トマ・ピケティの資本論を読んだことがあります。要するに、「資産からのリターン」は「労働からの所得」を常に上回ってきた、ということを論じていました。
サルでも分かるピケティ入門から抜粋します。
-----引用開始------
ピケティは世界各国の200年以上にわたる税務局の統計データを調べ、資本収益率rが経済成長率gよりも高いことを示しました。そこから導かれた結論が、有名な式「r>g」です。
-----引用終了------
もう少し具体的に噛み砕くと、「株式/不動産の大富豪(但し無職)」と、「高年収のエリートサラリーマン」は、前者の方が収入が大きい。そういうことを示唆しています。
よって、資産課税などを行わない限り、格差の拡大には歯止めがかからないと主張しています。
これは非常に示唆的です。世にはびこる不都合な真実をえぐっています。
世の中では次のように言われませんか?
●一生懸命働けばお金持ちになれる。
●あのおばあさんがお金持ちなのは質素倹約だったからだ。
これらはウソです。不都合な真実を隠すために作られた美談といって良い。
ピケティが検証したように、一生懸命働いても、質素倹約しても、元々の資産家には敵わないのです。差はどんどん開いていく。自然に任せれば、資産家と労働者の格差は当然に開いてしまう。その事実を白日の下に晒したピケティの功績は大きい。
資産を持っているかどうか、が決め手なのです。給料が高いかどうか、は微々たる影響しかない。
貧乏人は努力が足りない、だから彼らは貧しいのだ、と言いますね。その考えの前提としては、「一生懸命働けばお金持ちになれる」というのが真実でなければならない。しかしながら、それは真実では無い。一生懸命努力を重ねて小銭を手に入れても、貧乏人から平民に格上げされるだけで、お金持ちになることはない。彼らはそもそも資産が無いのです。
他方で資産家は、無能で無職でも、配当やら賃料やらで悠々と生きていけます。お金持ちは結局お金持ちなのです。
残念な真実です。
これを是正するには富裕層への資産課税しかない。資産家の資産を収奪するのです。消費税や所得税ではない。固定資産税、相続税、銀行預金課税、そういう課税が必要です。
格差を解決するためにどうしようか?ということは散々議論されています。さて、ここで違う視点も考えてみたいと思います。格差は、そもそも解決しなければならない問題なのでしょうか?
上述した通り、自然に任せると、資産家と庶民の格差は拡大します。だから格差を解決しようとする試みは、多分に人工的です。自然に逆らって人工的に何かに取り組むのは容易ではありません。
我々現代日本人は、「平等」という概念を刷り込まれてきました。平等のハズなのに格差があるのはおかしい。だから解決すべき。そう考えられている気がしてなりません。
実は、日本国民は「平等」であったことなど、過去にわずかな期間しかありません。戦前は華族と庶民の間には途轍もない格差があったし、戦国時代には大名と百姓の間に恐るべき格差があった。
さらに、世界的にも、平等であった国など殆どありません。
フランスでは貴族がいました。今でもいます。
中国では、共産革命が起きましたが、共産党員がヒエラルキの頂点に立っただけです。
タイは植民地化されなかったので、昔からの貴族が居て、庶民とはかけ離れた生活をしています。
これが世界の標準です。国民は皆平等だと思っている現代日本人は、浮世離れしています。戦後にGHQによって華族が没落し、皆が白紙に戻り、ほんの数十年間、日本では平等な環境が実現した。その経験談から、現代日本人は、勘違いしている可能性がある。日本国民は皆平等なのだと。
しかし、実は戦後の平等期は、例外中の例外の存在です。
つまり、平等という概念自体が、不自然であり、フィクションであり、実現可能性の疑わしい理想に過ぎない。
ならば、格差を問題視する姿勢は、そもそも正しいのか?格差は自然にそこにあるだけなのに。平等というフィクションを持ち出して問題視しているのは、現代人に特有の現象です。
格差解消を論じるのも大事ですが、「人間は平等ではない」という不都合な真実を認識することも大事ではないか、と思う今日この頃です。
平等など存在しないという前提から考えれば、見方の幅が広がります。格差を解決しなければならない、という議論に縛られる必要がなくなるからです。じっさい、歴史上格差が解決できた試しなど殆どないのだから、無駄な努力は避けるという方向があってもいい。
じゃあどうするか?例えば、格差を認めた上で、欧州のノブレスオブリージュ的なやり方で、富裕層による善意の支援を社会全体で求めるとか。そういう議論の始め方だってありえるのです。
平等というフィクションを封印すれば、別の切り口が見つかります。あなたとわたしは、平等ではない。彼と彼女は平等ではない。ハッキリ認めてみましょう。そういう視点に切り替えるだけで、道が開けるかもしれない。
この社会は、平等というウソ臭いフィクションにいつまで固執するのか、ヤキモキします。
まとまりが無い文章を書いてしまいましたが、「格差」「平等」というキーワードには、不都合な真実が詰まっています。格差や不平等は、実のところ排除できません。どうやってそれらの現実と共存するか、それこそが考えるべき課題と思います。
私は、「平等」のような壮大なウソが大嫌いなので、現代にはびこる根本的な誤解をここでメモしておきたいと思った次第です。
以上