最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々 -5ページ目

最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

2020年4月のことでした。歳の離れた大切な夫と、アラフィフの私。
いつまでも一緒。きっと死ぬまで、彼のことを想う。

Bくんは日本の大学院に通う、アメリカ人の男の子である。

私たち夫婦はホストファミリー的な役割をしてきて、Bくんとはかれこれ数年の付き合いになる。

夫とBくんは、大変歳が離れているにもかかわらず、本当に気が合って、

いつも2人で長い間楽しそうに英語でなんやかや喋っているのを台所から見ながら、

(これは本当の親子みたい)

(私は、なんというか、ままはは?)などと、思ったものだ。

Bくんは、夫のことが大好きだったので、私がアメリカの種々の手続きに困っているだろうと、

全ての手伝いを買って出てくれた。

夫が去って3週間後か4週間後か、私がまだまだ鋭利な胸の痛みを抱いていて、

他のことをできる気がしなかった頃、

Bくんはうちに何度も来て、

夫のPCや書類やメールを確認したり、

時差のあるアメリカへの電話を手伝ってくれたりし始めた。

しなければならないことをリストアップして、どんどん進めてくれている。

 

Bくんがせっせと働いてくれるおかげで、私は出勤しさえすれば、

後はブログを書いたり何もしないで休んだり、

変な物作って遊んだりする時間ができている。

それからBくんは、私がすっかり忘れていた、3人で過ごした楽しい思い出話や

おもしろい話をたくさんしてくれた。

 

2人でゲラゲラ笑った。

来る度に、昼ごはんや夕飯や、夜食を食べて行ってくれたので、私は

(もう二度と食事の用意をすることはない、あるいはしたくない)

かも知れなかったところ、

そのハードルは簡単に乗り越えることが出来た。

最初に来た日、まるで、3人でいるみたいでしたね、と言いながら帰って行ったが、

本当にその通りに感じた。

思えば、Bくんが来てくれてから、私は少し元気が出た気がする。

明日もBくんが、アメリカに電話する手伝いに来てくれる。

私は、もう二度と、買うことはできそうになかった、

スーパーの棚に並んでいるのを見ることもできなかった、

夫の大好きだった杏仁豆腐を、二つ買うことができた。

これを明日Bくんに出せば、この杏仁豆腐は、また、私の日常に溶け込んでくるかもしれない。

申し訳ない。ありがたい。
これも夫が残してくれた人の縁。身に染みる。
 

 


 

 

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暑くなって、切り花の持ちが悪くなって来ている。
最近はリンドウを見かけるが、私はどうしてもリンドウだけは、買う気になれない。

それは、大嫌いな「野菊の墓」を思い出すからである。

- 誰々は野菊のようだ。
- ぼくは野菊が好き。

- 誰々はリンドウのようだ。
- 私はリンドウが好き。

この告白だって、もっとさっさと言え!と言いたくなるほど、かったるいほど、

私はこの、軟弱な、男目線オンリーの小説が大嫌いなのである。

中学の時読まされて、読書感想文を書かされ、自分の感じるイライラを、うまく言葉に出来なかったのか、

あるいは、大人たちや国語の先生が、悲劇、美談、のように扱うことに対するイライラもあったか、

私は本当に、リンドウまで嫌いになった。

そんなに好きなら、駆け落ちでもなんでもすればよかったのに。
男気出して、惚れた女の一人、連れて生きることもできないのか。
それなのに、生涯、望まぬ結婚をしながら、生きながらえている、だと。私の一番嫌いなところが、ここだ。

今の嫁にも失礼やし、一生ウジウジ、クヨクヨ思い出す姿勢も、言うとくけど、みんなちゃうで。お前みたいな男だけやで。そんないつまでも。女は先へ進む生き物や。少なくとも、私はそうや。

全力出さなかった、昔も今も、ただクヨクヨしてるだけの男の話、中学生が読まされて、

どないせいちゅうんじゃ!
 
