最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々 -7ページ目

最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

2020年4月のことでした。歳の離れた大切な夫と、アラフィフの私。
いつまでも一緒。きっと死ぬまで、彼のことを想う。

↑エルヴェ ギベール(作家、写真家)

 

 

日にちを数えるということを、過去に一度もしたことがなかったので、

 

ヒマにまかせてやってみた。

 

あと20年から30年残っていると仮定して、25年で9,000日程度しかなかった。

 

もっと、2万とか圧倒される数字が出るのかと思っていた。

 

定年退職後、1年以内に亡くなる人もいる。

 

そう考えると、あと10年少々。4,000日以上。(思ったよりあるのでこの計算は忘れよう)

 

あと10年で3,650日。

 

あと8年で2,900日程度。(なんかやっぱり、思ったより多い気がする…)

 

もう密かにお迎えを待っている、この若いばあさん。

 

困ったもんだ。

 

 

年の離れた夫は、私が、どんなばあさんになるか見たいと言ったことがある。

 

見果てぬ夢のような気がして、せつなかったな。

 

彼はいつもの、いたずらっ子のような笑顔をしていたが。

(たぶん、何かしている私を見て、今でこれなら、年を取ったらもう、どうなることやら…という、

笑えるシチュエーションだったのだと思う)

 

 

あの時、エルヴェ ギベールを思い出した。「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」の中でだったか、

他の著書の中だったか忘れたが、80歳になった自分を空想していたな。

 

 

私はどうするんだろう。死ぬとわかったら、やはり絶対に生きたいと思うのだろうか。

動物の生への反射として、生きようとするのだとは思う。

でも、この前、一度、死んだんだと思う。

生への執着のようなものは、なくなった。

そういう意味では、これからは少し気が楽。

 

 

エルヴェ ギベールは、1991年にエイズで若くして亡くなった、フランスの作家である↓

今読み返したら大変なことになりそうなので、読まない。思い出すだけ。

 

 

 

 

 

 

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佐伯チズさんのことをブログに書こうと思っていた矢先、

今日の悲しいニュースが飛び込んできた。

76歳で亡くなったという。

 

佐伯チズさんは、40代でご主人と死別され、1年間泣いて過ごして、

お肌がボロボロになっていたことに気がつき、

それからは美容のカリスマとして、ご自分の道を突き進まれた。

 

70代で一度、だまされてすべてを失っておられるが、

また立ち上がられた。

確か、去年、百貨店でトークショーをしておられるところを

偶然見かけて、立ち止まって聞いたことがある。

かっこよい、歯切れの良いトークスタイルで、

しばらく聞き入ってしまった。

 

いつだったか、やっと吹っ切れたと思った、24年かかったと

テレビで言っておられた。

他のコメンテーターからは、そのことについて特にコメントはなかったと

思うが、年の離れた夫を持つ身としては、

24年か…と記憶に残った。

 

佐伯チズさんのローションパックは、シンプルで、

私にもよく合った。

私がローションパックやクリームパックをまねている間も、

佐伯さんは、吹っ切れたわけではないまま、

同時にカリスマの道を歩んでおられたことになる。

 

タイムマシンで、もし、お肌はボロボロで、無名で、何も持たない人生でも、

ご主人がおられる人生と、

一人だが、つやつやのお肌と美容のカリスマとして名を馳せる人生と、

どちらか選べるとしたら、

迷わず、ご主人と歩む人生を切望されたことだろう、

などと勝手に想像した。

 

 

中学だったか高校だったか、社会か国語の先生が言ったことが

記憶に残っている。

 

「子どもが川でおぼれているとする。

その瞬間、人は、悪人になるか善人になるかしか、選べない。

そういう局面には、人生で何度か出くわすことがある。」

 

つまり、子どもが川でおぼれているのを見てしまった瞬間、

見て見ぬふりをして立ち去ると、見殺した人になる。

自分のことは顧みず、川に飛び込んで救うと、ヒーローになる。

という究極の二択について、考えさせるというものだった。

 

 

死別体験者の残りの人生は、この例えに似ていると思う。

 

どこへ進もうと、楽な道は、ない。

 

 

 

佐伯チズさんのご冥福をお祈りいたします。

今頃はご主人と一緒におられますように。

 

 

 

 

 

 

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(長文です)

 

(↑アメリカ元大統領夫人、ミシェル オバマ)

 

 

 

 

「あなたが1日も早くお元気になられることが、ご主人が一番喜ばれることでしょう。」

 

