ポール・モーリアがいっぱい | geezenstacの森

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ポール・モーリアがいっぱい

 

 

 

 あるレコードを探すために、棚の中を検索していたら、ポール・モーリアのレコードがあちこちに散らばっているのがわかりました。これを機にちょっと整理してみようとピックアップしていたら、結構な数になりました。特にポール・モーリアが好きと言うわけでは無いのですが、やはり日本のイージーリスニング界においてはトップの存在であったように思います。まぁ今ではイージーリスニングなんてジャンルは消滅してしまっていますから、ほとんどの人が興味がないのでしょう。ということでは、中古のレコード店ではそれこそ二足三文の扱いで並べられています。イージーリスニング好きの小生にとっては、こういう状況は放っておけません。そんなことで見つけると片っ端から捕獲していました。

 

 今こうして数々のレコードジャケット眺めてみるとと小生のコレクションの半分は輸入盤であることがわかります。上の写真の下2段がその輸入盤です。多分イージーリスニングオーケストラの中で輸入盤が1番発売されたのはこのポール・モーリアでしょう。

 

 ポール・モーリアのデビューは、1965年でしたが、その10年後の1975年に結成10周年記念盤として日本で初めてフランス直輸入盤が発売されました。これには当時非常に驚いたものですが、2枚組のアルバムが3セット発売されました。それが下から2段目のジャケットの右隅に四角いはがき代のラベルが貼られたものがそうです。ここには二組しかありませんが、当時購入したのはこの二組だけです。残り1セットは同じものをフランス盤ではなく、イギリス盤で自分で直輸入していましたのでレコードとしては全部揃えています。

 

 

 

 

 フランス盤の盤質は日本と非常によく似ていて、盤の質も良く、また音にもキレがあります。まぁそれはそうでしょう。フランスが現場ですから現場から直接カッティングしているレコードということでは、これ以上のサウンドは望めません。写真の下に段は全部輸入版ということでアルバムとしてはポール・モーリアの半数以上が輸入盤と言うことになります。この中にはアメリカ盤も含まれています。面白いことにアメリカ版はフィリップスのレベルとマーキュリーのレベルの2つのレベルで発売されているのがわかります。一体どういう扱いになっていたんでしょうね。

 

 マルセイユの音楽学校卒業後、一旦は親の願いを聞き入れ郵便局の職員になったものの、2年後の1943年にプロのピアニストとしてデビュー。南仏を中心にポールのピアノそしてオーケストラ指揮は人気を獲得していきました。その後パリに上り同郷のフランク・プゥルセルの紹介で仕事を始めますが、ここでも斬新なアレンジは評判を呼び、ダリダやレオ・フェレといった有名歌手からオーケストレーションの依頼が舞い込むようになり、特にシャルル・アズナヴールからは絶大な信頼を寄せられ、120 を越える作品を提供しました。1965年、念願のオーケストラによる録音を本格的に開始。1967年「恋はみずいろ」が全米で5 週間1 位を獲得することで、その名は世界中に知られるようになります。ポール・モーリアの情報については下記のサイトにディスコグラフィが掲載されています。

 

 

 

 そして、これまでこのブログで扱ってきたポール・モーリアの記事一覧です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうそう、今日の写真で、うっかりして1枚だけポール・モーリアでは無いアルバムが混じっていました。気がついた人はいますかねぇ?