藤田真央 ピアノ・リサイタル
~ショパン×リスト~
【日時】
2023年10月15日(日) 開演 14:00
【会場】
ザ・シンフォニーホール (大阪)
【演奏】
ピアノ:藤田真央
【プログラム】
ショパン:ポロネーズ 第1番 嬰ハ短調 op.26-1
ショパン:ポロネーズ 第2番 変ホ短調 op.26-2
ショパン:ポロネーズ 第3番「軍隊」イ長調 op.40-1
ショパン:ポロネーズ 第4番 ハ短調 op.40-2
ショパン:ポロネーズ 第5番 嬰へ短調 op.44
ショパン:ポロネーズ 第6番「英雄」変イ長調 op.53
ショパン:ポロネーズ 第7番「幻想」変イ長調 op.61
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
※アンコール
グリーグ:抒情小品集 第3集 op.43
好きなピアニスト、藤田真央のピアノリサイタルを聴きに行った。
彼の実演を聴くのはこれで11回目。
今回は、ショパンのポロネーズ全曲およびリストのピアノ・ソナタの演奏会である。
前半のプログラムは、ショパンのポロネーズ全曲(遺作除く)。
この全7曲セットで私の好きな録音は
●ポリーニ(Pf) 1975年11月セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
あたりである。
ポロネーズという曲種に合った、力強い演奏。
ただ、立派な演奏ではあるものの、細やかさに欠けるきらいはある(当時のドイツ・グラモフォンの硬い音質もその一因かもしれないが)。
その点、今回の藤田真央の演奏は、細やかさにかけては超一流。
細部まで洗練され、聴いていて大変に心地よく、耳のご馳走といったところ。
ポロネーズは繰り返しが多いため、最後の繰り返しではいつも何らかの工夫をするのも、サービス精神旺盛な彼らしい(第1番中間部では内声の強調、第2番主部では低音のオクターヴ重ね、第3番中間部ではペダルを深くする、等々)。
一方で、彼の演奏は常に品が良く、はみだしがないというか、ポリーニのようなダイナミズムは望めない。
ポリーニと藤田真央のそれぞれ良いところを採ったら、最高の演奏になりそう。
それにしても、ポロネーズ全7曲を通して聴くことで、見えてくるものがある。
ショパンの音楽人生、とでも言おうか。
第6番「英雄ポロネーズ」から、第7番「幻想ポロネーズ」に移る際、藤田真央はほとんど間を取らず、アタッカで繋げた。
「英雄ポロネーズ」の輝かしい変イ長調の終結和音が鳴った後に余韻なく続く、「幻想ポロネーズ」冒頭の変イ短調の和音。
それは、「英雄ポロネーズ」の雄渾な勝利の終結を、ショパンが自ら一旦否定したように、私には聴こえた。
これでは、自分のポロネーズ人生はまだ終われない、と。
ショパン晩年の「幻想ポロネーズ」は、円熟期の「英雄ポロネーズ」とは全く違った和声世界が展開される。
中間部の長い長いトリルは、ベートーヴェン晩年のソナタ第30番終楽章、最終変奏のそれのような“心の震え”であり、輝かしくもどこか切ない、全てを見晴るかすような変イ長調のコーダは、ベートーヴェン晩年のソナタ第31番終楽章のそれのような“決別の歌”である。
「英雄ポロネーズ」の勝利の歌では終われなかった、ショパンの思い。
藤田真央の弾く「幻想ポロネーズ」は以前にも聴いたが(その記事はこちら)、そのときには気付かなかった景色を、今回全曲ツィクルスによって見せてくれた。
後半のプログラムは、リストのピアノ・ソナタ。
この曲で私の好きな録音は
●ツィメルマン(Pf) 1990年2,3月セッション盤(NML/Apple Music/CD/YouTube)
●デミジェンコ(Pf) 1992年2月5,6日セッション盤(CD)
●江尻南美(Pf) 2005年5月フランクフルトライヴ(動画1/2/3/4)
●チョ・ソンジン(Pf) 2012年8月8日ドゥシニキ=ズドゥルイライヴ(音源)
●リード希亜奈(Pf) 2019年パルマドーロコンクールライヴ(動画)
●阪田知樹(Pf) 2021年5月12日エリザベートコンクールライヴ盤(NML/Apple Music/CD/YouTube/動画)
●キム・セヒョン(Pf) 2022年6月11日仙台コンクールライヴ(動画、その記事はこちら)
あたりである。
この曲の巨大で恐ろしい悪魔的・ファウスト的な面をとことん表現したタイプの演奏(巨大かつオーソドックスなツィメルマン、巨大かつ明晰なデミジェンコ、リヒテルのカーネギーライヴがさらに荒れ狂ったような江尻南美)。
この曲をベートーヴェンから連なるピアノ・ソナタの系譜としてとらえたタイプの演奏(幻想曲風ソナタとしてとらえたリード希亜奈、大ソナタとしてとらえた阪田知樹)。
この曲を当代一流のキレと洗練とをもって高い完成度で弾きこなしたタイプの演奏(ロマン的なチョ・ソンジン、より真っ直ぐなキム・セヒョン)。
このように、多様な解釈を受け入れる懐の深い曲だが、逆に「自分はこれだ」という強い個性の主張がないと呑まれてしまう、怖い曲でもある。
今回の藤田真央の演奏は、チョ・ソンジンやキム・セヒョンにも匹敵する洗練度だったが、タイプは少し違って、テンポ設定がやや自由というか、楷書体というよりは行書体を思わせるスタイルだった。
それはそれで面白いのだが、このどっしりとした大きなソナタにおける必然性はあまり感じない(小品には合いそうなスタイルだが)。
また、例によってダイナミズムもそれほど大きくなく、これといった強い主張を感じることなく最後まで行ってしまった。
あまり彼向きの曲ではないのかもしれない。
もちろん、彼ほどのハイレベルなピアニストだからこそ言える、贅沢な感想である。
ピアニストであれば皆必ずショパンを弾くが、演奏会でポロネーズ全曲を弾いたり、最初のショパン録音集で即興曲全曲とスケルツォ全曲を選んだりするピアニストは(その記事はこちら)、藤田真央以外にいないだろう。
ショパンはショパンでも、いかにも次のショパンコンクールに出ます、といったプログラムでないのは、彼らしくて頼もしく思う(ファンとしては一抹の寂しさを覚えるのも事実だが、彼がもはやショパンコンクールに出る必要がないのもまた事実である)。
(画像はこちらのページよりお借りしました)
↑ ブログランキングに参加しています。もしよろしければ、クリックお願いいたします。