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リベラルブログ・生活保護者の色々な記事

腎臓病と不安神経症で生活保護者。社会やニュース、その他、様々なこと、思ったこと、感じたこと色々なことをブログ記事にしていきたいと思っています。

判決は全て原告の弁護士の主張が100%通って約15万円の支払いになった。株の借金で4万ぐらいしか払えないので残りは差し押さえになるかもしれない。一番問題なのは独立しようと取引している株を差し押さえの対象になることだ。これがない生活保護からの手掛かりがなくなるし、生活保護から抜け出す希望が無くなる。

控訴はできるが霞が関でやるので、そこまでは行ける自信がない。弁護士も法テラスで30分で話すのは無理なので控訴はできないと思う。

兎に角、ショッピングカートが当たらないクオーターパネルの2つの傷と、リアバンパーカバーの傷まで全て認めるとは思わなかった。またショッピングカートは走行できない(ひとりでに動くことはできない)のに【ショッピングカートがひとりでに動いた】、との判決文を見たときは、これはもう運命だとしか言いようがないと思った。


やはり横の傷だけ払うと認めたことが間違いだったけど、(警察官2人と俺に見せた傷は左ドア40センチの傷だけだった)、認めなければ、話し合いが延々と続き、俺は100%倒れていたので、仕方がなかった。7月30日の25度以上の駐車場で約45分立ちっぱなしで、頭はくらくらして倒れる寸前だった。だから倒れたら下がコンクリートなので、頭から落ちると死ぬか障害が残るかもしれない、また、不整脈の発作が起きるかもしれないから認めざるを得なかった。もう身体が立っているのが限界だった。

兎に角、ショッピングカートが接触できない傷まで全部支払え、ショッピングカートがひとりでに動いて車を傷付けた、2mの坂を下って速度と加速度がついてぶつかったとされているのに【車に衝突した後、バウンドしないで車と接触し続けて、傷を付けながらショッピングカートが後方にひとりでに動いて行った】と判決で書いてあるのを見て、これはもう俺の過去世にやった悪業の報いとしか言いようがない。

ショッピングカートにはくるくる回る4つの車輪が付いている。それが2メートルの坂を速度と加速度とショッピングカートの重さが掛け合わされた力で車にぶつかったのにバウンドしないのは絶対あり得ない。ぶつかったヶ所に凹みやゆがみがあれば、そこで力を発散するのでバウンドしないかもしれないが、どアップの提出動画では、衝突した箇所は薄い線があるだけで車はへこんでもいないし歪んでもいない。だから衝突した後の力は4つのくるくる回るショッピングカートを押し返す力として働いたはずだ、即ち、バウンドしたことは間違いない。だから隙間なく横40センチの傷が付くことは絶対あり得ない。

しかも、一番強くぶつかった左ドア後方部分箇所より、そこから40㎝うしろに行けば行くほど傷が濃くなり、何本もの線が出て来る。これはおかしい。一番最初に坂を下って強く当たった左ドア後方の箇所が一番傷が強く濃くなければならないからだ。それが逆になっている。俺のショッピングカートで付いた傷ではないという証拠だ。



車は北から南へ駐車場を徐行していた、そこへ坂を下って車の左ドアにぶつかってから、車より軽く、エンジンのないショッピングカートが、車と逆方向の南から北へ車と逆方向に左ドアの傷を付けながらひとりでに走って行った、と判決に書いてあるがそれは不可能だ。坂は店舗東から駐車場の西に向かって下っており、ショッピングカートは坂を90度横切る南から北へ動いたとあるので、坂の力はショッピングカートには働かない。従ってショッピングカートが自力で南から北へ動いていかない限り、車を左ドアを真ん中から後ろへ40㎝も傷つけることはできない。しかしそれは100兆%不可能である。何故ならショッピングカートにはエンジンが付いていないので自力で動くことはできないからだ。

