ミニチュア制作 La Petite Fleuriste -47ページ目

オレンジベージュのバラ

初めての方もいつも来てくださっている方も

アクセスありがとうございます。


大変申し訳なく思うのですが、またまた返していないペタが5日分あります。

つけていただいた分は、読んでお返しします。

読者登録してくださった方、コメントやメールをくださっている方、

私が読者・アメンバー登録をさせていただいた方のブログには

いつも通り訪問させていただきますが、

私のブログのペタのほうは休止にしました。


再開するか分かりませんが、

再開した際は、またお付き合いいただければ嬉しいです。



これまた久々の更新になってしまいましたが、

本日は、粘土で作ったバラを載せます。


真ん中が濃いオレンジピンクで、

花弁の形は中心部が三角っぽく、そして、外側はちょっとボロボロにしたいと

思って作りました。



ミニチュア バラ


もう少し、薄く細かくできますが、薄くすると三角な感じがあまりでなくなってしまいます。


これを作った後に、これになんとな~く似ている本物のバラの写真を見つけました。

私が作ったものより、花弁が内側に丸まっていて、真ん中の色も薄く、

花弁も広がっています。





元々芸術性を求めているので、

食品サンプルのように現物に似せたものを作るつもりは全くありませんが、

あと、3,4個作るので、

これを真似て作ってみようかとも思っています。


作り始めて、再来月で1年になりますが、大分上達したと思います。

またまた数週間も制作をサボッていたので、それがなかったら

もう少し上達したかしら・・・。



つい、3,4日前、大切な仕事があったので、

気合を入れるためにも上等なスーツ(Dolce&Gabbana)を着て出かけました。

電車を三本乗り継ぎ、約束の時間より少々早く着いたので、

お手洗いに寄ることにしました。


そして、手を洗いつつ、鏡を見ると、


!!



ジャケットの肩の部分が真っ白になっているのですドンッ


ちょっと白いとかではなくて、肩が全面的に真っ白というか・・・・


これは一体なんなのか?



ジャケットを脱いだら・・・





ナント







鳥のフンビックリマーク





いや~~~、もう笑うしかなかったです。

家から駅までの道程で落ちてきたのでしょう。

ゆっくり歩いていったのが仇となったのか・・・。

ほぼ通勤ラッシュの時間帯だったので、気付いた人も多いでしょう(笑

「誰か教えてくれれば良かったのになぁ」と思いつつ、

「よくも命中したものだ」と感心すらしました・・・。

お手洗いに寄って助かりました(笑


電車でそんな人を見たら、是非教えてあげてください。

あ、一生に一度あるかないかですね、きっと。

そんな私は、幼い頃、歩いていて手の平に命中したことがあります。

このタイミングは、宝くじ当選以上の確率ではないでしょうか。

こんな当選いりませんが。


それにしても頭や髪の毛ではなくて、本当に良かったと思いました。

頭になんて落ちたら、頭は洗えないですから・・・。

いえ、洗いますけど、仕事に間に合いません。。。




取り敢えず、不調の日々が続いていたので、“ウンがついた”

ということで、「運気が上がればいいなぁ」と面白半分。

ジャケットを摘んで洗って仕事に行きました。



そして、


このことが引き金なのかある音楽(これはまた別の機会に書きます)を

聴いたからなのか分かりませんが、運気が向上してきました(笑





馬鹿な話はここまでにして、


何かに行き詰って、どうにもならなくなったとき、

改善させようとするには努力の域を超えるような、そんな事態に陥ったとき、

救いの手が差し伸べられます。

現状を改善する鍵となるキーパーソンに出会ったり、

突然、意識していなかった人がそういったキーパーソンになったり、

どこからその思考が来るのか、自分では考えもつかないような考えが

浮かび、脱出の糸口が電撃のように走って、それが役に立ったり

(今は大体この実態が何なのか分かると思います)、

絶好の機会が巡ってきていたり。


今回は、キーパーソンが二人出現したわけですが、

心から、感謝の気持ちを伝えると、相手にもそれが伝わります。

その流れというものは、強大で、同調すればパワーアップしていくのです。

他人を喜ばせること=自分の喜びというように、

自と他が融合し、一つになっていくのです。

ここでいう、他人を喜ばせることというのは、

自分のエゴを介入しない、純粋な他者への愛です。

行為自体に喜びがあるわけで、「感謝されたい」だとか、

「それをしたことによって何か良い影響が自分に起きるのではないか」いう

自分の欲の域を超えない欲の元に行われる行為ではないと

断言してもいいと思います。

確かに、そういった欲でも善意があれば良い方向にいくことも多々あると思いますが、

自分を苦しめる結果を招くこともあると思います。

ただ難しいのは、エゴが一切なくても、相手にとって迷惑になることもあると

いうことですね・・・。


 

