第7回裁判欠席。準備書面で反駁提出 | リベラルブログ・生活保護者の色々な記事

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8月2日の裁判で原告が私への反論書を提出。8月6日に自宅に届く。本来は裁判の1週間前に提出しないといけないのに原告はこの頃裁判当日に反論書を提出して来る。


今回も有名な交通事故の専門家の教授の本をコピーして反論が1種類。後は準備書面で私が反論した4つの反駁書に対してまとめて反駁している準簿書面を提出してきた。この2種類の反駁書を2週間で反駁し返して裁判所と原告へ提出。


しかし今私が考えているのは、原告のことではない。私自身の当時の行動と発言についてだ。実は詳しくは長くなるので書かないが、若い警察官が私に【今回車のドアで良かったものの、若し子供に当たっていたら大きなケガをして大変なことになっていたかもしれないよ】という一言を聞いて私は『転重軽受(てんじゅきょうじゅ)=重きを転じて軽く受ける』という日蓮仏法の言葉と一致していると勘違いして、【私のカートは本来子供に当たっていたに違いない。それが日蓮仏法を信仰してきたおかげで車のドアで済んだ、という転受軽受が起こったのだ】と思い込んで、【転受軽受を完成するには軽く受けた車の傷を絶体に何が何でも払わないといけない、そうしなければいつまでたっても私はカートを子供に当ててしまうという、私の宿業は消えない】と取りつかれたように思い込み、事故当日のドライブレコーダーにも私のカートが原告が主張している車の傷に当たっていないのを事故当日に私が見たにも関わらず、それまで全て事件を否定していた私が、若い警察官の上記↑の言葉を聞いてから、急に変わってしまい、自分から、【車の傷は100%私のせいです。だから車の傷は私が払います】と警察官と原告の前で約束してしまったのである。


のちに原告が私が払うと約束した車の傷以外の多くの傷全ての料金やレンタカー代10日分を要求するに至って、その多額の請求書を見て初めて私は、【これは転受軽受ではない、私は事故詐欺に巻きこまれたのだ】と気づいて現在の裁判に至っている訳である。


要するに、裁判になっている根本の原因は私が事故があったのかなかったのかさえ分からなったのに、自分で転受軽受が起こったのだと間違った思い込みをし、車の傷を私のカートのせいであると認めてしまったことが、裁判になっている根本的な原因であるということだ。即ち、【私の間違った考えが、私がこの事故を認めてしまったことが、この裁判を起こしてしまった原因なのだ。】


そして今の私は、【なぜ私は勝手に転受軽受が起こったと間違い、それまで全否定していたのに、自分から、事故を認め、車の傷の代金を支払うと言ってしまったのか。事故当時の、頭がおかしくなってしまって急に変わってしまった私のその原因を、間違った思い込みをしたその原因を考えているところである。


次回の裁判は9月13日木。これも病欠すると裁判所に提出した。