坂の上も雲
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2010/12/25

僕らの世代って「みんなのために」を「(国内国際問わず)社会のために」「平和に争いごとのない社会」というナショナリズムでもなければ右とも左ともいえない日本独自の立派な人観をしこまれた。
その後多感な時期に日本がもはや右肩上がりには戻れないことを強く意識させられ、大人たちですら生きるモデルを見つけられない中、従来の王道を疑うことを求められた。「政府や会社に頼らない」ことや個人が大切という価値観を突然インストールされていった。
しかしそういう価値観をもった先達たちがなぜか「出る杭」として叩き潰されるところを見た。
一方で何かを変えるといった人たちが気づけば昔からの既得権を守るひとたちと結局妥協してしまうところを見た。
オセロがコロコロひっくり返る中でも変わっていないのは僕らは社会に翻弄されながらもその社会に対して発言権を与えられていないということ。
フリーターだとかニートだとか、鑑賞の対象なのか知らないがひとくくりにしたがるくせに僕らの利害を考えてくれる人はどこにもいなかった。

自走し得ない組織

目の前の事象に対して批判的になることは、ちょっとその環境に慣れてきたものの特権である。

オカシイと言い続けることは麻薬のようなもので、ただ言い続けるだけのヒトもいるが、ちょっと前向きなヒトならばそのオカシサを解消することに頭を巡らす。こういう1を1.2にすることは頑張れば何とかなる。
言うならば、問題文がきちんと用意されていて、行間を読み解くセンターの国語の試験みたいな感じ。
でも、そんな人間はおそらくどんな組織にだって存在している。おそらく、そういう人間は、どこの組織においても煙たくもありがたがられるヒトであるが、ある種、組織やその中の暗黙知・制度などが必ずあるようにというその組織のフレームにはまった存在であるといえよう。
組織という文脈からは逃れられていないからだ。彼・彼女たちはある種組織へ寄生している。
これに対して、0を1にスイッチさせる人間はどれくらいいるのだろうか。ほとんどいない。でも、そういう人間こそが、自走して日本を動かしているといえるのであろう。
こうしてみるとあるBlogにも似た内容があったが「(自走して)日本を動かしているのはそもそも誰なのか」という問につきあたる。役人なのか、政治家なのか、企業なのか、早々に単純に割り切れるものではない。しかし、これが「日本を動かしうるのは誰なのか」という問だと答えを出すことができる。

例えば、今自分自身の一声で、あるエネルギー税制の仕組みを変えていくことを提案できる立場なのだが、その提案をうけたときの組織の判断のよりどころはなんなのかということを考えた時、「その人」だからという判断ができるヒトがうちの会社にどれくらいいるのだろうかと思ってしまう。
なんだかんだいって、判断の際には、実は脈々と続いてきた歴史や前例であり、組織における習慣なり、これまでの貸し借り・経緯の積み重ねが意思決定のフィルターなのではないかと思う。

今回の総選挙の結果にしても、「自民党が悪であり、政権交代をすればマシになる」との世の雰囲気が勝手に自走しただけであろう。民主党のマニフェストはむちゃくちゃな上受け入れられなかったし、みんなの党のように概念党争を仕掛けたところは埋没してしまった。
また、事業仕分けの会議において、昭和40年代に立ち上げた事業を維持し続ける必要性を問われ、困った顔をする官僚さんは、どう見ても大悪人などではなく、無理難題を言われて困っている普通のサラリーマンそのものだ。
世界は水戸黄門ほど単純ではなく、彼らは自走しているわけではない。彼らを走らせる何かがあるのだ。
そういった意味では、戦後の日本という国のカタチを気づきあげてきたと自負している官僚自身、結局のところ何も考えてはいなかったのだろう。ただ、組織とともに“自転”し続けてきただけなのだ。
まさにどこをみたって「無機質でからっぽな日本」である。「この国には全てがある。ただ希望だけがない。」とのフレーズが身にしみる。

そうはいっても、この組織が自走し得ない組織であることは十分に分かったが、まだあきらめきれない。自走しうる人間を作る組織ではあるからだ。せめて自分自身が世の中にスイッチを入れるそういう人間であろうとするしかない。

2009/11/29

生き方自体損かもしれない。ジェネラリストの存在ほど人に評価されないものはない。本当に見る目がある人ならばそういう人間も評価してくれよう。しかし見る目がない人間にはそいつが何やったんだって話になる。
色々とやったことが他人の手柄に見えてしまうのは結局自分自身がジェネラリスト志向だからだろう。みんなの可能性を最大限引き出していこうとの姿勢そのものの問題かもしれない。
引っ張っていき結果を出す。このことの難しさをひしひしと感じる。


2009/11/27

島津義弘という武将がいる。たしか数年前に小説になったが、関ヶ原で西軍敗戦後五百騎あまりの手勢のみで東軍数万の陣中を突破の上戦場離脱した鹿児島の戦国大名。この退却劇は捨カンなる戦法でなされたという。
仲間を次々と部隊から離脱させ伏兵とし、玉砕を繰り返すことで敵を足止めし残りの大将を含む少数を生かしていく。大事な御大将を生かすためまさに捨て駒として犠牲を増やしていく戦法だ。

島津ではないがこの戦法にはたしかに必要な部分がある。大将にあたる支柱をなんとか残すために周囲を切り捨てていくこと。勝ち負けが定かでない時点ではそれをしても本当に意味があるかわからない行為だが、負けが決まってしまった以上次につなげることを考えると、ただ負けましたと潔くあきらめるよりは相手に対して実際印象を残す。もはや勝負がついたあとだからこそ単純に勇猛さや潔さなどが評価されるのだろう。

2009/11/27

今日2ヶ月精力をかけてきた戦いに完膚なきまでに敗れたことがほぼ決まった。

こんなに派手に負け戦をやったのは久しぶりだろう。所与の条件が悪すぎただの言い訳はしようと思えばいくらでもできる。当初は周囲に怒りちらし、次に自分に嘆き、最後に反転攻勢を誓う。
六年前にもあったよなあ、そんなことがと思いながら。あの時は親の死以来初めて身震いして悔しがった。そして翌年人生で最高の成功体験を得られた。
この完膚なきまでの負け戦は最高の教材であって来年は必ず勝つというモチベーションとしてやっていくしかない。臥薪嘗胆。
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