最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々 -8ページ目

最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

2020年4月のことでした。歳の離れた大切な夫と、アラフィフの私。
いつまでも一緒。きっと死ぬまで、彼のことを想う。

 

 

 

これから死ぬまで誰にも邪魔されず、夫と毎日いるために、

心の奥の大切なところにそういう場所を作って守ろうと考えて、

ふと、なんかそんな歌があったなと思い出した。

 

 

♪花瓶に水をやりましょう 心のずっと奥の方

 

 

ヒロくんの声だな。こういうときにすぐググるのは、脳によくないと聞くので、

時間もあるし、思い出そうとやってみた。

 

 

♪情熱の真っ赤なバラを 胸に咲かせよう

 

 

そう、これはブルーハーツのサードアルバム以降の曲。

あまり覚えがないのは、このときには私はもう社会人になっていて、

パンクロックは卒業していたからだ。

 

 

ブルーハーツのファーストとセカンドアルバムは、若い時によく聞いた。

 

サイコパスの母親と別れるのに、私が邪魔だったため、

私は父親に体よくアメリカへ追い払われた。

カセットとラジカセと着替えを数枚だけ持って、ふてぶてしく行った。

 

後から思えば、教育を受けさせてもらえたことは、本当に恵まれていたと思う。

また、親が別れてくれたことは、親が私にしてくれた、

数少ない良いことのうちの、大変良いことの一つである。

 

 

だが、はっきりさせておきたいが、私は子どもに一番必要なものを与えられたことはなかった。

親からの愛情だ。その上、激しい言葉の暴力と、体罰を日夜受けて大きくなった。

 

それでも、友人に恵まれ、大きくなるにつれ少しずつ、親からは教えられなかった社会性を身につけ始め、なんとか自分の足で歩き始めていたところだった。

 

そこをまた、親の勝手でぶち壊される。こんなことは初めてではなかった。

私の不満はわずかな友人を除いて、他は誰一人として理解しなかった。

あの頃の私は、言い訳が大嫌いで、弁明や釈明する能力には欠けていた。

 

 

現地でしかたなく、ブルハを聞いた。

 

そのうち気がついた。

これらは更生の歌だ。

必死で社会と繋がろうとしている。

 

いろいろなことがばからしくなって、私は卒業して就職した。とにかく自立したかった。

 

 

あの頃の私は、ものすごく愛情に飢えていた。

 

 

物質的な物は、何一つ、欲しくなかった。

お金も成功も、全く興味がなかった。必要最低限あればいい。

 

ただ、ただ、真実の愛を見つけたかった。

 

ヒロトも歌っていたし。

 

♪同じこぶしを 握りしめて立つ人を きっと見るだろう

 

この世の中に、心の底から分かり合える人が絶対いるはず。絶対、見つける。

 

 

 

今思えば、それからたった7年後、私は夫と出会うのだ。

 

 

 

 

 

♪都会の空に星をください、と思う方にはこちら↓

 

 

ファーストアルバム↓

 

 

セカンドアルバム↓

 

 

「情熱の薔薇」はこの中に↓

 

 

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あれほど好きだった海外ドラマも、映画も、ニュースも、全く観ることができないでいる。

 

夫の話はずっとしていたいけれど、違うジャンルの話を聞くエネルギーが枯渇しているというか。

 

あのしんどかった記念日の最後、以前だらだらとネットを検索していて、

ばかばかしくて面白いと紹介されていた、

 

「二代目はニューハーフ」という邦画が目にとまった。

 

それが期間限定で無料配信されていたので、

少しずつ観てみることにした。

 

なぜこの映画かは今でもわからないが、これなら自分のメンタルが大丈夫と思ったのだろう。

もともと、私はどんなB級作品でもたいてい楽しむことができた(失礼!)。

 

 

しかし、

 

 

それでなくても生きづらさを抱える主人公、ニューハーフの姿を見て、笑えるどころか、

その上さらに押し寄せる過酷な運命に対して、一生懸命立ち向かう姿に、痛みのような共感を覚えた。

 

どこが笑えるところか、さっぱりわからなかった。

 

こんなことでは、吉本新喜劇を見ても、ただ泣くんじゃないだろうか。

 

 

娯楽が減った。

 

困った。

 

 

 

おもしろいはずなんですが↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(長文です)

 

にわか知識だが、記念日反応なるものがあると知っていたので、前々から自分にひまつぶしを用意していた。

 

記念日反応とは、死別を体験した者が、記念日前後に心身に不調を起こすことらしい。

 

なにしろ、分刻みの、怒涛のように多忙な日々を送っていたところから一転して、仕事をして自分を食べさせるだけの毎日は、時間が余って仕方がない。

 

その上、生活を変えるのは良くないと思い、できるだけ普段通りにしていることと、コロナの状況が相まって、行くところもあまりなかった。

 

 

さて、下手ながら、フラワーアレンジメントをいくつか作って、彼にささげようと思っていた。

そうすれば、例の日は時間をつぶせるだろう。

 

花屋まで4、50分歩いて行って見て回っているうちに、早くも練習が始まった。

できるだけ思い通りの花を作りたかったのだ。

それなりに、結構気が紛れた。

 

 

だが、記念日反応とやらは、想像を超えた、大変なものだった。

 

 