本当にこれを言う人がいる。

 

私は葬儀の日の夕方か翌日にこれを言われた。

 

完全スルーを決めこんだが、いまだに気になる。ひまなので。

 

 

次にこのような言葉をかけられたら、どう返すか考えた。

 

まず、このセリフの何がいけないかというと、アドバイスしているところ。

自分の体験や気持ちのみを、相手に押し付けていることに気づいてさえいない。

 

日本ではこれを「上から目線」という。

 

 

「あなたが1日も早く」・・・なぜに時間設定してくるのか。

今時、病人にも、早く元気になって、と急かしてはダメだと言うのに。

 

 

「お元気になられることが」・・・

結局のところ、そう言う人は(自分のまわりでネガティブな顔を見たくない)という、相手をコントロールしたい気持ちがあるに違いない。

こっちもあなたの顔にがまんしているのだが。

 

 

「ご主人が一番喜ばれることでしょう」・・・

はい、これが二重にも三重にもむかつく。

 

まず、うちの主人の何を知っているつもりなのか、ということ。

 

それから、もう亡くなっているんですが、喜ぶとは、いかに。

勝手にうちの主人をあなたの思い通りに動かさないで欲しい。大っ嫌いなスピリチュアルや宗教臭さえする。

 

次、これがまるで、昔あった引っ越しのお知らせはがきの定型文、

「お近くへお越しの際はぜひお立ち寄りください」

かのように、割と耳にすること。

定型じゃないし、真に受けた人が連絡もなく新居にピンポンすることがないよう、

今は古い定型文も結構見直されてる。ついてきて、時代に。

 

 

そしてそして、本人が一番わかってるんだって。

 

その到達点へ、這ってでも、何年かかってでも、

生きている間にたどり着くかどうかもわからない、

どちらへ向かったら正解なのかもわからない、

傷だらけの旅が始まったばかりなのに。

 

セクハラと一緒で相手によるけど、簡単に言われると、

残りの人生すべてをかけた、命がけの旅が軽んじられた気がする。

自分で言うのはいいけど人には言われたくない。

 

デブにデブと言うな。

ハゲにもハゲと言うてやるな。

 

 

*::*::*::*::*::*::*::* 

 

 

関西の50代のおばちゃんとしては、まず、笑顔。

反対のこと言うときは、絶対笑顔で。

最初と最後はご挨拶。惜しみない笑顔とともに。

そして間に言いたいことを挟む。

 

(例)

ありがとうございます(笑顔)

 

(下のうちのどれかか全部)

・いやでも、そんな、簡単じゃないですよおーー

・簡単そうに言わんといてくださいよーーーわっはっはーー

・わあ、結構ハードル高いこと言われた!つらいですわーー

・うわ、厳しいですね。余計、心折れそうですわ。ボキッ、あ、聞こえました?

・いやいや彼がどう思ってるかなんて。わかるんですか??今度から霊視してもらうかな?わっはははー。

 

(結び。適当)

いやいや、お悔み言ってくださってるんですものね?

お気持ちだけいただいておきます!

すいません、テンション高くて。まだまだ不安定なんですよーーうざいやつでごめんなさいね。許してやってくださいね。はっはっは。

では、失礼します!!!(笑顔)

 

私は次は、このくらい言うてやる。

 

 

 

どうしても関西に住み続けながら言いたいんなら、次からこう言え。

「あなたが1日も早くお元気になられることが、ご主人が一番喜ばれることでしょう。知らんけど。

 

 

ドクロ ドクロ ドクロ ドクロ ドクロ

 

さて、

これを書いて、数日間ほっていた。

何かが違うから。

 

 

きっと、私は、言わないだろう。

 

理由はただ一つ。

 

夫は、私に、ハッピーになって欲しかった。それから、素敵なレディになって欲しかった。

 

素敵なレディは、へたくそなお悔みを言う人に、食ってかかったりは

 

きっとしない。

 

アメリカ元大統領夫人、ミシェル オバマは、こう言っていたよ、と言われたことがある。

 

「相手がゲスに出れば出るほど、私たちは高いレベルで行く。同じ土俵で争わない。」

 

だから、こう自分に言える。

 

私が、無理してカラ元気出していたら、夫は無理しないで休んで、と言ってくれるだろう。

 

だが少なくとも、彼は私に素敵なレディになって欲しかった。

 

つまり、このまま人生で、精進することを、それからハッピーでいることを、

もし今も夫と二人で生活していたら、私はこれまでと同じように、目指しているだろう。

 

