佐野みかげ ★ Girly life
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<舞台>
※無事終演。満員御礼!有難うございました
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ネコトケンカ。

昨夜から猫と喧嘩している。

 

尤も、猫様の方はすぐに反省したみたいで

可愛い顔してみたり、擦り寄って来たりして

「ごめんね💕きゅん🥹」みたいな

可愛いアピール&猫なり謝罪をしてる風味だが、

私の方が大人気なく距離を取っている。

猫撫で声撤廃!徹頭徹尾、低い声で話しかけている。

 

しかしあれだ。

猫と話さないと、こんなにも家の中が静かで

生活がつまらなくなるのだと思いもしなかった。

猫を中心に人生が回ってるからな。

猫を生活からアウトすると、モノクロームな生活になるんやな。

 

良いお天気なのに、二人でお部屋にいるのにつまらないキモチ。

15年一緒に暮らして、初めての喧嘩。

私だって大人気なく怒る事はあるのだ😬

(喧嘩の発端の発端。事件の始まり)

『渡辺源四郎商店「法螺貝吹いたら川を渡れ」@ザ・スズナリ(長文です)

青森の劇団の「渡辺源四郎商店」を初めて観た。

「イノセント・ピープル」のオーディションを受けるのに戯曲を読んで、

なんて底力のある作品なんだろう!とクラクラし、

(オーディションは書類で落ちた)

「イノセント・ピープル」自体は、オールオーディションメンバーで

演出も他の人(チョコの日澤さん)だったから

本家本元を観たいと思っていたので、

内容の全くわからない文字情報だけのチラシでチケットを取り

何の予備知識もないままに観に行って来た。
正直、作・演の畑澤聖悟さんの事を

「渡辺源四郎さん」だと思っていた位の予備知識のなさだ😰
 

私にしては珍しく早めに(15分前)に劇場に着き、
私にしては珍しく当パンを読んで、そこで作品に関する予備知識を入れた
(観劇前に前情報知りたくない派なので、

 商業演劇で出演者を知らずに観に行ったりする)

舞台は明治時代の青森である事。マタギの物語である事。

舞台上の卍は、ナチスではない事😅笑
地名は架空らしい。

ざっくり読んでわかったのはその程度だった

(史実に関しては面倒で、深くは読まなかった)

※青森公演が今後あるそうですが、東京公演は終わったので、

ネタバレ含みます。これから青森公演ご覧になる方はご注意下さい。

 

 

非常にザックリした感じで始まりましたが、

いきなり横笛スタート🎶   これが何だかとても胸に染みる音🥺

(舞台、上下に一人づつ、生演奏の奏者が居ます)
この横笛の奏者が、まさか音楽隊ではなく、演者だとは後に知る。

 

その後、熊の着ぐるみが出て来て(人間の顔が見えてるタイプ)

「ガオー!」みたいなのをやるんですが、

それが可愛いし、一瞬コミカルにも見えるんですが、

その「ガオー!」みたいな無言の動きが案外長いのに

ちっとも腹が立たず、すごく見入っちゃうんですよ。

 

そのうちに、非常に闊達なじじさま達が出て来て、

ワラワラといろんな登場人物が出て来て、
津軽弁と南部弁で繰り広げられる芝居が

最早「古典芸能」の域(能や歌舞伎を観に行った時に、
慣れないと言葉がさっぱり拾えない感じ)なんだけど
全然聞き取れない言葉も、何とか拾えた言葉も含めて
兎に角、じじさまたちのシャンとしたお姿がカッコ良くて✨


最初の方で既に和む感じの笑いも挟まれてて

何だか知らないけど、オープニングのうちに既に

舞台上の人達を好きになってしまって、
誰だか知らない俳優さん達の生き様みたいなのが舞台上で暴れてて、
自分もあんな風に歳を重ねて
生き様を見せつける俳優になりたいもんだとか思いながら見てたら
全然科白の言葉が拾えてないのに、既に冒頭で泣いていた。

 

 

皆さん本当に驚く程  芸達者で、
演奏のお二人はそれぞれいろんな楽器を演奏するし、歌も歌うし、

でも普通に芝居もするし(あれは楽隊が芝居してるテイではないので

俳優が楽器を演奏してるのだと思う)
13人の俳優さんが全員達者。

信じられない位達者!!!!!!!!!!
歌を歌う訳でも、踊る訳でもないけれど、
噛む人も、集中切れる人も、動きが変な人も居なくて

みんな芝居が上手くて、

青森の俳優さんだからって、あんな古語みたいな津軽弁や南部弁は

今話してないだろうから   あの方言も覚えたんだろうし、
芝居しながら説明の紙芝居したり

腹話術なさったりしてて(しかもそれが上手‼️)、もう尊敬しかない👏

(後で読んだけど、普通に青森でお仕事なさりながらお芝居なさってる方が複数おいでらしい。畑澤さんも教職についておられるとの事だし)

私なんか、芝居も満足に出来ない上に、
楽器の演奏も腹話術も出来ない。

「身を助く芸」が全くない😭

 

そんな「みんな凄い!」もどんどん瑣末になっていく位、

お話の展開が凄くて、

それを13人で代わる代わる引っ込んで着替えたり、

小道具運んだり、渡したりしながらやってるのが凄くて、

(今では聞かない単位とかは、手書きの字幕が出ます😀)

津軽弁も南部弁も、聴き慣れてきても変わらず意味がわかんないのに、
それでもどんどん、物語に引き込まれて、

気付いたらめっちゃ身を乗り出して観ていました。

すげえ集中して観てた。

 

(後で台本買ったら、物凄い量の参考資料が列記されてたけど)
非常に面白おかしく、南部と津軽の繰り返す戦いについて

語られるんだけど、もう何をどうしても

「イスラエル」と「パレスチナ」の話に聞こえてくるんですよ。
(どうやら「戦争と平和を考える』って作品だったらしいので

当然なんだけど、no予備知識派の私は全然知らんかった)
「155年前の恨みを忘れない」「あの裏切りを思い出せ!」

と焚き付けるけれど、100年以上後に生まれたもの(現代の人)が

「一体何を思い出せる」のか?と。
『恨みを忘れれば、人はもっと幸せになれるはずだ』

 

