周囲に感謝する。
僕がすごいんじゃなくて僕をこのように変えてくれた、あるいはこのように形成してくれた周囲がすごいんだと思います。
僕は恵まれています。
普通に考えれば、片親で、いきたくもない中高にいき、関西から1人で出てきて、彼女と死に別れて、野球もあきらめ、そういったものを全て背負った人間がこんなに周囲に気を使えるようになったのは奇跡的だと思います。それもこれもあなたも含めてみんなのおかげだとおもう。
特にGEILは僕の「カド」を包み込むようにみんなが接してくれたはじめての場所だった。だから、僕もそういう中で自分も変わらなきゃと思えたし、実際変わってきたんだと思います。
たとえば、あまたが入学するよりまえの2005年の僕の誕生日も、去年の誕生日も、彼らは30人も集まってサプライズを仕掛けて祝ってくれました。
そんな彼らの優しさは少なくとも僕にとっては、他のサークルには
なかったし、今までのコミュニティーにもなかった。
オイコンのときの手紙もそういうことへの感謝も含めての手紙だった。
だからこそあなたが僕の姿勢を見習ったといってくれることはうれしい。
GEILという場にそういう風土が残っていくわけだし、それはスキルとかコンセプトとかとは違ったものだけど実は最終的にアウトプットがうまくいくかどうかに大きく影響すると思うから。
「笑いのないミーティングをしている団体で成功している団体はない」とはある人の言葉ですが、まさにそのとおりだと僕は思う。
GEILが、もちろんコンセプトも「人」もとがっていてほしいけど、これからもそういうことを意識できる組織出会って欲しいよね。
歴史
裏金
「奨学金のようなもので、息子が大学を卒業して西武に入団したら契約金から返す約束だった。この件に関して息子は一切知らなかった」と声を震わせて話した。
父親によると、息子は中学時代に西武のスカウトの目にとまった。高校時代には「ドラフトで指名したい」と入団を誘われたが、父親は大学進学を勧めた。早大から誘いを受けたため「学費が高くつく」と思って西武側に相談したところ、「援助する」と言われたという。毎月20万円ずつ手渡され、2005年10月には500万円を受け取った。
ことし1月下旬、西武側から「社長が代わり、そういう(金銭授受のある)選手は取れなくなった。金はこちらの契約不履行なので返金しなくていい」と説明を受けたという。
9日午後5時ごろ、西武から「社長が会見を開く。大変なことになって申し訳ない」と言われた。父親は「一場選手とはお金の意味が違う。あくまで借りたつもりだった。別の私立大学に行っておけば、こんなことにならなかった。息子を躍らせた西武は許せない。悪いことをした認識はない。こんな騒ぎになって息子がかわいそう」と憤った。
[ 共同通信社 2007年3月10日 21:35 ]
あの、早稲田大学の3年生のお父さま、いいわけになってなくないですか?
なんで契約の相手方にあたる西武球団に全ての責任を擦り付けているんでしょうか?
ちなみに仮に、プロ野球の倫理規定に法規範性が認められるならば、あなたは不法原因給付(民法708条)を受けており、反射的効果としてそのお金の所有権はあなたに移っているわけです。
しかし、あなたから「学費が高い」と持ちかけたという事実関係を聞いてしまうとあなたの方の不法の程度が高いのではとすら疑ってしまいます。そうなるとこのケースには民法708条は適用されず、あなたはお金を返さなければなりません。
1000万円でしたっけ?
と、ここまでは少しは試験勉強してるんだよということのアピールw
もっとも、法律の解釈は適当。
まあ、いずれにせよこの事件は氷山の一角だろう。
きっとこの親は高校時代から金を受け取り続けており、それが当たり前、かつそれは公開しないのが当然だと思っていたのだろう。
そして、彼ら二人の選手以外の現役選手も、候補選手も多くの選手は何らかの形でお金を受け取っている。
大学(高校)側と球団側と選手の親の鉄のトライアングルでもあるのだろう。
その権利は暗黙の了解として実力のある選手の親達には伝わっている。
そもそもプロ入りを持ちかけられた以上は、契約金が後々入る公算が高いにもかかわらず、なぜこの親が金を受け取るという選択をしたのか疑問が絶えない。
少し考えれば「ヤバイ」ことはわかっただろうし、そのような危ない橋を渡る必要が果たしてあったのか疑問でならない。
おそらく、プロ野球界の「慣行」なんだろう。
これまでだったら、ある意味選手のためだっただろう。
もらっているのが当たり前であり、それが悪いことではなく
(実際法律には抵触しない。契約は自由であるから。イメージはともかく)
木村投手は「母のため」だといっている。
某GのT・Yだって親の会社の破綻を防ぐ援助の見返りに入団したとかしないとか。
それはそれで部分社会の法理として通用していたのだからいいと思う。
しかし、こんな慣行が下手をすれば若い選手の芽を摘み、
せっかくの才能のいき道をなくしかねない状況になった今のご時勢にあって
しかも、一場問題が発覚した後にやり続けるのは果たして選手のためだっただろうか?