とにかく、

相手二人のその意図が理解でき、私は本当に幸せな気持ちになりました。



私は、日々の生活において、ほんの些細な自分の行為、

自分の一挙手一投足が他者や社会に良い影響を与えることができると

いう考えが根底にあります。

それが自分の犠牲を伴うことであれ、本当に取るに足らない些細なことであれ、

その行為をすることに多大な内なる喜びを感じます。

まだ自分の欲の域を超えていないのかもしれませんが、

これが私の無意識の性質の一部であって、客観的に思考してそう思うのです。

自と他の融合、大きな流れの中での調和。

他者からの感謝などという評価ではなく、自分をありありと感じるのです。

所謂、自内証というものでしょうか。

そして、その私の考えと同調した人々が集まってくること、

そういった人々の思考に触れること、

とても温かくて、心地の良いものです。


自分の心が良しとすることをしていきたいという意志の元で、

幸運(必然的な機会)が生まれることもあるようです。

その元の実態は、愛で満たされた、満たそうとした私そのものです。


良かったです。

お気付きの方もいらっしゃると思いますが、

私のブログの名前“La petite fleuriste”は、怪しいフランス語です。

というのも、私がフランス語が全くできないからです。

petite ではなく、petitではないかと考えたり・・・。

La petite fleuristeではなく、Le petit fleuristeではないかと考えたり・・・。

もういっそ、Petite Fleur(小さな花)にしてしまうか思案したり・・・。


「まぁ、いっか」と今年一月、La petite fleuristeにしたわけですが、

先日この名前のティッシュをスーパーで見かけました。

これも間違いではないのかな、と思ったり・・・。

調べるのを見送っていて、もう9ヶ月経ちました汗



一昨日、ネットで調べたところ(遅い・・・)、



La Petite Fleuriste


http://www.google.co.jp/search?num=30&hl=fr&q=la+petite+fleuriste&lr=lang_fr


Le Petit Fleuriste


http://www.google.co.jp/search?num=30&hl=fr&q=le+petit+fleuriste&lr=lang_fr



どちらの花屋さんもあるみたいなのです。


で、フランス語ができるアメリカ人と、フランス人に聞きました。




結果、




La petite fleuriste






で正解でしたクラッカー




最初から調べろって感じですが汗




私は英語と出来もしないフランス語がごっちゃになったり、

イタリア語とスペイン語、ポルトガル語がごっちゃになったり、

私の頭の中は混沌としています。


前々回の記事のメルカート広場。

Mercato(イタリア語)、 Mercado(スペイン語)、 Market(英語)。

メルカードなのかメルカートなのか一瞬分からなくなりました。

まだこの例はマシですが、イタリアへ行ったとき

本当によくごちゃごちゃになっていました。


スペイン語といえば、高校と大学で勉強しました。

高校は一部例外(日本語も英語も苦手な外国人)を除き

第二外国語は、ほぼ必修だったと思います。

ラテンの音楽が好きだったのと仲の良い友達4人がスペイン語を選択したという

理由だけで、私もスペイン語を選択しました。

高校のときのスペイン語のL先生(スペイン人)は、

NHKのスペイン語の番組に出ていた方です。

確かラジオの番組にも一時期出ていたと思います。

妙な日本語(EX:バツイチ)を知っている愉快な先生でしたが、

気性が激しいので、私を含め、大体の生徒は冷や冷やしていました。

「○智大学の生徒より皆出来がいい」などとベタ褒めしつつも、

皆、よく怒られたものでした。

その怒り方が半端ないのですガーン


期末や中間テストで、全体の成績が悪いときは、教室で全員起立させ、

オーラルのテストと称して、一人ずつテストをしていくのです。

問題を聞き直したら、アウト。

簡単な問題に当たったらラッキーですが、難しい問題に当たった場合、

不運としかいいようがないです。

間違えたときの先生ときたら、大激怒もいいところでした。

クラスでとても優秀な子が撃沈していて、気の毒でした・・・。

ライティングやリスニングのテストの結果は白紙にし、

このオーラルで成績が決まったことがありました・・・。
はっきり言って、この授業は嫌いでした(笑

今となっては良い思い出(?)ですが、当時は

一限、二限とスペイン語で、あとは六限まで英語という曜日が地獄でした。

(ディスカッションをする時事英語の授業が苦手でした。)

