ちょっと古いですが、忘れないうちに書き留めておこうと思います。
2013年7月20日はブルース・リーの40回目の命日で、当日は、各テレビ局で、ブルース・リーの追悼イベントの模様が中継されてました。その中で、ブルース・リーを知らない人のために、このような動画も紹介してました。 →
http://www.youtube.com/watch?v=2d5o8d1kitM
この動画をチョイスした人のセンスの良さに感心しました。
彼は截拳道(ジークンドー)の創始者であり、独自の哲学を持っていたことは知っていました。截拳道とは、ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%AA%E6%8B%B3%E9%81%93)によると → 「相手の拳(攻撃)を截(たつ、防ぐ、さえぎる)道(方法、ダオ)」という意味であるが、これは「敵を倒す」という武術としての側面を表すとともに「生きていく上で直面する障害を乗り越える方策・智恵」も示したものである。・・・だそうで、他の武道にもトレード道にも通ずる道があるのではないでしょうか。
上記の動画に出てくる「考えるな、感じろ」というフレーズも知っていましたが、改めてこの言葉を聞いた時、トレーダーとしての感覚を磨いている自分には何か新鮮に感じられたのでした。久しぶりに見たブルース・リーについて、もう少し調べてみようと思って、YouTubeなどネット検索していくと、この言葉に出会いました。
Be water!(水になれ)
この言葉を見た時、神経に衝撃が走りました!
心を空にするんだ。
形を捨てて
水のように
水をカップに注げは、水はカップとなり
水をビンに注げば、水はビンとなる
そして急須に入れれば急須になる・
水は流れる事も砕く事もできる
友よ 水になるんだ
Empty your mind.
Be formless, Shapeless, like water.
If you put water into a cup, it becomes the cup.
You put water into a bottle and it becomes the bottle.
You put it in a teapot it becomes the teapot.
Now, water can flow or it can crash. Be water my friend.
トレードにおいても、水になって流れに身を任せることが重要だと感じます。水は人間が作った堤防に普通は跳ね返されるが、何度も突けば堤防は破壊されることもあるし、大きな流れであれば一発で破壊することもある。水(流れそのもの)になって、流れや堤防の強弱を認識し、そして感じる。
僕も『流水道』とでも名前をつけて、トレード道を大成させたいものです。
正解はムクドリです。最も多く見かけ前から気になっていて、なんていう鳥なんだろうとずっと思っていました。それでようやく鳥図鑑を見て、ああこれかもと思って、YouTubeで確認すると正しくムクドリでした。ムクドリってこんな鳥です。→ http://www.youtube.com/watch?v=dKJpgr-JbtY 季節によっても鳥の種類が変わるようなので、季節ごとに楽しみがあります。
河川敷に木陰があるので、そこのベンチや芝生で寝そべって本なども読むんですが、今日は「プラス思考の習慣」で道は開ける (PHP文庫)/PHP研究所

- という本を少し読みました。よく「継続は力なり」と言われます。確かにその通りなのですが、継続というと、人に言われたから続けるとか、嫌だけど続けるとか、努力して続けるというイメージがあると思うんです。でも、続けるのは、楽しいから続けるとか、それが自然なことだからやっているというか別にそれが普通だしというように、習慣化されていることが最もよい形だと思います。これは、行動だけではありません。思考パターンもそれに当たります。マイナスに考えがちな思考パターンの人もいれば、長友のように常にポジティブに思考する習慣が身についている人もいます。
