藤田真央 モーツァルト ピアノ・ソナタ全曲演奏会
第1回(全5回) 清らかな始まり
【日時】
2021年4月3日(土) 開演 14:00 (開場 13:30)
【会場】
京都コンサートホール 小ホール(アンサンブルホールムラタ)
【演奏】
ピアノ:藤田真央
【プログラム】
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第7番 ハ長調 K.309
モーツァルト:「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による12の変奏曲 ハ長調 K.265
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第16(15)番 ハ長調 K.545
モーツァルト:6つのウィーンソナチネ 第1番 ハ長調 K.V.439b
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第1番 ハ長調 K.279
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第10番 ハ長調 K.330
※アンコール
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第2番 ヘ長調 K.280
下記リブログ元の記事に書いていた、藤田真央のピアノリサイタルを聴きに行った。
彼の実演を聴くのはこれで5回目(1回目愛知公演はこちら、2回目大阪公演はこちら、3回目京都公演はこちら、4回目関西フィル公演はこちら)。
今回は、モーツァルトのピアノ・ソナタ全曲演奏会シリーズの第1回である。
藤田真央のモーツァルト、相変わらず素晴らしい。
音の粒のきれいに揃っていることといったら、惚れぼれするほど。
ソナタ第15番の第2楽章の左手のアルベルティ・バス、それからソナタ第7番の終楽章の左手の逆アルベルティ・バス、こういった紋切り型の伴奏音型が、彼の手になるとノン・レガートとスタッカートの間くらいの小気味よいアーティキュレーションで、きわめて生き生きとした音楽的な表現となる。
アルベルティ・バスで人を感動させるなんて、前代未聞である。
軽やかで優しくも、ふにゃっとならず芯の通った音であり、この繊細なコントロールは(いささか逆説的だが)相当に強靭なタッチを有していることの証左だろう。
今回の曲目で特に個性的だったのが、きらきら星変奏曲である。
この曲で私の好きなハスキル、エッシェンバッハ、シフ、辻井伸行の演奏のように、開放的に朗々と主題を歌わせることは、藤田真央はしない。
ひっそりとした最弱音、速めのテンポで、ペダルも使わず淡々と奏するので、いつものこの曲の主題とはかなり違った印象を受ける。
しかし、このテンポなればこそ、続く第1変奏でも、また第5変奏と第6変奏の間でも、しばしば行われるようにテンポを急に速めることなく、第7変奏まで一定のテンポで各変奏をつなぐことが可能となった。
また、最弱音で開始すればこそ、そこから少しずつデュナーミクを上げ、第7変奏をそのピークに持ってくることが可能となった。
ペダルも同様で、第7変奏へ向け少しずつ深められていく(第2変奏で少しだけ深められたペダルの、詩的で感動的なこと!)。
つまり、曲の前半(主題から第7変奏)は連続した大きな流れを形成し、曲の後半(第8変奏から第12変奏)は個々の変奏の異なる性格を表現する、といった巨視的な演奏が展開されたのである。
これほど明快かつ独創的なコンセプトでこの曲が奏されるのを、私は他に聴いたことがない。
また、繰り返しの多いこの曲において、繰り返しのたびに別の声部を際立たせ、新しいメロディを浮かび上がらせるのにも驚いた。
バッハならともかくモーツァルトの、それもいたってシンプルな変奏曲において、ここまで豊かな引き出しを見出そうとは。
まるで「こんな音もあるよ」と私たちに笑いかけるかのよう。
同じプログラムでの東京公演の評判を見ていると、彼の演奏について「あざとい」という声が結構あったようである。
それは確かにその通りなのだが、彼の「あざとさ」は完璧なタッチコントロール、隠れたメロディの呈示、曲全体の新たなコンセプトに至るまで、きわめて個性的かつ練りつくされており、なおかつそれらがアカデミックな堅苦しさをもたず遊び心満載、さらにはモーツァルトらしさをぎりぎりのところで踏み越えない(というよりむしろ「彼にはモーツァルトの様式でなく精神が分かっている」と言うべきか)ために、私にはもう彼のやり方に反対しようという気力は全く残っていないのだった。
終演後、マイクを手にした彼は、モーツァルトシリーズ全国ツアーがこの京都公演で全て終わり気持ちが晴ればれしていること、最近韓国ドラマ「ヴィンチェンツォ」にハマっていること、その主人公の立派な腹筋に憧れ一週間ほどトレーニングにいそしんでいることなどをひとしきり喋り、アマデウスのような無邪気な高笑いとともに舞台を後にした。
(画像はこちらのページよりお借りしました)
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