最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々 -6ページ目

最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

2020年4月のことでした。歳の離れた大切な夫と、アラフィフの私。
いつまでも一緒。きっと死ぬまで、彼のことを想う。

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寝つきは相変わらず悪いものの、昼間の通勤が始まったことも相まって、

比較的、規則正しい生活リズムを心がけることができている。

 

大きな理由の一つは、

 

風呂入れ爺さんが出るから。

 

年を取るにつれ心配性になるというが、夫もそれにたがわず、

私が夜10時までにお風呂に入らないと、

それはそれは心配していた。

 

晩年は、夜更かしを楽しもうとしている私のところへ来て、

風呂に入ってくれないと僕はもう…と

悲痛な顔をして、拝むように頼まれていた。

 

なぜそこがそんなに気になったのかはわからないが、

彼は毎晩、私をお風呂に入れることに必死になっていた。

 

いつもお風呂を沸かしては、お風呂できたよーと呼びに来てくれていた。

専業主夫の、一日の最後の仕事だったのかもしれない。

 

懐かしい。

 

今でも、10時を過ぎると、

非常に罪悪感を持つ。

 

彼の命を守れなかったことに対する自責の念とは違い、

この罪悪感はすぐにぬぐえる。

言われなくても風呂に入ることは、できる。もう大人やし。

 

だから、10時になると、

 

あかん、あかん、風呂入れ爺さんが出る。

入ってあげないと心配する。

 

これくらいは、彼のためにしてあげられる唯一といってもいい、

私にできること。

 

彼は朝シャワーの人で、私は夜風呂の人だった。

 

彼は、朝、シャワーを浴びないで仕事へ行く私を、

汚い、信じられない、とからかった。

先に言ったのは彼だ。

私にしてみたら、夜お風呂に入らないでベッドに入れるのが信じられない。

彼は、大変心外だったようだ。

お互い、笑いながら、

相手を汚い、自分はきれい、と言って、

文化の違いを楽しんだものだった。

そこが違うおかげで、彼も私も、

お風呂タイムは自分一人で、悠々と独占できた。

 

私があまり長風呂だと、溺れていないか心配して、

見に来てくれていたな・・・

 

 

 

 

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(↑画像はお借りしました)

 

 

 

 

生きる意味なんか、初めからない。
あるとしたら、むしろ家畜だと思う。

それは仕事のやりがいを、会社が用意しているはずだと期待していることに等しい。

何もしなければ、それまでのこと。
初めから備わっている「意味」など、ない。

ただし、若いうちは、大いに悩んだらいいと思う。
人に言われて、そうですか、と納得できる類のものではないから。

ゼロで生まれて来て、何もしなければ、ゼロで死ぬだけ。
でも、他人にとやかく言われる筋合いも、もちろんない。

自分でダメだと思う必要も、全く、ない。

時間を無駄にするほど、贅沢なことはないのだから、そんな贅沢もできる時に楽しんだらいいと思う。

ただ、何かすることだけが、生きることではない。

昼過ぎまで寝て、のそのそ起きて、時代劇の再放送見ながら、なんか食べて、また寝て。10代の良き思い出だ。確か、午後2時から「子連れ狼」だから、それまでには起きなきゃいけなかった。娯楽の少なかった、昭和の春休みあるある、である。


ただ、生きる理由は、ある。

自分で見つける。

私が生きる理由は、夫と築いて来た何かを、続けるべきだと思うから。

私は、検証したいのだ。

一人になっても消滅しない何かが、あったはず。
それとも、一人では、もうダメになるのか。

歳の離れた夫から、長い間、多くを学んだ。私の頭と心に、受け継がれているはずの、何か。

私はそれを確かめたい。

やっぱり一人ではダメだったなら、その時はその時。

夫の精神、思考の展開、流れに身をまかす時はまかす。はっきり言う時は言う。人生を楽しむ。人に優しく。彼の考え方と生き方が私の中に根付いているから、不思議な一体感は、ある。
いつも一緒な気がするのだ。

彼の魂がそばにいて、いつも見守ってくれている、というのとは、少し違う。

鍼灸に例えると、東洋のツボと、西洋のトリガーポイントくらい、同じことを指しているようで、違う。

死別を体験して気づいたことだが、急にスピリチュアルな話で決着をつけさせられそうになることに、非常に抵抗がある。


私はこれまで通り、論理と科学で証明できることを基盤に置くし、

死別後に一緒にいる感覚があることについても、それで、説明できるはずだと思っている。

残っているのは、彼の意識ではなく、思想。

それらをひっくるめて、抽象的な意味での「魂」、と呼ぶのなら、良い。ここははっきりさせておきたい。

これが消えてしまうものなのか、それとも普遍的なものなのか。私次第なのか。

それを検証するのが、私の生きる理由。


それから、まだ楽しいのだ。
彼のことを思い出すのが。
もう少し、こうしていたい。

 