お前みたいなやつのためには、時代考証してやらん。
いつの時代でも、もっと骨のある男はたくさんいたはずや。割引きなしや!

そう、リンドウは私の中で、負け犬の象徴なのだ。

私はもっと、強い男が好き。
死別ブログ書きながらおかしいけど、私は少なくとも、後悔したくない一心で、

頑張って看病して来たつもりだ。リンドウ野郎に比べたら。

うちの旦那は、要介護5出てたけど、ICU運ばれる前日まで

自主トレのリハビリしてたって、看護師さんが教えてくれたわ。

私のところに帰って来るために、あの人は最後の力振り絞って、

リハビリしてん。

それでも、思い通りにならないこともある。
涙が出て仕方がないこともある。

でも、私はリンドウ野郎とは、根本的に、絶対に違う。

これからも、絶対に、リンドウ野郎みたいな生き方だけは、しない!


リンドウ見ただけで、こんなに書いてしまった。

明日も頑張って生きよう。

 

 

 

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夫と私の周りの、人間関係の相関図を書いてみた。

 

 

ピンクで繋がっている人々は、今回、程度の差はあっても、

死別を体験した人々。

 

青で私と繋がっている人々は、これまでどんなに親しくても、

私の夫との死別を、直接には、体験していないのだ。

「二親等」とでも呼ぼうか。

 

だから、青の線の人たちに、どんなにわかってもらおうと思っても、

わかり得ないものは、わかり得ないと、

私はわからなくてはならない。

 

反対に、夫の友人Aさんのように、思いがけず、

同じ、私の夫という対象と、死別を体験した人もいる。

 

直接、夫と関連があった人たち、「一親等」の人々の方が、

今の私の気持ちと重なる部分がある。

 

だからと言って、Aさんをはじめ、夫の友人たちに、

これまで私の友人がして来てくれた役割まで望むのは、

もちろん望み過ぎというものだ。

 

黒の線の人たちは、はなから対象外。

 

ここを理解しておかないと、これから先、

容易に孤立してしまうと思った。

 

もちろん、同僚の中に友人もいるし、

共通の友人の中にも、

全くとらえ方が違う人もいるに違いないが、

便宜上、こう描いた。

 

まあ、とにかく、誰にも期待しすぎないこと。

 

私の唯一無二の親友は、

夫だったのだから。

 

ピンクハート ハートブレイク ピンクハート ハートブレイク ピンクハート

 

それから、大切なことだが、

死別を体験していないと絶対に理解できないと、

断じてしまうのも、実は違うと思っている。

 

想像力。思いやり。繊細な心。広い視野。

そういうものを持ち合わせている人は、

案外、「想像を絶する体験」だと、わかっていると、

私は信じている。

少なくとも、私は、自分が体験していないことでも、

想像して、思いやりを持ちたいと、願っている。

 

いくら配偶者と死別するといった、

たぶんトップレベルの強烈な体験をしたからといって、

人としての心は、

もちろんまだまだ大したものではないのだが、

失いたくはないと強く思う。

 

 

と、まあ、できるかどうかわからないことを書いたが、

これこそが、

夫がいつも言っていたことなのである。

自分の体験だけでしか、物事を見られないのは、

違う。

 

「人には、想像力というものがある、」と。

 

「それを持たずには、差別というものは、

なくならない。」


 

 

 

 

 

 

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(↑「バトルフィールド アース」一場面)

 

ジョン トラボルタの愛妻が、2年間の闘病の末、今日亡くなったそうだ。

 
インスタのコメントより:
「子どもたちが母親のいない状態に慣れるには時間が必要です。だから、しばらく静かに過ごすことを許してください。でも、どのくらいの月日がかかるかわかりませんが、あなた方の溢れんばかりの愛情を感じていることは知っていてください。」
 
死別を体験してから、こんなにも遺族のメッセージが、一言一句「よくわかる」ようになった。
私も、身近で大切な人に、必ず戻って来るから、しばらくそっとしておいて欲しいというようなことを、必死で説明しようとした覚えがあるが、トラボルタの声明は、洗練されていて、心を打つ。
 
