坂の上も雲 -28ページ目
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寄りかかる場所貸します

昨日は厄日なので。というより、日ごろの延長で昼まで寝てしまう。
まあ、昨日の日記を見てもらえばわかると思うけどアウトドアは危険だということが徐々にわかってきたわけで。。。


FC東京と浦和のもどかしい試合を見ていた時のことだ。
3年先輩の省庁勤めC氏から突然、「今晩暇?」とのメール。


結局外に出ることになった。
東口の三井住友銀行前。内輪ねたもいいところの集合場所で待ち合わせる。
というか、隣にアルタあるんだしアルタにしろよと思ったが、ま、いっか。
雑踏にはまぎれたくないし。


あいかわらずアラビア系の濃いカオは変わっていない。
昔は70年代アイドルなどと呼ばれたらしいが
概してアイドルはペテン師である。
僕の人生の法則第56条。


新宿のとある和食料理屋に入り5時間ほど話し込む。
本当に久しぶりに会ったし、馬が合うのだろう。
話は多岐にわたった。

Jリーグの話に始まりプロ野球の話、GEILの話、宇宙の話、クローン人間の話、恋愛の話、厄日の話、就活の話、官庁の話。。。
(一部おかしい気もする。。。)





C氏の官庁での体験談や就活の際の話を聞いていた時僕は気づく。
僕はこの人の生き方に寄りかかっていると。
GEILで年度は違えど同じ立場に立ち、志望する方向も同じ様なものになっている自分に気づく。
それだけ、C氏が僕にとって尊敬に値すべきモデルであるということの表れではある。
でも、彼の強みと僕の強みは似てはいるけどイコールではないはず。
バックボーンも弱みも同様。
なんで、こんなに僕は彼に依存しているんだろう?


思えば、僕にはこれまで常に身近にモデルがいたのかもしれない。
周りの人物の実態とはいえないまでも、ある人(人々)を偶像(神聖)化した虚像を僕はいままでいつも理想としてきた。
その結果、その虚像めがけて僕は成長することができたし、その虚像と比較して成長を実感していたのだ。
さらには、その虚像と他人を比較する中で他人の評価を下してきていた。
それは、概して正しいものであった。周りからは人を見抜く力についてよくほめられる。
実際そこには自信もあるわけだ。


しかし、このままでいいのだろうか?
僕は自分で自分のモデルを描いているようで、それは所詮他人の借り物なのではないのか?


それを考えるために
「これまで、虚像を追い求める生き方でやってこれた自分ってどういう存在だったか?」
について、考えてみよう。


ここでひとつの疑惑に突き当たるのだ。



僕が真の意味で先輩、リーダーとして、周りの人に接したことはなかったのではないか。


まず、先輩と後輩という関係でまず見てみよう。


高校まで常に上には頼るべき存在があった。
親であり、教師であり、先輩である。

周りに頼るべき仲間がいた。
小学校、中学校、高校、どこにも数人ではあったかもしれないけどこいつは頼れると今でも思える友達はいる。

一方、年下の存在は僕の人生にとって弟ぐらいのものだし、部下や後輩なんて存在しなかった。

大学に入りGEILにはいって2年の4月になるまでも年も18だったし周りは年上だらけ。
いくらでも頼る人たちはいた。

頼るべき同学年の仲間もいた。

この状況は本来今年の4月で終わるはずであった。
しかし、まあいろいろあって(上司の僕への中傷がなぜか1年生に表立って伝えられたり。。。)
結局GEILでの半年間本当の意味で後輩に対して先輩らしく接することはできなかった。


一方、僕がリーダーになった経験についておもい出してみよう。

たぶん、それはすべてが小学校時代にある。
クラスの学級委員を何回もやっていた時期があった。
しかし、中学に入って、それはぷつりととまる。
(原因はいくつかあるけど、一番大きいのは受験での挫折であろう。)