 

 

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Aさんと夫は50年来の友人で、夫の後輩である。
奥さんを亡くし、子どもがいなかった。

アメリカ西海岸在住のアメリカ人で、2、3年に一度、日本へ会いに来てくれていた。

夫もアメリカ人だったが、そういえば、このブログに書くのは初めてだ。私たちはすごく似ていたので、あまり違いを感じなかった。なに人であるとか、そういうことは些細なことだった。

Aさんに初めて会ったのは、奥さんを亡くされて一年後くらいの頃だった。

物静かで知的な感じで、今から思えば、すごく傷ついた心を抱えて、夫に会いに来ていた。
その時、グリーフケアを受けていると言っていたのが記憶に残っていた(保険でカバーされていると言っていたので、一般的なケアとして、少なくとも20年以上前には、すでに確立されていたようである)。

何年か経つうち、ある時から彼はどんどん元気になって、夫と同じような、明るく陽気なアメリカ人という印象に変わっていった。彼女も出来た。

3月、夫に来ていたメールに、大変体調を崩していることを返信して、やりとりが始まった。


このAさんこそが、ICUでの怒涛の1週間を過ごした、半狂乱の私を、根底から支えてくれた人だ。


私が駆けつけた時にはもう意識不明で、あれほど私の顔を見たがっていた夫に、顔を見せてやれなかった、体を引き裂かれるような、気も狂わんばかりの嵐の只中にいた私に、Aさんは魔法のような言葉をかけ続けてくれた。


たとえそばにいなかったとしても、彼は愛する人がすぐ近くにいると知っていた。


私は、この言葉を頼りに、ICUでの時間に耐えることができた。

私の人生で、最初で最後の、突出して、筆舌にしがたいあの時間を思い出す度、胸が張り裂けんばかりの苦しみを、頭が勝手に再現するその後に、なにか、優しさに包まれてもいた、そんな感覚を添えてくれた。

また、不思議な感覚だが、どんな姿でも、夫と二人でいると、落ち着いて幸せを感じられたので、よくよく思い出すと、ICUでの時間は、最後の至福の時でもあった。

Aさんとのメールのやり取りは、その後3、4週間に渡って、30通を超えていった。

この前、メールが紛れてしまわないように、プリントアウトして、大切にしまった。

すべての答えが、あの中にある。


Aさんは、たとえ、いつかどこかで、一人で野垂れ死のうとも、その時でも、奥さんの愛を感じるだろう、と書いてくれた。


これほど、私を安心させた言葉は、ない。


そんな幸せが、あるだろうか。

私がこの残りの人生で望むことがあるとしたら、まさに、ただ、それだけだ。


夫は、Aさんが来日する度、必ず家に呼んだり、私を同席させたりした。Aさんの出発の日、夫が二日酔いで、最年配を言い訳に起きて来なかったこともある(本当は、人工肛門の付け替えに時間がかかるので、午前中はよく外出できなかった。それを、二日酔いなんですぅ、と周りには言ってたんだったな)。


私だけ待ち合わせ場所に行き、午前中の買い物と、お昼に付き合い、お見送りしたもんだ。冷やし中華を食べたんだったっけ。夫や彼の友人、親戚たちは皆、ラーメンが大好きで、通は冷やし中華にもトライする。


彼は、Aさんがいつか、私の助けになると、わかっていたのだろうか。いや、あの人は、そんな画策をする人ではなかった。旅行がしづらい体だったので、来てくれる人は誰でももてなした。

私の意識しない間に、長年かけて、夫とAさんとの繋がりは、私にとっても、大切なものになっていった。

年の離れた夫は、私にとって、人生のメンターだった。
今度は、夫のことを慕っていたAさんが、始まったばかりの私の悲しみの旅路を照らしてくれている。

この、悲しみの旅路、という呼び方も、Aさんから教わった。

ごまかしは言わない。通り抜けるしかない、本物の旅が今始まったばかりだ、と。


暗い森の中で、向こうの方で、Aさんが灯りを持って、待っていてくれる。


でも、そこまで這っていくのは、私にしか、できないのだ。

 

 

 

(↑画像はお借りしました。)

 

 

