#テレンス・マリック監督 #地獄の逃避行 #1973年ニューヨークフィルムフェスティバル | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

​​原題は Badland、 荒野 と訳せばいいのだろうか。

このテレンス(テリー)処女作は1973年のニューヨークフィルムフェスティバルに出品された。当時30才。

このとき同時に上映された作品が凄い。

マーティン・スコセッシ監督 「ミーンストリート」

トリュフォー監督 「アメリカの夜」

タルコフスキー監督 「アンドレイ・ルブリョフ」(1967年作これは鉄のカーテン下で出品に時間がかかったためだろう)

など。

 

ここでは本作と同じようにニューノワール(黒、悪)作品といわれ、テリーよりわずか一年早く生まれたスコセッシのミーンストリートと、言わば類似(ノワール)の中の差異に着目して考えてみたい。

 

スコセッシは3作目だが、監督として自分のアイデアで撮った作品としてはミーンストリートが最初だから、事実上の処女作、といって差し支えないだろう。

地獄の逃避行の舞台はテリーが育ったテキサス、ミーンストリートはスコセッシの育ったニューヨークのリトルイタリー。二人とも馴染んだ場所が舞台である。

そして、場所が違えばそこに住む人間も展開する物語も、従って「悪」の在り様も異なる。

 

テキサスの荒野の小さな街で、朝鮮戦争帰りの若者25才のキットは身寄りも無く、仕事はゴミ収集車の助手で、そこを首になると牧場の牛の世話の仕事がせいぜいだ。

ある日自宅の庭でバトンの練習をしている15才の少女ホリーに声をかける。ホリーは母親を亡くし看板屋の父親と二人暮らし。

マーチングバンドのバトンガールだが父親の愛情も薄く、友だちもいない。

キットはジェイムズ・ディーンに似て、下からまぶしい目で見上げるのが売りだ。寂しい二人は互いに引かれ合うが、父親は交際に反対しホリーの愛犬を射殺する。

キットは直接父親に会い、交際の許可を求めるが反対され、押しかけて押しかけて至近距離で撃ち、自殺に見せかけてホリーの家に火を付け二人で森の中に小屋を建て住まう。近所の農場から野菜やニワトリを盗んで自給するが、周辺を探索する男を撃ち、次いで賞金稼ぎの3人の男たちを撃ってその場を逃走する。

ガソリンが無くなればガソリンスタンドで強盗殺人を犯し、昔の知り合いを訪ねてその男が逃げようとすると背中から撃ち、その男を訪ねてきたカップルを地下に閉じ込めて上から撃ちその車を奪って逃走する。もう殺人は半ダースを超えている。

食料調達には店を何軒か襲うより金持の家でまとめて調達した方が早い、と金持の家に入り込み、出るときはキャデラックを奪って逃走する。

当時は各州の独自性が強く、州間の連携も弱かったため、そこに逃げ切れる可能性を求め、二人はサウスダコタを後にして北西のモンタナ州に向かう。

どこまでも続く赤茶けた荒野、雲は空ではなく地平線にある。

州間ハイウエーは検問があるだろうから、と脇道をはしる。

それがゆえに食料調達は困難で、草を食んで飢えをしのいだりするうちに追い詰められてきて、風呂にも入れない、とホリーが逃亡生活が嫌になる。

警察のヘリに追われて、ホリーはキットを逃して投降。

キットもまた、追い詰められ自ら車のタイヤを撃って逮捕される。

 

西部劇では、流れ者や前科者が、より大きな悪に立ち向かってヒーローになる。

日本でもヤクザや博徒が映画のヒーローになる。

キットもワルのヒーロー、一匹狼で賞金稼ぎやシェリフに対抗する。

しかし最後は電気イス送りになる、いわば「ダークヒーロー」。

一方のホリーは未成年と言うこともあって、釈放され後に自分の弁護人の息子と結婚する。

(実話では無い、映画の話)

 

Wikiには

ストーリーは1958年にネブラスカ州で実際にあった事件をもとにしている。出会った人を片っ端から殺していく行き当たりばったりな男女の逃避行を、神秘的なまでに美しい映像と音楽で描き出したロードムービー。

とある。しかし「もとにしている」と言うほど忠実につくられてはいない。

むしろ「ヒントにしている」と言った方が正確で創作部分の方が圧倒的に大きいのだ。

 

 

 

また「神秘的なまでに美しい映像」も映画配給会社の宣伝文句が勝っている。

荒涼としたどこまでも続く赤茶けた風景はわれわれ日本人には馴染みのない風景で、

それを神秘的、と言う気持ちはわからなくもないが。

詩的な風景は、ロングショットで、カメラを動かさず、人間だけが動くことで得られやすい、

というのが今の私の判断だ。

しかし詩情、とはなにか、と問われると簡明に言いがたいものがある。

 

