テレビを見ないわけ。 | ミニチュア制作 La Petite Fleuriste

テレビを見ないわけ。

今日は日頃気になっていることを書きます。
このブログの趣旨とは少し異なります。

私はテレビを見ません。

正確には、月一回見るか見ないか程度でしょうか。

朝、ニュースはついているみたいですが、耳に少し入れる程度です。

あとは、ネットなどのニュースを見ます。
テレビをあまり見ないのは時間が勿体ないということと(とはいえ、海外ドラマは見ます汗)、

大食い流行の風潮からかもしれません。


私は子供の頃から食べ物は残しません。
毎日動物を殺生しながら、私は生きている訳で。

幼少の頃からそんなことを考えているのではありませんが、

残すということが頭にはなかったです。

出されたら、全て食べる。

それが礼儀なんだと幼心に思っていたのかもしれません。

いや、母の作るご飯を食べることが好きだったのでしょう。


18歳くらいでしょうか、豚や鳥などがどうやって私達の口に入るかの

過程を映した動画を見たことがあります。

生きているものが、瞬時に命を奪われる・・・

それは衝撃的な映像で、暫く肉を食べられなかったくらいです。

ブログでもそういった記事やHPを載せている方がいらっしゃいますね。

私はここではしませんが、知らない人は知るべきだと思います。


食事をするときに、「いただきます」と言うのが、

日本において、作法ですが、

これは“命”をいただきますという意味。

感謝し、いただく。

言わずとも知れていますが・・・。


他の生命の命を奪わなければ生きていけない。

弱肉強食が当たり前とするのなら、それは人の心ではないと思います。


昔は、その命を奪う資格を問うていたらしいです。

そして、その“いただきます”は人の前で言うものではないほど

神聖だったそうです。

問うて、その命をいただいたお礼として、

自分はこれこれこうして明日は頑張るなどと誓ったそうです。


“いただきます”と言いながら、食べ物を残したり、

大食いのように無理矢理食べ、吐いたり(吐きダコがある人が多いです)・・・。

フードファイトなんて心痛い言葉です。

大切な食べ物と戦う!?

そんなことを繰り返していたら、必ず報いがくるものだと

私は思います。


知らないからでは済まされる問題ではないです。

飢えて死んでいく人がたくさんいるのに、

そんな姿をテレビで見掛けると涙が出そうになります。


これが私がテレビを見ない一つの理由です。

別に私は宗教をやっているわけではありません。

ただ、人の心を失ってしまったような人を見掛けると、とても

悲しいので、目を瞑ってしまっているのです。


ブログを見ていても、

「ここのこれが美味しいかった」と書いてあるものを多々見受けます。

「幸せな一時で良かったね」と思う反面、

「全部綺麗においしく食べたのかな?」と心配になってしまうことがあります汗


私は、食に対して欲はあまりありません。

それは、恵まれた環境だからかもしれません。

一回のディナーで10万円以上使うところで食べたこともあります。

五つ星の名店も行きました(連れて行ってもらいました)。

いくら美味しいものを知っても、それをまたどうしても食べたいという欲はないです。

周りからは、私はいつも「おいしそうに食べるね」と言われます。

それは、食べ物の有り難みを感じているからかもしれません。

ただ、「何でも食べていいから、食べに行こう」という誘い、

それには魅力を一切感じません。


逆に、一か月、バナナと卵だけで生活をしたこともあります。

勿論、またその生活をしようとは思いませんが、

いくらひもじいと思っても、大した欲はありません。

結局は困ってないからなのかもしれませんね・・・。

それと、おいしいものを食べるより、大切に思うことがあるからかもしれません。

海外旅行においてもそうです。

食べ物より、美しい景色、美術です。



話が大分逸れてきましたが、

私が言いたいのは、

何も野菜だけの精進料理を食べようというのではなく、

無駄にすることなく、たまには有り難みを感じて欲しいということです。

たかだか20過ぎが生意気なことを言っているかもしれません。

でも、心に留めて、たまには思い出して欲しいと思うのです。


明日は、晴れたらオークション用の写真を撮って載せますアップ