それにショッピングカートが傷付つけたとされるハンドルはツルツルで傷を付けるのは不可能。しかも傷は何本もの線でできている。ツルツルのハンドル部分で何本も線を付けるのは不可能。しかも、左クオーターパネルの2つの傷がショッピングカートが触れられない所についている。触れられないのにショッピングカートで傷を付けることは100兆%不可能。そしてリアバンパカバーの傷による全交換に関してはどこが傷ついているのか写真も動画も提出しないで18000円の請求されてそれが通った。


兎に角めちゃくちゃな裁判だ。俺が健康だったらなぁ~。弁護士雇って逆裁判したかった。悔しい。

兎に角エアコンとか冷蔵庫を取られたら俺は熱中症で死ぬことになる。どこまで差し押さえられるのだろう。もしエアコンを取られて死んだらもう寿命が来たと思うしかない。だから差し押さえされない前に借金して払うしかない。でも食費とか色々削らないと払えない。でも削るしかない。生活保護費が今後3年間少なくなる上にだ。

兎に角カード借金して払えるなら早く払いたい。払い終わるまで年5%の金利を支払わないといけないから。

繰り返すが控訴は、霞が関だから東京市部の俺の自宅からでは遠くて行けない。行く自信がない。それに控訴料は3倍ぐらい払わないといけない。大体色々合わせると1万5千円ぐらい払わないといけない。しかも控訴は本人か弁護士が行かないと控訴をすることが禁止されている。俺は弁護士がいないから一人で行かないといけないけど今は心臓も悪いから霞が関まで行く自信がない。行けたとしてもへとへとの身体で裁判を闘えるのか?無理だ。

兎に角悪夢としか言いようがない。全ては俺が作った過去世の悪業の報いを受けたと思わなければおさまりが付かない。

健康だったらと今までの人生でつくづくこれほど思ったことはない。

次の裁判日の日と原告の反駁書類が来ると思ったが、突然『判決言い渡し』10月4日午後1時10分』という手紙が簡易裁判所から来た。

その前に原告から新たに作った概算見積書約14万6千円、それに弁護士費用13,4万円、裁判費用全て含めて28万4039円の私への支払い要求を裁判所に送ってきた。

俺は新たに送られてきた動画への反論を送ろうと書き終わって次の反駁書類を書いている間に裁判所から10月4日に判決言い渡しの書面が届いた。書面には『出席しなくても不利益はありません』と書いてある。実際、控訴の期間が2週間なので、裁判に出るとそこから2週間。出ないと判決文が送られて来てから2週間といういうことで、考える時間が多くなるので判決の時は出席しない原告被告が多いそうだ。

判決文は送られてくるのと同じだから出席しなくても良いようだ。問題は勝てるのか負けていくら払うようにと判決されるかだ。裁判は、必ずしも正しい者が、正しい側が勝つとは言えない。OL強姦殺害で逮捕されたバングラデシュ人?「ゴビンダ・マイナリ」さんも、他人の精液のDNAが下着から発見されたにもかかわらず有罪で、20年ぐらい牢獄に入っていた。結局、決定的な証拠が見つかり、無罪で本国に帰ったが、20年間やっていない犯罪で牢獄に入れられて人生を無駄にすることになった。
また、つい最近では死刑囚の「袴田事件」の上告で、検察が、味噌樽に犯行の衣服があったと提出してきたがサイズが全く合わないものだったが、「味噌樽の中でサイズが縮んだ」という主張が通り、無罪判決だったのが有罪に変わってしまった。その他にもDNA鑑定でも真犯人の血が付いた物「衣服?」のDNA鑑定が袴田さんのDNAと違っていたにも拘らず、裁判長は2004年に行われた当時最新のDNA鑑定について「DNA鑑定は信用できない」と袴田さんではない、という主張を却下。有罪になるという、信じられない判決があった。

だから、必ずしも私が勝つとは限らない。しかし、原告提出の動画ではっきり私のショッピングカートが原告の車に接触することができない箇所の傷を数か所も要求してきて、おまけに弁護士代、裁判費用約15万円合わせて28万5049円支払えとの判決が出たら、さすがに控訴しなければならない。