4月のブログhttp://ameblo.jp/gate708/entry-11504201823.htmlで
心 が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。
という日本人に広く知られているヒンズー教の経典の一部を書いたんですが、この中で非常に重要な要素が習慣だと思っています。タバコを吸わないという行為、毎日のサイクリング、エントリー、損切なども習慣化すればなんてことありません。ただし、逆の習慣もあります。タバコを吸うという習慣、夜寝る前に食べるという習慣、自分のエントリー基準に適合したポイントでエントリーをためらってしまう習慣、損切しなければならないポイントでそれができないという習慣等など。人間は現状維持を好むという潜在意識下での習性があるので、現状を打開したい場合は、現状の習慣を別の習慣に置き換えなければなりません。この本のプロローグでいうところの「わかっちゃいるけどやめられない」とか「わかっちゃいるけどやらない」という人間が陥りやすい罠にハマると成功は遠のいていきます。
まあ、そんな習慣力の威力を感じているので、そのタイトルに惹かれて読み始めました。読書は心のビタミン補給ですから、時間があれば気になる本は読んでおきたいものです。これも習慣化すればいいのかもしれませんが。
習慣力を使って、これからも道を切り開いていきたいと思ってます。
なので、こう考えるのがいいと思っています----------今吸ったあなたのタバコ代で世界で一人の命が救われ、あなたの健康も向上する
いつも走っている河川敷のサイクリングコースでサイクリングやジョギングなどのスポーツをしている人たちは、あいさつなどもよくし合って、とても礼儀正しいのですが、水飲み場ではタバコの吸殻が溜まっています。今までにその河川敷でタバコを吸っている人を見たことがないのですが、吸っている人が結構いるということです。タバコを吸っている人はもちろんそれで気分は良くなるのでしょうが、吸わない人にとっては不快そのものです。犬の糞も処理しなければ、それを見た人は不快に感じるのと同じように、自分で出したゴミは自分で処理すべきなどということは、当たり前過ぎて言うことでもないのですが、これもその人達のご都合なんですね。
私がインコを飼い始めたのは、一緒にサイクリング行って河川敷で一緒に遊べたら寂しくないし楽しいだろうというご都合からだし、ピーコちゃんⅡ世を飼い始めたのは、ピーコちゃんⅠ世の死でぽっかり空いた心の穴を埋めるためにとっさにとった防衛本能からだし、エントリーするのも利確するのも損切するのもそれぞれのご都合からだし、人間に限らずありとあらゆるところで各々のご都合が森羅万象で交錯しているわけです。
下等動物あるいは若ければ若いほど、ご都合で生きているといってもいいかもしれません。例えば人間の赤ちゃんは親が借金で苦しいから1日ミルクを飲むのを我慢するなどということはしません。そもそもそんなこと理解できませんが、そんなのお構いなしにお腹がすいたら思い切り泣きじゃくります。赤ちゃんはほとんどご都合で生きています。しかし、成長するに連れて、相手のご都合を受け入れて、それを満たそうとしていきます。これが他者愛とか社会性と呼ばれるものになるのでしょう。
人間だけではなく動物でもそれらを見ることもできます。例えば、シャチに襲われているアザラシをクジラが自分の腹の上に乗せて助けるシーンや自分の子供でもないのに、ヒナにせっせと餌を与え続けて育てる雄インコなどをYouTubeで観たことがあります。
