ミニチュア制作 La Petite Fleuriste -70ページ目

スピリチュアル

昨今のスピリチュアルブーム(あれ、もう終わってますか?)・・・
スピリチュアルという言葉に少し抵抗があるのは私だけでしょうか。
興味を持つのは有意義で大切なことだと思ってます。

私もこの手の話が大好きだったりします。


ただ、火付け役(?)のEさんやその他の方々は、
それに伴う危険性、点在する落とし穴について

私が知る限り、語っていないような気がします。
落とし穴に落ちていることに気付かない人が多いのではないでしょうか。
批判しているのではなくて、気を付けないとと自分にも言い聞かせているのです。
さて、これからが言いたいことです。

言いたいというか、なんとなく思い浮かんだことを少し書きます汗

多分、変人の烙印を押されるようなものでも

誤解も真似くようなものでもあるでしょう・・・。

半信半疑で結構です。

変なことを言っている程度で結構です。

読まなくても結構です。

 

自身の感情魂の進化に繋がること、

そして悟性(カントやヘーゼルが定義するものではないです)

及ばぬ範疇を私は大切に想います。
無意識に自分自身にその作用を当て嵌め、選出しようとしています。
焦燥感から、非本質的なものに本質を見出さないように

努めています…。



日々ある試練が与えられ、そんな中、私にとっても大きな試練が

今年に入って4回与えられ試されています。
ピッチが早くなりました。
シチュエーションは違えど内容は全く同じであることに気付いたときは

一種の恐怖を感じてしまったくらいです。
勿論、試練は消化することを断言します。


どこからきたのか覚えていませんが、

2年前の目標というか身を持って実感したことに、

“自分の人生を改善したければ、私は自分の人生を癒さなければならない。”
というものがありました。
そして、その想いを大切にし、日々を送っているとき、

守護霊(人数とどういう方々なのか分かったときはとても嬉しかったのですが、

その内容はご想像にお任せします)から三つのメッセージをいただきました。
メッセージと言っても言葉ではないのです。


どれもそのときの私にとって

心臓や身体に突き刺さるような的確なメッセージで、涙が止まらなかったです。
今の目標は別のもので、

それらをいただいた数年前と今の自分を比べると驚かずにはいられません。

とても感謝しています。
そして、今でも私が感謝の想いを伝える度に、

共鳴したかのように何故か私は涙が溢れ出るのですラブラブ


誰にも必ずついていますが指導霊、(所謂“天使”のようなもの。人間や動物の魂ではないようです。

美しい姿形ではないです。)の存在を知ったことも転機だと思います。


その指導霊は、前述したように誰にも必ずついていますが、

縁が切れていたり、結び付きが弱くなっていたり…。
あまりにも結び付きが弱い人が多いように思います。
どうして弱まったのか、どうすれば強められるか…

この場では説明できませんが、強めるには内的な美を求めれば機会が与えられるようです。

表面的、外面的なものに縛られているうちはなかなか姿を現さないようです。

まだ耳の痛い言葉ではありますが・・・あせる


ナンチャッテ。一人言でした。
次回はプリンを載せますネコ足あと

粘土で作るミニチュアのバラ

誰そ、彼かと見分け難き黄昏時

暗闇へ移りゆく空・・・


空を眺めるのが好きです。

特に夜空星空



今日は漸く日差しが出たので、ここぞとばかりにパッシャパシャ撮りましたカメラキラキラ


作品は、

“It still lives in my memory. I like the feeling that I feel. I promise to cherish and

love it.”

こんなイメージでしょうか。。。

 

沢山撮ったので、貼り付けます。



バラ




バラ

一円玉に2つ乗せてみました。


バラ


バラ

右側のバラのアップです。


バラ

こちらは左側。


バラ

グラスの中の水のようなものですが、

レジンだと黄色く劣化する恐れがあるので、違うものを使っています。

中には、様々なスワロフスキークリスタル等を入れていますキラキラ

違った光を出したかったのです。

沈めてしまえば同じかもしれませんが、素材は良いものを使っていますラブラブ

各々のグラスに一粒だけ、スペシャルなものも入れていますが、

液に同化していて見た感じ分らないと思います。


グラスの下の粘土は「すけるくん」のようなものを使いました。

トゲも付けていますが、沈めたことによって、よくよく見ないとわからなくなりました。

沈める前はこんな感じです。

葉っぱがまだ乾いていなくて、ペカペカしていますね。。。


トゲ


 

