビセットに興行収入の

20%提供という気前のよい契約をし、ビセットと共にアメリカ国内をセールス・

プロモーションで一緒に旅行し、カリフォルニアではビヴァリーヒルズホテルと

ビセットの邸宅に交互に泊まっている。

不実、といえばその通りだが、それはドンファンの所業というより

「誘惑したい、愛されたいという欲求がはるかに強い。行きずりの相手、仕事仲間、

外国の記者、あるいはプロの女性達、、そして何よりもまず、自分の映画の主演女優

みんなだった。まず映画を愛し、監督として、自分の作品に起用した美しい女優達を

愛することで彼の人生は楽になった。それは何よりも子供時代を永続させる方法だったのだ。

女性は母親であり、お人形さんであり、婚約者であり、、」なのだ。

(フランソワ・トリュフォー)原書房416p他

母親の胸元が恋しいときに引き離され、多分乳幼児の時代の不安と恐怖を、その絶望感を

埋め合わせて行く切ない気持ちの表れなのだ。

 

もう一つ映画ファンのために付け加えなければならないのは、この映画を機に、

ゴダールと修復不能なケンカをしたこと。

これについては、以下のブログで述べたからここでは繰り返さない。

 

ところで、この映画はドキュメンタリー風なところが随所にある。

冒頭のトリックを公開している点もそうだし、ビセットに演技を付けるシーンも

そうだ。トリュフォー映画のスタッフ達が役名はともかく自分のいつもの職務で出演している。

トリュフォーも「フェラン監督」となってその部分は(虚)だが、監督としての

振る舞いは(実)である。トリュフォーは準備に実に細かいところまで気配りし、

きめ細かに演技指導し、スタッフ同士の人間関係をよくする事に腐心する。

それは実際トリュフォーはそのような監督だ、と観るものに伝える。

あるいはこう言ってもよい。

「ある若者が父親に婚約者を紹介したところ、父親がその女性と恋に落ち

一緒に出奔してしまう」という映画の中の唯一の筋について

それぞれの役者が演技(虚)する部分以外は、(実)なのだ、と。

 

この一風変わった虚実皮膜もまた、この映画の魅力と言ってよいだろう。

だから、ゴダールはトリュフォー(フェラン監督)が精神不安定なレオ(アルフォンス)

に助言する、その内容を(実)だとみなし、それに激怒したのだ。

つまり ゴダールもまたその虚実皮膜のワナにまんまと嵌ったのだ。

そこがなんとも愉快だ。

 

 

 

 

 

 

 

花粉飛散のシーズンを迎え、症状悲惨にならぬ前に、と出かける。

ウイーンのオーストリアギャラリーでシーレやクリムトを鑑賞したのは

1999年9月だから、概ね四半世紀前、しかも当時はレオポルド美術館は

存在しなかった、ということもあって都美へ。

 

展示はシーレのみならず、ウイーン分離派の画家達、クリムトやココシュカなど

の絵も展示されているので、何となく世紀末ウイーンの新進気鋭の画家達の

意気や興奮が伝わってくる。

 

さて例によって今回も3点取り上げる。

「頭を下げてひざまずく女」と題するシーレ1915年の作品。

 

ご存じのように、1890年ウイーン郊外の鉄道官舎で生まれたシーレは

画才を励まされ、援助も受けた師クリムトを失ったのは1918年2月。

その年の秋10月、妊娠中の妻エディットがスペイン風邪にかかり

シーレの徹夜の看病も実らず亡くなって、自分も感染し三日後に亡くなった。

前年にはアムスやコペンハーゲンの展覧会に自作を出品し、これから、という時の

28才の余りにも悲劇的な死であった。

 

シーレの作品は、自己の有り様をむき出しに提示した自画像と、性器特に女性の

性器に対する執着が生々しい裸体画で印象が深い。

上の作品は長年のモデル ヴァリーと別れて、エディット・ハルムスと結婚した頃の

作品であろうか、相変わらずのエロティックな中にも少しやわらかさが出てきたかな、

と思う。

エディットはシーレのアトリエの向かいに住む、フランス語も英語も堪能な

ブルジョワ娘であった。

しかしシーレは1915年6月の結婚式の4日後に徴兵されプラハに赴く。

幸い上官が芸術に理解があり、プラハで短期の訓練を受けた後、ウイーン近郊

での監視業務や事務の仕事をする職務を与えられた。

シーレの人生の中で始めて安逸な生活が訪れ、そのせいかこの時期作品も少ない。

 

次の絵は妻エディットである。

 

下から画家を見上げる視線はまっすぐでゆったりとした着衣のせいか、

若妻の雰囲気が漂う。やわらかさは上腕から手に至る円い形、

少し頭を右に傾げたポーズから来るものなのかも知れない。

しかし特筆すべきはわずか8年前後でかくも女性像が変化したことだろう。

 

今回の展示会の興味は、若くして夭折したシーレが、もしその後も絵を描いていたなら

どんな方向性だろうか、と言う 解が難解な点にもあった。

それ故に彼にとっては晩期の絵を2点取り上げたが、二つの絵から推察するに、

やわらかな線に象られた絵が自然な方向性であるように思える。

そして画題は人間の実存的不安を抽象的に追求したものになるだろうか。

ムンク 生命のダンス

 

あるいは生の喜びに満ちあふれた絵を描くのかも知れない。

そしてムンクのように日々の糧のために依頼されて

肖像画をたくさん残したかも知れない。

 

最後はオスカー・ココシュカの「裸体の少女」である。

この絵はシーレの風景画の展示室の次にあり、ざっと全体を見渡したとき、

最初に目を引いた絵である。

1886年生まれのココシュカはウイーンで育ち、クリムトと同じ工芸学校で学んだ。

シーレの4才年上の彼は詩人であり劇作家でありその内容はシーレに劣らぬ

スキャンダラスなもので、彼には「シーレは自分のマネ」と考えて居た節もある。

 

この絵は彼の展示室に入って真っ先に目をひかれた。

正面から、というより少女の視線の先、左側30度前後のやや遠くから見ると、

少女の目が光る。

その光を、適当な例を引くことが出来ないので、おなじココシュカのネコの絵を貼る。

人間の目はネコのようには夜目が利かないが、その動くものを捕らえる点において

人間とネコは同じ能力があるそうだ。

(参考)

(5両眼眼球運動の項)

 

19世紀末の絵画は印象派から表現主義へと変化していった。

それはざっくり言えば絵画のパトロンであった「教会と王家」の衰退と軌を一にしている。

それを決定的にしたのは、第一次世界大戦(1914-1918)である。

英仏を中心とした協商国とドイツやオーストリア・ハンガリー帝国を中心とした同盟国が

ヨーロッパ全土を戦場に戦った。

その結果として勝利か敗北かに関わらず、多くの「王家」が消滅した。

協商国ではロシア帝国(ロマノフ王朝)イタリア王国、同盟国ではキリスト教の

守護ハプスブルグ家のオーストリア・ハンガリー帝国、ドイツ帝国、オスマン帝国

などであり、

その崩壊が1917年のロシア社会主義革命、ドイツやイタリアのファシズム

を生んだ。

動員された兵力は双方合わせて7千万人。戦死者は戦闘員が900万人、非戦闘員が

7百万人という規模はヨーロッパの国民全部を巻き込んだ最初の戦争であった。

そして絵画のパトロンが、新興のブルジョワジーに移るとともに、彼らの嗜好、

需要に応じて「個性」が尊ばれることになり、それは必然的に多様性を意味した。

表現主義の背景にはそうした「うねり」があったし、スキャンダラスなものは

「個性化」「多様化」のなかで許容されるものとなったのである。

 

個の実存、その不安、欲望、衝動、解放、発散はその表現を求めて開散する。

印象主義と表現主義の違いは英訳するとわかりやすい。

印象(主義)は Impression , 表現(主義)は Expression.