 
トラボルタは、「サタデー ナイト フィーバー」で一世風靡した後、94年、タランティーノの抜群のセンスで、変なダンスを踊った「パルプ フィクション」でカムバックした。それ以降、楽しんで悪役をやっているのがよくわかる。
 
奥さんも一緒に「バトルフィールド アース」に出ていたと聞いて、ピンと来て、ググってみると、画像が出てきた。
悪役サイクロン人を夫婦で演じていたなんて、なんて楽しかったことだろう。
 
「バトルフィールド アース」の評価が低くて、本当に残念に思う。
あんなに真剣に、バカバカしくおもしろいB級映画はめったにないのに。
残された人類の存亡をかけて、逆境の中、体一つ、ガッツだけで立ち上がっていく、素晴らしくもベタなヒーロー像は痛快だし、なんといっても、悪役のトラボルタがおもしろ過ぎる。
 
奥様のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
 

 

↑一瞬映る、長い舌の宇宙人が奥さんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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(↑画像はお借りしました)

 


葬儀の数日後、葬儀屋さんに支払いに行った帰り道のこと。

 

 

4月の、昼間の明るい歩道が、ゆっくりと、ずっと目に入っていたから、

 

ああ、私は、とぼとぼと、うつむいて歩いているんだなと思い、

顔を上げて歩くことにした。

 

ああ、これから一人か。

もう愛してくれる人はいないのだから、
これからは自分で自分を大切にするよりほか、ないのか。

私は自分を愛せるようになっているんだろうか、とため息まじりに、ふと思った。

 

その時だった。

 

(自分を愛せているかなんて、恥ずかしっ。)

(私、別にこのままの自分で、いいけど?)

 

もう一人の私が、うふふと笑っていた。

 

あれ、私、そういう意味では、大丈夫なのか?

 

彼の愛がとうとう、毒親に勝っていたのだと、

思い知った瞬間だった。

 

ぽってりフラワー  ぽってりフラワー  ぽってりフラワー 

 

夫がいなくなったら…、と時々頭をよぎる度、

 

実は、何よりも恐れていたのは、20代のころの、自己肯定感の低い自分に

戻ってしまうことだった。

 

あんな私では、とうていやって行けない。

 

誰かに寄生していないと、やって行けない。

 

母親から、ののしられ続けて、いつも人の顔色を窺っていた、でも

虚勢を張って生きていた、あんなメンタルでは、

到底、やっていけない。

 

夫がいつもいつも私の頭をなでて、心を安定させて、

 

いつもいつも大切にしてくれたから、

 

これまでやってこれた。

 

どれほど、私が彼の体のお世話をしようと、

私が彼に精神的に寄りかかっていたことは、紛れもない事実。

そう思っていた。

あの人がいなければ、私はやっていくことなど、できない、と。

毎日よしよししてもらわないと、絶対無理。

 

しかし、自分が自分を認められているかなど、そんな若い頃に自分にした類の問いかけは、

 

彼と一緒にいた25年間、特に後半、考えたこともなかった。

 

ぽってり苺  ぽってり苺  ぽってり苺

 

じゃあ、私の自己肯定感は?

 

(ふつう)

 

もう一人の私が答える。

 

(気にしていないことは、気にならない。自己肯定感が低いとか高いとか、

よくわからん。てか、ドトールも開いてへんで。何食べるん、私?)

 

それで、私は、はっとした。

 

夫が、長年かけて、私の自信を育ててくれた、育て直してくれたのだ、と。

 

そういえば、出会ってすぐの頃、彼が、私の親は、私の自信をうまく育てなかったんだね、と

言ったことがある。

 

彼はすぐに気がついて、そして、育て直してくれた。時間はかかったのだろうか。

私は気がついていなかった。

 

ありがとう。

 

大好きな、あなた。

 

私は、あなたにふさわしい相手だったでしょうか…。

 

 

 

 

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