子供も年寄りも殺し、女子は乱暴してから腑をえぐって捨てた。

戦争は侍がするもので、マタギは関係ない(ハズなのに)

最初に嘘をついたのはどちらなのか。
なぜ国境があって、なぜ越えてはならないのか。

 

そこにアイヌ人が現れる。

アイヌの神と和人の神は違う、と言うと

「同じである必要がどこにある?」と答える山の神(和人側)

そう。神様が同じである必要はない。

アイヌ人が、この地についている様々な名前はアイヌ語が語源なので、

「ここはもともとアイヌの土地なんだ!」というと

「アイヌ人が渡ってくる以前に住んでた人たちはどうなる?」と。

そう。土地は「誰かのもの」ではないし、

「神様なんてもともとは人間が作ったもの」

 

もうホントに、イスラエルとパレスチナの話にしか思えなくなって来てる

明治時代の、日本の北の果ての国々の諍いの話なのに。

川を挟んだ国同士で歪み合い、こっそり行き来をし、続いて来た二つの国

生活があり、色恋があり、名誉や恥や恨みがある・・・・・・

 

 

時代が江戸から明治になり、新しい時代が来たのだから

古い迷信は捨て、女も山に入れるようにすべきだと思う、と

狂言回しの賢い少年が何度も言う。

(この辺もね、実は現代と何も変わらんですよね。

 未だに世界中に、女性が参加出来ない祭も、

 女性が入れない教会もある。聖なる場所に、女は入れないのだ。

 穢れ、だから。そのケガレがなければ、男は生まれてこないのに)

彼は、学がなくて街で騙されるマタギの時代はもう終わりだと、

マタギも学問をして賢くなるべきだと。

そんな彼の賢さが、物語の扉を開けていく。

 

物語の終盤は、様々なタネが明かされ、

敵討ち、侮辱、名誉挽回、恨み・・・・・・

本当に人間のくだらない、膿のような部分がドッと押し寄せて

「一人殺ったら、何人殺っても一緒!」みたいな戦いになる。戊辰戦争。

 

 

エピローグがこれまた素晴らしかった。

主人公の栄助が、歴史を語りながら、

歴史の年数だけ老いていく。

それに気付いた時はゾッとした。

一歩歩く毎に歳を取り、日露戦争まで、あっという間に歳を取ってしまう

 

ラストが本当に、哀しくて美しい✨

栄助は、マタギの幸せを全う出来たんだな。

山に、返れた

 

(私、泣く)

ぶん殴られたみたいな衝撃で、劇場を出た私(目が悲痛。苦笑)
演劇で闘うってこういう事だよ。

明治の戊辰戦争で、熊と人間の話で、

21世紀の世界情勢も語れるんだ。

そこにガザを想う事が出来るんだ。

想像力ってそういう為にあるもんだ。

私達は、下北沢の劇場の椅子の上で、何百年も前から争いをやめられない

人間という生き物について、考察する事も出来るし、

草木一本生えてない狭い舞台の上に 山を、そこに生きる熊を、

見出す事も出来るんだ。

 

台本買ってサイン入れて貰ったのに、写真にサインが写ってねえ

このタイトルも秀逸だったなぁ。

 

お芝居で胸がぐらぐらした時に、
心を鎮めるカフェがなくなってしまったので、

コーヒーを買って、飲みながら渋谷まで歩く。

とてもじゃないけど、GWの喧騒な人混みに紛れられなかった。
歩きながら、道端の名もない花の写真を撮りまくる。

世田谷は森だ。

森に癒されて、少しづつ気持ちがクールダウンして、家に帰る事が出来た

やっぱり自然て大事だなぁ。

今住んでる場所は結構なコンクリートジャングルだけど、

育った場所は、案外すぐに「森」に行ける場所だった。
 

 

世界には、花を愛でるどころか、明日の命を繋ぐ事さえ出来ない人達が

今、同じ時間に、同じ地球の上に居る。

せめてそれを忘れない様にしよう。

私がどんな風に戦えるかのか、

焼石に水、程の力すらないのかもしれないけれど、

そんな人達が集まれば、コップ1杯位の水になって

誰かの喉を潤せるかもしれない。

その人の渇きを癒せたら、その人は立ち上がって

行くべき場所に歩いたり、

誰かの手を力強く握って走ったり出来るかもしれない。

個人の力で戦争は止められないかもしれないけれど、

そんな勇気を誰かに与える事は、出来るかもしれない。

 

演劇で闘う程の力もないなら、全力で生きて闘うしかない。
演劇をしながら、人として生きながら、戦争と平和について考える。

人はなぜ争うのかを考える。

どうしたら争わずに済むのかも考える。

坂本さん。

10日近く逃げ続けてきたけど

意を決して「Last Days」を観た。

苦しかった。

苦しいけど、最後まで観た。

がんばった。

観終わって、立ち上がって、よろけた。

 

 

みんなが「すごく良かったから見た方が良い」とか言ってたけど

良いとか悪いとかそういうレベルじゃなくて

内臓 鷲掴みにされる様な苦しさだった。

 

訃報を聴いた日よりも、

1年経ったその日よりも、

ずっとずっと苦しくなった。

 

 

 

私は彼の音楽を生で聴いたことがある。それは人生の財産だ。

あと、誰にも話した事ないけど

ふたりぼっちでエレベーターに乗り合わせた事がある。

1階から2階へのほんの数十秒だったけど、一生の思い出。

アマヤドリ「人形の家」激論版 観劇記。

大楽を拝見したので、終演から3日も経ってしまいました。

気持ち的には、その日のうちにあれこれ語りたい興奮度を秘めていたのですが、なんせね、物理的な時間との闘いがございまして😅

今回、沢山語りたいので2ヶ月ぶりにblogにしてみた。語るよ!笑

 

ええとまず、単純に「大変素晴らしかった✨ただただ素晴らしかった」

その一言に尽きます。他に言う事ない。

「疾走」→「激論」の順番で観たのも、結果としては良かった。

ヌーベルキュイジーヌの後に、本格フレンチ食べた感じです。

どっちも良かったけど、どっしりした方が後で良かった。

どっしりの後に軽やかを見るよりも、

先に軽やかを観た事で、

より繊細な味わいが分かったような気がします。

演助の成ちゃんが「激論版はコース料理」って言ってたけど、

私的には

「名前は聞いた事あるけど実質はよく知らない、個人経営の寿司店に

行ったら、本物の味を知ってしまった」って感じです(笑)