結局それ以来、今の今まで僕は最強のプレーヤーやサブリーダーになったことはあったかもしれないけれども、
リーダーであったことはなかったのだ。


結局いままでの自分は寄りかかるものを、理想とするものをいつも借りていた。
そして、それが近くにあることがいいことだと思っていた。

だから、自然と保守的になっているし、先輩と仲良くなってきたし、
あんなにいやなところもあったGEILをやめられなかった。

自分で寄りかかるものをつくろうなんて考えもしなかったのだ。
自分で理想とする像を描こうとしなかったのだ。


さて、いま僕の目の前には社会に出るまで2年半もの無限のフィールドが広がっている。
これから半年とりあえず、
僕は自分の寄りかかるものを他人に求めないことにする。
自分の理想とする人物像を他人の中にもとめないことにする。
そして、二年半のうちに
少なくとも一度はリーダーとして何かをやり遂げてみようと思う。

それを成し遂げた時、僕はこういえるようになりたい。
昔の自分のような人たちに。

「寄りかかる場所、貸します」

厄日

今日は僕の人生にとって厄日である。


小3の時、サッカーボールがカオにぶつかり救急車を呼ぶ大騒ぎに。幸い、命は取り留めたが30分以上気絶していた。以後、サッカーボール恐怖症にかかる。


中2の時、彼女とのはじめてのデートで水族館に。屋根のあるイルカショーを見に行ったはずなのに祝日であまりにこんでいて少しは乱したところに陣取る。もちろん彼女は内側に入れたけど。ここに最高のコントラストが生まれてしまう。

彼女はイルカのかける水に喜ぶ

Pekiは通り雨のかける水に嘆く

彼女はかかった水でおおはしゃぎ

Pekiはかかった水でしょぼーん

彼女はイルカショーに大喜び

Pekiはずぶぬれになって苦笑い


高1の時 卓球団体戦。僕は実力3番手が座る5番シングルでレギュラー。


ちなみに卓球は

1、シングル(実力4番手、手堅い速攻派)

2、シングル(だいたいキャプテン)

3、ダブルス

4、シングル(エース)

5、シングル(3番手、相手を翻弄する変化球型・勝負強さ)


ってかんじに団体戦では並ぶ。


ただし、これはうちの高校の例。どっちにせよ当時の二年生は至上最弱といわれていた。)


もっとも、家から学校まで遠く(神戸→京都)そのうえ、試合会場はだいたい京都のはずれの場合が多くて(普通に公立が多いから)いつも試合の時は5時おき。


相手に恵まれたせいもあってちーむは準準決勝まで勝ち進む。


しかし、ここまでまったく出番なし。準決勝で2-2でまわってきたところで相手のラケットに反則が発覚。

俺は試合をする前に不戦勝。チームは初の決勝進出。そして、決勝。あっさりとストレート負け。


まあ、よくがんばったね。いやほんと、京都市で2位なんて快挙だよ。


まわりやOBはほめるほめる。ね。すごいよ。ほんと。 え?え? 俺1試合もしてないやん。。。


高3の時某平安高校の生徒と喧嘩。むこうの文化祭の日だったかな。俺が小学校の頃の知り合いの女の子としゃべってると絡んできたので無視しようとするといきなり殴りかかってきた。一発殴られても無視してると3人ほどで囲んできた。やむなく殴って2人を蹴散らし友達を連れて逃げようとしたんだけど、そこに運悪く警察が。。。なぜか交番に連れて行かれました・・・



さーて今日はどんな日になるのかなあ。。。

とある夢



ふとふりかえるとTVがある。横にはサンルーム。
緑の床をした3畳ぐらいのスペース。
花がたくさん老いてある。
おっと間違えた。。
まちがえてもないか。。
置いてはいるけど枯れている。

TVではやっているのはゴルフの中継だろうか
ごろごろ寝ながら世界史の教科書を読んでいる男がいる。

なりからして年は高校生ぐらいだろうか。

横から「はげしく」べんきょうしてんの?
という声。いつもどおり。台所のほうからだろう。

おそらくその言葉がもはや意味を成さないことを認識してないはずだ。
明日は数学と国語。やるわけないだろ!