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ピーコちゃんⅡ世をその夜ダンボールの箱に入れて寝かせ付けて自分もベッドに入りました。朝、7時頃やはりピーコちゃんⅡ世の物音で目が覚め、すばやく起きて餌をあげました。やはりあまり多くは食べませんでした。ピーコちゃんⅡ世と一緒にいる間、ピーコちゃんⅠ世との比較ばかりをしていたので、Ⅱ世のほうはもううんざりと感じていたかもしれません。動物は言葉が話せないかわりに、そういう感覚はするどいものを持っていると思います。餌を与えて、ベッドで寝そべることもなく、ソファーに座ってピーコちゃんⅡ世の行動を観察していました。すると羽ばたき始め、カーテンのところのエアコンのコードに止まりました。カーテンはしていますが窓が空いていたので、外に逃げられてもおかしくない状況でした。その時、逃げたら逃げたでしょうがないかと一瞬思いました。でも逃げても生きていくことはできないので、カーテンのところにいるピーコちゃんⅡ世を捕まえて自分の腿の上に置いたのですが、ほどなくまた羽ばたき始め、部屋のドアを開けていたので、廊下に出て行ってしまいました。そんなに広い家でもないのですぐに見つかるだろうと思っていたのですが、なかなか見つけることができませんでした。10分くらい探していたでしょうか、一番奥の部屋で物音が聞こえたので、ようやく居場所がわかりました。「ピーコちゃん」と言って、手を差し伸べると「ぴ~~~」と言って捕まえられるのを嫌がりました。インコにとっては自由にしたいのだから、当然の行動だったのでしょうが、どうしてもピーコちゃんⅠ世と比べてしまう自分がそこにはいました。根気よく育てても良かったのでしょうが、飛べるようになってからではもうなつかせるには遅すぎるんだと感じました。そして、まだ1日しか経っていないし情が移る前にペットショップに引き取ってもらったほうがいいと判断し、ピーコちゃんⅡ世をペットショップに連れてきました。ペットショップのおじさんは、動物といつも接しているからなのか、常に笑顔で接してくれ優しい目をしています。「月末に4週間目のヒナがまた届くのでそれと交換してあげますよ。」と言ってくれました。「ごめんんね、ピーコちゃんⅡ世。勝手に振り回しちゃって」
ピーコちゃんⅠ世の死をピーコちゃんⅡ世で埋めようとした自分のご都合、そこまで利用しながら、もうなつかせるのが難しいだろうと判断し手放したご都合、まるで自分を極悪人のように評価してしまっていますが、インコにはインコのご都合もあります。食べたい時に泣いて、したいときに糞を所構わずして、いつでも遊びたいように遊ぶ、それらを全て叶えてあげようとしてきました。インコが驚かないように大きな物音はださないように注意したり、ウェストバッグに閉じ込めては外の景色が見えないだろうからと、枝で窓を作ってやって自転車で走っている時にも外の景色を眺めさせてあげたり、寂しいだろうからとYouTubeでインコの動画を見せてあげたり等など・・・ あまり自分を責めると潜在意識で自分を罰する行為にでるので、反省すべきは反省しなければなりませんが、自分を罰する行為をピーコちゃんが望んでいるのかをよく考えなければならないと思うのです。ピーコちゃんは「あれは事故だったんだからもう許してあげるよ。でも私の死を絶対に無駄にしないでね。約束だよ、絶対だよ。」と言ってくれているような気がします。
ピーコちゃんⅡ世とお別れして、一人でいつものサイクリングコースを走っている時、急に頬に一筋温かいものを感じました。
さらに走っていくと、スケボーで遊んでいる少年が見えたので少し避けたら、その少年が「(おじゃまして)ごめんなさ~い」と言ってきました。とても礼儀正しい少年が多いのですが、私は少しお辞儀をして、心の中ではこんなことをつぶやいていました。「僕は謝られるほどの人じゃないんだよ」と。
ご都合は誰にでもあります。しかし、強い立場のものは、自分のご都合を置いておいて、弱い立場のもののご都合を優先しなければならないのだと思うのです。もちろん弱い立場だからといってそれにあぐらをかいてはいけませんが、それで世の中うまく回っていくような気がします。
トレードでは、自分のご都合ばかりを気にするのではなく、立場の違う人のご都合ってどうなんだろうと考え、時にはそちらに従うという行動(利確やエントリー)も必要になってくるでしょう。学生の頃、サッカーでディフェンダーをしていた時に、相手ならどこにパスを出したがるだろうと考えて守備をしたら劇的に守備がよくなったことを思い出します。常に別の立場の人の考えに目を向ける心構えは大切なことだと思います。