(さっきまでフランス料理で例えてたのに、寿司ってね😅)

まず、なぜ寿司🍣なのか。

 

ワタシ、長年演劇やってたのに、

最近ようやく古典の面白さがわかる様になりました。

お恥ずかしながら、ホントにここ3-4年です。

日本で見るシェークスピアって「付け鼻して西洋人目指してた明治時代」から何周も回ってようやく「蜷川シェークスピア」みたいな、

もしくは「歌舞伎に落とし込む」みたいな、

我々日本人が演じるのに「等身大の西洋古典演劇」ってものが

あるんだぜ。平たい顔族の癖に、洋名で呼ばれてても

笑っちゃうだろ?って所に来てると思うんですけど、

それって逆の立場から見ると、

「カリフォルニアロール」的な、サーモンやアボガドの入った

「Sushi」だと思うんですよ。

勿論絶対的に美味しいし、あれも寿司ロールの一つだし、

世界中で愛されてるし、

寿司にチーズだのマヨネーズだの入ってより美味しくなるなら、

それでも良いじゃないかとも思うのです。

 

でもね、広田さんの古典は、正々堂々「ネタとシャリのみ」

「具材はオーソドックスな物のみ」で勝負してるんですわ。

多分、寿司酢のレシピが社外秘なアレンジ入ってる、位の

微妙なオリジナリティで、正面から勝負してる。

その癖、今まで大手や有名店で食べて来た寿司はなんだったの?

っていう位のクオリティ✨

フレッシュなネタと、シンプルで絶妙なシャリ。それだけ。

あ、唯一アマヤドリらしい彩の、お洒落な選曲のダンスパートは、

ネタとシャリの間に挟む大葉を、洋物のハーブ🌿に変えた様な

目の覚めるアクセントになってます。

なんか私、めっちゃ上手く例えてる✨(自画自賛😆)

 

兎に角そんな感じでしたのよ。

なので、生まれて初めて「本物の寿司」を食い、

「本物の味を知ってしまった!!!!」って感じでした。

今まで食べて来たお寿司もめっちゃ美味しかってんけどさ

本物を知ってしまったら、もう後には戻れないのよ。

本物ってそういう事なのよ。

 

あんなに全員粒揃いで、芝居が上手い事ってある?

もうね、上手い上手くないじゃなくてもう、これですよ。

私が長年、再三注意されているコレ。

全員が「虚構の世界の中に生きていた」んです!!

そりゃもう、衝撃的なまでに。

そこには俳優個人の顔など微塵もなくて、

ここは2024年の目白ではなく1979年のノルウェーで、

みんなヘルメル家に集う人達で、

そこでクリスマス前のとある1日を「生きていた」

演じてないんですよ。

ただそこにノラが、ヘルメルが「居る」だけ。

 

ああ、そんな事ってある?

私がWSで何度も吐いた科白を、ノラ本人が言うと

こんなにも血肉が通うなんて!
借りて来た言葉じゃない。

ノラの言葉。心の叫び。

徳倉さんは「ひばりちゃん」みたいだったし「子リスちゃん」

みたいだったけど、それは徳倉さんが演じてるんじゃなくて、

ノラが、ヘルメルの前で「可愛い妻を演じてる」のが、

ちゃあああああああんとわかる。

 

あーあーあーあー。

悔しい。素晴らしくて悔しい😩

「虚構の世界で生きる」ってこういう事ですよ。

あの人は徳倉さんじゃなかった。

ヘルメルも倉田さんじゃなかった。

みんなみんな、人形の家の中で生きてた。

ドクトル、哀しくて良かったなぁ。

最後のシーンまで、西本さんだと気付かずに観てた。

(その位、登場人物にしか見えなかった)
大塚さんのダンス、煌めいてたなぁ。
「激論版」は、あれが「希望✨」なんだろうなぁ。

冒頭は、公園で遊ぶ子リスちゃんみたいなささやかな躍動だったのが、

ラストシーン、解き放たれた風みたいに自由に舞ってて、

ノラの心に見えたなぁ。キラキラしてた✨

リンデが、あんなに良い役だって思わなかったなぁ。

戯曲を読んでる時は、もっとしょぼくれて枯れ果てたおばさんを想像してたけど、最後にあんなに幸福が滲み出るなんて思わなかったなぁ。

クログスタも真っ直ぐで良かったなぁ。

飛鳥さんのクログスタもそうだったけど、

みんな、自分を懸命に生きてるだけなんだよね。

悪人なんか一人も居ない。

あの人はあの人で精一杯なんだってわかる。

 

兎に角、全部全部良かった✨

「演劇=レストラン論」最近気に入ってるんですけど(笑)
ホールスタッフも含めて、全部最高のおもてなしでした。

劇場が駅から遠いのすら「隠れ家の名店」ぽい🍽  笑笑

会場が暑かったのがちょっと辛かったけど、それは劇団の責任じゃないし

兎に角 萬点!!満点じゃないよ。萬点!!!

静かに痺れました。

痺れすぎて、家に帰って勢いで徳倉さんの自主映画まで見ちゃったわ😆ハハハ

 

あー!ホントに素晴らしかった✨

もう他店で寿司食えなくなった責任取ってもらわないとならない(笑)

戯曲、両版買いました。

まだ読んでないけど、後でじっくり読む。

多分来月に入ったら。
 

4/5まで配信やってるそうなので、

本物の片鱗(やっぱり生じゃないと、本当の美味しさはわからないと
思う。配信はUberね。Uberでも雰囲気は味わえる)を味わいたい方は
是非どうぞ。

https://amayadori-web-store.stores.jp
私もおかわり予定です🍚

明後日の方向「長い墓標の列」@座・高円寺

終演から4日も経ってしまったけど、

感想を書くと約束したし、

配信もあるらしいので、観劇記、ちゃんと書きます🫡

 

1月18日、大千穐楽。

世莉さんの芝居を、久しぶりに観た。本当に久しぶりに。
物凄く久しぶりに観たけど、世莉さんらしいなぁと思った。

世莉さんらしく難解😁笑(貶してないですよ!)

