坂の上も雲 -27ページ目

おやおや

まったく、おやおやだよ。。。 本当


今日アクシデントが発生。。


親が東京に着たんですよ。


開口一番「中国語でこんにちはってなんていうん?」


「そんなんなんできくねん、にーはおにきまってるやろ」


「じゃあ友達は?」


「え。。。」


「あんた、単位おとしたらしいね。。。」


「なんでしってんねん」


「○○クンがいってたわよ」



その友達はこう言い訳した


「お前が心配やってん」

自分

人と積極的に交流することをやめてから2ヶ月がたとうとしている。

この二ヶ月はほんと受動的な人間だった。友達と偶然会って声をかけられる場合を除いて基本的にこちらから積極的に誰かを誘うとかいうことをしていない。


引きこもりになったわけでもない。むしろ、毎日学校に行くようになった。

別にもともと人と会うことが嫌いなわけではないのに最近は怖いのだ。


この恐怖感はよくわからない。


ただひとついえるのは、「本当の自分」って何かっていう問題にぶち当たってからの話だということ。


昔みたいに素直にこれが自分ですっていうものがなくなった。


人によって態度が変わることが多くなった。


このBlogを何人の方が見ているかは知らないが人によって僕への評価は大きく変わるのであろう。


人に会うのが怖いのもそのせいかも。


本当の自分探しとかよく言われることだけども僕は今見失ったままのようだ。


と、ここで僕の知人のかたがたにお願い。


「おまえは、こういうやつだろう」 だとか 「おまえは昔はこういうやつで今はこういうやつになった」 だとか 僕のことを知っている人は何かコメントくださいませ。


お願いします。

秋の夜長

昨日、久々に一年ぐらい前のことを思い出した。

当時の僕は(当時というほど昔でもないけど)モチベーションの谷間にあった気がする。
激しい人間不信と将来への見通しのなさ。
当時の僕の悩みの原因はこの二つであろう。

思えば、秋という季節はいつもそうやってすぎていく。

高校の頃もそうだったんだけどもどうも、夏や初秋になにか大きなイベントがあってそのあとのブランクの季節という印象が強いのだ。
ひまだと、僕はすぐに内向的になってしまう。

人と素直にしゃべらなくなる。
家を出なくなる。
夜が長くなる。


かつて、僕二取っ手の悩みは他の人のことや自分の属しているコミュニティーのこと、将来のことなどであった。
今僕が悩んでいるのは将来のことでも他人のことでもない。
10月のように過去の自分のことでもない。
現在の自分のことなのだ。

逃げようと思えばいつでも逃げられる。
でも考えないといつまでも問題は蓄積し続ける。

そろそろ本気で考えてみてもいいんじゃないだろうか?
そう思ってもいつも目先のものに飛びついて逃げてきた自分。
そろそろかえないとね。


夢はなくとも 希望はなくとも
目の前の遥かな道を
やがて何処かで光は射すだろう

格差に対する相対性

人は時にその感情の底から何かが憎い、破壊したい、打破したいと思う。

特に戦争や人種間格差や男女間格差、経済格差かもしれない。

しかし、世間のほとんどの人のそれらの問題解決のための行為は感情の底からのものであるがゆえに理性的でない。

格差そのものを憎めるひとは少ない。

黒人が白人に対して怒りを燃やす。
労働者が資本家に対して革命を起こす。

それらの歴史上の行為はそういう意味で絶対的な「善」とはとてもじゃないがいえない。
所詮は現状の枠組みを受け入れた上での「ひがみ」「嫉妬」などにすぎない。

であるから、人は過ちを繰り返す。

女性の権利は過度にまで拡張していく。
フランス革命は悲劇の序章となる。

弱者は強者をなぎ倒し、枠組みを崩すことはできない。
強者には枠組みに対する意識すら存在し得ない。


絶対的な善が存在しない世の中で僕は何を判断基準として生きていけばいいのだろうか?
高校生の頃思い悩んだことが今また僕の前にフラッシュバックする。

15の夜。

あの頃の僕の結論。

過去はもはや変えられない。
未来への願望は他人に対して悲劇を生みかねない。
なら、徹底的に自分というものを捨て去ればよい。

しかし、そんな考え方をする自分が相対的なのかもしれない。


これらの思考を僕は何かからの強制力とそれに伴う繁忙にかまけて放棄した。





今年のGEILは何をコンセプトとしたか。

絶対化→相対化→絶対化

人の行為はすべてこうであるべきというフレームワークを示そうとした。
メンバーによって強度の置きかたはかわっていたかもしれない。

自分の強烈な原体験から来る思いといういみでの「絶対化」
他者の利害関係を含めた世間への広い視野を持つという意味での「相対化」
最終的な決断を下すのは自分とその価値観だという意味での「絶対化」


嶋田も澁谷も門田もそれぞれに強度をおく場所は違っていた。
でも、フレームワーク全体を見落とすことはなかった。

そんな彼らとのGEILでの1年をいま誇りに思う。

僕はこの一年を通してひとつの答えを得たのかも知れない。

そう思う、19の夜。

背番号

プロ野球選手の背番号に対する思い入れは深いということを感じるエピソード。

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10日に大阪市内で行われたオリックスと近鉄の合併球団の結団式でも「合併で自分の背番号はどうなるのか」が大きな話題となった。
 

合併球団でのプレーに難色を示している近鉄の岩隈と同じ「21」を着けているオリックスのユウキは、中村ゼネラルマネジャー(GM)に「21は譲る。岩隈にやってください」と進言した。

思えばプロ入りは近鉄だったユウキ。日々、岩隈の引き留めに腐心する中村GMは「ユウキが元近鉄の先輩として気をつかってくれたのかもしれない」としみじみと話したらしい。


一方で「10」はオリックス・谷と近鉄・水口がともに着けている番号。ともにレギュラーで、深い愛着がありそう。だが、ここは4歳年上の水口が「こだわっていない。来年は谷が10番着けてるやろ」とすんなり譲るつもりだ。


最大の焦点となりそうのが、元近鉄投手の鈴木啓示氏が着けて永久欠番の「1」。永久欠番がオリックスで引き継がれるかどうかについて、中村GMは「検討中」としている。

今季から背番号「1」のオリックスの後藤は「鈴木さんはすごく偉大な投手だった。ただ、できれば番号が変わるのは嫌ですね…」と複雑な胸中を明かした。

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