印象は対象の刻印であり、表現は内なる自己の発露である。

そのうねりは大きく言えば現在も続いている。

コンセプチャルアートもそのひとつと捉えることができる。

 

 

 

 

 

 

​​原題は Badland、 荒野 と訳せばいいのだろうか。

このテレンス(テリー)処女作は1973年のニューヨークフィルムフェスティバルに出品された。当時30才。

このとき同時に上映された作品が凄い。

マーティン・スコセッシ監督 「ミーンストリート」

トリュフォー監督 「アメリカの夜」

タルコフスキー監督 「アンドレイ・ルブリョフ」(1967年作これは鉄のカーテン下で出品に時間がかかったためだろう)

など。

 

ここでは本作と同じようにニューノワール(黒、悪)作品といわれ、テリーよりわずか一年早く生まれたスコセッシのミーンストリートと、言わば類似(ノワール)の中の差異に着目して考えてみたい。

 

スコセッシは3作目だが、監督として自分のアイデアで撮った作品としてはミーンストリートが最初だから、事実上の処女作、といって差し支えないだろう。

地獄の逃避行の舞台はテリーが育ったテキサス、ミーンストリートはスコセッシの育ったニューヨークのリトルイタリー。二人とも馴染んだ場所が舞台である。

そして、場所が違えばそこに住む人間も展開する物語も、従って「悪」の在り様も異なる。

 

テキサスの荒野の小さな街で、朝鮮戦争帰りの若者25才のキットは身寄りも無く、仕事はゴミ収集車の助手で、そこを首になると牧場の牛の世話の仕事がせいぜいだ。

ある日自宅の庭でバトンの練習をしている15才の少女ホリーに声をかける。ホリーは母親を亡くし看板屋の父親と二人暮らし。

マーチングバンドのバトンガールだが父親の愛情も薄く、友だちもいない。

キットはジェイムズ・ディーンに似て、下からまぶしい目で見上げるのが売りだ。寂しい二人は互いに引かれ合うが、父親は交際に反対しホリーの愛犬を射殺する。

キットは直接父親に会い、交際の許可を求めるが反対され、押しかけて押しかけて至近距離で撃ち、自殺に見せかけてホリーの家に火を付け二人で森の中に小屋を建て住まう。近所の農場から野菜やニワトリを盗んで自給するが、周辺を探索する男を撃ち、次いで賞金稼ぎの3人の男たちを撃ってその場を逃走する。

ガソリンが無くなればガソリンスタンドで強盗殺人を犯し、昔の知り合いを訪ねてその男が逃げようとすると背中から撃ち、その男を訪ねてきたカップルを地下に閉じ込めて上から撃ちその車を奪って逃走する。もう殺人は半ダースを超えている。

食料調達には店を何軒か襲うより金持の家でまとめて調達した方が早い、と金持の家に入り込み、出るときはキャデラックを奪って逃走する。

当時は各州の独自性が強く、州間の連携も弱かったため、そこに逃げ切れる可能性を求め、二人はサウスダコタを後にして北西のモンタナ州に向かう。

どこまでも続く赤茶けた荒野、雲は空ではなく地平線にある。

州間ハイウエーは検問があるだろうから、と脇道をはしる。

それがゆえに食料調達は困難で、草を食んで飢えをしのいだりするうちに追い詰められてきて、風呂にも入れない、とホリーが逃亡生活が嫌になる。

警察のヘリに追われて、ホリーはキットを逃して投降。

キットもまた、追い詰められ自ら車のタイヤを撃って逮捕される。

 

西部劇では、流れ者や前科者が、より大きな悪に立ち向かってヒーローになる。

日本でもヤクザや博徒が映画のヒーローになる。

キットもワルのヒーロー、一匹狼で賞金稼ぎやシェリフに対抗する。

しかし最後は電気イス送りになる、いわば「ダークヒーロー」。

一方のホリーは未成年と言うこともあって、釈放され後に自分の弁護人の息子と結婚する。

(実話では無い、映画の話)

 

Wikiには

ストーリーは1958年にネブラスカ州で実際にあった事件をもとにしている。出会った人を片っ端から殺していく行き当たりばったりな男女の逃避行を、神秘的なまでに美しい映像と音楽で描き出したロードムービー。

とある。しかし「もとにしている」と言うほど忠実につくられてはいない。

むしろ「ヒントにしている」と言った方が正確で創作部分の方が圧倒的に大きいのだ。

 

 

 

また「神秘的なまでに美しい映像」も映画配給会社の宣伝文句が勝っている。

荒涼としたどこまでも続く赤茶けた風景はわれわれ日本人には馴染みのない風景で、

それを神秘的、と言う気持ちはわからなくもないが。

詩的な風景は、ロングショットで、カメラを動かさず、人間だけが動くことで得られやすい、

というのが今の私の判断だ。

しかし詩情、とはなにか、と問われると簡明に言いがたいものがある。

 

キットがジェームズ・ディーン似、というのもテリー(テレンス・マリック監督)の創作。

ディーンは24才で自動車事故で亡くなった。25才のキットはいわばディーンの継承者。

ライフルを両肩に担ぐところは「ジャイアンツ」で、下からまぶしそうに見上げる仕草もそれらしい。がしかし、ディーンの全体からにじみ出ている孤独感、寂寥感、そこから生み出される女性に対する憧憬、、傷つく事の恐れ、などといったものはマネのできないものだろう。

 

キットを演じたマーティン・シーンは、コッポラの「地獄の黙示録」(1979)で準主役を演

じ、それが本作より先に公開されて彼が知られたことで、それに引っ張られて「地獄の逃避行」という邦題になったらしい。

 

キットは朝鮮戦争帰り、となっているが、たとえば戦争体験のトラウマやそのフラッシュバックなどが背景の連続殺人、、というようなすぐ思いつく心理分析は徹底して避けている。

スコセッシのミーンストリートでもチャランポランなジョニーボーイ(デニーロ)をそれ自身のキャラクターとして提示している。

彼らはヴェトナム戦争世代。ふたりとも兵役義務であったがスコセッシはニューヨーク大学映画部、テリーはハーバードの哲学科首席から米国フィルムインスチチュートが次世代映像作家養成で設立したAFI Conservatory一期生で映画作りを学んで徴兵を逃れた。

ヴェトナムが共産主義化すればドミノ倒しのようにインドシナ半島が赤化する、という「ドミノ理論」の妄想から米国が介入し泥沼化した。

そんな妄想のために自分の命を標的にする気が起きなかったのは当然だろ

 

もう一つはウッドストック。1969年のこのイヴェントは彼らが20代後半の出来事。

反戦、平和、ヒッピー、、フォークソングとロックのフェスティバル。

スコセッシは後にウッドストックのドキュメンタリー映画の編集に加わっている。

アメリカの若者の生き方に、既成の価値観、男らしさ女らしさ、出世主義などに

大きなインパクトを与えたのだろう。

ひるがえって我が国の60年安保、70年安保、安田講堂は一体どんなインパクトを残したのだろうか?  権力に対する敗北感? 民主主義的価値は根付いたであろうか?