10日前までは当たり前だったのに、今となっては寂しい一人サイクリングが続いています。
ふとハンドルにつけているメーターに目をやると、ジャージの腿のところに残ったピーコちゃんの糞の跡が目に染み入りました・・・・・・(終) 最後までお読みいただき、ありがとうございました。m(_ _)m
まずはピーコちゃんⅡ世のその後について書かなければなりません。買ってきたのが午前9時過ぎだったので、12時頃に餌を与えたのですが、全く食べようとしませんでした。気を許さなければ決して食べようしないのかもしれませんが、どうしても腹が減ればそのうち食べるだろうと思っていました。午前11時頃親戚から電話があり、叔母が交通事故に遭って救急車で運ばれたとのことだったので、ピーコちゃんⅡ世を連れて、自転車で親戚に向いました。大した怪我はしていないということだったので、行く必要もなかったんですが、ピーコちゃんのことを聞いて欲しかったという心境がそうさせたのだと思います。
親戚で、事故やその後の保険会社との示談の話を5人で大きな声でしたものだから、ピーコちゃんⅡ世はますます縮こまっていました。はとこが手のひらに乗せた時に、3mくらい羽ばたいて逃げたのを見て少し驚かされました。「ああ、もう羽ばたけるほど成長してるんだな」と。その親戚の家でも餌は食べませんでした。
その後、ピーコちゃんⅡ世と一緒に、いつものサイクリングコースの河川敷を走りました。何も食べていなかったので、ちょくちょく水飲み場で餌をあげてみるのですが、かたくなに食べようとしませんでした。それでも水だけは飲ませないとまずいと思い、水飲み場で水を出して、浅いプール状態にして、そこに置くと水を飲む仕草をしたので、少し安心できました。
家に帰ってからも、なかなか食べようとしませんでした。夜10時頃、手のひらにおいている時に、少し指を噛んできたので、これはお腹がすいたサインだとピンと来たので餌をあげてみると、ようやく餌をほんの少し食べてくれました。これでなれてくれるのかと期待して、ピーコちゃんⅠ世が遊んだカラフルなゴムボールをピーコちゃんⅡ世の前で転がしたのですが、「ぴ~~~」と悲鳴をあげて、そのボールを敵とみなしてしまいました。
同じ種類のインコが、同じ物をみても、それぞれのインコの脳には違ったものに捉えられることがわかり、人間となんら変わらないんだと認識できました。人間もインコも心の状態がフィルターとなって、外部情報が変化する、つまり真実は一つでも事実はそれを認識した脳の数だけ存在するということですね。同じチャートを見ても、チャンスと見る人もいれば、怖いと捉える人もいるわけです。やはり「勝者は危険の中にチャンスをみいだし、敗者はチャンスの中に危険をみいだす」のではないかと思うのです。・・・・・(2)につづく
「わかっているならやればいいのに」なのですが・・・・・
久々のブログが反省から始まりましたが、さらに大いに反省しなければならないことを今朝起こしてしまいました。実は、ちょうど1週間前(先週の金曜日)に、セキセイインコのヒナ(生後4週間 名前はピーコ)を飼い始め、つきっきりでずっと一緒に暮らしてきました。日々のサイクリングもウェストバッグに入れて連れて行きました。もう完全になついてくれて、いつも寄り添ってくれていました。
餌は3~4時間ごとにあげているのですが、いつものように今朝6時頃、ダンボールの中にいるピーコちゃんの物音で起き、餌をあげようと箱から出しました。箱はベッドの横の台に置いてあるので、取り出していつも寝ながら少しじゃれてから、餌を上げるというパターンでした。
なぜか狭いところが好きで寄り添ってきては腹の下に潜ったりしていたので、「うっかりすると押し付けて殺しちゃうから気を付けないと・・・」といつも思っていました。
そうなんです、その恐れていたことを今朝起こしてしまったんです!