懐かしいややこしさ。

おそらくご本人、全然わかりやすいつもりだろうけど、

ちょっととっつきにくい。親切にわかりやすくない。

そこが世莉さんらしい。

主人公の生き様と被る。

 

「演劇」である。「演出」をする、って事なんだろうけど、

まず、男女逆転の配役(これはすぐに呑み込めた)
セットもなく、稽古着のジャージに役名のゼッケンをつけた俳優。
稽古場を見せられてるかと錯覚する様な1場。

(これで4500円?って最初は思った💦)

物語を全く知らない側としては全然わからない。

ついて行くのがやっとだ。

でもこれが実は後から、遅延毒の様にジワジワと効いてくる。

 

現在から始まって過去に戻るのは、演劇では良くある手法だけれど

これ、初演は戯曲通り、時間軸は順番に進んでったそうだ。

(過去から現在へ)
今回の、現在から過去に向かう展開の方がオシャレだし、

印象的なラストになったと思う。

ただし、1場はさっぱりわからない(笑)

兎に角美味しいから食えよと言われている、外国の料理みたいな気分だ。

 

 

2場に入って目が覚めた様に徐々にわかりやすくなる。

(ちゃんと関係性とかが説明されるからだ。衣装もジャージから

一応、各キャラクターを表現するような衣装に変わる。

私は、世莉さんの衣装のセンスが好きだ)

 

1場で謎の人だった主人公の山名教授は、水を得たかの様に喋り出す。

1場でただただ死んじゃった人達も、

ちゃんとそれぞれの、輝いた人生を歩き出す。
みんなの顔と名前と関係性と人生が見えて、初めて物語に興味が持てた。

つまり1場の間は、何が何だかわからないけど、とりあえず観てて、

ようやく入り口に入った気分になれたのが2場だった。

(私はね。みんながそうじゃないと思うよ)

 

 

2場〜4場までは集中して観られたので、時間は感じず。
青山円形劇場みたいな、観客が対面する舞台の使い方も、
野田地図で観た様な(マームでも観たな)
出番ではない俳優が舞台脇(外)に座ってて、

そこから声を発したり、そこから出演してくる形式も、

見える裏で着替えて出てくる(そこに着替え時、灯りが入る)のも
非常に計算し尽くされた演出で、

衣装の変化とかもちゃんと意図があって、センスがあって

でもそういう目に見えるものとは全く別に、

戯曲の持つ力、科白の持つ力、この戯曲を2024年に上演する意味、

個々の俳優の持つ実力が
地味な織物の様に絡んで、底力のある素晴らしい作品だった。

でもね、世莉さんの良さって物凄く玄人向けな気が私はしてね、

(貶してないんですよ。褒めてるんですよ)
着物で言えば泥大島みたいな、めちゃくちゃ手が掛かってる

質実剛健なんだけど、パッと見地味、みたいなね、

そんな気がするんですよ(マジで悪口じゃないですよ。マジで)

そこが世莉さんの良さであり、

譲れない部分であり、

だから、山名教授と重ねて観てしまうんですけども・・・
 

 

あの立場と状況に置かれた時に、自分はどうあるだろうか。
家族を巻き込んで、全てを失ってでも己を貫き通すか、
城崎のように「ただ目をパッチリと明けて時代を見据える」という事に

己を落とし込んで納得させるか

花里の様な弱さで己を正当化するか

自分はどうなのだろう。どうありたいのだろう。

いざとなったらどう振舞ってしまうのだろうか、と私も考えた。

 

この時代(日本が戦争に向かって行く時代。昭和13-14年)のお話って、基本「男と歴史」みたいな話なので、殆どの登場人物が男性なんだよね。

今回は男女逆転劇だったので、

出演者は女優ばかりだったけど、役は男性の話。

逆に、男性の俳優は2名のみで、2人の物語は「家の中の話」なんだ。

男女逆転した事でより一層、そこはハッキリした。

この時代の女性は「社会との関わり」がないから物語がないんだよね。

(女性は参政権もない時代)

あるとしても大変個人的な「個の世界」の話でしかないので、

広がりがないというか、だからあんまり描かれないんだなぁと思った。

この時代の女性は、誰か男性を通してでしか、
社会と繋がっていなかったんだと思う。
幸運な事に、今の私達には想像がつかないけれど。

 

 

あとはもう、グダグダとしたただの感想になってしまうけど、

 

劇中で何度も言われていた

「てんこうして下さい」「私はてんこうしない!」って

家に帰ってパンフ読むまで「転校」だと思ってた。

(大学教授の話だったんで)
「転向して下さい」だったんですね。
政治的主張を変えろ、と。

いやー。学校を追い出される話だと思って観てましたよ💦すみません。
 

主人公役のヒザイさん、帰りの電車でプロフ見たら「2児の母」って、

えええええええ。

子育てしながらあの科白量、どこで覚えるのぉおおおお?

ホントに、世の中の全てのママさん俳優尊敬しますよ😭
私なんか、猫しか居ないのに、あの科白量全然覚えられない自信ある。

他の俳優さん達も地方からおいでの方が何人も居たから

稽古期間だって長くはなかっただろう。

いや、みんなホントすごい。

あの量の科白を、淀みなく喋れるだけでほんと凄い👏

尚且つ、芝居が良いのでもっと凄い✨

 

 

話戻るけど、終演後にね、第1場がジワジワと来るんですよ

観てる時全然意味がわかんなかった

ある意味、興味を持とうとする努力も無駄に終わりそうだった1場が
じんわりと痛みを持ってやって来て、

「これからどうなる!」っていう、

煌めく炎のようなラストシーン🕯の続きが、

あの1場だったんだなぁって思うと

苦い様な味が口の中にじわ〜っと広がって
いろんなね、微妙な気持ちに、
忘れかけていた1場が走馬灯の様に頭に戻ってくるんですね。

(そこは最後にもちょっと仕掛けがあると思う。

そこに皆が引っかかるのかどうかはわからないけど)

 

 

これさ、劇チョコさんがやったら全然違うテイストになってたと思うんだ(どっちもファンなので、どっちが良い悪いではなく、

ただ、色も味も全く違っただろうなぁと)
どういう風に料理するか、っていうのが演出家の色なんだよなぁって
つくづく考えたりしました。  私は、難解な世莉さん 好きだよ。