しかし控訴すると控訴費用が掛かるし、書類作成、交通費など、相当かかるので、どうなるか。それに私が勝った時でも、相手が控訴して来る可能性があるので、勝ったとしても裁判は続く可能性は十二分にある。

それにしても相手が控訴するか、私が控訴するか、少額を支払えば終わるのであれば払って終わりにするかもしれない。理由は『疲れた身体の為』
裁判はほんとに疲れる。特に相手が法律の専門家の弁護士に病身の身体を抱えてたった1人で闘う俺の場合は。兎に角、控訴に入るかどうかはともかく、10月4日で一つの裁判が一応判決が出て終わりを迎えることは確かだ。控訴になると、裁判番号も、違った裁判となるからだ。

さて、10月4日、判決はどう出るか。そこまで眠れない日々が続きそうだ。



8月2日の裁判で原告が私への反論書を提出。8月6日に自宅に届く。本来は裁判の1週間前に提出しないといけないのに原告はこの頃裁判当日に反論書を提出して来る。


今回も有名な交通事故の専門家の教授の本をコピーして反論が1種類。後は準備書面で私が反論した4つの反駁書に対してまとめて反駁している準簿書面を提出してきた。この2種類の反駁書を2週間で反駁し返して裁判所と原告へ提出。


しかし今私が考えているのは、原告のことではない。私自身の当時の行動と発言についてだ。実は詳しくは長くなるので書かないが、若い警察官が私に【今回車のドアで良かったものの、若し子供に当たっていたら大きなケガをして大変なことになっていたかもしれないよ】という一言を聞いて私は『転重軽受(てんじゅきょうじゅ)=重きを転じて軽く受ける』という日蓮仏法の言葉と一致していると勘違いして、【私のカートは本来子供に当たっていたに違いない。それが日蓮仏法を信仰してきたおかげで車のドアで済んだ、という転受軽受が起こったのだ】と思い込んで、【転受軽受を完成するには軽く受けた車の傷を絶体に何が何でも払わないといけない、そうしなければいつまでたっても私はカートを子供に当ててしまうという、私の宿業は消えない】と取りつかれたように思い込み、事故当日のドライブレコーダーにも私のカートが原告が主張している車の傷に当たっていないのを事故当日に私が見たにも関わらず、それまで全て事件を否定していた私が、若い警察官の上記↑の言葉を聞いてから、急に変わってしまい、自分から、【車の傷は100%私のせいです。だから車の傷は私が払います】と警察官と原告の前で約束してしまったのである。


のちに原告が私が払うと約束した車の傷以外の多くの傷全ての料金やレンタカー代10日分を要求するに至って、その多額の請求書を見て初めて私は、【これは転受軽受ではない、私は事故詐欺に巻きこまれたのだ】と気づいて現在の裁判に至っている訳である。


要するに、裁判になっている根本の原因は私が事故があったのかなかったのかさえ分からなったのに、自分で転受軽受が起こったのだと間違った思い込みをし、車の傷を私のカートのせいであると認めてしまったことが、裁判になっている根本的な原因であるということだ。即ち、【私の間違った考えが、私がこの事故を認めてしまったことが、この裁判を起こしてしまった原因なのだ。】


そして今の私は、【なぜ私は勝手に転受軽受が起こったと間違い、それまで全否定していたのに、自分から、事故を認め、車の傷の代金を支払うと言ってしまったのか。事故当時の、頭がおかしくなってしまって急に変わってしまった私のその原因を、間違った思い込みをしたその原因を考えているところである。


次回の裁判は9月13日木。これも病欠すると裁判所に提出した。



麻原が「サティアン」と呼ばれていた隠し部屋で逮捕して最初に尋問した刑事はこう言っていた。【麻原とは色々雑談とかしたが、話していて社会に対する深い憎悪の念を持っているのを感じた】と語っている、おそらく目が不自由な松本智津夫時代に何か差別的な事か、社会を憎悪する何かの体験があったのだと思う。おそらくそれがオウム真理教事件の根本的な動機だと思う。裁判はそれが何なのかを解明しなければならなかった。