 

最後に、この映画で忘れてならないのは、voice-over あるいはナレーション。

ほぼ全編にわたり、ホリーのナレーションが入る。(あるいは日本語字幕)

ホリーは15才の少女。

いくつかそれを紹介してみる。

〈父親を殺害後逃亡する)

「私の運命はキットと共にあった。

長い孤独よりも愛する人との一週間を選ぶ」

 

〈金持の家に立ち寄ったとき)

「私はキットを残して外に出た。

穏やかな美しい日だったが、

それに気がつかないほど頭がいっぱいだった。

 

この世界に私は二度と戻れない。

楽しみに満ちたすばらしい所だったのに」

 

(月がキットの後方に昇っている)

彼は"荒涼”という表現がふさわしい、と言った。

表現はどうでも、もう限界だった。

 

「遠くを汽車が音も無く行くのが見えた。

砂漠のキャラバンのように。

私は数週間ぶりに見る文明に近づいてみたかった。」

 

「日が暮れサスカチェワンを目指した。

法の手の届かない夢の国。

彼はより一層私を必要としていたが、

私は感心を失っていた」

 

「私はシャイアンの灯を見ながら考えた。

向こう見ずの男とはもう二度と関わりたくない。

私は彼にそのことを話した。

北へ行っても暮らしの当てはないのだ」

 

こうしてホリーのナレーションを聞いてみると、

その中に、自分や自分たちについての「自己言及」や

キットについてのいわば「他者言及」

あるいは世界内に在る、わたしという「現存在が」

取り巻く世界をどのように理解しているかの「世界製作」が明かされる。

これを映像やダイアローグ(対話)で表わすのは大変困難だ。

正確にそれらで表現出来るか、と言う問題と、長尺になると言う問題がある。

 

このナレーションに換えポップスを導入したのがスコセッシ。

「ミーンストリート」(シケた街)では冒頭ザ・ロネッツの「Be my baby」が

三流ヤクザのチャーリーが夜中に再三目を覚ます場面で流される。

歌詞、というよりビートが、何かをせかすような、不安を喚起するように響く。

それは「現存在の不安」(ハイデッガー)と言って良いだろう。

 

付け足しだが、少女ホリーは知能指数がとても高い。

15才にして25才のキットと自分の関係や、自分の心理を描写する能力。

かくも知能指数の高い少女を登場させている、

という自覚はテリーにあっただろうか?

 

参考

 

 

 

原題は Vivre sa vie ググると「あなたの人生を生きる」と出る。

邦題の「女と男のいる舗道」は街娼の含意の匂いがする。

映題は缶詰のラベルのようなものである。果たして適切だろうか?

 

以下に概要とストーリーをWikiから抜粋する。

概要

ゴダールの長篇劇映画第4作である。『女は女である』(1961年)についでアンナ・カリーナが出演したゴダール作品の第3作、カリーナとの結婚後第2作である。マルセル・サコット判事が上梓した『売春婦のいる場所』(1959年)の記述をヒントに、ゴダールがオリジナル脚本を執筆した。エドガー・アラン・ポーの短篇小説『楕円形の肖像』(1842年)も織り込まれている。

 

カリーナの役ナナの髪型は、ゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト監督の『パンドラの箱』(1929年)に登場するルイーズ・ブルックスを模したショートボブであり、本作の暴力的なアンチハッピーエンディングも、同作の影響下にある。ジャン・ドゥーシェは、溝口健二監督の遺作『赤線地帯』(1955年)の影響なしには本作は存在しないと指摘する。

有名なのは、ナナが場末の映画館で、カール・テオドール・ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』(1928年)を観て涙を落とすショット。

1962年、イタリアヴェネツィアで行なわれたヴェネツィア国際映画祭で、本作は金獅子賞にノミネートされコンペティションで正式上映された。結果、ゴダールは、パジネッティ賞および審査員特別賞の2賞を同時に獲得した。

 

ストーリー

1960年代初頭のフランス、パリのとあるビストロ。ナナ・クランフランケンハイム(アンナ・カリーナ)は、別れた夫ポールと、近況の報告をしあい、別れる。ナナは、女優を夢見て夫と別れ、パリに出てきたが、夢も希望もないまま、レコード屋の店員をつづけている。

ある日、舗道で男に誘われるままに抱かれ、その代償を得た。ナナは昔からの友人のイヴェットと会う。イヴェットは売春の仲介をしてピンハネして生きている。ナナにはいつしか、娼婦となり、知り合った男のラウールというヒモがついていた。

バーでナナがダンスをしているとき、視界に入ってきたひとりの若い男にナナの心は動き、若い男を愛しはじめる。そのころラウールは、ナナを売春業者に売り渡していた。

ナナが業者に引き渡されるとき、業者がラウールに渡した金が不足していた。ラウールはナナを連れて帰ろうとするが、相手は拳銃を放つ。銃弾はナナに直撃した。

ラウールは逃走、撃ったギャングも逃走する。ナナは舗道に倒れ、絶命した。

 

田舎から出てきた若い女にとって、都会で生活するためには家賃や食費に加えそれなりの服装を整えなければ面接にも行かれない。

ましてやパリは世界的にも物価が高い。

多少の貯えを持っていてもそれが底をつけば、知人から借財となる。返済に行き詰まれば衣服や装飾品を質にいれるが、質草がなくなればどうするか。

生きて行くためには体を売る、という選択肢に否応なく直面する。

こうしてナナは殆ど成り行きで街娼になりヒモがつき、そのヒモに売られる羽目になる。

 

「あなたの人生を生きる」と言っても主体的に選び取った人生では無く、目の前にぶらさがった人生を成り行きのままに生きるのだ。

 

観るものを引っかけるフックが二つある。

ナナがカール・ドライヤーの名作「裁かるるジャンヌ」でジャンヌ・ダーク(ルネ・ファルコネッティ)が涙するシーンで自分も涙する場面とカフェで隣のボックスに座って本を読んでいる男にコーヒーをねだり、「どんな本を読んでいるの」とおごられたお返しに大して興味も無いのに聞くが、そこから始まる哲学者との対話の場面だ。

 

わたしも引っかけられた口だが、哲学対話の内容は、考えたために足が動かなくなって死んだ三銃士の話から始まって、話をすることに目的はいらない、人は話さずにはいられない、愛と同じように。

言葉は何も傷つけない、何も殺さない言葉を努力して見つけるべきだ。そのことをフランス哲学では理解されなかった。ドイツ哲学のカントやヘーゲルは(その努力を)誤りを通して真実に近づける。

愛は常に真実であるべきだ。純粋な愛を理解するためには、成熟が探究が必要だ。そして愛は真実であれば現実の矛盾も解決できる。

 

と概略以上のような話をするのだが、哲学者ブリス・パランに質問するアンナの台詞は脚本家ゴダールが書いたものであるが、パランの返事はどうだろうか。パラン(1897-1971)は兵役後リセを経て哲学教師の資格を取り、大学で教壇に立つ道もあったはずだが、哲学やロシア文学の出版社の編集者の道を選んだ人である。

20世紀の哲学は「ことば」が大きなテーマのひとつであり、ソシュール言語学だけで無く、ハイデッガーもウイトゲンシュタインも「ことば」に取り組んだ。パランの晩年の著作「ことばの小形而上学」を垣間見ると、ソシュールでは無く、フッサールからハイデッガーに至る道筋にいたことが伺える。

 

もう一つの「裁かるるジャンヌ」(1928)はカール・ドライヤーのサイレント映画の傑作とされるものだ。「自分は神に遣わされた者だ」と言って魔女裁判にかけられる。拷問の責め苦に身震いして一旦は自分のことばを取り消したジャンヌだが、そのことが一層悔悟され告発者の司教らを「私が悪魔に遣わされた、と仰いますが真実ではありません。あなたがたこそ悪魔に遣わされているのです、私を苦しめるために」と逆に告発する。身体の苦しみ、死の恐怖に打ち勝って、神に対する誠実に生きることで自分の魂を救出するのだ。

ジャンヌを下から撮ってあたかも神々しさとキリストの磔刑(殉教)を暗示し、身体、頭を覆う黒衣が燃える火刑のシーンで終わる。

ナナの涙はなんの涙か?