空気が無重力の反対になっているかのように、体が重く、動きが鈍く、頭が働かない。

だが、そう思うだけで、例えばキッチンへ行こうと思うとあっという間に着くし、

花もすぐにできてしまった。

 

時計が一向に進まない。

何もかもがだるくて仕方がない。

 

それなのに、一、二を争う最悪なことが、容赦なく、鮮明に、脳裏に蘇る。

 

そして、3月末の主治医との会話がフラッシュバックした。

やはり、あの時だ。あの時、言えばよかったのだ。

 

「もう連れて帰ります!」

 

声に出していた。

 

 

おかげで寝ることもままならない。

寝ていないと、体力をより消耗し、頭に浮かぶネガティブなことを、はねのけることもできない。

思考がうまく働かない。

 

まるで、罰を受けているかのようだった。

まあ、自責の念があるので、もしかすると罰せられたいのかもしれないが。

 

 

 

その上、「あの日」と「あの日」が続いていたので、

 

(あの日と呼ぶのは、ハリーポッター風に言うところの、「名前を出すのも恐ろしいあの日」だからだ。)

 

国内からも電話やメールをいただく上、アメリカからも「こちらではもうあの日になりましたが」とか、「まだこちらではあの日ですが」などの連絡をもらい、時差がある東海岸と西海岸からもいただいたので、

 

私の初めての、「あの日」と「あの日」は、4日間に及んだ。

 

 

なんとか、やり過ごしたと思うが、寝つきの悪さは残ってしまった。

 

 

 

恐るべし、記念日反応。

 

 

 

これでは、これから先が思いやられるが、流れに身を任すしかない。

 

 

「あの日」には思考停止で思いつかなかったが、

せめてもの気休めは、こんな日を過ごすのが、大切な夫ではなく、私であること。

 

こんな日を過ごさせるのは、かわいそう過ぎる。彼の笑顔が曇ってしまう。

 

私でよかったよ。これが夫を愛したことへの対価なら、これからも受けよう。

 

 

 

親しい人たちからの連絡は、嬉しいものだった。支えられていることを実感した。

これも彼が残してくれた人々との大切な繋がり。

一人だけれども、一人ぼっちではないのかなと思えた。

ありがたいことである。

 

 

まだまだ日が浅くて、実感がないし、実感を得たくないのが本音だが、

実際の苦難は、きっとこれからなのだろう。

 

彼がICUに搬入されてからの、あの半身をもがれるような耐え難い痛み・・・

私はまだ、あれしか、知らないのだろうな。

 

 

いいよ、どんな苦しみでも来たらいい。

こんなことは、彼か私のどちらかにしか、起きないのだから、

私が引き受ける。

 

人工肛門、代わってあげられなかったのだから、

これは私の仕事。

 

 

 

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生花があるのは嬉しいことだが、水替えの度に切っていると、

だんだん丈が短くなってきたので、マリボウルに生けてみようと思った。

 

マリボウルと呼ばれる器の小さい方↓

 

セリアで見つけたやつ↓

 

これをマリボウルに入れてみると

思った通り、ぴったり!

 

生き残っているお花を生けてみた。

 

セリアのやつの底を、指でちょっとつぶして、マリボウルの底との間に隙間を作ってやると、

お花がひっかかりやすくなる。

錆びてきたら、針金のネットを丸めてもいいんだけどな。

なんなら、針金でネット編んでもいい。

 

 

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クリント イーストウッド作品は大好きだが、これはなんとなく敬遠していて、放映から10年ほど経って、夫と二人でやっと観た。

2004年の作品で、アカデミー賞主要4部門ほか、数多くの賞を受賞している。

ボクシングを題材にした序盤の華やかなストーリーから、一転して尊厳死を取扱ったことで、賛否両論を引き起こしたと言われる。

 

また、ラストについては、明確になっておらず、観る人にゆだねられている。

 

 

さて、ここからは、私たち夫婦のそれぞれの見解の違いである。

(ネタバレあります)

 

 

 

 

 

 

私の方は、翌日になってから、気がついた。

 

あれは、心中だと思う。
イーストウッドが姿を消すところで終わるが、私には彼が、あのまま生きながらえているとは思えない。
ラスト、モーガン フリーマンのナレーションをバックに浮かぶ、いつかのダイナーでレモンパイを食べている後ろ姿、あれは彼のささやかな、しかしかなわなかった夢、幻なのだと思う。

と、想像力でせつなさを盛り上げていたら、後日、アメリカで、本人の意識がはっきりしているのに、望まぬ生命維持装置に繋がれ続けることはないとの説が…確かに。
何年も経ってからの「二段階ええー!?」であった。



一方、夫の方であるが、翌朝、いい話だったなーと楽しそうにしていた。

うまく逃げて、やれやれとばかりに、どこかでレモンパイ食べていると思っていたそう。

アメリカのレモンパイ、おいしいんだよ~。

 

私の発した「心中」という言葉に、震えていた。

 

 

あの時は、夫を怖がらせてしまったが、この映画の結末は、「やっぱりレモンパイはおいしいな」でよいのだと今は思いたい。

 

大切な人をしっかり送り出して、レモンパイを楽しむ。自分は正しいと思ったことをした。

そんな人生のおくり方が、夫のハッピーで安定したメンタルを受け継げる、そんな気がする。

 

できるかな。

 
 

 

 

 

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