しかし、まず松本智津夫被告と言っている時点でこの裁判は最初から成立してなかった。麻原彰晃のいない裁判で事件の全貌が分かるはずがないからだ。麻原自身も発言しなくなったのは。自分ではない、松持智津夫という別の人間が裁判していると思っていたからではないかと思う。

松本智津夫の時代に犯した罪は偽薬を販売したことだけ。ほとんど目の見えない松本智津夫がオウム事件を起こすにはサリンを作り、ばらまき、事件を手助けをする人間が必要。それは松本智津夫では人は集まらなかったので事件を起こすのは無理のはず。だから、というか目が不自由な松本智津夫だけではオウム事件は起こせない。

松本智津夫から麻原彰晃と名乗って、オウム真理教を作ったからこそ、目の不自由な松本智津夫では不可能な坂本弁護士一家虐殺、刈谷さん殺害、そしてサリン事件が起きたのです。だから「松本智津夫被告」と裁判している時点でこの裁判は終わっていた。

いったい最初に尋問した刑事が話していた【麻原とは社会に対する深い憎悪の念を持っている】という深い憎悪の念とはいったいどういうものだったのだろうか。

麻原彰晃がいなくなった今ではもう誰もそれを知るすべは永久にない。
今回6月28の裁判は欠席した。俺が病気だからなのか、今回原告側からいつもは2種類の反駁書類なのに、4種類もの反論書が送られてきた。そのうち1種類は一度出したものをまた内容を多少変えただけの同じものを出してきた。しかし、俺はきちんと全て前と同じ事を書いて、それに加筆した準備書面を反論として出した。

2種類目は大学教授の書いた交通事故の専門書の本を自分の都合のいいページの所を抜き出して送って来たが、「この専門書の内容は今回の事件とは合わない」ということを俺なりに、そのコピー専門書の書いてある文章から抜粋して反論して提出した。
兎に角2種類を早めに反論して送った。何も送らないと裁判が負けてしまうから。

後の2種類は疲れてしばらく書けなかった。1週間ぐらい休んで1種類ごとに書いてはコピーして、また休んでやっと4種類の反論書に反駁することができた。終わって相手と裁判所に送ったのが、大猛暑の少し前だったので、もう少し遅かったらと思うとぞっとする。


次の7月の裁判は、伸びて8月2日。これも病欠だから、裁判の前に相手から反駁書類が送られてくるはず。これもなるべく早く反駁して提出したいが、暑さで夏は調子が悪いので少しかかるかもしれないな。兎に角提出しないと負けになるので何とか書いて出さないといけない。


暑いのでコピーするのも大変だ。相手は色々嘘のデータを出してくるが、裁判長は何も分からないので反論しないと相手の嘘の言い分が通ってしまう。要するに裁判とは、正直なデータを出さなくてもいいのだ。


しかし俺は事故詐欺にあった側なので、自然体に、正直に書いて、相手の嘘を指摘するだけなので裁判自体は楽だ。しかし、裁判は10分間しかないので、ほとんどは準備書面での反駁が重要になって来る。即ち相手の嘘の反論書にきちんと反論し返さないと相手の嘘が通ってしまうので書いて反駁書の準備書面を出さないといけないのが大変だ。


兎に角この裁判は少し長くかかりそうなので、俺としては相手の嘘をひたすら指摘して裁判長の判決が出るまで戦い続けなくてはいけない。書き続けなくてはいけない。
セネガル戦で上げられてポーランド戦で下げられてベルギー戦でまた上げられて終了。今回のWカップから日本は強豪国の入って行くと思った。だけどまだ時間がかかる。FWが弱い。釜本さんを超えるFWが出て来ないと優勝できないだろう。それとゴールキーパーに世界との差を感じたな。DFのもっとランクを上げないと。中央はラモスの時から良い選手が出るが、どうしてもFWとゴールキーパー・DFで世界的な選手が出て来ない。