ジャンヌへの共感? ミラーニューロンのせい?

ジャンヌとナナに共通する何かがあるだろうか?

 

この二つの挿話、ナナが映画を観て涙する場面と哲学者との対話。

映画と哲学の引用は特にストーリーの上で必然性のあるもの、つまりそれが無ければ物語に重要なピースが欠けてしまう、と言うものでは無い。そしてその文脈が欠けているゆえに全体が不透明、不可視になる。カイエ派のシネフィル(映画狂)にはドライヤーの映画とパランの哲学にはそれなりの文脈(背景)があったのかも知れないが、時代と国が違えばそれらはフランスでも日本でも失われている。パランが言及しているように2500年前のプラトンをわれわれは今の時代背景の中でなんとか理解出来る。が映画、というとても多義的で、そして文脈抜きの引用が好きなカイエ派の映画であってみれば、尚更に理解は難しい。

ゴダールは制作当時そこまで考えていたとは思えない。

ゴダールとアンナは1961年ゴダール31,アンナ21才の時に結婚している。二人は65年に離婚するのだが、真実の愛には成熟が必要だ、とパランに言わせたゴダールはナナではなくアンナに言いたかったのであろうか、という気もする。

そう推測するのは、監督と女優は公私分けがたいところがあるからだ。

 

最後になるが、この物語は「娼婦」の物語だろうか、という疑問が残る。ナナは娼婦になることに特別のハードルが無かったように見える。原題のように自分の人生をあるがままに受容しているのだから、無かったといってもいいだろう。最後の死は、成り行きで選んだ娼婦の必然では無いがひとつの帰結である。そう言う視点から邦題のラベルにちょっとした違和感をもつ。

娼婦は普通の女として映画も観ればカフェに立ち寄ってたまたま哲学者とおしゃべりすることもあるのだ、とゴダールはこの挿入を選んだのだろうか。理屈っぽいゴダールが、、、

 

手元にはゴダール全集第4巻(エッセイ集)があって、その中で彼は監督溝口健二を激賞している。それについてはまた別の機会に言及することがあるだろう。

 

 

1956年公開後、溝口は体調を崩し8月に死亡、結果的にこれが遺作となった。

ジャン=リュック・ゴダールはこの作品を見てパリの娼婦の物語「女と男のいる舗道」(1962年公開)を制作した、と言われる。

 

先ずはあらすじををWikiから借用する。

売春防止法案が国会で審議されている頃、吉原の「夢の里」では娼婦たちがそれぞれの事情を負って生きていた。より江(町田博子)は普通の主婦に憧れている。ハナエ(木暮実千代)は病気の夫と幼子を抱えて一家の家計を支えている。ゆめ子(三益愛子)は一人息子との同居を夢見ている。やすみ(若尾文子)は客を騙して金を貯め、仲間の娼婦に金貸しを行って更に貯金を増やしていた。不良娘のミッキー(京マチ子)も加わり「夢の里」は華やぐが、結婚したより江は夫婦生活が破綻する。ハナエの夫は将来を悲観して自殺未遂を起こす。ミッキーは自分を連れ戻しに来た父親を、女癖の悪さを責めて追い返す。ゆめ子は愛する息子に自分の仕事を否定されて発狂する。やすみは自分に貢ぐために横領した客に殺されかける。

ラジオが法案の流産を伝え、行き場のない彼女たちは今日も勤めに出る。しかしやすみだけは倒産して夜逃げした元客の貸布団屋を買い取って女主人に納まった。退勤したやすみに変わって、下働きのしず子(川上康子)が勤めに出る事になる。着物を換え、蠱惑的な化粧を施されるしず子。女たちがあからさまに男たちの袖を引く中、ためらいながら、しず子は男を誘いかける……。

娼婦は、言うまでも無く男の欲望の対象である。

身体各部、言葉、脂粉の匂い、仕草、衣装などへのあらゆるフェティシズムが様々な欲望をかきたて、苦界に身を落とした理由、つまり親の借金返済のため、あるいは弟の学費を稼ぐため、、、

などの薄幸な身の上と それに立ち向かう健気な物語が男の欲望=幻想を育むのだ。

 

しかし、溝口は、そうした男の幻想を解体する。

 

男に貢がせて搾り取りそのカネで貢がせた男のふとん店を手に入れるやすみ(若尾)

男親に反抗しその顔に泥を塗るために娼婦になる勝ち気な女ミッキー(京マチ子)。

田舎の一人息子の成長を楽しみに仕送りをしていた大年増のゆめこ(三益愛子)

生活力の無い男と所帯を、子供を持って苦労するハナエ(木暮)。

 

男の娼婦に対する幻想を解体したからといって、男の欲望が消失するわけでは無い。

解体した断片を再び拾い集め、再構成して新たな欲望を生み出すのだ。

フェティシズムはその最強の道具である。

 

ピカソが「女、女、女の画家」(集英社新書ピソソ)ならば、

溝口は「女の生と性」を描いて精彩を放った監督である。

かれはスランプを女、とりわけ紅灯の巷の女を描くことで脱した。

「祇園の姉妹」「西鶴一代女」「雨月物語」「山椒太夫」そしてこの「赤線地帯」。

 

一方「お遊さま」や「楊貴妃」など上流の女を描いた作品はなにか不器用だ。

つまりテンポも悪く、説得力、あるいはリアリティが乏しい。

溝口にとって、精彩を放つ映画は、浅草の三業地であれ、祇園乙部であれ、

自分が浸った世界、馴染みある世界の映画である。

確かに実姉は松平の殿様の二号となり、終には正妻になった。

それ故に溝口も居候で糊口をしのぎ、かつ彼の運命も開けた。

しかし彼の遊興の世界はあくまでも庶民の世界なのである。

そして彼女たちの仕草、ふとした時に現れるリアリティにうるさかったらしい。

 

手元には今、溝口の弟子、新藤兼人の「ある映画監督の生涯」

と佐藤忠男の

がある。

佐藤は本作について

「女たちはどんなに惨めな状況におかれても勇敢に生きる。

そして男はすべて下劣であり、卑怯である。

溝口は生涯描き続けたことをここでまた、じつに念入りに描いた。」

と述べているが男は下劣、というより哀れである。

女に対する欲望=幻想は形は異なれど全ての男に在るものであり、

溝口にも佐藤にもあるものであり、男の品性の問題では無い。

欲望の強さは幻想を膨らませ、現実との乖離のゆえにそれが満たされることは無い。

しかし尚追い求めずには止まない。そこが男の哀れさの所以である。

 

