運
つい、3,4日前、大切な仕事があったので、
気合を入れるためにも上等なスーツ(Dolce&Gabbana)を着て出かけました。
電車を三本乗り継ぎ、約束の時間より少々早く着いたので、
お手洗いに寄ることにしました。
そして、手を洗いつつ、鏡を見ると、
「」
ジャケットの肩の部分が真っ白になっているのです
ちょっと白いとかではなくて、肩が全面的に真っ白というか・・・・
これは一体なんなのか?
ジャケットを脱いだら・・・
ナント
鳥のフン
いや~~~、もう笑うしかなかったです。
家から駅までの道程で落ちてきたのでしょう。
ゆっくり歩いていったのが仇となったのか・・・。
ほぼ通勤ラッシュの時間帯だったので、気付いた人も多いでしょう(笑
「誰か教えてくれれば良かったのになぁ」と思いつつ、
「よくも命中したものだ」と感心すらしました・・・。
お手洗いに寄って助かりました(笑
電車でそんな人を見たら、是非教えてあげてください。
あ、一生に一度あるかないかですね、きっと。
そんな私は、幼い頃、歩いていて手の平に命中したことがあります。
このタイミングは、宝くじ当選以上の確率ではないでしょうか。
こんな当選いりませんが。
それにしても頭や髪の毛ではなくて、本当に良かったと思いました。
頭になんて落ちたら、頭は洗えないですから・・・。
いえ、洗いますけど、仕事に間に合いません。。。
取り敢えず、不調の日々が続いていたので、“ウンがついた”
ということで、「運気が上がればいいなぁ」と面白半分。
ジャケットを摘んで洗って仕事に行きました。
そして、
このことが引き金なのかある音楽(これはまた別の機会に書きます)を
聴いたからなのか分かりませんが、運気が向上してきました(笑
馬鹿な話はここまでにして、
何かに行き詰って、どうにもならなくなったとき、
改善させようとするには努力の域を超えるような、そんな事態に陥ったとき、
救いの手が差し伸べられます。
現状を改善する鍵となるキーパーソンに出会ったり、
突然、意識していなかった人がそういったキーパーソンになったり、
どこからその思考が来るのか、自分では考えもつかないような考えが
浮かび、脱出の糸口が電撃のように走って、それが役に立ったり
(今は大体この実態が何なのか分かると思います)、
絶好の機会が巡ってきていたり。
今回は、キーパーソンが二人出現したわけですが、
心から、感謝の気持ちを伝えると、相手にもそれが伝わります。
その流れというものは、強大で、同調すればパワーアップしていくのです。
他人を喜ばせること=自分の喜びというように、
自と他が融合し、一つになっていくのです。
ここでいう、他人を喜ばせることというのは、
自分のエゴを介入しない、純粋な他者への愛です。
行為自体に喜びがあるわけで、「感謝されたい」だとか、
「それをしたことによって何か良い影響が自分に起きるのではないか」いう
自分の欲の域を超えない欲の元に行われる行為ではないと
断言してもいいと思います。
確かに、そういった欲でも善意があれば良い方向にいくことも多々あると思いますが、
自分を苦しめる結果を招くこともあると思います。
ただ難しいのは、エゴが一切なくても、相手にとって迷惑になることもあると
いうことですね・・・。
とにかく、
相手二人のその意図が理解でき、私は本当に幸せな気持ちになりました。
私は、日々の生活において、ほんの些細な自分の行為、
自分の一挙手一投足が他者や社会に良い影響を与えることができると
いう考えが根底にあります。
それが自分の犠牲を伴うことであれ、本当に取るに足らない些細なことであれ、
その行為をすることに多大な内なる喜びを感じます。
まだ自分の欲の域を超えていないのかもしれませんが、
これが私の無意識の性質の一部であって、客観的に思考してそう思うのです。
自と他の融合、大きな流れの中での調和。
他者からの感謝などという評価ではなく、自分をありありと感じるのです。
所謂、自内証というものでしょうか。
そして、その私の考えと同調した人々が集まってくること、
そういった人々の思考に触れること、
とても温かくて、心地の良いものです。
自分の心が良しとすることをしていきたいという意志の元で、
幸運(必然的な機会)が生まれることもあるようです。
その元の実態は、愛で満たされた、満たそうとした私そのものです。