坂の上も雲 -3ページ目

2008/07/22

言い様のない孤独感とともに、僕に帰る場所はあるんだろうかなんてくだらない悩みを抱えながらの日々です。でもそもそも始まったばかりの僕に帰る場所もくそもないんだよなあ。思った以上に僕は過去のコミュニティへの愛着が強いのにいつもいつもすかしてそこを大事にせず、温かく迎えられると感涙し、冷たくあしらわれると呪うという繰り返し。人間としてもう少しオープンになれんもんかなあと悩んでる。

そして今揺れている。それは僕にとって愛って何よっていうこと。
体だけを求めているわけではないけど素直にいえば多分それも一つの要素。
人の温かみを感じていたいっていう意味で。
往々にして僕の行動パターンは仲間優先。でも、仲間を大切にしようとすることで、そこに信頼の授受関係を作り上げていく中で、仲間以外の存在を無視してまでその関係性の構築を大事にするのに、実はそれに疲れている。だから仲間とは一風違う甘えさせてくれる人間がほしいというジレンマ。
ただどちらかというと僕の周りは僕に甘える側の人間が集まってしまう。甘えあいの対象だった浜松はもういないわけで、それは多分1年前にすでにわかってたことだけど大分つらい。別にスキルなんかどうだってよくて、ちょっとした世の中を生き抜いていくための地頭の良さと周囲への気配りのテクニックがあって、僕に対して妙なコンプレックスを感じることもなく自分の道を進んでいる人がいい。依存しあうだけじゃなく前向きに相手がこうなれたらいいよねと考えて時には叱り時には慰め、時には笑い合う。そういう関係を築き上げられる人が周りにいないのだろうか。

2008/03/24

「君は、物語に途中参加しただけなんだ。謝ることはない。」その奇妙な励ましに少しだけ納得した。
僕は、自分こそが主人公で、今こうして生活している「現在」こそが世界の真ん中だと思い込んでいた。けれど、正確には違うのかもしれない。

上記はある小説からの引用。

現代日本においては近代的な自我のみが強調されることで、関係性の中での自我を認識できなくなっているのかもしれない。
自分を主語にわがままになるのはいいのだが、関係性の中での自我を認識しないことは自分自身の本質に半する。

刺激

この一年間の僕は刺激を与えてくれる人間欠乏症。

なんせ、正直こんなに勉強してないやつもいないだろうっていう勉強量で公務員試験のあの順位だし

(本当に頭のいいやつは受けなくなったんだと思うが)

官庁訪問も絶対的評価はともかく相対的評価として周囲の受験生に負ける気がしなかった。

(いけてる人材は企業に流れているんだろう)


内定後はなおさら。

大学生らしく生きていくなかで「ミクロ」の問題意識の種の幅を広げていこうと思ってたから刺激を感じる瞬間なんかなかった。


まあでも、そういう意味で大学生活の4年間で積み上げてきた人脈は刺激を与え続けてくれる。

この一年を棒に振ったぐらいで周囲の追随を許さないぐらい刺激を与えてくれる人には恵まれていると思う。

それは働く場所が違えど、こいつには負けたくないそう思わせてくれる存在でい続けてくれる人がいるから。


周囲に刺激を与え続けるような人間でありたい。僕は10月にそう書いた。

もうすぐそのステージにあがるに当たって改めてそれを意識しないと。


○今日の学び

・努力に勝る工夫はなし

・どんな現場に下りても通ずるマネジメントは一つの「スペシャリスト」のあり方。

ど真ん中のストレート

だいたいこういう文章を書きたくなる時期っていうのは

何か今膨大なタスクを抱えているのにそれへのやる気が沸かなくなる時か

あるいはどうしようもなく無為な時間を以下に過ごすか模索している時。


今は前者。「絶対に負けられない戦い」まで2週間をきった。

刑法一部。3年間逃げ続けてきたが結局おはちが回ってくるとは。

すべての言動の責任は自分に帰着する。がんばろう。


最近引っ越して高校以来の友人がご近所さんになり、無駄に夜彼の家にいったりとか駅の周りの店で飯を食う。

これはこれで何かタスクとか利害とかが絡んで人と会うことが多かった時代に比べればすごくいい傾向。

本当はこういう大学生活を望んでいたのかもとも思う。


でも、頻繁に会うようになるまでも定期的にあってた。それもそれでよかったけどね。

あいつとしゃべる時には「何かを伝えてあげなきゃ」という緊張感。

これって意外と重要かもしれない。


お互いがそう思って会わなきゃと思う友人なんか数えるほどかいない。

僕なんかはどっちかって言うといかに「よいメッセージ」をその時間に発することができるかばっか考えているが。

おせっかいなんだろうけど。


で、まあ昨日の友人との会話の中で珍しく僕の人物像にたいする論評がでてきた。

「どのつくストライクを投げるのを嫌うニッチ志向」

「もちろん周囲の期待にこたえようとしての好意なのはわかるけどど真ん中に投げたがらない。」


いった当人は広告代理店にいくからそういう芸当ばかり追求するわけには行かない。らしい。

マーケットに刺さるメッセージは奇抜に見えても実は核心にささるど真ん中ストライク。

ただ、変化球の種類が違うから奇抜に見えるだけ。


僕も少し考え直さなきゃいけないかもしれない。

集団の中で相対的に安易に価値を高める方法としてニッチを志向しているうちはいいけど。

何かメッセージを外に発する時にはポジショニングの問題とは別でどストライクを投げる勇気ももたなきゃ。


本当は、ど真ん中の直球を投げる勇気があるやつが実は一番強いんだと思う。

一打逆転のピンチでも優勝のかかった試合でも相手がどんな強打者でも自分を信じて真ん中に投げ込む。

それができる人こそ真に「必要とされる」人材なんだろう。



I want...

何かがしたい。何かがほしい。

そういう想いってどこか押さえつけられていた。

でも、これから働くにあたってそういう思いを開放していけたらと思う。


これまでのように固定された組織の中で着実に信頼を得て実績を残すプレーヤーでもいいけど

自由にビジョンを描いてまったく知らなかったような人と組んで仕事をしていける人間になりたいから。

ネットワークは信頼だけじゃ気づけないし、僕の存在価値に僕自身が

もはや「あたりまえ」をできる人であることを示すだけでは満足ができなくなってきているから。


手始めに低俗かもしれないけど

まずは自分の部屋のインテリアを充実させていくことと、

毎月何か演劇とかコンサートとか美術館でも何でもいいけど文化的な素養を深めていくことをしていきたい。


そういうのを持った方が、単純に「信頼モデル」を追求していくよりも仕事をがんばれると思うから。