6時に起きたはずだったのですが、ふと気づいて時計を見ると8時45分でした。あっ!と思い、すぐにピーコちゃんを探したら、腹の近くですでに硬くなってぐったりしていたピーコちゃんがそこにいました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うそだ!ピーコちゃんっ!と呼びかけて指で身体を叩いたのですが、全く動いてくれませんでした・・・・・・・・・・・・・死んでいるとほどなく理解できました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1週間という短い時間でしたが、その1週間にあった出来事が頭の中を駆け巡りました。なんていうことをしてしまったんだ!ピーコちゃん、本当に本当にごめんなさい・・・・・・・・・・でも、いくら謝ったって反省したって泣き叫んだって、いくらお金を積んだってピーコちゃんは帰ってきてくれません。世の中にはお金では買えないものがあることを、まざまざと再認識させられました。こんな形で確認したくなかったですが、ピーコちゃんは僕に教えてくれたのだと思います、とてもとても大切なことを。
ピーコちゃんを庭に埋めて葬った後、ピーコちゃんを買った同じペットショップに向かっていました。動物を飼う資格はないかもしれませんが、同じ色の白いセキセイインコを買ってきました。今は買ってきた小箱の中でこちらを警戒している状態です。なつくまでには何日もかかるでしょう。
もう添い寝は絶対にしません!冬の気温にも気をつけます!自分の都合で小鳥をもてあそびません!
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トレードに関しては90%完成した感覚はありますが、絶対に100%はないので、この10%を完全に埋めることは不可能だと思っています。1%埋めるのに何年かかるのかは自分次第でしょう。ちなみに僕の手法に名前を付けました。この名前で僕が何をやっているかはわかると思います。
00-50ピボットT3パラボリックCCI・オールラインズ&パターンズウェイティング・ヘッドハンティング・クロスカウンター・ATRターゲット・メンタルスキャルトレード(ボリンジャーバンド、フィボナッチタイムゾーン参考)
見ているものを書き出すと複雑に思えますが、慣れている自分にとっては、いたってシンプルだと思っています。ただ、紙などの媒体で説明しても伝わらないので絶対に商材としては売れないでしょう。でも、いずれはマンツーマンで教えられるようになれたらと思っています。
参考にできるところは参考にしていただけたらと思いますが、勝ち方は無数に存在するし、自分に合ったやり方を探究し続けることが大事だと思います。ちなみに未だに悩み続けていることは、「伸ばすこと」です。スキャルに徹するのであれば伸ばすことなど考えなくていいのですが・・・・・
静岡市に行くには一つ山を超えなくてはなりません。以前自転車をやっていた頃でもその山を超えて静岡市に行くことはなかったです。山と言っても大した高さではないのですが、登り坂が今の自分にはきつく、200mも走らせると自転車から降りて休憩といった感じで走っていました。道はこんな感じです。
「こんな坂道誰だってきついよな~」と思って、道端に座っていると、どう見ても60代のおっちゃんがロードバイクですたこら登ってくるではないですか(´;ω;`) 近くに来たそのおっちゃん 「よおっ」と一言発して走り去っていきました。私はただそのおっちゃんの後ろ姿を見つめているだけでした。
気を取り直してまた走ったり休んだりしながら、ようやく頂上にたどり着き、その後は下り坂なので楽チンそのもの。無事にくまさん牧場につきアイスクリームにたどり着きました。「思考は現実化する」んだよ(^O^)
すみません、食べかけで 2色350円
帰りにまたあのきつい坂を登るのは嫌だと思い、バイパスで行けるんではないかと妄想したのですが、案の定自転車通行禁止となっていました。
従って別ルートの大崩海岸沿いで帰ることにしました。これが来た時よりもきつい坂で、危険な道路でした。その名の通り、いつ崖崩れがあるかもしれない道路として地元でも恐れられています。
途中からは全く自転車をこぐことができず、歩きで頂上まで行くことになります。頂上あたりからの眺めはこんな感じです。
道幅も狭く非常に危険です。「こんな道自転車で走るバカはオイラくらいだろうなぁ」------------------------------と、その時、目を疑いました。どう見ても後期高齢者風のおじいちゃんがママチャリでとことこ登ってくるではありませんか!目が点になってしまいました。(゚o゚;; この写真をとった直後に現れました。恐るべしおスーパーおじいちゃん。