終演後に会えました。なぜかブラックサンダーくれた。



この、空が映り込んでる感じ、よくないですか。
私の中で墓標っぽい。夕方なのも切ない。

高円寺にミスドがなくなったのはもう5年も前の事ですが、
難解な芝居を観た後は、ドーナツ食べたいんだよ。

ドーナツとコーヒーで落ち着きたいのだ😢
ミスドの後の、日高屋さんももうないんですね。栄枯盛衰💧

ありがとう、中村俊輔選手⚽️

昨日、中村俊輔選手の引退試合がありました。

すっかりサッカーから離れてしまった私だけど、

いつか来る、この試合だけは行くだろうなぁと思ってました。

SNSで情報を教えて貰い、行く気は満々でした。

でも様々な現実の前に頑張りきれず、結局スタジアムには行かなかった。

 

正直、一生後悔するであろう、素晴らしい試合でした👏

あんなプロレスみたいなサッカーの試合、観た事ないけど(笑)

あんなにみんなが良い顔して走り回ってる試合も観た事ない。

スタジアムに居たら、みんなの表情までは見えなかったかもしれないけど

それでも、あの空気感を生で体験しなかった私は馬鹿者です。残念😩

 

 

私、あんまり流行とか時代とか「あの頃は」みたいなの興味なくて

音楽の話とかするとすぐに「じゃあ世代的には・・」みたいな事言う人

ほんと苦手なんですけど、

サッカーだけは別かも。どうしても世代、ありますよね。

私、代表追いだから。

今回、様々な世代のメンバーが招集されてたけど、

それでも私がサッカーに夢中になってた世代のメンバーでした。

自分がスタジアムに行ってた頃に、昔の選手の、昔のユニ着てる人見ると

「古っ!」って思ってたけども、

今や俊輔ユニなんか、まさにそっちの立ち位置でしょう😅

大人にならないとわからないことってあるんですね。

 

 

昨日つくづく思った事は、自分の憧れのスタアが、

変わらずにずっとカッコよく(何なら益々カッコよく)居てくれる事

って本当に有難いなぁ、と🙏

こんな風に派手な引退試合を開催する事もなく、

ひっそりとやめていく人が殆どの中で、

ちゃんと惜しまれて「まだ全然行けるじゃん!」って言われながら

現役引退して行く事のカッコ良さよ✨

 

すっかりボールに触らない人生の中で、みんなそれなりに老けて、

昔に比べたらイケテナイ選手も多数いる中、

彼はバリ主役でした。スタアだった✨光り輝いてた。

カッコよかったなぁ👏

そして、彼のお陰で「あの頃の選手達」が今 何をしてるのかも

ほんのり知れて、なんか「同窓会」に呼んでもらった気分でした。

(当時 私が観客席から撮った写真。今見るとめっちゃ価値あるな)

 

スタジアムに行ってた我々も、みんなそれぞれの人生の重みの中で

サッカーから離れる人も居れば、今でもまだ観に行ってる人も居て、

草サッカー続けてるメンバーも居る。

家族が増えたり減ったり替わったり。田舎に帰ったり。

(幸い、仲間で死んだ人はまだいない)
マツや奥選手が、ちゃんと招集されて、

背番号のタイミングで紹介された時は鳥肌立ったけど。

もう、居ないんだなぁ😢🌈

居ない人を想いながら、

ちゃんと生きて、サッカーして、何なら子供5人も育てて、

若い頃から言ってた指導者になる道へちゃんと歩んでる俊さん✨

(俊さんとか呼んだ事ないから小っ恥ずかしい。

どうしてサッカー選手は呼び捨ててしまうんだろう。

友達かよ?って感じで、みんなファーストネームで呼んでしまう。

芸能人にはさん付けするのに)

 

 

なんか色々と感慨深い試合で、録画も含めて2回丸々観てしまった。

あの頃と変わらない存在感の人もいれば、

「あ、出てたんだ」っていう位、目立たない「当時のスタァ」も居たし、

審判も監督も、おそらく裏の人達の多くも

「あの頃の人」が皆、駆けつけたに違いない。

彼の、人間力なんだろうな。

自分の目指す先がハッキリしてるからこそコツコツと、

苦手な事(コミュニケーションとか)も克服してこられたのであろう。

 

スポーツマンやアーティストって、己を売る起業家だよね。

彼を見てるとすごくそれを感じる。

着々とビジネスセンスを磨いてきたのだろう(スポーツの技術とは別に)

本物の努力家だ。

だからこそ、こんな華々しい花道が用意されて、

次のステップに踏み出せる。本当にカッコいい👏

 

個人的な感想を言えば、最後の2−3分も出場しなかったヒデさんには

かなりがっかりした。カッコ悪!って思っちゃった。

でも、ヒデさんの美学なんだろうね。

原節子が歳を取ってからメディアに一切姿を見せなかった様に、

ヒデさんも、往年の自分と異なる姿を人前に晒さないという美学を

持ってるのでしょう。カッコよかったヒデさんを覚えてて欲しいもんね。

でも私は、ヒデさんにサッカーコート脱いで欲しかった。

ヒデさんのプレー観たかったです⚽️

重くなった身体でドテドテ走って、

シュート外して苦笑いしてる選手達の方がよっぽど潔く見えた。

ヒデさんは、まだ自分を探してるのかも知れない。

それがヒデさんの生き方なんだね。

(そういえばヒデさんだけはヒデ、でなくさん付けだなぁ。なぜだろう)

 

 

本当に、石に齧りついても観に行くべき試合を、

家の中でぬくぬくと観てしまった。

もう私は、スタジアムに行かないのかも知れない、とも思った。

彼以上に、観たい選手が現れるだろうか。

中村俊輔監督が始動したら、また観に行ってみようか。

 

本当にお疲れ様でした。

私の人生の一部を、沢山彩ってくれた事、心から感謝します🙏

貴方に出会ったから、サッカーを見続けました。

他の誰でもなかった。

これからも応援してます⚽️

 

 

 

 

 

 

9月の舞台の精算会でした。

久々みんなに会えて嬉しく

(この顔はしゃぎ過ぎ)