でもこれは時間がかかると思うが、日本のサッカーは確実に強豪への道を進んでいる。日本によってアジア全体のレベルも上がってくればいい。

兎に角、前回の惨敗を埋める面白いWカップだった。これからは名将以外は日本人の監督の方が良いと思った。
 5月24日に第5回目の裁判があった。裁判はいつも木曜日なので24日も木曜日だ。5回目は私が原告を詐欺罪及び脅迫罪などで逮捕するように裁判所に要求の準備書面を、前回と今回、2回要求をしたが、裁判長はこれを却下した。理由は言わなかった。そして、裁判が5回経ったからか、別室で話し合いで解決ができないか、原告側弁護士と裁判仲介人と私の3人で、話し合うことになった。最初は一人づつそれぞれ仲介人が話を聞き、それから3人で話し合いで解決できるか仲介人を入れて3人で話し合いをした。

原告側は準備書面でも、被告である私と話し合う用意はあると書いてあったが、私は、【何故原告が自分で自分の車に傷をつけて俺のせいにして、弁護士を雇って、弁護士代、そして修理している間、車が使えないので10日分の代車料金(レンタカー代)を含めて、25万円という過大に請求をしてきて、『払わないと訴えるぞ、これは警告である。』と「通告文」を送り付けて俺を脅迫、俺が通告文を無視していると裁判をして俺を訴えるという、信じられないこの裁判で、どうして俺がこの犯罪者2人と話し合いで解決しなければいけないんだ、この裁判は判決で決着をつける。話し合い解決は100億%あり得ない。俺が拒否するからだ】ということを裁判長に対して、そして別室での2人に対してはっきり言ったので裁判は続行だ。だからこの裁判は結構長くかかることになる。

ということで、【来月から3か月は暑さの為、俺は裁判所には行けないので準備書面を提出してそこで原告側に反論するから私は暑さのために裁判を3か月は欠席する】と裁判長に言ったら、「無理しないでいいですよ」と言ったので6月28の裁判と7月、8月、9月も暑ければ4か月は俺が裁判所へ行くことはない。その間は準備書面で反論して裁判所と原告側に提出することになる。


準備書面を出さず、裁判も出なければ原告の勝利となり、俺は裁判費用も原告から請求されているので、合計約30万円支払わないといけない。当然生活保護で払えないから俺は差し押さえになる。エアコンと冷蔵庫を差し押さえされたら熱中症で死ぬので、裁判に負けると、俺は死ぬことになる。だからこの裁判は死活問題の、命がかかった裁判なのだ。

俺からすると夏に準備書面を書いて、コピーして郵便局へ行って出すことだけでもキツイ。夏は昼に外に出ると倒れるからね。真夏に裁判所に行けるなら、俺は週にに1,2回は午前か午後にパートでも働けるだろうし、実際そうしているだろう。真夏に外に出ると倒れるから俺は生活保護を受けているのだ。

ということで、6月・7月・8月・暑さにより9月まではこの裁判記録は、相手、原告側との準備書面でのやり取りになるので内容がこれから3~4か月は今までの裁判所の俺の行動や言動報告はないことになる。


今日は少しだけ進んだのかな?すぐ終わるのでよくわからん。しかし、この裁判が「少額訴訟」ではなくて「通常裁判」だということが裁判長の方から言われて初めてわかった。それにしては時間が短いと文句を言ったが、「通常裁判」ということは本物の裁判をしているということだ。

そして今日は原告側の出した資料のことで席を立って裁判長の所まで行って2人で資料の確認をした。「(裁判長の所まで)近づいていいんですか?」と言ったら「良いよ」と言うので席を立って裁判長の所まで行って一緒に資料を見てここは違うだの、説明をしてもらった。

