藤田真央 京都公演 ブラームス 2つのラプソディ R.シュトラウス ピアノ・ソナタ ほか | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

藤田真央 ピアノリサイタル

 

【日時】

2021年2月28日(日) 開演 14:00

 

【会場】

府民ホール・アルティ (京都)

 

【演奏】

ピアノ:藤田真央

 

【プログラム】

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 K.282
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調 K.457

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第8(9)番 ニ長調 K.311

ブラームス:2つのラプソディ Op.79
R.シュトラウス:ピアノ・ソナタ ロ短調 Op.5

 

※アンコール

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第5番 ト長調 K.283

ショパン:エチュード 変イ長調 Op.25-1 「エオリアンハープ」

 

 

 

 

 

下記リブログ元の記事に書いていた、藤田真央のピアノリサイタルを聴きに行った。

彼の実演を聴くのはこれで3回目(1回目はこちら2回目はこちら)。

 

 

 

 

 

前半の曲は、モーツァルトのピアノ・ソナタ第4番変ホ長調、第14番ハ短調、第9番ニ長調。

これらの曲においては、私は

 

●ピリス(Pf) 1974年1、2月セッション盤(CD

●シフ(Pf) 1980年セッション盤(CD

 

の2種の録音が好きであり、また第4番については

 

●矢野雄太(Pf) 2015年11月25日浜コンライヴ盤(CD)

 

も好きで、あと実演では中川真耶加の演奏も忘れがたい(そのときの記事はこちら)。

 

 

今回の藤田真央の演奏は、これらの名盤にも優ってしまおうかという素晴らしいものだった。

少なくとも、技術的な精緻さの点では、他の演奏が及びもつかないほどの完成度である。

あらゆる音階が、トリルが、同音連打が、これでもかというほどに粒がそろい、かつ心からの歌になっている。

それが、右手のみならず、バスも内声も全く同様なのである。

これほどまでに弾き込まれ、こだわり抜かれたモーツァルトは、他にシフからくらいしか聴かれないし、技巧面ではシフさえ抜いている。

 

 

あとは解釈面だが、第4番の第1楽章は自由にさらりと流す感じで、(矢野雄太や中川真耶加のように)もっとしっとり抒情的に弾く方が私は好みかなとも思ったのだが、第2、3楽章になると、他を寄せつけない抜群のタッチコントロール、朗らかな歌心、洗練された軽妙さに完全にとりこになってしまった。

第14番も、かなりの高速テンポなのに全く苦しさがなく余裕綽々、この曲の悲愴感をしっかり表現しつつも、ベートーヴェンのようには重くならずモーツァルトらしい軽快さ、疾走感を保った理想的な演奏。

第9番は、本来私はからりと乾いた演奏が好きで、藤田真央が弾くとロマン的になりすぎるのではと思いながら聴いたのだが、そんな私の予想をはるかに飛び越える、きわめてロマン的で繊細な歌やさりげない工夫が随所にちりばめられながらも、全く湿っぽくならずモーツァルトらしい愉悦や躍動感に満ち満ちた、ぐうの音も出ない名演だった。

黄金色に光り輝くような、最上のモーツァルト演奏。

 

 

 

 

 

休憩をはさんで、次の曲は、ブラームスの「2つのラプソディ」。

この曲で私の好きな録音は

 

●バックハウス(Pf) 1932年12月7日セッション盤(NMLApple MusicCDYouTube1YouTube2

●Xiaoya Wan(Pf) 2020年11月10日ブゾーニコンクールライヴ(動画) ※06:40~(第1番のみ)

 

あたりである。

ブラームスならではの武骨な魅力を最大限に体現したバックハウス、武骨さよりもブラームスの内面に秘められたロマンを重視したWan。

今回の藤田真央の演奏は、上記2盤に比べるとこれぞといった個性には欠ける印象。

とはいえ演奏の完成度はやはり高いし、第1番の第2主題の歌わせ方や、その主題がコーダにおいて低音部で再帰する際の歌わせ方などは、さすがのものだった。

 

 

 

 

 

最後の曲は、R.シュトラウスのピアノ・ソナタ。

この曲にはグールドやブラレイの録音があるが、これぞという演奏はまだ見つけていない。

そもそも曲が若書きだからということもあるかもしれない(R.シュトラウス17歳頃の作品)。

今回の藤田真央の演奏を聴いても、この曲の魅力に大きく開眼するというところまでは行かなかった。

藤田真央は、ベートーヴェンの「運命の動機」が頻出する“お堅い”第1楽章でも、第1主題は先へ先へと急ぐテンポ、第2主題はゆったりと歌うテンポ、とソナタらしい統一感よりも幻想曲風の自由さを重視した解釈をする。

その点で、グールドとは異なるこの曲の新しい一面を見せてくれた。

 

 

 

 

 

アンコールでは、モーツァルトのピアノ・ソナタ第5番ト長調をなんとまるまる一曲弾いてくれた。

ブラームス、R.シュトラウスを経てモーツァルトに戻ると、彼の演奏は水を得た魚のよう。

やっぱり、彼のモーツァルトは特別である。

プログラムに書かれた彼自身の言葉を引用したい。

「モーツァルトの作品の魅力は、次から次へと形や色を変え、光や影をまとったり払ったりしながら、どんどん変化していくこと。そこにモーツァルトの“お茶目でいたずらっ子”な人となりを感じます。なんとなく私の性格とも似てるかな…と思うこともしばしば、です。

そしてそれがどんなに展開しても、モーツァルトの音楽には、幸福で哀しい“美”が宿っています。」

モーツァルトのことが、ほとんど自分のことのように分かるのだろう。

 

 

アンコールはさらにもう一曲、ショパンのエチュード「エオリアンハープ」。

この曲の名演を挙げた以前の記事で(その記事はこちら)、「贅沢を言うと、より自然な歌心を持つ名演も聴いてみたい。藤田真央あたりに期待か」と書いていたことが、今回奇しくも実現してしまった。

演奏が素晴らしかったことは言うまでもない。

 

 

 

(画像はこちらのページよりお借りしました)

 

 

 

 


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