スピリチュアル
昨今のスピリチュアルブーム(あれ、もう終わってますか?)・・・
スピリチュアルという言葉に少し抵抗があるのは私だけでしょうか。
興味を持つのは有意義で大切なことだと思ってます。
私もこの手の話が大好きだったりします。
ただ、火付け役(?)のEさんやその他の方々は、
それに伴う危険性、点在する落とし穴について
私が知る限り、語っていないような気がします。
落とし穴に落ちていることに気付かない人が多いのではないでしょうか。
批判しているのではなくて、気を付けないとと自分にも言い聞かせているのです。
さて、これからが言いたいことです。
言いたいというか、なんとなく思い浮かんだことを少し書きます
多分、変人の烙印を押されるようなものでも
誤解も真似くようなものでもあるでしょう・・・。
半信半疑で結構です。
変なことを言っている程度で結構です。
読まなくても結構です。
自身の感情は魂の進化に繋がること、
そして悟性(カントやヘーゼルが定義するものではないです)が
及ばぬ範疇を私は大切に想います。
無意識に自分自身にその作用を当て嵌め、選出しようとしています。
焦燥感から、非本質的なものに本質を見出さないように
努めています…。
日々ある試練が与えられ、そんな中、私にとっても大きな試練が
今年に入って4回与えられ試されています。
ピッチが早くなりました。
シチュエーションは違えど内容は全く同じであることに気付いたときは
一種の恐怖を感じてしまったくらいです。
勿論、試練は消化することを断言します。
どこからきたのか覚えていませんが、
2年前の目標というか身を持って実感したことに、
“自分の人生を改善したければ、私は自分の人生を癒さなければならない。”
というものがありました。
そして、その想いを大切にし、日々を送っているとき、
守護霊(人数とどういう方々なのか分かったときはとても嬉しかったのですが、
その内容はご想像にお任せします)から三つのメッセージをいただきました。
メッセージと言っても言葉ではないのです。
どれもそのときの私にとって
心臓や身体に突き刺さるような的確なメッセージで、涙が止まらなかったです。
今の目標は別のもので、
それらをいただいた数年前と今の自分を比べると驚かずにはいられません。
とても感謝しています。
そして、今でも私が感謝の想いを伝える度に、
共鳴したかのように何故か私は涙が溢れ出るのです
誰にも必ずついていますが指導霊、(所謂“天使”のようなもの。人間や動物の魂ではないようです。
美しい姿形ではないです。)の存在を知ったことも転機だと思います。
その指導霊は、前述したように誰にも必ずついていますが、
縁が切れていたり、結び付きが弱くなっていたり…。
あまりにも結び付きが弱い人が多いように思います。
どうして弱まったのか、どうすれば強められるか…
この場では説明できませんが、強めるには内的な美を求めれば機会が与えられるようです。
表面的、外面的なものに縛られているうちはなかなか姿を現さないようです。
まだ耳の痛い言葉ではありますが・・・
ナンチャッテ。一人言でした。
次回はプリンを載せます

