記念日反応 | 最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

2020年4月のことでした。歳の離れた大切な夫と、アラフィフの私。
いつまでも一緒。きっと死ぬまで、彼のことを想う。

(長文です)

 

にわか知識だが、記念日反応なるものがあると知っていたので、前々から自分にひまつぶしを用意していた。

 

記念日反応とは、死別を体験した者が、記念日前後に心身に不調を起こすことらしい。

 

なにしろ、分刻みの、怒涛のように多忙な日々を送っていたところから一転して、仕事をして自分を食べさせるだけの毎日は、時間が余って仕方がない。

 

その上、生活を変えるのは良くないと思い、できるだけ普段通りにしていることと、コロナの状況が相まって、行くところもあまりなかった。

 

 

さて、下手ながら、フラワーアレンジメントをいくつか作って、彼にささげようと思っていた。

そうすれば、例の日は時間をつぶせるだろう。

 

花屋まで4、50分歩いて行って見て回っているうちに、早くも練習が始まった。

できるだけ思い通りの花を作りたかったのだ。

それなりに、結構気が紛れた。

 

 

だが、記念日反応とやらは、想像を超えた、大変なものだった。

 

 

空気が無重力の反対になっているかのように、体が重く、動きが鈍く、頭が働かない。

だが、そう思うだけで、例えばキッチンへ行こうと思うとあっという間に着くし、

花もすぐにできてしまった。

 

時計が一向に進まない。

何もかもがだるくて仕方がない。

 

それなのに、一、二を争う最悪なことが、容赦なく、鮮明に、脳裏に蘇る。

 

そして、3月末の主治医との会話がフラッシュバックした。

やはり、あの時だ。あの時、言えばよかったのだ。

 

「もう連れて帰ります!」

 

声に出していた。

 

 

おかげで寝ることもままならない。

寝ていないと、体力をより消耗し、頭に浮かぶネガティブなことを、はねのけることもできない。

思考がうまく働かない。

 

まるで、罰を受けているかのようだった。

まあ、自責の念があるので、もしかすると罰せられたいのかもしれないが。

 

 

 

その上、「あの日」と「あの日」が続いていたので、

 

(あの日と呼ぶのは、ハリーポッター風に言うところの、「名前を出すのも恐ろしいあの日」だからだ。)

 

国内からも電話やメールをいただく上、アメリカからも「こちらではもうあの日になりましたが」とか、「まだこちらではあの日ですが」などの連絡をもらい、時差がある東海岸と西海岸からもいただいたので、

 

私の初めての、「あの日」と「あの日」は、4日間に及んだ。

 

 

なんとか、やり過ごしたと思うが、寝つきの悪さは残ってしまった。

 

 

 

恐るべし、記念日反応。

 

 

 

これでは、これから先が思いやられるが、流れに身を任すしかない。

 

 

「あの日」には思考停止で思いつかなかったが、

せめてもの気休めは、こんな日を過ごすのが、大切な夫ではなく、私であること。

 

こんな日を過ごさせるのは、かわいそう過ぎる。彼の笑顔が曇ってしまう。

 

私でよかったよ。これが夫を愛したことへの対価なら、これからも受けよう。

 

 

 

親しい人たちからの連絡は、嬉しいものだった。支えられていることを実感した。

これも彼が残してくれた人々との大切な繋がり。

一人だけれども、一人ぼっちではないのかなと思えた。

ありがたいことである。

 

 

まだまだ日が浅くて、実感がないし、実感を得たくないのが本音だが、

実際の苦難は、きっとこれからなのだろう。

 

彼がICUに搬入されてからの、あの半身をもがれるような耐え難い痛み・・・

私はまだ、あれしか、知らないのだろうな。

 

 

いいよ、どんな苦しみでも来たらいい。

こんなことは、彼か私のどちらかにしか、起きないのだから、

私が引き受ける。

 

人工肛門、代わってあげられなかったのだから、

これは私の仕事。

 

 

 

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