最近、FIREの四文字が頭をよぎることが、多くなりました。

 

 

仕事はそれなりに面白い。

大企業に属していないと、得られない経験がある。

また、会社というのは、コミュニティに属するという側面もある。

カネではない、得られるものはある。

 

しかし、それにしても、通勤に3時間、労働に最低9時間。

合計で12時間。

 

24時間しかないのに、12時間を、会社に注ぐというのが、果たして適切なリソース配分なのか。

そんなことは考えてしまうわけです。

 

若いころは、それでもよかった。

24時間のうち、16時間を、仕事に使ってよかった。

とにかく全力で、仕事に打ち込むことができた。

けれど、子供が生まれて、優先順位が変わった。

 

子供というのは、効率的に仕事をこなすというわけにいかないのです。

時間をかけて、時間を共有して、信頼関係をはぐくむ必要がある。

だから、16時間も仕事に注げないし、12時間の仕事ですら、支障をきたしてしまう気がする。

 

このGW、ひたすら子供と過ごしました。

何をしたわけでもなく、ダラダラと。

しかし、その時間投資により、子供の信頼が深まったと感じています。

 

子供が親になつくのは、おそらく10歳くらいまでかもしれません。

そう考えると、いま、子供に時間を使わないで、どうするのか。

人生一回しかないのに、大事ないまの時間を、これまで通り仕事に使うのか。

減らしたとはいえ、12時間も、仕事に使っていて、良いのか。

それで、晩年、人生後悔しないのか。

 

子供に時間を使う手段として、FIREという選択肢は、どうしてもよぎってしまう。

 

FIREする意義は何なのでしょう。

世の中には、いろいろな「FIREしました」談が、あふれています。

しかし、共感できる体験談は、必ずしも多くはないと感じています。

 

自由を得ることは素晴らしいですが、素敵なコミュニティを手放すデメリットとの、トレードオフも発生する。

自由を得て、その時間で、一体何をするのか。

FIREをするにあたっては、それが最も大切な気がしています。

FIREする目的が、最も大事。

 

私にとってのFIREの目的は、「人生一度しかない子供との時間を、濃密なものにする」です。

目的は、明確です。

 

問題は、その目的を達するために、築いた20年の人脈を、知見を、コミュニティを、捨て去る覚悟があるか。

金銭的には、おそらくは、もう問題ないと思います。会社からの給料なんてどうでもよい。

知的好奇心も、たぶん、投資活動の中で、十分満たせると思います。

だから、恐れているのは、20年で築いたものを、失うこと

私は、それらを愛しています。

単なる社畜のくせに、いつのまにか、それらを愛してしまった。

FIREを真剣に考えた末に、それらを愛していることに気づかされました。

それが、FIREへの二の足を踏ませています。

 

そういうわけで、私には転職などという選択肢は、ありません。

愛する社畜を続けるか。もしくは、FIREするか。

その二択です。

 

本当に、悩んで悩んで、それでも決断ができない。

愛する子供と、愛する社畜と、どちらかを選べと言われている心境です。

 

世の中の諸先輩は、こういう葛藤に、どのように折り合いをつけてきたのか。

とても興味があります。

 

仕事人間の、昭和の諸先輩だって、こういう葛藤を抱えていたのかもしれない。

本当は、子供に時間を注ぎたかったかもしれない。

でも、時代がそれを許さなかった。

けれど、いまは、それを許容する時代になったと思います。

仕事ではなく、子供を優先するという選択肢が、許される時代。

 

だからこそ、両方を愛する身としては、板挟みの葛藤に苛まれる。

選択の自由があるからこそ、葛藤が生まれる。

 

果たして、どのように決断するのか。

あと1年以内に、答えを出したいと思います。

 

 

今日は、投資活動とは無関係なメモを、つれづれなるままに残しました。

 

以上