『渡辺源四郎商店「法螺貝吹いたら川を渡れ」@ザ・スズナリ(長文です) | 佐野みかげ ★ Girly life

『渡辺源四郎商店「法螺貝吹いたら川を渡れ」@ザ・スズナリ(長文です)

青森の劇団の「渡辺源四郎商店」を初めて観た。

「イノセント・ピープル」のオーディションを受けるのに戯曲を読んで、

なんて底力のある作品なんだろう!とクラクラし、

(オーディションは書類で落ちた)

「イノセント・ピープル」自体は、オールオーディションメンバーで

演出も他の人(チョコの日澤さん)だったから

本家本元を観たいと思っていたので、

内容の全くわからない文字情報だけのチラシでチケットを取り

何の予備知識もないままに観に行って来た。
正直、作・演の畑澤聖悟さんの事を

「渡辺源四郎さん」だと思っていた位の予備知識のなさだ😰
 

私にしては珍しく早めに(15分前)に劇場に着き、
私にしては珍しく当パンを読んで、そこで作品に関する予備知識を入れた
(観劇前に前情報知りたくない派なので、

 商業演劇で出演者を知らずに観に行ったりする)

舞台は明治時代の青森である事。マタギの物語である事。

舞台上の卍は、ナチスではない事😅笑
地名は架空らしい。

ざっくり読んでわかったのはその程度だった

(史実に関しては面倒で、深くは読まなかった)

※青森公演が今後あるそうですが、東京公演は終わったので、

ネタバレ含みます。これから青森公演ご覧になる方はご注意下さい。

 

 

非常にザックリした感じで始まりましたが、

いきなり横笛スタート🎶   これが何だかとても胸に染みる音🥺

(舞台、上下に一人づつ、生演奏の奏者が居ます)
この横笛の奏者が、まさか音楽隊ではなく、演者だとは後に知る。

 

その後、熊の着ぐるみが出て来て(人間の顔が見えてるタイプ)

「ガオー!」みたいなのをやるんですが、

それが可愛いし、一瞬コミカルにも見えるんですが、

その「ガオー!」みたいな無言の動きが案外長いのに

ちっとも腹が立たず、すごく見入っちゃうんですよ。

 

そのうちに、非常に闊達なじじさま達が出て来て、

ワラワラといろんな登場人物が出て来て、
津軽弁と南部弁で繰り広げられる芝居が

最早「古典芸能」の域(能や歌舞伎を観に行った時に、
慣れないと言葉がさっぱり拾えない感じ)なんだけど
全然聞き取れない言葉も、何とか拾えた言葉も含めて
兎に角、じじさまたちのシャンとしたお姿がカッコ良くて✨


最初の方で既に和む感じの笑いも挟まれてて

何だか知らないけど、オープニングのうちに既に

舞台上の人達を好きになってしまって、
誰だか知らない俳優さん達の生き様みたいなのが舞台上で暴れてて、
自分もあんな風に歳を重ねて
生き様を見せつける俳優になりたいもんだとか思いながら見てたら
全然科白の言葉が拾えてないのに、既に冒頭で泣いていた。

 

 

皆さん本当に驚く程  芸達者で、
演奏のお二人はそれぞれいろんな楽器を演奏するし、歌も歌うし、

でも普通に芝居もするし(あれは楽隊が芝居してるテイではないので

俳優が楽器を演奏してるのだと思う)
13人の俳優さんが全員達者。

信じられない位達者!!!!!!!!!!
歌を歌う訳でも、踊る訳でもないけれど、
噛む人も、集中切れる人も、動きが変な人も居なくて

みんな芝居が上手くて、

青森の俳優さんだからって、あんな古語みたいな津軽弁や南部弁は

今話してないだろうから   あの方言も覚えたんだろうし、
芝居しながら説明の紙芝居したり

腹話術なさったりしてて(しかもそれが上手‼️)、もう尊敬しかない👏

(後で読んだけど、普通に青森でお仕事なさりながらお芝居なさってる方が複数おいでらしい。畑澤さんも教職についておられるとの事だし)

私なんか、芝居も満足に出来ない上に、
楽器の演奏も腹話術も出来ない。

「身を助く芸」が全くない😭

 

そんな「みんな凄い!」もどんどん瑣末になっていく位、

お話の展開が凄くて、

それを13人で代わる代わる引っ込んで着替えたり、

小道具運んだり、渡したりしながらやってるのが凄くて、

(今では聞かない単位とかは、手書きの字幕が出ます😀)

津軽弁も南部弁も、聴き慣れてきても変わらず意味がわかんないのに、
それでもどんどん、物語に引き込まれて、

気付いたらめっちゃ身を乗り出して観ていました。

すげえ集中して観てた。

 