聖ちゃんはいついかなる時もサイコーです👏

私の自撮りに、

全力で入ろうと飛び込んで来てくれた隼人。

ハッキリ言って大好きです❤️

1ヶ月ぶりに会ったみんなは、

それぞれの新しい場所に進んでいて

(勿論私も)

嬉しくもあり、楽しくもあり、淋しくもありました。

 

主催と精算兼面談、みたいな話をした時に

「仲良いから言うけど」と言って

互いの胸のうちを話した話は、

完全に200%想定内な話であったにも関わらず、

帰り道ちょっと泣きそうになった。ううう。

あれだな。愛は一方通行なんだな。

一緒に帰った男子2人に、

ほんの少しベソ顔を見せた私は、

信頼のおける2人に甘えた。

うん。泣きたくなるって甘えやね。

 

ほんの少し、ベソな気持ちを引きずって、

冬の寒空を歩いて帰って来た。

これからも私は、私のやり方でしか

愛情を示せないと思いながら。

(勿論、伝わる手法を身につけたい。

伝わったら良いと思う。心から)

キャパオーバー・・・

今月はたまたま、3つのWSに通う事となり、週4WSの👻状態なのだが

 

・うち一つの、短期集中のWSの宿題を完全に忘れる。

今日、宿題やらずにWS行った。かなりあかんやん😨

・医療俳優の仕事の方の台本も全然見ておらず、

「佐野さんは覚えれば大丈夫なので(台本を)覚えましょう!」と

言われる。ハイ。台本、開いてもなかったです。すみません💦

・キノコのオイル煮の火をかけたまま、スーパーに行く。

そんなに長居しなかったけどさ、

近所のスーパー行って、何買うか悩んだりして、

買い物して帰って来て、

その間ずっとグツグツしてたって超怖え😱  やべえだろ、私。

 

昼も夜も働いてるせいか、

ひと月ぶりに夫が帰って来たせいか、

なぜか父親の事を考えて寝付けなかったせいか、

サッパリわからないけど

 

ダメな自分を慰めようと

朝ドラ(だいぶ遅れで)見たら、主人公の劇団の単独公演が
開幕しただけで泣いてしまう。ううう😭

 

トップスター役の方、実際の歌劇団のトップスターらしいのだけど

ネット記事で見た時はあまり好きになれかったが
芝居見たらめちゃくちゃ好きになってしまった(特に舞台上のシーン)
やっぱり、人生が役に出るんだなぁ😢

 

 

 

ちょっと色々と抱えすぎだなぁ。

有難い事に、あと2件くらいお誘い頂いてるが、

やる事増やす事に不安を感じるわ。己が信用ならない。

1016イスラエル大使館行動に参加した、キモチの記録。長文独り言。

日曜日、WSで戦争の芝居をしながら

GAZAの映像を思い浮かべて胸がザワザワした夜、

夜たまたま、録画してあった清志郎さんの番組を観たら、

清志郎が「夢は世界平和」なんてニコニコして言うもんだから

1人でうわーん😭ってなってしまって・・・

土曜日の時点でTwitterで見つけてた、

イスラエル大使館の前での抗議行動、日月だったな。

明日行けるな・・・行くか!と突如思いつき。

 

 

月曜日は朝から夕方まで👘の仕事だったんですけど。

顔だけは知ってる、殆ど喋った事ないおばさまと3人。

(おばさま2人は仲良しのオトモダチ)


仕事の終わり際に、流れで「今からデモに参加するんです」っていう

話をおばさまにするハメになってしまった。

おばさまA「なんかねぇ・・・あれ複雑すぎて、日本人にはどうもね」     (デモに行く事を咎めるとかそういう感じではない)

おばさまA「いつもそういう活動してるの?」

私    「全然そんな事ないです」
おばさまA「初めて?」

私   「いや・・・人生で3回目?かな?(正確には4回目でした)」

おばさまA「誘われたの?」

私    「いえ。1人で行きます」

過去3回のうち、最初の1回は彼氏(現夫)と行ったが、
それ以外は1人で行っている。

おばさまA「(おばさまBに)これから抗議行動に行くんですって」

おばさまB「なるほどー。確かに傍観してても何も変わらないもんね。

      いつもそういう事やってるの?」

私             「いえ全然!人生3回目です」

おばさまB「結構行ってるじゃん(笑)」

そして彼女は「まぁ、宜しくお願いします」と頭を下げてくれた。

 

なんていうか、ドラマに出て来る様な「絵に描いた主婦」みたいな

おばさま2人だったので、おばさまBの発言は驚いたし、

2人とも私を奇異な目で見ないでくれたので、
勇気を持って告白した甲斐があった。

身近にそう言う事を考えてる人と今日会った、っていう事が

何か「思う」キッカケになってくれたらと思う。

家に帰って、家族に話してくれたら、

ニュース見てふと思い出してくれたらいいな、と思う。

 

今回の主催は、これまでフォローとかもしてなかった知らない方だし、

そもそもは日曜に参加されたColaboの仁藤さんのtweetを

読んだからなんだけど、

警官の警備が厳しくて、道も通してくれないので向こう側に

行けない・・・みたいなtweetを読んでいて、

仕事終わりにまっすぐ行っても集合時間に間に合わず、

直接現地に行こうとしてる私は、めちゃくちゃ緊張した。

普通は、開催時間と場所だけ書いてあるのに、

「駅で集合して移動」って言うのは、みんなで固まっていかないと

突破出来ないような感じなんじゃなかろか。

後から1人で行って、そもそも(警官に阻まれて)

辿り着けなかったらどうしよう。

勇んで来たものの、デモやってる場所まで行けないかもしれない・・・

と、駅から大使館までの10数分の道のり、無駄に緊張してた。

だいぶ手前から装甲車とかが居て、デモの参加者ってわかっただけで

職質とか受けるんじゃないか?と思いながら、
「負けない!」って気持ちで、プラカードをわざと見せながら歩いた。


夫から呑気なLINEが来たので「私はイスラエル大使館前に行くんだ!」

と宣言して(逮捕とかされた時に、突然で驚かないように)