この日の走行距離は50~60kmになっていたと思います。疲れたので、地元の黒潮温泉に入って、1000円の20分フットマッサージをやってもらって、疲れを癒しました。
そして今日、ヤフオクで落札したサイクルメーター(ブリヂストン emeters)が届いたので、早速20kmほど走ってきました。
これは、走行スピードや走行距離、消費カロリーなどを表示してくれるものなのですが、本体を取り外してパソコンとUSBでつなげれば、その日のデータをブリヂストンの専用サイトにアップロードできるというすぐれものです。このブログサイトの左側にブリヂストンのブログパーツe*metersをつけましたので、興味がありましたらご覧になってください。
さて、引き寄せの法則関連の書籍をいろいろ読みあさってきましたが、結局みなさん同じことを言っていることに気がつきました。ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」は、まさにその通りであり、もはや疑う余地のないところだと思います。
しか~し、思ったことや願ったことがすぐに現実となって現れたら、それは魔法であって、魔法使いにしかできません、当たり前です。つまり、思考と現実化の間が難しいからそんなに簡単には現実となって現れないわけですし、そもそもその思考=気持ちの持ち方も簡単なものではないということも大きな要因となっているのだと思います。
私は禁煙3ヶ月まであと2週間となりました。ダイエットというほどのものでもないのですが、体重を落とそうと思って2ヶ月が過ぎました。最初の頃は、「思考は現実化する」という強い信念があったので、特に何をするということもなく、自分がなりたい体型を思い描いて、粗食を心がけていました。体重を毎日計るなどということもしてなかったのですが、1ヶ月が経った頃、体重計に乗ってみると、ほとんど変化のないことに気づきました。「あれ?おかしいぞ」と感じたわけです。「思考は現実化する」んじゃねーんかい!?・・・・・・といっても誰も答えてくれるわけでもなく。自分の中から自分なりの答えを導き出さなくてはなりません。
やはり、ふとした時に、ナポレオン・ヒルは思考と現実化の間を省略してるんだと気づきます。ナポレオン・ヒルの言葉をもっと具体的に示しているのが、ヒンズー教の経典の以下のもので、既にあまりにも日本人に馴染んでいる格言的なものとなっている。
心 が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。
心(思考・願望など)が変わったり発生しても、そのあとの態度→行動→習慣へと発展していかなければ、思考が現実化することもないし、ましてや人生が変わることもない---------------ということを痛感しました。
以上のことはあらゆることに通ずることだと思います。いわんや、トレードにもがな。
そんなわけで、3年半もほったらかしにしてあった錆だらけのロードバイクを磨いて、先週から自転車を始めたわけです。-------(2)につづく。
最近は気候も穏やかになってきたので、バイクで近隣を走ることが多くなってきたのですが、昨日バイクに乗っている時にふとこんなことが閃きました。
このオフロードバイクは225ccで比較的軽くて小さめの車体だけど、自分が乗りこなせてるとは言えないよなぁ。意識して練習をして経験を積んでいくと、失敗と成功を繰り返しながら、徐々に自信をつけていくんだけど、自信をつけてきたころに自信過剰になって、割と大きな転倒をする。だけど、あまり気にせずまたトライしていく。それは、バイクを自由に使いこなしたいから。うまく乗れるようになりたいから。その域に達しても、失敗もするしレースで負けることだってあるが、バイクを乗りこなせているセルフイメージは磐石である。でも、バイクに乗ってるだけでいいと思っている人は、バイクに乗っているという経験が長いだけで、乗りこなす域に達することはない。ただし、バイクは個々に楽しみ方が違うので、ある程度安全に乗れて、風と爽快感を感じられればいいという人がほとんどだから、バイクはそれでもいい。もちろん、これは何にでも当てはまることで、当然FXにも言えます。こんなことはもう当たり前の事なので、そこではなくここから-------------------------------------
??ビビッ
これは、人間そのものにも言えるんじゃないか?