作っている途中でも、

ここはこうした方が良いなどいつもと同様思うことがありますが、

ずっと試みたいと思っていたことなので、完成してよかったです音譜

ガラスのシリーズを作っていきたいです。


それと、

粘土の花を作り始めてもう少しで半年になります。

まだ手探り状態なので、悩むことが多々ありますが、

少しずつ成長していければと思いますアップ


制作課程

最近、日差しが雲に隠れていて、作ったものの写真を撮ることができません。

日差しがないと、ボヤ~っとした写真になってしまうのです。


今日は制作途中の、カーネーションとバラを載せます音譜

色はまだ上塗りしていない状態です。

室内撮影です。


カーネーション

カーネーション


ここでは触れていませんが、私は、

アントロポゾフィー(神智学)の勉強をしています。

雑多なブログになっているので、それを記載しても良いかもしれません。

ここでは詳しくは書けないので、曖昧になってしまうと思いますが・・・。


これを勉強していると、とても満たされて何とも形容し難い気持ち良さが

滾々と尽きることのない泉のように湧き出て、溢れてきたり、

かと思えば、恐怖感を感じたりします。

それは私の未熟さからきているのですが・・・。

とはいえ、

高次元の意味において、心、意識、思考、、、

この三つが大きな流れの中で合致すること、

これは本当に素晴らしいことだと思います。

そして、その結果実際見えるものがでてきます。


今日はこれからまた忙しいので、また機会を設けて書きますメモ

お酒落なラウンジ、タンゴ

昨日のブログについてですが、極端なことを言うつもりはないのです。
具合悪かったりなどありますし、絶対残すなという意図ではないんです。
ただ、たまには大切に思って欲しいという意図です。
私は食べることが大好きなので・・・。
テレビもNHKの旅行系の番組も好きです。たま~にお笑いも見ます。

温かいコメント、とっても嬉しかったですラブラブ
今日はそんな意味もあって、一つ、私が好きなラウンジを載せます。
値段的に高いものではないです。
大学生のころに、よく行ってました。
http://www.parkhyatttokyo.com/Facility/Restaurant/
パークハイアットのピークバー、ピークラウンジ、ニューヨークバー。

料理は絶賛はしませんが、ここは本当にくつろげます。
ピークラウンジは、昼間に行くと、また新鮮です。
アフターヌーンティーが最高ですねキラキラ
くつろいでいると、試食を勧められたりすることもあります。
そんな試食で、晩御飯が食べられないくらいお腹が満たされたこともありましたぶーぶー

今日は夜のラウンジにも似合う曲を貼ります音譜
最近懐かしくてよく聴く、Gotan Project

ボッサ・ハウス系のブレイクビートに、
ピアノやアコースティックギター、アコーディオン、パーカッション。
タンゴとエレクトロの融合。。。
そう、アルゼンチンタンゴがクラブミュージック風に仕立てられた雰囲気があります。
Tangoをひっくり返してGotanという名前になったそうです。
邦題にすると、『タンゴの逆襲』なんていうアルバムも出しています。
メンバーはフランス人3人組です。

Argentina Buenos Aires el puerto de Santa Maria del Buen Ayre音譜
そう、一番有名なこの曲。

Santa Maria




映画『Shall We Dance?』
で、リチャード・ギアとジェニファー・ロペスも踊ってましたね。
YOUTUBEにもありました。
あとは『Epoca』『Diferente』、『Vuelvo Al Sur』などが有名でしょうか。

私は、一昨日から同じくGotanの『Mi Confesion』という曲のおじさんラップ(歌っているのは若い人です)
みたいなものをずっと口ずさんでいます。



Apolo Novax(水色の服)のパートの
Pensamientos del corazón..son mi confesión.."¿que?"... tampoco mi inspiración.
って部分が印象的で何度もリフレイン(笑)。
あと、Escuchame bien...no es chamuyo...って言ったあとの、
es amor のポーズとか真似したり・・・。
寝る前に聞いたら、あまり良い夢を見れないような気がしますが、
これを聴くとテンションが上がりに上がります。
途中のにゃんこの声が可愛いです。