Google先生が「大使館だよ」という場所の随分手前から、

シュプレヒコールが聞こえて来た。

大通りに出るとすぐに抗議行動の人達が目に入る。

結構沢山居る。
今まで参加した時は、広場みたいな場所だったので、
主催者を中心に丸くなって居たけど、

今回は道路なので、横広に広がっている。

よくわからないけど、とりあえず突撃してみた。
駐車場の入り口で列が一旦切れてたので、そこに潜り込む。
後で他の方のtweetを読んだけど、後ろの方は拡声器の声が
全然聞こえなかったらしいので、途中に潜りこめてよかった

(結構前の方だった)

これも後で知ったのだが、山崎拓さんおいでになってたらしい。
その後の志葉玲さんからお話を伺った。

この写真の時点で私、なぜかめちゃくちゃ身体が震えてて、
過去にそんな事なかったんだけど、相当動揺というか、

気持ちの昂りが凄くて、はち切れそうだった。

 

恐れていた警官は全然優しくて(普通で)本当に危ない事と、

一般の通行者が通れるようにしろ、という事しか言ってなかった。

過去にもみくちゃになったりした事もあったけど、そういうのは全然なく

 

私、シュプレヒコールがかなり苦手なんだよね。嫌い。

あの「〇〇しろぉ!」とか「〇〇やめろぉ!」みたいな言葉遣いが

どうしても馴染めなくて。日本人に向いてなくないですか?

「〇〇しましょう!!」とか「〇〇はやめましょう!」とか

「〇〇してください!」みたいなシュプレヒコールだと

インパクトないからダメなのかな?もしくは長いからダメなの?

「STOP!〇〇」みたいなさ、英語なら良いんだけども

「〇〇させないゾォ〜!!」みたいなコール、

繰り返せないので黙ってる。いつも。

今回はマスクあってよかった。

プラカを高く掲げて、私は黙っている。泣きそうになりながら。

周りがね、おじいさんおばあさんしか居ないのよ。

みんな髪が真っ白で、でもおばあさんとか非常に凛々しく叫んでるの。

シュプレヒコールに「そうだ!そうだ!」とか合いの手入れてさ。

やっぱりデモって学生運動の人達しか来ないんじゃないか?とか

思っちゃったりさ、途中、キリスト教会の神父様のご挨拶もあったので

もしやここにいる人達みんな「幕屋」の人なんじゃないか?

渋谷のハチ公前も、おじいさんとおばあさんしか居なかったもんな。

私、めっちゃ場違いな所に立ってるんじゃないか・・・とか思ってたの。

 

そのうち、代表者の菱山南帆子さんが

「今からイスラエル大使館に申し入れ書を持っていくけど

代表者しか行けないので、内容をここで読み上げます!」と元気な声で

読んでくれて、その頃には私も少し落ち着いた。

その後、一般の?パレスチナ男性のコール。

これは英語だからやりやすくて、少し声を出したけど

拡声器の調子が悪かったりして、なんて言ってるかよくわからなかったり

(私の英語力の問題かも)
教会の讃美歌みたいに、事前に紙で配れないもんですかね。


あと昨日、Twitterで見つけたんだけど、こういうの良いなぁ

https://x.com/JoshuaPHilll/status/1713973224478830831?s=20

ただひたすら一つの単語を繰り返してるだけだけど

「ceasfire=停戦・休戦」を歌い続ける。静かで美しい。

日本人に歌はないのかな。

こういうコール&レスポンスみたいなの素敵だけども。

「命令形で叫ぶ」の、本当に嫌。

 

最後に菱山さんが戻って来られて、カメラマンさんと2人で

大使館まで行って申し入れをするって事前通告してあったのに

警官が大使館まで全然通してくれなくて、

それこそ身体掴まれてもみくちゃの押し問答して、

なんとか大使館前まで行って、

もちろん大使館には入れて貰えず、

拡声器も使っちゃダメとの事で、肉声で読み上げて、

ポストに投函しようと思ったら

「ポストないので、敷地内に投げ入れて下さい」

(もちろん誰も受け取らない)と言われて、ポイッと柵の中に

投げる羽目になり「あれじゃ投函じゃなくて、投棄です!

投棄した紙はすぐに風で飛んで行ってしまいました(苦笑)」と。

なるほど。

今回お巡りさん達があまり怖くなかったのは、

大使館からずーっと離れた道で抗議活動してたからなのね。

大使館前は厳重に警備されてるのか。

因みに、イスラエル大使館って場所全然わかんないらしいですよ。

ビルの一室にあって、看板も出てないので、見てもわかんないんだって。

正直、お姿は全く見えなかったけど、

終始菱山さんの明るい声に救われたし、

それと、デモの後半で近くに降臨した、

どうみても10代前半のこの2人に私はめちゃくちゃ救われました。

ダブルなのか、外国籍の子なのかわからないけど

(日本語喋ってたし、英語ちゃんとわかる感じ)
やっぱり「若いって尊い✨」っていう気持ちがわかる、

おばちゃんになっちゃったわ(苦笑)

見渡す限り、白髪の人しか居ない中でね、元気にキラキラ笑いながら

大きな声で叫んでて、やっぱり「生」を感じたんですよ。

「未来」っていうか、エネルギー✨

 

(私が「共産党応援してます」とか言うと

おじいさんとおばあさんしか居ない集団と

「あなたみたいな若い子が政治に興味持ってくれるなんて嬉しい!」

「いやいや、若くもないっすよ・・・」って応酬になるんだけど、

共産党って、どうして応援者がおじいさんとおばあさんしか居ないのか。小池さんのYoutubeとか見ると若い人もいるのに、

街中で応援してるのは、それこそ「アカだった」みたいな世代の人
なんだよね。そことっても気になる)

 

なので、やっぱり、未来を背負う人が「現在」を闘ってより良くしよう!