一方新藤の若尾文子に対するインタビューには、

新藤「溝口さんの演技指導は、具体的にああやれこうやれと言わないんだから

汗をかくわけですよね」

若尾「ようするに君、人間になればいいんだよ、こうなんですからね。

手も足もね、女優というのは何よりも官能的であれ、、、と言われました。

ところが分らないわけです、その頃、官能的ってどうやったら官能的になるものやら」

ちなみに1933年生まれの若尾は22~3才、主要出演者の中では最も若い。

若いが臆すること無く てらうこと無くがめつい娼婦を演じている。

1953年の「十代の性典」が大ヒットし、性典女優と揶揄されるも、

すぐ同年の溝口作品「祇園囃子」でその蔑称をくつがえす演技をみせ、

可憐な中に強い芯をもった女性像を表現した。

後に1934年生まれの世界的に著名となった建築家黒川紀章と結婚するが、

恐らくは、永らく紀章の心のミューズだったに違いない。

 

ところでこの映画は「溝口健二 大映作品集】の中のDVDで鑑賞した。

コロナ禍以降、映画館で映画を見る機会がめっきり減って、

いわゆる新作との縁が薄くなり、殆どDVDか amazon prime による鑑賞だから、

当然旧作になる。

しかし、DVDの鑑賞体験は映画館のそれとはかなり違うものだ。

暗闇の、包まれるような大画面と音響、他の観客とのシンクロナイセーション

同行者があれば、必ずしも感想などが違っていてもその場面を指摘することが出来る。

一方DVDでは独りで大概はパソコンの画面で、停止して、興味のある点、要素を

あれこれと考えたり、巻き戻して関連する場面に戻り確認したりする事もできる。

早送りして次に見たい場面に跳ぶことも出来る。

つまり映画のアナトミーを自分の意に沿って可能になるのだ。

そうした見方はフィルムの時代には限られた映画研究者のものだったらしいが、

いまでは、一鑑賞者でも可能である。

米国では「映画哲学」ないし「Philmsophy」がとても盛んで著作も多い。

その一因にDVDやAmazon Prime,NETFLIXなどの普及があるのだろうと思う。

 

追記:こうしたDVD体験を Laura Mulvey という研究者が「Death 24X a Second」

という著作で追求しているが、とても興味深い。が未読である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デュシャンはそもそも寡作で、作品の大部分が米国フィラデルフィア美術館にある、とあったので、希な機会 と思い出かける。

 

まず最初に謝意を表したいのはアーチゾン美術館に対して。

「ART in BOX」とう小冊子が無料で置いてある。

内容と装幀から見てこれ自体で入場料を越えるものだろう。

 

コロナの様子をみながら行く機会を窺っていたので11日になったが、

「パリオペラ座」との併設で両方の入場となった。

 

デュシャン、と言えば「泉」、「噴水」と訳すべきとの意見もあるが、既成の、つまりレディメイドの男性便器を、自分も選者である展覧会(1917)に、英語で[のろま]の意味の作者名で出品して却下され、この展覧会が5ドル払えば出展できる筈のものであったことから、自ら批判ののろしを上げた。いわば自作自演のスキャンダル、好んで乱を起こしたのである。

デュシャンは「泉」に先立ち、1913年ニューヨークで開かれたヨーロッパ現代美術の最初の大規模な展覧会で「階段を降りる裸体No.2」が「屋根瓦工場の爆発」などと揶揄され、それがアメリカで彼の名を一躍有名にした。

この絵について一言付け加えるとデュシャンはこれを高速度写真から着想を得たらしい。

しかしこの作品で有名になったとは言え、「泉」がすぐ評価されたわけではない。

デュシャン自身の評価を含めて、「泉」のもつ「芸術作品」とはなにか、という問題に対する破壊的な影響力が認識されたのはずっと後の1950年代といわれる。

 

つまり、作られたモノが芸術作品になるのは、アートの展覧会や美術館などで、展示される故だ、という逆説が成り立ってしまう。

デュシャン自身は、レデイメードの作品を、モノとしての「有用性」や「美的感動」を消したところに成立する、と言っているが、であればそのモノは限りなく広がっていくだろう。

やはりそこには見る側の「評価」、必ずしも美的含意はなく、ある種の感覚的な拡張体験をもたらす作品であるとの「評価」が前提になるだろう。

そしてこれは、現代アートの評価基準でもあり得る(S.ソンダク参照)。

 

今回のアーチソンにおける展示「トランクの中の箱」は、デュシャン(1887-1968)が作家活動の終わり頃(1935~1941)の作品で、300個限定制作されたひとつを同美術館が入手したものだろう。

先に紹介した同美術館の小冊子には、概要以下のように案内されている。

「1930年代半ば、デュシャンは自分自身の作品を複製して自らの作品を再考することを

思い立ち、「トランクの箱」として知られる作品のミニチュアからなる「携帯できる美術館」

の制作に着手した。小さな箱の中には、美術界に衝撃を与えた様々な作品で溢れている。」

その作品には「大ガラス」や

「モナリザ」にヒゲを書き加えた作品「L.H.O.O.Q.」

がある。これをフランス語で続けて読むと「彼女の尻は赤い≓性的に興奮している」の意味に

なるらしい。

 

この遊びの精神に満ちたデュシャンの作品の数々を見ていると、彼のインタビューを想起する。

【【私はまったく驚くべき一生を送ってきた】

デュシャンはこの一生を、制限しようとするもの、閉じ込めようとするもの、重くのしかかってくるもの、重要性をもつもの全てに対する、静かで穏やかな、そして自由な挑戦とした」

(デュシャンは語るーちくま学芸文庫p10)

この本を読むと、フランスの公証人の子供に生まれたデュシャンが、父の遺産や後に彼の作品のコレクターになる裕福なアレンスバーグと知り合ったことで、家賃の援助を得たり、ちょっとした作品を売って生活の足しにした。そして彼自身が名誉欲や金銭欲といった自由を束縛するような余計なものを持たなかったせいで飄々と生きることができた。

このインタビューにも自分を飾ること無く、卑下することも無く、厳しい質問にもサラリと受け答えをしている。あるいは彼は生来の怠け者、面倒くさがり屋なのかもしれないが。

 

さてもうひとつの展覧会、「パリ・オペラ座ー響き合う芸術の殿堂」である。

オペラ座はたしかドゴール空港の直通バスの発着所になっているから、何度も寄った馴染みある場所ではある。しかしオペラを観劇するモチベーションは低い。

フランス語を解せぬ者に、オペラを楽しむことはそもそも出来ないと思う。

少なくも私には。

コトバを解せぬものは、まず手係りを求めてオペラ歌手の仕草をなんとか解読しようとするだろう。

しかしそれ故に歌唱力や演技力、舞台背景や演出、、と言ったものに注意を向ける余裕は無い。

仮に予めストーリーを予習していったとしても、余裕の無さに大して変化は無いだろうと思う。

展示は序曲と4幕の構成。

17世紀から「世紀」で幕を昇降させている。

この間帝政と共和制が交代したから、そのレジーム変換が、演目やエトワールの出自、さらには踊り子の出身階級、演出などにいろいろな変化をもたらしたのではないか、と歴史社会学的な視角が切り口であればまた興味も違っていく。それは踊り子のたまり場に紳士が入り込んでいる絵や仮面舞踏会の猥雑な雰囲気の絵があって、そうした視点の可能性を直観したのであるが、余計なことながら、例えば鹿島茂をアドバイザーにしたりすれば、展示ももっと生き生きとしたものになったのでは、と無責任な意見が頭をかすめた。

 

 

 

みなさん、明けましておめでとうございます。

 

祈りが、

その言霊が宙を舞って地上に漂い

それが実現するものならば、

何度でもいつでも祈りましょう。

 

しかしウクライナの人々の過酷な生活は簡単に止みそうに無く、

わが郷土日本でも、今日の糧を得る当ての無い人々が沢山いる。

 

一方で、最初に倍増ありきの防衛費の大判振る舞い。

米国のジャパンハンドラーに振り回されて、防衛省の天下り先と、

軍事産業からのカネ環流にズブズブの自民党が潤い選挙資金になる。

 

ズブズブと言えば統一教会と自民党。

教祖はエヴァ国家の日本はアダム国家の韓国に貢がなければならない、と宣い、

日本の総理アベシンゾーが旗振り役を務めてせっせと韓国に送金。

そのカネは、日本の信者から恐怖を植え付け搾り取ったもの。

 

こんなことがまかり通って良いはずが無い。

国会でウソを吐き続け野党の開会要求を無視して、物事は閣議決定で進める。

これは議会制民主主義の破壊でなければなんなのだろう。

 

三権分立は機能しているか?