裁判長とは敬語は使っているけど普通に会話していて、俺も前に叱られたことで今回は裁判長のいうことに多少攻撃的に言い返していたが、裁判長は普通に言い返して来たりして、なんだか普通の人同士の対等な会話のやり取りで、外から見たら裁判長と原告がやり取りしているようには絶対に思えないだろう。

原告側弁護士が相変わらずのいい加減な準備書面の提出で読んですぐに見切ったのでまた間違いを指摘して書くのが面倒だがこれをしないと負けるので反論を書かなければいけない。1+1=2ということを長々と書かなければいけないのでうんざりする。

兎に角弁護士というのが馬鹿で負けず嫌いで嘘を平気で付くどうしようもない連中ということだけはよくわかった。

次の裁判は5月24日(木)今日と同じ10時30分。



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 戦時中に中国で人体実験を繰り返したとされる旧日本軍の「731部隊」の隊員ら3607人の実名が記された名簿が国立公文書館から開示されたと、滋賀医科大の西山勝夫名誉教授が15日までに記者会見して明らかにした。
 西山氏は「隊員ほぼ全員の実名が明らかになるのは初めて。研究に役立ててもらうため、今後ホームページで公開する」としている。
 開示されたのは、731部隊を中心とする「関東軍防疫給水部」の「留守名簿」。1945年1月1日付で作成され、軍医52人、技師49人、看護婦38人、衛生兵1117人などの実名や階級、連絡先が記載されているという。
 2015年から開示請求し、当初はほぼ黒塗りだったが、交渉の末に今年1月、連絡先の一部などを除いた名簿のほぼ全容が開示された。
 西山氏らのグループは、部隊の軍医将校の学位論文について「人体実験を基にした可能性がある」として、京都大に学位授与の妥当性を検証するよう求める署名活動をしており、近く大学に申し入れる。
日本機関紙出版センター  『私の従軍中国戦線』 村瀬守保写真集〈一兵士が写した戦場の記録〉 という写真集46ページ~49ページ。 46ページに殆どが平服の婦女子の死体で、 【『私達輸送部隊はなぜか、二週間ばかり、城内に入ることを許されず、場外に足止めされて いました。 何処からともなく場内で大虐殺が行われている、という噂が流れてきました。捕虜を南京の背 後にある、紫金山のふもとにかりたて、機関銃を打ちまくって数千人、いや数万人も殺りくした というのです。ようやく足止めが解除されて、ある日下関埠頭へ行きました。すると、広い河岸一杯に死体が 埋まっているのです。岸辺の泥に埋まって、幅十メートル位はあろうか、と思われる死体の山 でした。
揚子江岸で大虐殺が行われた、という現場でしょうか、軍服を着た者はほとんどなく、大部分 が平服の、民間人で、婦人や子供も交じっているようでした。 (略)死臭で息もつけない中を、工兵部隊が、死体を沖へ運んで流す作業をやってましたが、こ んなやり方では一から二ヶ月は掛かりそうでした。(45ぺージ)】

>と、多くの死体を束ねて揚子江に引っ張って行って運んでいる写真が『私の従軍中国戦線』 村瀬守保写真集〈一兵士が写した戦場の記録〉という写真集になかでその写真がある。買って見てくれ。


文章の部分はここで終わっている。後は写真の説明で、文章自体は「駐屯地の生活」に飛ぶ。【日本機関紙出版センター  『私の従軍中国戦線』 村瀬守保写真集〈一兵士が写した戦場の記録〉】とあるように、この写真集は南京のことだけを載せているわけではない。南京の項目は写真を含めて6~7ページぐらいで多くはない。でも大量に山積みされた遺体の山や、揚子江にロープで遺体を運んでいる写真が載っている。ぜひ買って見てほしい。南京大虐殺が本当にあったと確信するはずだ。

他の中国の侵略であんなに山積みの遺体の山は南京大虐殺以外ないだろう。何度も言ってるように遺体は揚子江に殆ど流したので70年経っては残されていない。