って思う気持ちは尊いと思った✨

もしも彼女達のルーツに、今回の戦争が何らかの関わりがあるのだとしたら・・・本当に美しい未来が待って欲しい🥺

 

短い時間だったけど、殆ど黙ってたけど、私、めちゃくちゃ闘った。

それでその後、半分放心しながら、夜は別の労働をこなした。

偉すぎる私。えらいぞ大賞🏆

夜中に帰ったら、個人的にもっと大変な事件が待ってたけど、

それは深夜に友達と喋って解決した。

 

大変な1日の話、終わり。

映画「福田村事件」

「表現者なら観ておけ」と人に勧められる前から

観に行こうと思っていた映画。

このひと月忙しく、ようやく観に行こうと思ったら、

私の行こうと思ってる映画館は今週までだと言うので、
慌てて観に行った。

 

正直、ぶん殴られた。

観てる最中は、普通に集中して、ほぼ口を開けながら観てただけだった

んだが、エンドロールの黒字に白い文字を見てるうちに、

急に?泣けてきて、それがどんどん大きくなって、

エンドロールも終わって客席の灯が点く頃には、

私は自分で自分を抱きしめて、ぶるぶる震えながら泣いていた。
泣き止まなくて立てなかったんだけど、最後の1人になったので、
客席につかまりながらヨロヨロと立ち、既に閉められていた客席の扉を
開ける力もなく(渾身の力で開けたけども、扉は重かった。
力が入らなかった)ロビーには次の上映を待つ普通のテンションの人が

沢山居て、でも私はその人達の顔も見れない位に泣いていて、

人を避けられないくらい、立ってるのがやっとだったんだけど

トイレに行き個室で号泣して、それでも泣き止まないので、
トイレを出て、口もきけない位 震えながらパンフを買い

(今日サービスデーだったので、

1200円で映画観て1500円のパンフ買ったわ。苦笑)
泣きながら写真を撮り、

(すっぴんなのでupは悩みましたが、これはどうしても残すべきと)
まだ泣き止まないので、仕方なく、映画館の裏階段(裏でもないのか)
の踊り場に座り込んで、独りで泣きました。

(ひとりで観に行って、本当に良かった)
嗚咽が止まらなくて 声が出ちゃうんで、
タオルハンカチで口を抑えて泣いてたんですが、
誰もいない筈の階段から「うぅゔゔゔぉおおおおおっっっっ・・・」

みたいな声がして、聞こえた人はさぞ不気味だったでしょう💦
もうアンコントロール。自分が止まらない。
そこで 10-15分は泣いたかな。
泣き止んで、お水飲んで、まだ立てずに更に15分位ぼーっとしてました。

あんなにやられたの、いい大人になってから初めてと思う。

20代前半の多感な頃に、ロシアの戦争映画見て、やっぱり終映後に

頭おかしい位 客席で泣いてたら知り合いに会ってしまって、

めちゃくちゃ気まずかった、あの時以来だと思う。こんなに泣いたの。

そして、あの時より深く抉られた自信がある。

 

一体、この涙は何ですかね。

恥ずかしいのと、怒りと悲しみと・・・

恥ずかしいが1番だろうか。

これは決して遠い過去の話じゃない。たかだか3−4世代前の、

おじいさんおばあさんか、ひいお爺さんひいお婆さんか、
そんな時代の話で、私達はその人達の子孫なんだ。

殺す側の血も、殺される側の血も、引いてるんだ。
昔の話だからと、自分達に関係ない訳がなく、
100年経った今も、差別はなくならないし、
いつ集団心理が働いて、普通の人が暴徒と化すかわからない。
コロナがあって、戦争が始まって、世の中がキナ臭くなって、
本当にこれは、あってはならない未来の話に見えた。
私達は2度と繰り返してはいけない歴史を、

ちゃんと学ばずに 明日に踏み出してないか。
 

どうして私は、私達は、自国の歴史をこんなにも知らないんだろう。

家に帰って、馬鹿みたいにネットで俄勉強したけれども、
どうしてwikiに書いてある程度のことすら、

学校では教えてくれないんだろう。
私達が学ぶべきは、聖徳太子の時代の話じゃなくて、
明治以降の近代史なんじゃないか。
第一次大戦、第二次大戦で、自国が何をやってきたのか、
それを学ぶべきじゃないのか。
キッシーも投資の授業なんか必修にしなくていいから、
日本軍が亜細亜で何をしたのか、その時天皇は、国民は、
思想犯と言われた人達は、何を想ってどう行動したのか、
そういう過去に学ぶ授業を提案すべきじゃないか。
文化庁も、助成金とか出してる場合じゃなくて、
全面的にサポートして、全国の中学生の社会科の必修にして、
学校で上映すべきじゃないか。

NHKも「国営放送」名乗るなら、この映画の制作ドキュメントでも

作って、皆が観に行く後押しをしてほしい。

だって「大日本帝国の話」なんだから。
こんな作品が、クラファンでしか成り立たないなんておかしい。
 

パンフレットに作家の方が

「残念ながらこういう映画って届く人にしか届かないんですよ。
表現って、本来、そういう事に興味ない人の価値観を揺らす事じゃない

ですか。でもそれが難しい」と書いておられて、ホントにそうだと思った

今日はサービスデーなのでまぁまぁ混んでたんだけども、

それでも年齢層の高い客席だった。
私の後ろの、予告から喋ってて、あまり興味がなさそう(に感じた)な

人は、終わった瞬間に「おしゅまい!」って言ったんだけど、

あれは、終わってホッとしたのか、

興味なくて観るの辛かったのか・・・

でも、そんな人が「知る」事が何よりも大事で、

知ってどう思うかはその人の自由だけど、

無知は本当にただの罪だし、
その無知を学校教育が意図的に作り出してるなら許せないし、
子供も居ない私には、誰に何を伝えたら良いのか分からない。

SNSで右寄りの方と論争してても、ホントに何も始まらないと思う。

軽く絶望してしまった・・・

ヨロヨロと歩いて行った先の街の眩しかった事

この街の中で、こんなこと考えて絶望してるのは
私だけなんじゃないかと思ってしまったよ。
 

パンフレットを熟読したら、25年前から事件を究明して 慰霊碑立てる

お仕事なさってる方が「映画を観た人がこれが史実だと思ってしまっては困る」と仰ってて、確かに劇映画なりの脚色や、
ほんの小さな歴史的時間のズレ(知ってて意図してやってる事)は
あるけれど「これが史実」というより「これを機に知る」って

なったら良いのになぁと思います。
(だからって、とことん知りたくなって勉強する人は

かなり少数だと思うけど)

個人的には衣装(着物)が素敵でした✨

あれ、全部作ったんだろうと思われる野良着。

福田村の皆さんと、行商のみんなの、小汚い系の着物が、

ホントにセンスがよかった。細かいお仕事なさってました。

 

ユーロは13日(金)まで。

全国の皆さん、観るべしよ。観て欲しいぜよ🥺

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