司法、検察や裁判所は機能しているか?

国民全体の奉仕者であるとされる官僚のモラルは風前の灯火か?

なによりも基本的人権は守られているか?

 

政治とは国民の生活を安定させより一層良くし、

対外平和を守って安心して暮らせるようにすることではなかったか?

 

年の初めに現実を見ればなかなか筆は止まらない。

 

今朝、新聞店で東京新聞を買い、近くの神社でお札を買い、

温浴施設で初湯。帰宅して神棚にお供えをし札を収めて初詣。

初稽古は明日の予定。

初日の出はもう既に日が高いのでまぶしく見上げるだけ。

 

毎年恒例なので、昨年の運動瞑想実績を記す。

3W(Walking,Warmup,Wushu-武術)は252日。

ジムでトレーニングは150日。

動気功の易筋経・練功十八法は25日。

瞑想のヴィパッサナーは350日。

瞑想は本来一回一時間とされるが、そんな暇はないので一日一回15分前後。

長年実践していればそれで効果を実感できる。

 

末尾ながらみなさんのお幸せをお祈りします。

どんな苦境にあっても、幸せは見つけられる。

命と共に、われわれに 生きよ、と授かったDNA.

 

参照:哲学探究ーウイトゲンシュタイン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山々が緑樹で囲まれた湖の中に浮かぶ寺。

湖面はそのみどりを映してどこまでも碧い。

 

山道をたどって湖に出ると山門があり、

そこから小舟で寺と往復する。

 

春夏秋冬そして春、、、

この映題の中に、自然の循環、永劫回帰の哲学が込められる。

 

この寺に暮らす中年の僧と幼児。

幼児は鮒や蛙や蛇を捕まえ糸を巻いて重しを付ける。

それを見た僧は幼児の背に、重しを付け、その苦しみを味会わせたのち、

それらの生き物がもし死んでいればその咎を一生負い続けよ、と言う。

幼児は重しを付けたまま生き物を探し鮒も蛇も死んだことを知る。

始めて知る罪と罰。

 

幼児は成長して青年となる。

ある日母親に付き添われて心の病を癒やすために若い女が来る。

青年は女に情欲を燃やし、僧が寝ている間に女と情交する。

そして女と寺を出て行く。

 

ある日僧は何かの包み紙の新聞に、

若い男が嫉妬の末に女を殺したことを知る。

男は再び寺に戻る。

僧は男が怒り苦しむのを見て感覚器を紙を貼って閉じ、

男を棒で打擲し、身体を縛ってつるす。

男の心が静まったとき、床に猫の尾で文字を書き付け

ナイフでその文字を彫るように命じる。

 

だが程なくして2人の刑事が男を追って寺に来る。

僧は刑事に逮捕を一晩待ってくれるよう頼み、

男は寝ずに彫り朝倒れて床に転がる。

転がった男に刑事の1人は自分の上着をかけてやり、

僧と共に男の彫った文字を筆で着色する。

経文は般若心経、色即是空。

老僧は男たちを見送った後、見ざる聞かざる言わざるを顔に貼って、

小舟に火を付け焼身死する。

 

男は刑期を終え、凍結した湖面を歩いて再び寺に戻ってきた。

本堂には老僧の衣服がたたんであり、男は作務衣に着替え

船の遺骨を拾い、弔い、寺に住む。

 

氷のそろそろ緩む頃、スカーフで顔を蔽った女が幼子を連れてくる。

夜、女は幼子を残したまま、後ろ髪を引かれるようにして寺を去る。

が、氷の割れ目に落ちて凍死する。

翌朝女を引き上げた男はスカーフを取り、何かを知り、

半身裸で菩薩像を手に抱え、腰ひもで重しをくくりつけて苦行する。

ここで「アリラン」が背景に流れる。

 

そして春

男は幼子と寺に住む。

幼子は亀と戯れる。

 

自然とともに、人間の運命は循環して行くのだ。

否あるいは、老僧のように、次は蛇に生まれ変わるか?

それを輪廻とも言うが、、、、

 

見終ってまず印象に残るのは、この人里離れた湖上に浮かぶ寺。

この世ならぬ景色は実在するのだろうか?

 

この問いは多くの人が抱くものらしく、ググると出てくる。

慶尚北道周王山国立公園の湖 注山、とある。

しかし寺は映画のために制作して浮かべた。

 

韓国は大雑把に言ってキリスト教徒4割、仏教と3割、と言われる。

2017年7月下旬、この湖の南、かつて三国時代の新羅の首都であった慶州に行き

シティツアーに参加した。(慶州は注山湖と同じ慶尚北道に属する。)

 

仏教遺跡の多い古都慶州だが、仏師は慶州から日本に渡来した。

仏国寺には日本語の出来るボランティアガイドの女性がいて、

真剣に仏教を信じていることを力説され、

ああ、韓国にはいまだ仏教が生き生きと生きている、と感じた。

 

監督のキム・ギドクはキリスト教徒らしい。

仏教は本来男女平等的でありブッダに付きしたがった僧には

既に尼僧集団があり、仏典には女性の寄進者の名前もみえる。

キリスト教ではカトリックは父権的であり、

司祭は男性のみ、バチカンは男性の組織である。

プロテスタントは女性の牧師もいて、子供の頃日曜学校で

尻をつねられた痛い思い出がある。

 

刑期を終えて帰ってきた男は監督のキム・キドク自身が演じている。

制作当時は43才、演ずる男は恐らくは嵩山少林寺(中国)の拳法書をみて、

稽古に励む。なかなかの運動能力、まさかエキストラではあるまい。

映画の筋との関係でそこまでする必然性は無い。

独りの男の人生をいろいろな俳優が演じてい行く。

その連続性、というかリアリティを持たせているのは、

この湖上の寺、という場である。

いわばゲシュタルトでいう「地」。

そこに出来事が「図」として継起する。

 

キム監督の「悪い女」はブログにも書いたが、女は悪人ではない。

むしろ男の性の哀しさが描かれている、と感じたが、

この映画の男の運命の中にもその哀しさを感じる。

そう感じる一因は、女性の「儚さ」にもあるのではないか、

この映画の女性も儚い感じの、存在感の薄い女性である。

 

この2003年公開(日本2004年)の映画には、ツリー・オブ・ライフの検索で

英国BBC放送の「21世紀グレーテストフィルム」(2016年)からたどり着いた。

ツリー・オブ・ライフは7位にランクされている。

因みに1位は「マルホランドドライブ」、キム・キドクのこの映画は66位にランクされている。

アジア最高位は4位に宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」。

2018年の是枝監督の「万引き家族」、ボン・ジュノ監督の「パラサイト」は選定以後である。

 

興行成績では米国での韓国映画最高のヒット、となったらしい。

また、韓国映画最高の栄誉である大鐘賞と青龍賞を受賞した、と記録されている。

キム監督の簡単な経歴は、「悪い女」のブログを参照されたい。

 

