ポール・モーリアの「悲しき天使」
曲目/
1.悲しき天使
2.恋の旅路
3.ヘイ・ジュード
4.ジカ・ガイ
ポール・モーリア・グランド・オーケストラ
フィリップス SFL−3248
ポール・モーリアのレコードを購入したのはこれが最初でした。アルバムは当時は高くて手が出ませんでした。これは小遣いの600円で購入できたものです。
このミニLPは1968年に発売されています。つまりはポール・モーリアの大ヒット、「恋は水色」が発売された年です。これ以降ポール・モーリアは日本のイージー・リスニング界を牽引していく事になります。
でも、この1968年当時ポール・モーリアのレコードは日本コロムビアからも発売されていました。それはバークレイ翼下の「BEL AIR」レーベルで、当時日本コロムビアが発売権を持っていました。この「BEL AIR」レーベルは1959年から1965年まで所属していました。この時代は多忙だったフランク・プゥルセルを助けてシャルル・アズナブールなどの伴奏や編曲を提供していました。また、バークレー翼下ということで、レイモン・ルフェーブルと共同で仕事をしています。
この後フランス・フィリップスと契約して黄金時代を迎えるわけです。この60年代から70年代はまさにフランスがイージーリスニング界を席巻していたと言ってもいいでしょう。
それで、このレコードです。当時のポップスのヒット曲「悲しき天使」をタイトルに持ってきています。メリー・ホプキンのヒット曲でアップル・レコードのデビュー第1号でした。
ただ、このレコードで一番聴きたかったのはB面の「ヘイ・ジュード」でした。この曲は1968年8月にシングルが発売されています。ビートルズの最新ヒット曲だったんですなぁ。
「ヘイ・ジュード」は2012年に開催されたロンドンオリンピックの開会式のフィナーレでこの曲をポールが演奏し、後半は観客とともにアカペラで大合唱して式典を締めくくったのが印象的でした。
「恋の旅路」はフランク・シナトラの曲ですが、フランスでは社ルル・アズナブールがカバーしていました。もともと、ポール・モーリアはこういう伴奏で実力を養っていたという典型的なアレンジです。しかも、『夜のストレンジャー』の作曲者としても知られるドイツの作曲家で指揮者のベルト・ケンプフェルトの作品というのも何か縁を感じます。
ジス・ガイはもちろんバカラックの作品です。ヒットしたのはアメリアッチスタイルのハーブ・アルパートとティファナブラスの演奏でた。ポール・モーリアはこの曲を彼のサウンドを特徴づけているチェンバロを使い、さらにコーラスを効果的に挿入していることでボサ・ノヴァのようなけだるい雰囲気をうまく出しています。