#マルセル・デュシャンの「トランクの箱」とその後 #アルチゾンミュージアム | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

デュシャンはそもそも寡作で、作品の大部分が米国フィラデルフィア美術館にある、とあったので、希な機会 と思い出かける。

 

まず最初に謝意を表したいのはアーチゾン美術館に対して。

「ART in BOX」とう小冊子が無料で置いてある。

内容と装幀から見てこれ自体で入場料を越えるものだろう。

 

コロナの様子をみながら行く機会を窺っていたので11日になったが、

「パリオペラ座」との併設で両方の入場となった。

 

デュシャン、と言えば「泉」、「噴水」と訳すべきとの意見もあるが、既成の、つまりレディメイドの男性便器を、自分も選者である展覧会(1917)に、英語で[のろま]の意味の作者名で出品して却下され、この展覧会が5ドル払えば出展できる筈のものであったことから、自ら批判ののろしを上げた。いわば自作自演のスキャンダル、好んで乱を起こしたのである。

デュシャンは「泉」に先立ち、1913年ニューヨークで開かれたヨーロッパ現代美術の最初の大規模な展覧会で「階段を降りる裸体No.2」が「屋根瓦工場の爆発」などと揶揄され、それがアメリカで彼の名を一躍有名にした。

この絵について一言付け加えるとデュシャンはこれを高速度写真から着想を得たらしい。

しかしこの作品で有名になったとは言え、「泉」がすぐ評価されたわけではない。

デュシャン自身の評価を含めて、「泉」のもつ「芸術作品」とはなにか、という問題に対する破壊的な影響力が認識されたのはずっと後の1950年代といわれる。

 

つまり、作られたモノが芸術作品になるのは、アートの展覧会や美術館などで、展示される故だ、という逆説が成り立ってしまう。

デュシャン自身は、レデイメードの作品を、モノとしての「有用性」や「美的感動」を消したところに成立する、と言っているが、であればそのモノは限りなく広がっていくだろう。

やはりそこには見る側の「評価」、必ずしも美的含意はなく、ある種の感覚的な拡張体験をもたらす作品であるとの「評価」が前提になるだろう。

そしてこれは、現代アートの評価基準でもあり得る(S.ソンダク参照)。

 

今回のアーチソンにおける展示「トランクの中の箱」は、デュシャン(1887-1968)が作家活動の終わり頃(1935~1941)の作品で、300個限定制作されたひとつを同美術館が入手したものだろう。

先に紹介した同美術館の小冊子には、概要以下のように案内されている。

「1930年代半ば、デュシャンは自分自身の作品を複製して自らの作品を再考することを

思い立ち、「トランクの箱」として知られる作品のミニチュアからなる「携帯できる美術館」

の制作に着手した。小さな箱の中には、美術界に衝撃を与えた様々な作品で溢れている。」

その作品には「大ガラス」や

「モナリザ」にヒゲを書き加えた作品「L.H.O.O.Q.」

がある。これをフランス語で続けて読むと「彼女の尻は赤い≓性的に興奮している」の意味に

なるらしい。

 

この遊びの精神に満ちたデュシャンの作品の数々を見ていると、彼のインタビューを想起する。

【【私はまったく驚くべき一生を送ってきた】

デュシャンはこの一生を、制限しようとするもの、閉じ込めようとするもの、重くのしかかってくるもの、重要性をもつもの全てに対する、静かで穏やかな、そして自由な挑戦とした」

(デュシャンは語るーちくま学芸文庫p10)

この本を読むと、フランスの公証人の子供に生まれたデュシャンが、父の遺産や後に彼の作品のコレクターになる裕福なアレンスバーグと知り合ったことで、家賃の援助を得たり、ちょっとした作品を売って生活の足しにした。そして彼自身が名誉欲や金銭欲といった自由を束縛するような余計なものを持たなかったせいで飄々と生きることができた。

このインタビューにも自分を飾ること無く、卑下することも無く、厳しい質問にもサラリと受け答えをしている。あるいは彼は生来の怠け者、面倒くさがり屋なのかもしれないが。

 

さてもうひとつの展覧会、「パリ・オペラ座ー響き合う芸術の殿堂」である。

オペラ座はたしかドゴール空港の直通バスの発着所になっているから、何度も寄った馴染みある場所ではある。しかしオペラを観劇するモチベーションは低い。

フランス語を解せぬ者に、オペラを楽しむことはそもそも出来ないと思う。

少なくも私には。

コトバを解せぬものは、まず手係りを求めてオペラ歌手の仕草をなんとか解読しようとするだろう。

しかしそれ故に歌唱力や演技力、舞台背景や演出、、と言ったものに注意を向ける余裕は無い。

仮に予めストーリーを予習していったとしても、余裕の無さに大して変化は無いだろうと思う。

展示は序曲と4幕の構成。

17世紀から「世紀」で幕を昇降させている。

この間帝政と共和制が交代したから、そのレジーム変換が、演目やエトワールの出自、さらには踊り子の出身階級、演出などにいろいろな変化をもたらしたのではないか、と歴史社会学的な視角が切り口であればまた興味も違っていく。それは踊り子のたまり場に紳士が入り込んでいる絵や仮面舞踏会の猥雑な雰囲気の絵があって、そうした視点の可能性を直観したのであるが、余計なことながら、例えば鹿島茂をアドバイザーにしたりすれば、展示ももっと生き生きとしたものになったのでは、と無責任な意見が頭をかすめた。