どちらか一方だけ、一人だけで進めるのではなく両者、全員参加で | 京都大山崎 言い訳をやめて夢実現!「できない」が「やりたい!」へと変わる潜在意識カウンセリング 潜在意識専門家(公認心理師)

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奇跡は「自分」でつくるもの!見える世界と見えない世界をつなげます。おもいこみにふりまわされるのではなく、潜在意識を活かして輝く!受け身ではなく、主体的に生きる方法をお伝えします。

 

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ご訪問ありがとうございます。

グリーンフォレストの森口です。

 

 

GWも残すところあと2日。

 

 

天候に恵まれたGW後半。

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

 

いま私、

京都のカフェにいるんですが、

 

窓から見える京都の町並み、

 

 

オーバーツーリズムの名の通り、

たくさんの観光客でごった返しております。

 

 

 

 

 

 

まだ記事化できていなかった、

先日のチャネリング講座での気づき、

 

 

たくさんあるなかからひとつ厳選し、

シェアしたいと思います。

 

 

 

ポイントは、

「義務感・責任感」

 

 

 

矢印の向かう先は?

 

 

 

自分に課した、課せられた、

役目役割を果たそうとする、

 

まっとうしようとする気持ち。

 

 

そして、

 

 

自分のとった行動、結果、

その始末を自分でつけようとする言動、

 

 

それらをさして義務感・責任感と、

一般的に言われています。

 

 

 

義務感責任感が強め と聞くと、

あなたはどんな人物をイメージするでしょう。

 

 

 

強弱にもよりますが、

 

 

コミュニテイの中に、

義務感責任感の強めの人がいてくれる方が、

 

まとまりやすい、

スムーズにことが進みやすいと言われます。

 

 

たしかに、

グループワークなどをしていても、

 

そんな人がいてくれる方が、

 

 

盛り上がりすぎて脱線しそうになっても、

率先して本筋に戻そうとしてくれますから。

 

 

ありがたい存在でもあるし、

信頼に値します。

 

 

 

ただ、そんなありがたい義務感責任感も、

「過ぎれば」多少様変わり。

 

 

 

役目役割を果たす!その思いが強すぎたり、

 

自分でなんとかする、

なんとかせねば!その思いが強すぎると、

 

 

ありがたい存在というよりかは、

融通のきかないという印象になりやすいし、

 

 

信頼できる人というよりかは、

 

こだわりの強い、

やっかいな存在にもうつります。

 

 

 

 

 

 

中央値を超すと、

 

どちらかに偏りすぎると、

 

 

真反対の印象にもなりやすい、

それはなんでもそうなんですが、

 

 

なかでも義務感責任感はとくに、

わかりやすいかもしれません。

 

 

当人が感じるもの(熱)

周囲の人間が感じるもの(冷)

 

生じる違い、温度差、微妙なズレ。

それはなかなか相容れない。

 

 

さらにもうひとつ、

特徴的なことに、

 

 

義務感責任感がどこに向くか。

 

矢印の向かう先、方向がちがうだけで、

まったく違う展開になりやすい。

 

 

それもまた、

義務感責任感の特徴かもしれません。

 

 

 

たとえば、

 

義務感責任感が自分に向くと、

 

 

自己犠牲になりやすく、

自分から喜びや楽しみを奪いやすい。

 

そう言われます。

 

 

 

せねばすべきで自分を縛り、

常に自分を追い込んでしまう、

 

そんな理由からかもしれません。

 

 

 

じゃあ、

義務感責任感が他人に向くと、

 

どうなると思いますか?

 

 

 

これは簡単 ですよね(*´ω`)

 

 

 

自分を追い込むように、

相手を追い込んでしまう。

 

 

つまり、

 

 

自分の価値観を、

自覚のないまま相手に押しつけてしまう。

 

そう言われます。

 

 

すごく簡単に言うと、

 

 

私だって、

こんなに我慢してやってるんだから、

 

私だって、

こんなに無理してやってるんだから、

 

 

あなただって少しぐらい、

私に合わせなさいよ、

 

融通きかせなさいよ。

 

 

誠意を見せなさいよ!

 

そんな発想になりやすいと。

 

 

美しき(ように感じる)義務感責任感も、

見る面が変わればこうも変わる。

 

 

何が正しくて何が誤りとなるのか。

 

 

自分基準で見たときと、

他人基準で見たとき、

 

 

矢印の先を自分に向けたときと、

他人に向けたとき、

 

 

それにより、

全然違うものが見えてくる、

 

全く違う印象となる。

 

 

 

確定したものなんて、

あってないようなものだと、

 

 

正義・正解ってこんなに、

人によって全然違うんだ、

 

 

 

今の話から、

なんとなくでも感じませんか(*´ω`)

 

 

 

 

 

 

どれだけ近い関係性でも、

 

血のつながりがあろうともなかろうとも、

 

 

 

基準が同じ、価値観がまったく同じ、

そんなことはまずありえないので、

 

※(部分的に)似通っている、はありうる

 

 

 

人との関係において、

 

心地よい距離感をたもつ、

相互理解を深めたいなら、

 

 

義務感責任感で1人突っ走るよりも、

 

 

折り合いをつける、

照らし合わせる、すりあわせる、

 

 

つまり、

 

 

両者、両サイドが参加して、

話す(伝える)、聞く

 

必要ですよと。

 

 

どちらか一方だけじゃなくてね。

 

 

そして、

 

我慢、だんまり、

おしつけ、あきらめ。

 

自己犠牲、それでもない。

 

 

折り合いをつける、照らし合わせる、

すりあわせる。

 

それは、

 

けんかでもなければ議論でもない。

 

 

 

どっちが勝った負けたでもなければ、

論破でもない(*´ω`)

 

優れてる劣ってる でも全然ない。

 

 

 

違う側面からものごとみている、

ただそれだけのことですから。

 

 

 

 

 

 

いまカフェで、

この記事を作成してるんですけど、

 

 

隣の席に座っていた男女、

私よりもぐっと年齢が上の方々ですが、

 

二人の話が耳に入ってきたんです。

 

 

なんとはなしに聞いてたんですが、

 

お二人の会話、

すごくおもしろい男女の差があったので、

 

 

※良いとか悪いとかではなく捉え方の差

 

 

 

またその気づきについても、

後日シェアしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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