『Epoca』『Santa Maria』『Vuelvo Al Sur』『Queremos Paz』
などの方が好きですが、これも好きなのです。

せっかくなのでEpocaも貼っておきます。


話が止まらなくなりそうなので、ここで切り上げます。

HPはこちらです。
http://www.gotanproject.com/
アクセスするといきなり音楽が流れますドンッ

テレビを見ないわけ。

今日は日頃気になっていることを書きます。
このブログの趣旨とは少し異なります。

私はテレビを見ません。

正確には、月一回見るか見ないか程度でしょうか。

朝、ニュースはついているみたいですが、耳に少し入れる程度です。

あとは、ネットなどのニュースを見ます。
テレビをあまり見ないのは時間が勿体ないということと(とはいえ、海外ドラマは見ます汗)、

大食い流行の風潮からかもしれません。


私は子供の頃から食べ物は残しません。
毎日動物を殺生しながら、私は生きている訳で。

幼少の頃からそんなことを考えているのではありませんが、

残すということが頭にはなかったです。

出されたら、全て食べる。

それが礼儀なんだと幼心に思っていたのかもしれません。

いや、母の作るご飯を食べることが好きだったのでしょう。


18歳くらいでしょうか、豚や鳥などがどうやって私達の口に入るかの

過程を映した動画を見たことがあります。

生きているものが、瞬時に命を奪われる・・・

それは衝撃的な映像で、暫く肉を食べられなかったくらいです。

ブログでもそういった記事やHPを載せている方がいらっしゃいますね。

私はここではしませんが、知らない人は知るべきだと思います。


食事をするときに、「いただきます」と言うのが、

日本において、作法ですが、

これは“命”をいただきますという意味。

感謝し、いただく。

言わずとも知れていますが・・・。


他の生命の命を奪わなければ生きていけない。

弱肉強食が当たり前とするのなら、それは人の心ではないと思います。


昔は、その命を奪う資格を問うていたらしいです。

そして、その“いただきます”は人の前で言うものではないほど

神聖だったそうです。

問うて、その命をいただいたお礼として、

自分はこれこれこうして明日は頑張るなどと誓ったそうです。


“いただきます”と言いながら、食べ物を残したり、

大食いのように無理矢理食べ、吐いたり(吐きダコがある人が多いです)・・・。

フードファイトなんて心痛い言葉です。

大切な食べ物と戦う!?

そんなことを繰り返していたら、必ず報いがくるものだと

私は思います。


知らないからでは済まされる問題ではないです。

飢えて死んでいく人がたくさんいるのに、

そんな姿をテレビで見掛けると涙が出そうになります。


これが私がテレビを見ない一つの理由です。

別に私は宗教をやっているわけではありません。

ただ、人の心を失ってしまったような人を見掛けると、とても

悲しいので、目を瞑ってしまっているのです。


ブログを見ていても、

「ここのこれが美味しいかった」と書いてあるものを多々見受けます。

「幸せな一時で良かったね」と思う反面、

「全部綺麗においしく食べたのかな?」と心配になってしまうことがあります汗


私は、食に対して欲はあまりありません。

それは、恵まれた環境だからかもしれません。

一回のディナーで10万円以上使うところで食べたこともあります。

五つ星の名店も行きました(連れて行ってもらいました)。

いくら美味しいものを知っても、それをまたどうしても食べたいという欲はないです。

周りからは、私はいつも「おいしそうに食べるね」と言われます。

それは、食べ物の有り難みを感じているからかもしれません。

ただ、「何でも食べていいから、食べに行こう」という誘い、

それには魅力を一切感じません。


逆に、一か月、バナナと卵だけで生活をしたこともあります。

勿論、またその生活をしようとは思いませんが、

いくらひもじいと思っても、大した欲はありません。

結局は困ってないからなのかもしれませんね・・・。

それと、おいしいものを食べるより、大切に思うことがあるからかもしれません。

海外旅行においてもそうです。

食べ物より、美しい景色、美術です。



話が大分逸れてきましたが、

私が言いたいのは、

何も野菜だけの精進料理を食べようというのではなく、

無駄にすることなく、たまには有り難みを感じて欲しいということです。

たかだか20過ぎが生意気なことを言っているかもしれません。

でも、心に留めて、たまには思い出して欲しいと思うのです。


明日は、晴れたらオークション用の写真を撮って載せますアップ