キットがジェームズ・ディーン似、というのもテリー(テレンス・マリック監督)の創作。

ディーンは24才で自動車事故で亡くなった。25才のキットはいわばディーンの継承者。

ライフルを両肩に担ぐところは「ジャイアンツ」で、下からまぶしそうに見上げる仕草もそれらしい。がしかし、ディーンの全体からにじみ出ている孤独感、寂寥感、そこから生み出される女性に対する憧憬、、傷つく事の恐れ、などといったものはマネのできないものだろう。

 

キットを演じたマーティン・シーンは、コッポラの「地獄の黙示録」(1979)で準主役を演

じ、それが本作より先に公開されて彼が知られたことで、それに引っ張られて「地獄の逃避行」という邦題になったらしい。

 

キットは朝鮮戦争帰り、となっているが、たとえば戦争体験のトラウマやそのフラッシュバックなどが背景の連続殺人、、というようなすぐ思いつく心理分析は徹底して避けている。

スコセッシのミーンストリートでもチャランポランなジョニーボーイ(デニーロ)をそれ自身のキャラクターとして提示している。

彼らはヴェトナム戦争世代。ふたりとも兵役義務であったがスコセッシはニューヨーク大学映画部、テリーはハーバードの哲学科首席から米国フィルムインスチチュートが次世代映像作家養成で設立したAFI Conservatory一期生で映画作りを学んで徴兵を逃れた。

ヴェトナムが共産主義化すればドミノ倒しのようにインドシナ半島が赤化する、という「ドミノ理論」の妄想から米国が介入し泥沼化した。

そんな妄想のために自分の命を標的にする気が起きなかったのは当然だろ

 

もう一つはウッドストック。1969年のこのイヴェントは彼らが20代後半の出来事。

反戦、平和、ヒッピー、、フォークソングとロックのフェスティバル。

スコセッシは後にウッドストックのドキュメンタリー映画の編集に加わっている。

アメリカの若者の生き方に、既成の価値観、男らしさ女らしさ、出世主義などに

大きなインパクトを与えたのだろう。

ひるがえって我が国の60年安保、70年安保、安田講堂は一体どんなインパクトを残したのだろうか?  権力に対する敗北感? 民主主義的価値は根付いたであろうか?

 

最後に、この映画で忘れてならないのは、voice-over あるいはナレーション。

ほぼ全編にわたり、ホリーのナレーションが入る。(あるいは日本語字幕)

ホリーは15才の少女。

いくつかそれを紹介してみる。

〈父親を殺害後逃亡する)

「私の運命はキットと共にあった。

長い孤独よりも愛する人との一週間を選ぶ」

 

〈金持の家に立ち寄ったとき)

「私はキットを残して外に出た。

穏やかな美しい日だったが、

それに気がつかないほど頭がいっぱいだった。

 

この世界に私は二度と戻れない。

楽しみに満ちたすばらしい所だったのに」

 

(月がキットの後方に昇っている)

彼は"荒涼”という表現がふさわしい、と言った。

表現はどうでも、もう限界だった。

 

「遠くを汽車が音も無く行くのが見えた。

砂漠のキャラバンのように。

私は数週間ぶりに見る文明に近づいてみたかった。」

 

「日が暮れサスカチェワンを目指した。

法の手の届かない夢の国。

彼はより一層私を必要としていたが、

私は感心を失っていた」

 

「私はシャイアンの灯を見ながら考えた。

向こう見ずの男とはもう二度と関わりたくない。

私は彼にそのことを話した。

北へ行っても暮らしの当てはないのだ」

 

こうしてホリーのナレーションを聞いてみると、

その中に、自分や自分たちについての「自己言及」や

キットについてのいわば「他者言及」

あるいは世界内に在る、わたしという「現存在が」

取り巻く世界をどのように理解しているかの「世界製作」が明かされる。

これを映像やダイアローグ(対話)で表わすのは大変困難だ。

正確にそれらで表現出来るか、と言う問題と、長尺になると言う問題がある。

 

このナレーションに換えポップスを導入したのがスコセッシ。

「ミーンストリート」(シケた街)では冒頭ザ・ロネッツの「Be my baby」が

三流ヤクザのチャーリーが夜中に再三目を覚ます場面で流される。

歌詞、というよりビートが、何かをせかすような、不安を喚起するように響く。

それは「現存在の不安」(ハイデッガー)と言って良いだろう。

 

付け足しだが、少女ホリーは知能指数がとても高い。

15才にして25才のキットと自分の関係や、自分の心理を描写する能力。

かくも知能指数の高い少女を登場させている、

という自覚はテリーにあっただろうか?

 

参考