少なくとも、現在のスカウト活動にあってはそれはもはや「不当」ではなく「違法」
なのであり、それを認めようとしないこの父親の態度はとても子供思いの人間には見えない。
何より、他人(一場)を例に出し、「うちは違う」とし、
契約の相手方(西武)のののしる所業は子供の手本にはならない。
まあそれはともかく、
北京
北京のあらゆる「モノ」。
最近何かするたびに「気づき」だとか「Inspire」があるんだけどもそれまでにない衝撃だったかもしれない。
自分達が戦うフィールドがいかに狭いフィールドであるか。
自分達の姿勢がいかに逃げ切りを意識したものであるか。
自分達の叫ぶ「主体性」がいかに屁理屈であるか。
「脅威」などではない。
「脅威」はむしろ自分達の「中」にある。
「脅威」と呼ぶことで何かを見失ってはいないか?
「スケール」は言い訳でしかない。
「スケール」は違っても「土俵」は同じである。
「スケール」をいままで言い訳にしたことがあったか?
「自由」は所与のものではない。
「自由」も「制度」も使いようである。
「自由」をはき違えて本当に大切なものを見失ってはいないか?
そう思わせられる旅だった。
2006年12月16日
感謝しきってもしきれんは�
ってかいつか自分が偉そうになんかメールでいってたんが恥ずかしいは。まだまだ人間的にできてへんなあ�
ちなみに昔は旅の目的もプロセスもきちんと自分の中に落とし込んでる人ってかっこいいとは思った。でもいうとおりや。所詮みんながみんなそういうふうにうまくいくわけちゃうし、彼らは自分なんかよりうんと長い間自分について考えてきてる。自分は他人のことに気使うバッカデほとんど自分について考えてこんかった。だからそういう凡人である自分はまだ彼らぐらい具体的である必要はなくてっていうのはなんとなくシャーナイとは思うは。
まあいつかああいうふうになれればいいんかな。なんか逆に最近ああいうふうにはなりたくなくなってきてる気もするけど�
意外性の人生とかだめかなあ。
以下、美味しいコーヒーのみながら考えた長いひとりごとしてみる。暇あったら読んで。
とはいえ、やっぱり暫定的には絵えがかなあかん。
そういう意味で、自分を見失ってるっていうかなんか行き先が見えてこない。このまんま漠然とキャリア決めてええのかなあっていう不安なんかな。
選択肢は結構絞られつつあるけど、なんとなく絞った会社を自分がなんで選んでんのかを、自分自身のやりたいとかから落としこめてない気がする。普通の人がどう選ぶのかは知らないけど業界に特に憧れはあらへんし、人もよっぽどひどくない限り多分(笑)やってける。成長できるかも自分の意識次第?
ようは軸が見えてないんやろね。
正直なんでもええんかもしれない。自分がこれを世の中の人に提供したいって商品作ってるんならどこの会社いってもええは。
その商品が誰かにとって価値であってそれがその人の行動やスタイルをかえたり、何か気づきが与えられたりすれば嬉しい。ひいては世の中のできるだけ多くの人にポジティブに作用すりゃなおええ。かといって対象は別に会社でも個人でもいい。
そりゃ社会を変えるような商品、システム、制度をいつか作りたい。
でも今の自分には力不足やと学生団体やってて実感した。だから成長はしなくちゃいけない。
できうるならまだなんとなくではあっても明確になってきてない伝えたい価値についても詰めていく時間と経験が欲しい。
会社(官庁も含めて)に入ってお金もらいながら勉強せなあかんのは間違いないけどさてどこで?ってかビジョンなしに勉強にモチベーションがわくの?
そんなことで悩んでるんやろな。ファーストキャリアの選択について。
そういう意味で行き先の見えない旅にたとえたんかなあ。2日前の自分を解読してみた�
ここまで読んでたらありがとう。ドコモやと分割やし大変やろに。そんな友達がいるだけでありがたいは。