その高校の授業の後、英語の塾に通っていたりしました。

一体その日は何時間語学を勉強していたのでしょう。


それなのに、今残っている語学力といったら・・・。


もう少し大学でも真面目に勉強すればよかったです。

スペイン語なんて、何も残ってないようです・・・。
最近英語もボロボロなので、新聞を読んだりして

勉強し直そうかとも思っています。





好きな言葉

一年半前に好きになって、また最近好きな文です。

これを身をもって理解してきています。

頭で理解するだけでは本当の理解ではないのです。


シラーの言葉。




わたしたちふたりは真理を求める。


あなたは外なる人生の中で、わたしは内なる心の中で。


そして、銘々がそれを見出す。


眼が健全であれば、その眼は外で造物主と出会う。


心が健全ならば、その心は内部に宇宙を映し出す。





ルッカ

場所的には、フィレンツェとピサの間に位置し、

ピサからフェレンツェへ帰る途中に寄りました。

ピサから15,6分で着きました。

観光客も少なく、アジア人には一人として会うことはありませんでした。


城壁と緑に囲まれた小規模なこの街は、今でも中世の趣を感じることができます。

イタリアでは一部城壁が残っている都市はいくつかありますが、

ルッカのようにほぼ全形が残されている都市は他には殆どないです。

ルッカは元々エトルリア人の街です。

フィレンツェ共和国にもトスカーナ大公国にも併合されず、

ナポレオンの妹とその旦那さんに支配されるまでは、独立共和国だったそうです。

実質的にはフェレンツェの支配を受けたことがないと言われています。

他に類をみません。


あと、忘れてならないのは、

『蝶々婦人(マダム・バタフライ)』や『トスカ』、『ラ・ボエーム』などで有名な

オペラ作曲家ジャコモ・プッチーニの故郷でもあるということです。

オペラ作曲家というより、世界的音楽家と称されることの方が多いのかもしれませんね。



前述したように、ルッカは城壁で囲まれているので、

とても珍しくて、どう入っていけば良いのか一瞬戸惑ったくらいでした。

リソルジメント広場を越えると、ドゥオーモが見えてきます。






砂糖菓子のよう。




ピサ・ルッカ様式です。

ロマネスク・ゴシック様式とも言われています。

白と緑の大理石、細かな装飾、上層の列柱回廊が印象的です。

柱は一本一本模様が異なります。



欠けたところを写してしまっていました。






内部には、ギルランダイオ(板絵、『聖母子と聖人たち』)、

ティンレット(板絵、『最後の晩餐』)の作品があります。


さて、次に移ります。




古代ローマの円形闘技場跡を利用したメルカート広場もあります。



そして、

サン・ミケーレ・イン・フォロ教会です。

サン・ミケーレ=聖ミカエル。

ピサ・ルッカ様式です。

ロマネスク様式とも言われています。

こちらもピサのドゥオーモに似ていました。





11C~14Cに渡る建築だったそうです。

アーチ、アーチ、アーチ・・・

アーチが連なる繊細なファサード。





この薄さに驚きました。

予算の関係で建築が途中で終わったとも言われていますが、

この薄さはそこからきているものなのでしょうか。



この教会を個性的に見せている大天使ミカエル。



顔がちょっと・・・。













内部には、フィリッピーノ・リッピの板絵『4人の聖人たち』や、

アンドレーア・デッラ・ロッビアの彩釉テラコッタ『聖母子像』があります。

ロッビアについては、こちらで少し触れました。

http://ameblo.jp/globular-cluster/entry-10095605355.html


この教会の前に、プッチーニの生家があります。


ルッカには、他にサン・フレディアーノ教会などがあります。

実は、イタリアで唯一道に迷って辿り着けなかった教会です汗

躍起になるほど興味がなかったということもあると思います。



中世の佇まいを残したこの閑静な街にはゆったりとした時間が流れ、

散歩でもして帰りたかったのですが、

雨も結構降っていたので、早めに引き上げました。