生命を宿した時に与えられた肉体は、一生他の肉体に乗り換えることはできない。与えられた肉体のスペックは何一つとして同じものはないが、コアの部分である精神は本来全て同じスペックを持っている。バイクを大切に扱えばバイクは自分のために頑張って最高のパフォーマンスを発揮してくれることと同じで、その人間という乗り物を大切にすれば、肉体は自分を大切に思い返してくれ、最高のパフォーマンスが引き出せる。
その肉体を乗りこなすには、意識的に訓練する必要がある。ただただ安全に乗っていたいのであれば、肉体はそのようにしてくれるが、精神がいつもおどおどし不安を抱えた状態でいると、肉体の存在感のほうが大きくなり、そのうち肉体に精神が支配されることになりかねない。
肉体はバイクと同じで、それに支配されるのではく、自由に乗りこなしたい。それには、乗りこなしたいという意識がなければならない。乗りこなせたら、どんなところにも行ける、世界中の道をかけめぐれるという楽しい夢を思い描ける。いろいろな人に出会える。(*∩∀∩*)ワクワク♪する。
という、夢やワクワク感を常に持っていたい。
そして、乗りこなす上で大切なことは、何事にも支配されない自由な心を持ち続けることであると思うのだ。
何かを見た時、人によってその認識は異なる。例えば、何かを見て、ある人は白と言い、またある人は黒という。その形は丸という人も入れば、三角と言う人もいる。パンダやシャチを部分的に見れば、どれも間違った認識ではない。誰かが自分とは違った見方をしているからといって、相手が間違っていると決め付けるのはおかしい。それをまず受け入れなくてはならない。自分が考えていることだって、部分的なものしか見ていないはずだからだ。
他人との意見の相違ではく、自分一人のできごとを考えてみる。何か自分にとって嫌なことが起こったと感じると不機嫌になることは、ごく普通の人間であれば当たり前のこであるが、その嫌なことは自分が勝手にそう解釈したに過ぎないことがほとんどで、実は嫌なことは良いことの前兆であったり、良いことの一部であったりする。外部情報によって心をかき乱されていては、それによって心が支配されていて心が自由の状態にあるとは言えない。
幼い子供を見ていると心の状態が常に自由であり、自由でありたいと思っていることに気づく。なぜその状態を神は幼年期に与えたのか?----------------------精神の自由が成長には欠かせないからではないだろうか。
チャートを見て、これは上がると見る人がいる一方、下がると見る人もいる。それはどの地点においても、どちらも間違ってはいない。どちらか一方に決めつけた場合は、自分の考えに固執し支配されたということになり、自分を乗りこなしているとは言えず、そこに精神の自由はない。
とりとめのない文章になってしまいましたが、なんとなく感じ取れたところはあるのではないかと勝手に思ってます。最後に、私が最近読んだ本の中で最も感銘を受けて今も読んでいる本をご紹介します。是非読んでみてください。
潜在意識が答えを知っている!(マクスウェル・マルツ)
※私は年商7300億円のアマゾンのまわしものではありません。
久しぶりのブログ更新になります。しかし、不思議なことにブログを更新していないこの1ヶ月の間、アクセス数が書いていた時とあまり変わりませんでした。もしかして、アメブロが勝手にアクセス数を操作してるんかい?と思ってしまうほどです。それを見てなんか本当に生身の人間が読んでくれているのか疑問に感じ、ますます書く意欲がなくなったというところもありました。
しかし、最も大きかったのは「本当にわかって出来るようになったこと」をブログには書こうと思ったからです。いつまでも感想文を書いていても、感想文を永遠に書き続けることになってしまうと感じたからです。
でもペタをしてくださる奇特な方もいらっしゃることにはただただ感謝です。
さて、タバコをやめてついに2ヶ月が経とうとしています。この2ヶ月を振り返ってみると、やめて一週間は本当に苦しかったことを最も強く思い出します。やはりインパクトが強かったことを脳は覚えているものなのですね。そして、1ヶ月目くらいに無性にタバコが吸いたくなったことに驚きました。食後にもタバコを吸いたいという肉体的な欲求がなくなっていたのに、別のところからその欲求が起こったのです。もう吸ってもうまいと感じないことはわかっているのに、無性に吸いたくなったのです。それを断ち切ったのは、初心(以前ブログに書いた内容)とあのやめて1週間の苦しみをまた味わいたくないという気持ちからでした。