最後に、映画のエンデングで韓国歌謡「アリラン」が流される。

韓国旅行中の昼食時に韓国の歌謡曲を聞くともなく聞いたが、

その節回しは演歌と違わない。

映画でのアリランは中年女性のやや太い声で若い女性の高い声より、

一層哀切が迫る。和訳の字幕が無いのが残念だが以下に貼る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が大地をすえた時、お前はどこにいたか。

知っていたと言うなら理解していることを言ってみよ。

そのとき夜明けの星はこぞって喜び歌い

神の子らはみな喜びの声をあげた。」

と旧訳ヨブ記38章で始まるこの映画、題名は「命の木」。

旧約の創世記に

「主なる神は東のかた、エデンに園を設け、自ら形作った人をそこに置かれた。

主なる神は、見て美しく、食べるに良い木を土からはえさせ、また園の中央に命の木と善悪を知る木を生えさせられた。」

ヘビのそそのかしに女はその木の実を食べ、神は女に言われた。

「わたしはあなたの産みの苦しみをおおいに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなおあなたは夫を慕い、彼はあなたを支配するであろう」

更に夫に「あなたは妻の言葉を聞いて、食べるなと命じた木から取って食べたので、あなたは額に汗してパンを食べ、遂に土に帰る。あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」(適宜中略)とある。

 

 

映題と冒頭、ともに旧約からの引用、これは映画の文脈(背景)の設定だろう。

つまり、ウイトゲンシュタイン的にいえば、「○○として見る」(哲学探究アスペクト参照)。

カトリックとプロテスタント合わせて人口の1%前後の日本では、この文脈は馴染みがたい。

一方、映画の主題は「癒やし」罪を負った人間の苦しみからの回復・再生がテーマだと思う。

あるいはもっと宗教的に言えばアポカプリティックな「救済」になるだろう。

 

この映画の簡便な紹介をしようと思うのだが、Wikiにもストーリーの記述が無く

かろうじてMovie Walker の以下の文が一応紹介文らしく読める。

1950年代のアメリカ・テキサス州。オブライエン家の長男ジャックは、両親と2人の弟たちに囲まれて何不自由なく暮らしていた。だが、繊細なジャックは、慈愛にあふれた母と厳格な父との間で板挟みになってしまう。それから40年後。実業家として成功したジャックは少年時代を振り返り、人生の意味を探ろうとする。

音楽の道に挫折した父親、軍航空機の工場で技術者として働いているが、男として勇敢であれ、他人になめられるな侮られるな、大物になれ、、との強迫観念を息子にも押しつける。

家族総出で日曜日には教会の礼拝に行くが、とりわけ母親は敬虔な信徒である。

 

彼女が子供の時「生き方には二通りある、と修道女から教わった。

世俗に生きるか、神の恩寵に生きるか。

神を選ぶ人は利己心を持たない。軽んじられ、忘れられ、疎まれることを受け入れる。

侮辱されることも。世俗に生きる人は利己的で他人を従わせようと威圧的に振る舞い、

常に不満の種を見いだす。回りが幸せに輝いていても、愛情に満ちあふれていても。

また、こうもお教わった。神の恩寵に生きる者には不幸は訪れない」

そして神に忠実な生き方を自らに求める。

両親は大きな木の傍らに居を構え3人の男の子を育む。

父親は世俗に生きる人であり、母親は神の恩寵に生きたいと願っていた人である。

 

ある日郵便配達の人が手紙を持ってくる。

19才の次男がスペインで自殺した、との知らせだ。

その子は幼いときからギターに親しみ、音楽の道に進んでいた。

なぜ息子の命を神が奪ったのか?

 

ここでヨブ記が想起される。

資産家で男女の子供にも恵まれ、神を信じるヨブだが、神がサタンに唆されてヨブを試す。

牛やらくだが奪われ、子供たちが殺される。だがヨブは信仰を捨てない。

そこで更にサタンは神をそそのかしてヨブを試みにあわせ、身体を傷つけ盲目にする。

ヨブの友人たちは、ヨブが罪を犯したが故の因果応報なのだ、と代わる代わる言うが、ヨブは耳を貸さない。そしてあれこれと神の御業を並べ立て反論する。

そこで遂に神が登場し、ヨブに言う。

「知識も無いのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは。

わたしはお前に尋ねる。わたしに応えて見よ」と言って「わたしが大地をすえたとき、、」

と冒頭の句が始まる。そして神は「お前はわたしが定めたことを否定し、

自分を無罪とするために、わたしを有罪とさえするのか」

ヨブは平伏して「そのとおりです。私には知解できず、わたしの知識を超えた、驚くべき御業をあげつらっておりました。そえゆえわたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け悔い改めます」

と改悛する。神こそが真の創造者でありそれを知る者なのだ。

 

超高層ビルの高速エレベーターで高層階にに登って自分のオフィスから高層ビルを見下ろすジャック。技術の粋の建築家として成功を収めたことが暗示される。

そこで彼は子供時代の両親と弟たちのことを回想する。

強い男であれ、成功せよ、とジャックに求めた父。

弟の自殺の知らせに茫然自失する母。「神はなぜあの子の命を奪ったのか」と沈黙の神に問う。

そしてその当時の父について、「成功」のプレッシャーに押しつぶされ、天職と定めた音楽の道から、ずるずると後退し、自分の人生の失敗を認めたひとであった。

それがジャックに対する強圧的で執拗な「しつけ」となってジャックの心に傷を残した。

しかし夢想のなかで子供の頃の傷を再訪し、新たな目で見ることで、それが癒やされる。

そこでゴツゴツした茶色の岩の中の簡素な門をくぐり、子供時代の自分に会い、自殺した弟を伴って海辺に向かい、波打ち際で家族に再会する。

そして手を絡め合い、みなで抱擁しあうのだ。

そこにはいろいろな人たちが集っていた。新約のヨハネ黙示録の最後のように。

 

「御使いはまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。

(イエスは次のように言った)見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれの仕業に応じて報いよう。私は最初のものであり最後のものである。初めであり終わりである。命の木にあずかる特権を与えられ、また門を通って都に入るために自分の着物を洗う者は幸である」

と。ヨハネ黙示録第22章抄録。

(私はヨハネ黙示録はイエスの神格化が強く、そのせいであまり好きになれない書である。)

余談だがトルストイの「要約福音書」を読んで救いを得たウイトゲンシュタインはそれを周囲の人に勧めている。トルストイは4福音書を自分の体験を通した「読み」で書き「奇跡」の部分を省いて造った。その省いたことが私には好ましい。(トルストイ聖書ーたにぐち書店)

 

この映画を鑑賞するとき、美しい背景で語られる一家の物語の他に、大自然の様々な映像、夕日や滝や洞窟から差し込む光や、大きな木を見上げる先に広がる大空や地球の外輪から太陽が差し込む宇宙の映像などや背景の音楽が、宇宙の誕生、自然の誕生、人の誕生の創世記の映像的表現であり、神への讃歌であり、最後の、ジャックの家族だけで無く様々な人たちが水際で出会う事の中に、ユングやバシュラールを持ち出すまでも無く「再生」のシンボルが込められている。

 

テレンス(テリー)・マリック監督には、先の「突然炎の如く」のブログで紹介した哲学者スタンリー・カヴェルの教え子ということからたどり着いた。

1943年生まれのテリーは地質学者の長男として生まれ、二人の弟とともにテキサス州やオクラホマ州で育った。弟のラリーは1960年代にギタリストとしてスペインに留学、1968年に自殺した。この映画と重なる部分である。