 

 

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今から12年前、突然、職場に病院のICUから電話がかかってきた。今すぐ来られますか、と。

 

夫は大腸がんだと宣告された。

 

「はい」

 

まっすぐな返事をして、彼は勇ましかった。

 

放射線療法に開腹手術、化学療法。すべて、彼はしっかりと受けて立った。

術後の合併症で、入院は数か月に及んだ。人工肛門になった。ステージIIIbだった。

化学療法の度に腸閉塞を起こして、何度も再入院した。

 

写真を見ると、その1年後よりも、今から半年前の方がずっと血色が良く、おだやかな良い顔をしている。

 

 

夫がしっかりしていたので、私もやるべきことが多かったし、二人で真っ暗なトンネルの入り口に放り込まれたような感覚だったが、次第に手さぐりで進み始めた。

 

 

宣告されてから2週間後くらいのことだっただろうか。

術前の見舞い客が多く、パリッとしたパジャマを着ていたい夫のために洗濯物を運んだり、私にもきれいにしていて欲しがるので、自分の身なりを整えたり、仕事に行ったり、忙しかったが、

 

ある夜、家に帰って来て、電気の灯りさえ、目に突き刺さるようでまぶしく、

私は暗い部屋で床にうっぷして泣いた。

 

そして初めて、信じていない神に祈った。

 

私の腎臓でも肝臓でも目玉でも、手でも足でも卵巣でも、なんでもあげるから、

あの人の命だけは助けてください。

 

あと10年でいいから、もらえたら・・・。ああ、それは望み過ぎだろうか。そんな幸せ、あるだろうか。

一生懸命生きると誓いますから。

 

 

そのうち、幽体離脱のように、もう一人の私が、床でうずくまっている私の後ろから仁王立ちになって、

「立て!立つんだ!立ってやることやるんだ!」と命令した。

 

その後は、そのしっかりしている人がすべてをこなした。

弱い方の私は、役に立たないし邪魔なので、どこかへ隔離された。

 

 

今はそのしっかりしている方の私が悲しんでいる。

でも、あの時の、弱い方の私のような、泣き方ではない。

 

どこかへ行った、弱い方の私に言いたい。

 

あれから、10年以上、もらえたんだよ。

 

(本当、どこへ行ったのだろう。しっかりしてる方に吸収されたかな。)

 

 

 

でもなあ、今、悲しんでいる、しっかりしている方の私に、

 

かける言葉はない。

 

(自分がしくじったと思っているからなあ。)

 

 

 

 

 

 

 

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一年か、一年半ほど前から、夫の足腰が少しずつ弱って来ていた。

後から思えば、たくさん病気をしていたので、要介護認定を満たす事項は充分にあった。

 

「要支援1くらい、申請してみない?」

 

「まだ、結構です」

敬語を覚えたての、小学生のような返事をする。

 

「誰々さんところは、ゴルフやテニスに行くのについて来てもらってるって聞いたよ」

 

「・・・」

 

「国も、要支援を取るの勧めてるんだって。

急に介護が必要になると、国もお金がかかるでしょ。

いつまでも元気で自分でできる方がいいでしょ。

それを手伝う方がいいんだって。」

 

「・・・」

 

「自分の仕事を手伝ってくれるんだって」

 

 

それまですまし顔で聞いていた彼の目が、ぱっと輝いた。

 

それなら、私を風呂に入れる人に来てもらったらいい、と言う。

 

 

どゆこと??

 

 

なんでも、仕事から帰って夕飯作って、

 

皿洗いを彼にまかせて、ひと眠りしてしまう私を、

 

起こしてお風呂に入らせるのが、

 

彼の一番大変な仕事なんだそうだ。

 

 

してやったり、と満足げな彼の顔を見ていると、どうも私の負けを認めざるを得なかった。

 

 

彼は、おとなしくお爺ちゃんになっていくタイプではなかった。

 

 

だから、たくさんある、「あの時違う道を取ればどうなっていたかシリーズ」で、この、

早めに要支援を申請しなかったことは、これで仕方がなかったのだと思う。

 

ちなみに訪問看護師さんによると、もっと早く繋げてもらっていれば・・・ということだったので、

病院とはまた違う角度からの支援が得られ、在宅での看取りなどについて、

私たちの知識や選択肢は変わっていたことだろう。

 

実際のところ、入院中に体調をどんどん崩した彼には、亡くなる3か月前、

いきなり要介護5が認定されたのだった。

 

 

 

 

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