癖なのだろう
鉛筆転がしてるとTVの下に入る。
何回やっても入る。

いらいらしてきた頃。一人のおっさんがにやにやしながら俺に何かを差し出した。
「これつかってみ。」
「なんやねん?これ」

これはいつもどおりのパターン。

興味がなさそうな男の前でおっさんは実演を始める
新聞の広告でブックエンドのようなものを作っていたのだ。
鉛筆が転がらない、ただそれだけのために。

思えばTVのうえには千羽鶴。
壊れた引き出しにはダンボールの紙で作った箱が入っている。
ゴルフのパターも毎日のように自分が作ったものを工場で作らせているこの男。
そしてそのパターを使い、6Pチーズの円形の容器をカップにして毎日楽しみ
子供の勉強の邪魔といわれているこの男。

大阪では有名な大言家である。
「長江の流れをこう変えれば洪水がなくなると思って中国政府の知り合いに意見具申してきた。」

「橋竜は俺の出した具申書の通りにやったから景気を持ち返すことができた。」

そして、馬鹿のように特許を出しまくる。
ほとんど実用的でない。

近づくとぴかっと光るとともに犬の泣き声が出る警報機。
車のデザインを10分でかえるカバー(外壁交換するらしい)

ここまできいて斬新的な人だと思った方。

いやふつうただのあほだと思うのだろうがこの人のあほっぷりはむしろ以下のこととの
コントラストにある。

受験の前。
「受かりますといえばお前の予知能力で受かるよ。」(→実際はおちた)

受験のあと。これは事実なのだが答案欄のひとつのずれで数学をミスり落ちたと聞いて灘の校長に会いに行ったらしい・・

小学校の頃社会のまったくできなかった俺に参考書を強制的に読ませたあと29点が40点になったとき
「おれのおしえかたがうまかったんや」(→いやそれまで勉強してなかっただけやて)

俺が小一のときに万引きしたときのことを中学2、3年のときばらすと
「母親にばれなければ神様にはばれない」

卓球とボーリングが得意だったらしい。
賭け事にはめっぽう強かった。金をかけない俺との戦いだけど。
将棋もこの人に教わった。実際これは強かったかな。

ジャンプとゴルフとクロスカントリーが大好き。

書類を入れるために使うバッグはいつも紙袋。
そのわりに車にだけはお金を書けベンツに乗る。
母親からは俺の兄と呼ばれる。まったく持って世話のかかる。
たまに飯を作るときはいつもお好み焼きかカレーか食えない野菜炒め(俺が嫌いなだけかも)
いつも将来は総理大臣になるといっていた男。

そんな男が父親だった。

きゃすたー

古館 「パリーグはITリーグになるのか?」

彼の話ぶりは気に食わないけど、何気ないワンフレーズにはやはり才能があると思う。

ほんと、スポーツキャスターで鍛えられている。マジ感心。

やっぱ実況中継ってすごいねんなあと思うのだ。

ニュースは原稿読み上げてるし、カメラの近くに補助原稿がうつる場合もある。
バラエティーは大半は生番組ではない。
ましてドラマは言わずもがな。NG集が堂々と番組になるぐらいだ。

たとえば駅伝の中継。


いままで一号車に乗っていて1位の選手を追いかけていた人がいるとする。
不意に後方の選手が1位の選手を抜き去った。

なんとその選手11位から10人ごぼう抜きしてきたらしい。

このとき。キャスターーは即座にその選手に関するさまざまな情報を整理しつつも実況し続ける。もしかすると名前以外、はたまた学校名(チーム名)以外何もわかっていないかも知れないのにだ。


あるいは野球の実況中継。

より緻密なデータを試合前に勉強しているようだ。
2ストライク3ボールからランナーはどうするかなどの原則論から、
打者がチャンスに強いかどうか
現在の守備側の守備隊形がなにをしめしているのかなどなど。

正直どこかのセンター試験に向けて勉強するより範囲は広そうだ。


キャスターは本当に尊敬する。

最後にNHKのすごさを。
知っている人もいるかと思うが体操日本代表がアテネで優勝したときのこの一言を書いておきたい。


伸身の新月面が描く放物線は栄光への掛け橋だ!


刈屋さんすばらしいですよ、あなた。


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