達成すべき目標があれば、とことん我慢して頑張ることは得意だが、というより、

これまでそうせざるを得なかったが、今は目標が明確ではないなあ、

などという考えがよぎる。

 

まあ、この森の中に置き去りされているのが、大切な夫ではなく、

私でよかった。

 

本当によかった。

 

 

しかし、なにこの無理ゲー。私ロールプレイングゲームしないんだけど。もう視力悪いおばさんなんだけど。

 

よくわかんないけど、あなたと仲良しだったAさんが、

通り抜けなきゃしょうがないと言うんだから、

這って行くことにするよ。

 

 

 

 

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↑できあがり
 

↑ロウを型に流し込んでいるところ

 

 

先日、初めてのボタニカルキャンドルを作ってみた。

 

ボタニカルキャンドルとは、押し花やドライフラワーを型に入れ、ロウを流し込んで作る、

 

花入りろうそくのこと。

 

内側のろうそくは、買ったやつを使った。

芯の太さが決まっているため、内側だけで溶け、外側まで熱が回らず、

花の入っている外側は溶けない、らしい。

 

 

コロナの巣ごもりで、ヒマ過ぎて死にそうだったのと、生花がたくさんあるのはいいが、

 

早めに枯れてくる花と、持ちがいいのと分かれて来るし、

 

夫にささげるキャンドルも、手作りしてみたかったから。

 

なんか手でも動かしていないと、死んでしまう。

 

体は死ねないけど、メンタルが死ぬ。

(密かに楽しみにしているお迎えは、肉体のお迎えであって、メンタルのお迎えではない。)

 

ガーベラを押し花にして、

一重のキキョウっぽいのも押し花にして、

葉っぱも押し花にして、

 

押し花と、キャンドル作りのサイトをだらだら見てシミュレーションして、

 

迷ったけど、キャンドル屋さんで材料買って、

 

でも、道具を全部そろえたわけじゃなくて、

 

なんとかなるかなと思ったので。

 

押し花張り付けるのに、少し流し入れたロウがすぐ固まってしまい、

上から2cm以外はなんとなく白濁した。

適当に作った押し花の茶色いところが隠れて、まあいいか。

 

 

 

 

 

小一時間で出来たけど、

 

キャンドル湯せんするのに、普通のお鍋を外側に使ったので、

 

夫と二人で長年使ってきた、

 

かわいい小さい、嫁に持ってきたアルミ鍋が、

 

ロウだらけになったドクロ

 

 

お鍋洗いながら、もう、少々ロウがついてても、

 

食べても、

 

別にいいかなって思った。

 

大切な夫の体に入れるものには、細心の注意を払ったけど、

 

私が別に少しくらい、ロウを食べったって。

 

大丈夫よね?

 

これって、セルフネグレクトというより、

 

単なる怠慢だよね。

 

ということで、ちょっとロウが残ってるかもしれない鍋で、これからも料理することにした。

 

大丈夫。

 

だいぶ落としたし。

 

 

 

 

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配偶者との死別体験者として先輩にあたる方が、

先日書いた記事「傷つく言葉への迎撃を考えはしたが」をリブログしてくださいました。

それも、初リブログだとか。

ありがとうございます。

 

昨日は、フォローやいいねしてくだった方が増えました。

 

フォロー、いいねしてくださった方、ありがとうございます。

 

時間は少しかかるかもしれませんが、皆様のブログを訪問させていただきたいと思っています。

 

共感してもらえることで、気持ちが落ち着きます。

 

 

あの記事は、少し書きすぎたかなあと思っていました。

 

でも、本心。心の叫び。

 

一つの記事の中で、気持ちや考えが揺れるのは、読みずらいことでしょう。

 

それを、「まったく同じように思います」と言われる方がいるということは、

死別を体験するということは、そういうことなのだと、改めて感じます。

 

こうなってみて気がついたことですが、

「一日も早く元気に」なろうとしても、

「元通り」は、ないのです。

 

死別体験者は、

 

元に戻るべき、その場所を失った。

 

回復するのではなく、新たに、自分で自分の立ち位置を探し、

できるだけ元の自分に近い自分を、再構築しなければなりません。

 

そのためには、

 

心身ともにズタボロに傷ついている現在の状態から、

元の自分に戻るよりさらに難しい、一回りも二回りも大きく成長した自分になるしか、

回復と呼べる状態にはならないのでは、と思います。

 

道のりは遠い。

 

 

流れに身をまかせながら、少しずつ進んでいくしか、ないのでしょうね。

 

 

 

 

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