それからは、娘2号が旅立つまで、走馬灯のように時間が進んだ。
まずは短大の準備。
中には娘が短大に行くのに、
「女の子はどうせさっさと結婚するから、学校なんか行かせるなんて無駄だよ。」という人や、「韓国なんて、短大の後に学校の先生になったら、夏休みや冬休みに旅行で行けばいいんじゃない。」という人もいたが、オヤジはそんな言葉を全部無視した。
娘がたった一人で考えて、一生懸命に進もうとしている道だからだ。
娘は学校時代、何事も全力で当たる人間であった。
テストは常に殆ど100点を取り、学級委員に入り学校にイベントを積極的にこなしていた。
常に負け犬の生き方だったオヤジには、そんな娘の生き方が眩しすぎた。
その為、どことなく娘が苦手な意識を持っていた。
そんなオヤジと娘のギグシャクした関係に、ある転機が訪れた。
それは皮肉な事に、あれほど全世界的に忌み嫌われた、コロナのお陰であった。
短大で一人暮らしを始めた娘は、コロナのせいでうつ病にかかり、短大を辞めたいと言い出してきた。
その当時の様子は、このブログに詳しく書かれているので、良ければ読んでみて欲しい。
当時の愚かなオヤジは娘の心が悲鳴を上げている事さえ、知らなかったのだ。
また、当時、娘を助けてくれた先生が、オヤジは今ではキョージュと呼ぶ、オヤジ2号さんである。(下のリンクに貼っています。)
これ以降からオヤジと娘の関係は、劇的に変わっていった。
今年3月、娘は短大の卒業式も出ないで韓国に旅立った。(早めに入学したほうが、授業の単位が良い条件で取れるからだ。)
ところが、日本の税関を出るときに、娘はコロナにかかっていた。
そのまま千葉のホテルで2週間程待機。
そしてようやく韓国に入国した途端、10日間ほど、韓国でもホテルに軟禁された。
日本のホテルは宿泊代はかからなかったのだが、韓国のホテルは1日1万円も取られたそうだ。
なけなしのお金が飛ぶように消えて行き、娘の韓国の予定が大幅に変わった。
アルバイトは韓国では半年以上経たないと、外国人には認可されないそうだ。
その為、娘は韓国では1日、1食で頑張っていた。
もちろん韓国でも常に全力で勉強していたので、前期のテストでは1位を取ったらしい。
憧れた韓国にやってきた娘。苦労も沢山したが、楽しい思い出も沢山、作ってきたらしい。
そんな娘が9月に急に帰国する。と連絡が来た。
9月に帰国後、そのまま友人の家に間借りして、札幌でアルバイトをするという事であった。
そんな娘から10月にあるラインが届いた。
通販専用のモデルの会社に入ったから、撮影中に商品の損害が出た時の為に、連帯保証人になって欲しいという事であった。
いきなりの保証人の契約書のメールにオヤジは驚いたよ。
もう定年間近のこのおいぼれに、いきなり保証人で、最大保証額が300万円という事であった。
1時間ほど悩んだオヤジであった。
またその契約書には、この契約書で90%以上の人が、親の反対でモデルになることを諦めると書かれていた。
短大時代、娘は2回ほど、街頭でモデルにスカウトされたことがあったのだが、全部断ったという事であった。
だから娘はそんな事は、興味のない娘(こ)だと思っていたのだが、やはり興味はあったらしい。
悩んだ挙句、オヤジは一つの結論に達した。
親とは子供がこれから生きていく道をほんの少しばかり手伝いをする役割を果たすために生きているのだという事だ。
同僚で子供を大学に行かせるために、学資ローンを目一杯借りている人で、
「これだけの事をしてあげたから、独り立ちしたら、今度はしっかりと面倒を見てもらうんだ。」という人がいた。
その言葉を聞いてオヤジは驚いた。
親が子供に学校に行かせるのは、同然の事だと思っていたからだ。
それは無償な行為であり、その見返りを子供に持っという考えが理解できなかった。
そういう考えで、オヤジは娘が出してきた保証人の契約書を心良く引き受けた。
昨年末、娘はあわただしく帰ってきた。
「お帰りなさい♪」
娘から韓国留学を急に辞めた理由やモデルの件を聞いてみた。
娘はあっけらかんとして、
「韓国は半年もいたら、なんか気が済んだ。」と言い、また韓国よりもやはり日本のほうが住みやすいと感じた。という事であった。
更にモデルのアルバイトの件は、結構仕事はハードな割に時給が安いので、速攻で辞めたという事であった。
保証人の契約が解除されてホッとすると同時に、あっけなくモデルというアルバイトを辞めた娘にどこか寂しさを覚えた。
その気持ちを考えてみると、他人に「娘の仕事はモデルやっています。」という、単にオヤジの仕事の貴賤に対する自慢なんだと気が付いた。
正月が過ぎると、娘はあわただしく東京に行くという。
住むところとか気になり再び聞いてみたら、やはり娘は東京でどんなとこで住んで、どんな仕事をしたいか、しっかりとビジョンを持っていて、ホッとするオヤジであった。
最期に娘にこう言い残した。
「おまえが東京に行って落ち着いたら、いつかオヤジが世話になった、主(あるじ)さんを訪ねてみてね。」
「いま、オヤジの中では一番大切な人なんだ。」
「きっと主(あるじ)さんと話したら、お前に大切な事を色々と教えてくれる人だよ。」
という訳で主(あるじ)さん!!
いつか娘が主(あるじ)さんを訪ねてきたら、よろしくお願い致します。
m(__)m ペコリ♪
もし、良かったら今のオヤジの生き方に、多大なる影響を与えてくれた、この二人のブログに遊びに行ってみて下さい。