マリックはハーバード大学で哲学を専攻、1965年に首席で卒業。

カベルは勿論、恐らく「正義論」「万民の法」のロールズの教えも受けたに違いない。

次にオクスフォード大学院に進学した。テリーは指導教官とウイトゲンシュタインやハイデッガー、キルケゴールに関する意見が合わず中退した。

が、その詳しい内容は明かされていない。

1969年にはハイデッガーの「根拠の本質について」を英訳。

その頃からマサチューセッツ工科大学で哲学を教える。MITのTはテクノロジー、技術である。ハイデッガーには「技術について」と言う書がある。

MITの哲学教授としてマリックを招聘する理由がそこにあるのだろう。

世界にポンと投げ出された(被投的)存在のわれわれは、投げ出された世界を自分なりに了解し馴染み在る世界としてゆく。そしてその世界に住まうためには家だけで無く様々な者を建てることが必要だ。左手に釘を持てば右手には金槌を持つ。左手で板を押さえれば右手にはのこぎりだ。その用途に合った道具を即選択し使う。釘にしてものこぎりにしてもそれらはわれわれは自然から技術を活用して作り出したものだ。その技術は、もっと早く、もっと多く、もっと強く、、、と「もっと」をドライバー(推進力)にそれ自体が意志があるかのように進んで行く。核開発や大量破壊兵器、あるいはクローン技術の暴走は環境を、人命を破壊して行く。

ヒロシマ長崎を知ったハイデッガーは技術の制御に悲観的だが、われわれはそう言って諦観するわけにはいかない。

 

テリーは1967年頃からジャック・ニコルソンと知り合い69年には短編映画を制作する。

1973年の長編第一作「地獄の逃避行」79年の「天国の日々」、1998年ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作「シン・レッド・ライン」。カンヌでパルムドールを受賞した2011年の本作「ツリー・オブ・ライフ」などが主な作品である。

いずれの作品も、批評家、観客を問わず毀誉褒貶が別れる。

ある者は映像の芸術性を高く評価し、ある者はプロットと主人公の性格の彫琢の弱さを指摘する。しかし名門MITの哲学教授の監督作品、という点が注目を集めるのだろう。

哲学者が小説を書くのはサルトルや、エーコ(薔薇の名前)、あるいは映画「リスボンに誘われて」の原作「リスボン行き夜行列車」を書いたパスカル・メルシェなど例があるが、映画監督、というのは珍しい。それ故か同年代のスコセッシ以上に研究者の対象になっている。

私はこの映画の映像の芸術性に注目したが、映像と音楽に類い希なものを見いだす批評家が多い。

しかし残念ながら、音楽は記憶に残っていない。リズムもメロディも記述できないのだ。

音痴では無いが、音楽の教養が無いのだ、、、と少しでもそのギャップを埋めるべく映画音楽の書を拾い読みしてみる。

TERRENCE MALICK-Sonic Style

は専らテリーの音響面ー会話、ノイズ、音楽について分析した書だが、本作については、「音楽家になり損ねた航空エンジニア」という父親の人物像が、教会のパイプオルガンを長男ジャックが譜面をめくる場面で引用されるけれども、今の私には充分に内容を把握できていない。

 

一方以下の「音楽と感情の心理学」(誠信書房2008年)には、

「映画における感情の源泉としての音楽」なる章があって、映像と音と音楽について、いくつかの注目すべき考察がなされている。

一つはわれわれの視覚が、多くの利用可能な情報を見落としているということであり、もう一つは「不注意の盲目ーinattentional blindness」が現実世界と同様映画でも起こっている、と言うことである。

この二つは要約すれば、われわれの意識がある対象に向かうとき、対象以外の物事は「見えても見えず」の状態になっている、ということである。

だが、この意識の指向性はわれわれの生存のために、つまり必要性が高いがゆえに進化してきたものだから、簡単に止揚する事はできない。

映画では在るフレームの中で何かが起こり、人々の相互作用があり会話があり感情表現がある。

それらの情報をあるまとまった意味のある物語に関係づけ、収斂させようとするなかでは、それに間接的な、あるいは補助的な関係しかない物事は「見えず」「忘れられる」。

だから、映画を見終って、音楽が流れていたことを覚えていても、それがどんな音楽であるか、を(音楽映画や音楽家の物語などは別として)覚えていないというのは普通のことなのだ。

先に述べた、教養の欠落ゆえではないらしい。

 

こうしたわれわれの知覚の志向性やそれに伴う不注意の盲目は、ゲシュタルト心理学の「プレグナンツ(簡潔)」の法則に合致する。

われわれは目前で次々に展開する世界を素早く把握し、必要な行動を取るためには、特定の素材に注目して全体像(ゲシュタルト)を纏める迅速さ、あるいは「知覚のエコノミー(節約)」が不可欠だ。その全体像とは、近接したり同じ種類のものをひとまとめに見る、色や形が違っていても同じ方向に向かっているものを同じグループとして見る、などがある。

これは視覚だけで無く、聴覚にもあるようだ。しかし聴覚の研究データは余り多くは無い。

が、これらのゲシュタルトの根底に、メルロ・ポンティのいう「身体図式」があるのだ、と想定する事も可能だ。私は直感的に視覚、聴覚、身体感覚などの根っこに、「感情のゲシュタルト」が在るのではないか、視覚聴覚身体感覚は全体としてそこから響き合っているのではないか、と思うのだが、まだまだそれを裏付ける材料が不足している。

 

さて、映画における音楽の効果はいくつか上げられる。

一つはそこで当然発生しているであろう、たとえば周辺の人の話声などを消すために音楽が流されるケースがある。その目的は眼に映っている事柄に集中させるためだ。

例えば黒沢明は、深刻な場面では明るい音楽を、愉快な場面では沈んだ音楽を用いる。それを「対位法」(黒沢)と言うかどうかは別にして、それによって場面に集中させる効果が得られるだろう。

そうした映画と音楽の関係の中で、音楽は感情を引き出すために用いられるのか、

あるいは感情を強化するために用いられるのか、という議論が上揭の章の中にもある。

私はどちらかと言えば感情を強化するものだと考えるが、しかしそれを監督や音楽監督の意のままに聴衆を操れるか、といえばそうは簡単にいかないだろう。

 

映像とコトバと音楽とによって作り出される映画の、それぞれの要素が感情を引き起こすが、かといってそれらの要素間に一対一の照応関係を特定することは困難だ。

 

音楽の演奏法で「発想記号」というのがある。

それは具体的詳細に演奏法を指示するというよりは、抽象的に気分と感情をガイドラインとして示しているもののようだ。

激しく、愛らしく、華やかに、気まぐれに、火のように、甘美に、力強く、、、等々。

つまり音楽とは感情表現であり、次々と切れ目なく演奏される音楽はさまざまな感情を呼び起こしては消え、またあたらしく起こり、あるいは先のものが繰り返され、、、と働きかける。

これは考えてみれば、「眼に映る世界」である映画もそれを見る我々も同じではないか。

そしてこれは、世界内存在のわれわれの現実の眼に映る世界でも同じではないか。

世界内存在の「私」は唯一であり、その感覚もその唯一の私から生まれている。

と言うのが、先の私の直観の根拠である。

 

テレンス・マリック監督の作品は「地獄の逃避行」「天国の日々」「シンレッドライン」など未だみたい作品がある。それらのなかで彼の哲学、あるいは神学、あるいはまた彼の映像や音楽について、また言及することもあるだろう。