一応やめられたかどうかは3ヶ月がめどのようですが、6ヶ月・1年・3年・・・と節目はあるようですね。まあ、なにごとも死ぬまで自己との闘いはあるものと覚悟しています。
今週は調子がイマイチで、大きなマイナスで終わりました。いつもの悪い癖が出てしまい、特に昨日は大きな流れにとらわれ過ぎて、順張りのつもりが逆張りしまくっていました。そして、ついには感情的になり(自分では冷静なつもり)、チャート同様に崩壊していきました。
原因はすぐにわかりました。大きな流れにとらわれすぎて小さな流れを見ていなかったことと、ルールを破っていたことです。
「木を見て森を見ず、森を見て木を見ず」ではなく、「木を見て森を見、森を見て木を見る」という視野の広さ・心の広さと柔軟性の重要性を感じさせられた一週間でした。これを忘れないことを心に誓います。
タバコをやめて3週間が過ぎました。ニコチンが体内からなくなるのが2~3週間と言われているので、取り敢えずニコチンはなくなったのかと思っています。禁断症状は食後でもほぼ0になりました。
ただ、風邪をひいて長引いてます。微熱ながら、咳とたんが酷く結構身体もだるいです。昨年は喫煙者でありながら風邪を一度もひかなかったのに、今年はタバコをやめていきなり、ひいてしまったのですが、この事実をどうとらえるか(思考するか)で、その後の人生がかわってきます。私は、喫煙時代に蓄積した身体の毒素を外に出している時期だと考えています。間違っても「バッキャーロー、タバコやめたのに、なんで風邪なんか引くんだよ~、おかしくねぇ?ならタバコ吸ってたほうがよかったば~い。」 なんて、考えたりしません。まあ、以前なら間違いなく、そう考えて復煙してたでしょうねぇ (汗
それで今日、以前ファイザーの禁煙外来で行った家の近くのクリニックに行ってきたんですが、風邪の診療の後、先生から禁煙について聞かれました。1回行ってそのままだったので、やはり聞かれるとは思ってました。「やめました」と伝えると、先生も「よかたね~」と喜んでくれました。
それで、ついでに以前そこで測定してもらった一酸化炭素濃度測定をしてもらいました。その時は28ppmで5段階中4番目の『ヘビースモーカー』でしたが、今回は2ppmで1番下の『ノンスモーカー』でした。
さて、話はガラッと変わって、先週の土曜日、いつものようにYouTubeを見ていたら、あなたへのおすすめの動画のトップに NHK特集「リーマン予想」(2009年11月) というタイトルの動画がありました。「おお!これは3年以上前に観たNHK特集ではないか!」と感動し、もう一度観たのですが、以前とはだいぶ違った印象を受けました。記憶に残っているのは、素数の不思議だけでしたが、今回再度観て、すべてはつながっているんだとあらためて感じました。特に注視したのは、素数と量子力学の根底でのつながりです。量子力学は意識とつながっていので、意識と素数やπとのつながりも見えてきます。
この中で、ノーベル経済学賞受賞者であり天才と謳われた、元プリンストン大学教授のジョン・ナッシュ博士が興味深いことを語っています。 「数学の研究には、自身の心の内面を突き詰めることが要求されます。あるときには論理的に考え、別の時には非論理的に考えることが要求されます。」
さらに、アインシュタインも成し得なかった宇宙を支配する「万物の理論」への最有力候補である超ひも理論でいうところの、あらゆる物質のもととなるひも(=小さな振動するエネルギーの糸)は、まさに波動になります。
超ひも理論に関して興味がある方は、以下の動画がわかりやすいと思います。
エレガントな宇宙(超ひも理論)第1回アインシュタインの見果てぬ夢
エレガントな宇宙(超ひも理論)第2回"ひも"の振動が万物をうむ
エレガントな宇宙(超ひも理論)第3回驚異の高次元空間
理解とは点と点がつながっていって初めて起こる現象だと思います。この理解にも個人差がありますので、その人が納得し点と点が線になればそれでいいのだと思います。