学校の先生が聖職者と言われ無くなって、もう久しくなると思う。
オヤジ自身、学校の先生に失望し、聖職者という言葉が崩壊したことが、もう30年以上前にあった。
それは・・・・・・オヤジがまだ18歳の若き頃であった。
高校3年生。当時、皆が大学進学か就職かに分かれていた時であった。
オヤジは家庭の事情で大学への進学ではなく、職業訓練校に行こうとしていた。(この場合、家庭の事情と言うのは、大抵は家がものすごくビンボーという事だよ。)
一応、今はこんなバカなオヤジではあるが、当時の学力は学級では上の方ではあった。
三者会談の時である。
オヤジが進路を職業訓練校。と書いたときに、担任の女性の先生は、オヤジ君は学力は高いのに、何で大学は行かないの??と不思議がった。
すると、同じ町のクラスメイトは、「あいつの家は貧乏だからです。」と、当たり前のように先生に言った。
当時のオヤジは特別、自分自身は貧乏だと思っていなかったので、その言葉にとても悔しさを覚えたことがる。
その夜、母親はオヤジに「お前は本当は大学に行きたいの??」と聞いてきた。
トーゼンオヤジは「みんなが行っているから、僕も行きたいけど、お金なんか無いでしょ??」と答えた。
そして翌日。
母親が学校に行くオヤジを呼び出し、「お前が高校を卒業してから、家を建て直す予定だったけども、そのお金を使って大学に行きなさい。」と言った。
トーゼン、オヤジは大喜びしたのは言うまでもない。
しかし、娘みたいにこの仕事をしたいから、この大学へ行く。と言う意思も無ければ、ただみんなが大学に行くから行きたいというだけのオヤジであったから、試験は見事に落ちた。
それも合格確実という推薦と、さらに一般の試験でも落ちまくった。
まあ、これでオヤジはもともと、大学には学びたいから行きたいという気ではなかったので、納得したのだが、この時に、学校の先生は聖職者なんかでは無いと思い知ったのだ。
今まで試験の高得点の時は、担任の女性の先生から、ちやほやされていたオヤジであったが、大学の試験が落ちた時から態度は反転された。
また、今まで学年最下位争いをしていた子が、他の授業も受けずに、大学の試験の勉強ばかりを行い、大学に受かった途端、その子を高く評価した。
その時に初めて、オヤジはその担任の先生が大学にオヤジを進めたのは、自分自身の評価を上げるためのコマに使われたことを知った。
それ以来、オヤジは学校の先生は聖職者でも何でもない、単なる学問を教える給料取りだと、思うようになった。
ある人を知るまでは。
オヤジは大学受験に失敗してからは、正に挫折と負け犬の連続であった。
自動車免許の取得は、多分、学校一二を争うぐらい落ちまくった。
最初に入った会社には、いい加減な先輩がいて、電気機械の修理の会社であったが、その先輩が安全のための割ピンを入れないで作業をしていて、オヤジがそれを指摘したら、その先輩とケンカになった。
現場の人が来て、オヤジの話を聞いて、その先輩に注意をしたら、逆恨みされて「お前なんか会社にいられなくしてやる。」とまで言われた。
結局、その先輩はその後、会社からクビになったのだが、オヤジもその会社にいられなくなり退社。
次に入った会社は大手電器店であったが、その会社は本当のブラック会社で、事務所には2重勤怠表を提出していて、きちんと週一回、休みにはなっていたが、本当の休みは月1回。
またその休みも、上司からの好きでもない強制的なゴルフに誘われ、ほとんど休みという休みは取ったことが無い記憶であった。
仕事が終わったらみんなが7時に帰宅するのだが、オヤジだけは売れた商品の配達という事で、殆ど毎日、帰宅時間は11時を超えた。
とーぜん、夕方の4時ごろ配達予定が、真夜中の9時ごろに行くものだから、お客さんから何時間も怒られまくった。
また、その店の上司は、新人の女の子が不満も言うようなら、その子に怒ることは出来ず、その腹いせを全てオヤジにぶつけてきた。
当時は常にお客さんにも店長にも、「申し訳ございません。」と、頭を下げていたしかイメージは無かった。
こうしてオヤジは何十年もの間、負け犬であり続け、心はズタズタに傷ついていた。
だから今でもオヤジは他人とケンカは出来ない。
他人と言い争いになる前に、「ごめんね。」と、まずは自から折れてしまうのだ。
話は変わって、先日の娘2号の件である。
今までほとんど、挫折等した事の無い娘が、初めて挫折を味わい、オヤジに大学を辞めたいと電話をしたときに戻る。
オヤジから帰りたかったら、いつでも帰っておいで。という言葉に安心して、心が落ち着いた娘は、自身の大学の担当の先生に退学の事を相談したらしかった。
その方は、このコロナ化の中、カリキュラムの進め方等に忙しいにもかかわらず、娘の進退について尽力してくれた。
先日の娘からのラインである。
娘は前回と大きく変わり、だいぶ落ち着きを取り戻していた。
今では卒業に向けて、また意欲を取りもどしているみたいである。
多分、オヤジは本物の聖職者を知らなかったのだろう。
今になって初めて、本物の先生と言える方を知った。
直接は名前は言えませんが、●●先生、この度は、娘の将来の件で大変お世話になりました。
おかげで、娘はまた自身の夢に向かって頑張っていけます。
この場を借りて、お礼を申し上げます。
その夜のラインである。
娘は今回の件を経験して、色々な事を学んだらしかった。
優れた師に出会った時に、人は大きく成長できる。
特にもっと周りの人たちの辛い気持ちに寄り添えるようになったらしい。
オヤジは「人は自分がキズついた分、他人に優しくなれると、お父さんは思っている。」と言う言葉を娘に送った。
「お父さんはそうやって人にやさしくしてきたんだね。」と言う言葉を送り返してきた娘は、
さらに「お父さん。生まれてきてくれてありがとう。」という送ってきた。
最初、オヤジは娘が「私を生んでくれてありがとう。」の間違いかなと思った。
しかしこの言葉で、オヤジ自身の生まれてきた意味、更に娘につながる命の事を書いた事を知った時に、オヤジは自然と涙が出てきた。
照れ隠しで「泣かせること言うなよ。笑い♪」と書いたら、
「言葉って大切だと思うの。伝えたいと思ったから伝えるべき。人間どうなるかわからないからね。」というラインが送り返されたときには、もうオヤジは涙が溢れて止まらなかった。
「そうだね。お父さんは最後まで、お母さんにありがとうって言えなかったから、いまでも後悔している。」
「きっと伝わっているから大丈夫だよ。」
「お母さんが亡くなるまで、心配かけたくなくて、カラ元気だったけども、今なら思いっきり泣けるよ。」
「泣きたいときは泣いて良いんだよ。」
「泣くのは悪い事じゃないし。」
娘との連絡が終わったその夜、オヤジはいつまでもいつまでも嗚咽していた。