(後で台本買ったら、物凄い量の参考資料が列記されてたけど)
非常に面白おかしく、南部と津軽の繰り返す戦いについて

語られるんだけど、もう何をどうしても

「イスラエル」と「パレスチナ」の話に聞こえてくるんですよ。
(どうやら「戦争と平和を考える』って作品だったらしいので

当然なんだけど、no予備知識派の私は全然知らんかった)
「155年前の恨みを忘れない」「あの裏切りを思い出せ!」

と焚き付けるけれど、100年以上後に生まれたもの(現代の人)が

「一体何を思い出せる」のか?と。
『恨みを忘れれば、人はもっと幸せになれるはずだ』

 

子供も年寄りも殺し、女子は乱暴してから腑をえぐって捨てた。

戦争は侍がするもので、マタギは関係ない(ハズなのに)

最初に嘘をついたのはどちらなのか。
なぜ国境があって、なぜ越えてはならないのか。

 

そこにアイヌ人が現れる。

アイヌの神と和人の神は違う、と言うと

「同じである必要がどこにある?」と答える山の神(和人側)

そう。神様が同じである必要はない。

アイヌ人が、この地についている様々な名前はアイヌ語が語源なので、

「ここはもともとアイヌの土地なんだ!」というと

「アイヌ人が渡ってくる以前に住んでた人たちはどうなる?」と。

そう。土地は「誰かのもの」ではないし、

「神様なんてもともとは人間が作ったもの」

 

もうホントに、イスラエルとパレスチナの話にしか思えなくなって来てる

明治時代の、日本の北の果ての国々の諍いの話なのに。

川を挟んだ国同士で歪み合い、こっそり行き来をし、続いて来た二つの国

生活があり、色恋があり、名誉や恥や恨みがある・・・・・・

 

 

時代が江戸から明治になり、新しい時代が来たのだから

古い迷信は捨て、女も山に入れるようにすべきだと思う、と

狂言回しの賢い少年が何度も言う。

(この辺もね、実は現代と何も変わらんですよね。

 未だに世界中に、女性が参加出来ない祭も、

 女性が入れない教会もある。聖なる場所に、女は入れないのだ。

 穢れ、だから。そのケガレがなければ、男は生まれてこないのに)

彼は、学がなくて街で騙されるマタギの時代はもう終わりだと、

マタギも学問をして賢くなるべきだと。

そんな彼の賢さが、物語の扉を開けていく。

 

物語の終盤は、様々なタネが明かされ、

敵討ち、侮辱、名誉挽回、恨み・・・・・・

本当に人間のくだらない、膿のような部分がドッと押し寄せて

「一人殺ったら、何人殺っても一緒!」みたいな戦いになる。戊辰戦争。

 

 

エピローグがこれまた素晴らしかった。

主人公の栄助が、歴史を語りながら、

歴史の年数だけ老いていく。

それに気付いた時はゾッとした。

一歩歩く毎に歳を取り、日露戦争まで、あっという間に歳を取ってしまう

 

ラストが本当に、哀しくて美しい✨

栄助は、マタギの幸せを全う出来たんだな。

山に、返れた

 

(私、泣く)

ぶん殴られたみたいな衝撃で、劇場を出た私(目が悲痛。苦笑)
演劇で闘うってこういう事だよ。

明治の戊辰戦争で、熊と人間の話で、

21世紀の世界情勢も語れるんだ。

そこにガザを想う事が出来るんだ。

想像力ってそういう為にあるもんだ。

私達は、下北沢の劇場の椅子の上で、何百年も前から争いをやめられない

人間という生き物について、考察する事も出来るし、

草木一本生えてない狭い舞台の上に 山を、そこに生きる熊を、

見出す事も出来るんだ。

 

台本買ってサイン入れて貰ったのに、写真にサインが写ってねえ

このタイトルも秀逸だったなぁ。

 

お芝居で胸がぐらぐらした時に、
心を鎮めるカフェがなくなってしまったので、

コーヒーを買って、飲みながら渋谷まで歩く。

とてもじゃないけど、GWの喧騒な人混みに紛れられなかった。
歩きながら、道端の名もない花の写真を撮りまくる。

世田谷は森だ。

森に癒されて、少しづつ気持ちがクールダウンして、家に帰る事が出来た

やっぱり自然て大事だなぁ。

今住んでる場所は結構なコンクリートジャングルだけど、

育った場所は、案外すぐに「森」に行ける場所だった。
 

 

世界には、花を愛でるどころか、明日の命を繋ぐ事さえ出来ない人達が

今、同じ時間に、同じ地球の上に居る。

せめてそれを忘れない様にしよう。

私がどんな風に戦えるかのか、

焼石に水、程の力すらないのかもしれないけれど、

そんな人達が集まれば、コップ1杯位の水になって

誰かの喉を潤せるかもしれない。

その人の渇きを癒せたら、その人は立ち上がって

行くべき場所に歩いたり、

誰かの手を力強く握って走ったり出来るかもしれない。

個人の力で戦争は止められないかもしれないけれど、

そんな勇気を誰かに与える事は、出来るかもしれない。

 

演劇で闘う程の力もないなら、全力で生きて闘うしかない。
演劇をしながら、人として生きながら、戦争と平和について考える。

人はなぜ争うのかを考える。

どうしたら争わずに済むのかも考える。