秋のバラ ~部屋のにぎわい~
庭のバラの花も
そろそろ終わりに近付いてきた。
それぞれの株が、
最後の力を振り絞って、
1輪ずつ大事に咲かせる。
でも、
バラバラで寂しそうだから、
みんな一緒に部屋に集合。
居間。
「クリスチャンディオール」と
「ラブ&ピース」と
ミニバラの
「ドーラ」。
写真写りが悪いのは
腕の未熟さによるものなので、
ご容赦下さい。
玄関。
「カクテル」と
「ラブ&ピース」と、
そして
私の命の
「スーパースター」。
ハロウィンの
かぼちゃのお化けも
バラの花たちを
引き立ててくれます。
部屋の中に少しでも、
こんなにカラフルな色合いがあると、
明るい雰囲気になってくるから、
花の持つ力は素晴らしい。
哲学者が
そのバラを見ると、
こうなります。
人間を現存在と命名した哲学者ハイデガーは
存在の深淵性と存在者の輝きを
神秘思想家アンゲルス・シレジウスの詩を引用して
次のように表現した。
バラはある なぜと問わずに
バラは咲く ただ咲くがゆえ
バラは見ず おのが姿を
バラは訊ねず ひとの注視を
そんなバラも、
もうすぐ休眠に入ります。
「無知の代償 3/3」 ~地獄からの生還~
「無知の代償 3/3(完)」
手術は実に6時間にも及んだ。
左下葉全摘出、 左上葉下部区分切除。
生死の境をさまよいながらも、手術は無事に終了し、
そのあと、3日間にわたる術後の激痛に、
身も心もボロボロになりながら、
とにもかくにも社会復帰の足掛かりをつかんだ。
それにしても、
無知に対する余りにも高価な代償であった。
取り去った臓器はもう元へは戻せないし、
失った機能も二度と戻らない。
30数センチにもおよぶ体の傷も、生涯消えることはない。
以来事あるごとに、
戻らない臓器と機能に対する得も言われぬ寂しさが脳裏を去来する。
それから半年くらいの術後の治療を終えて、ようやく退院。
復職後3年を経て、私はある試みに挑戦した。
神戸市の主催する「六甲連山56キロ縦走大会」への参加である。
事前に2か月ほど軽い山登りのトレーニングを重ね、
装備を整えて祈るような気持ちで出発地点に立った。
午前5時。
11月の朝は遅い。
まだ暗いうちに懐中電灯の明かりを頼りに
兵庫県西部の塩谷の駅をスタートし、
食事や休憩もそこそこに、
旗振山、横尾山、高取山、菊水山、鍋蓋山、
摩耶山、六甲山、大平山、岩倉山を
登り下りしながら歩き通して、
56キロ離れた宝塚のゴールに到着したのは、
真っ暗になった午後7時であった。
所要時間14時間の、
試みと言うには余りにもハードな山歩きであった。
肉体は極限まで疲れきって完全に弛緩していた。
しかし、
横たえた体の中からコンコンと湧き出る自信の血は
瞬く間に全身を巡った。
一時はあきらめかけた人生であったが、
やればできると言う思いが確たるものになった挑戦であった。
そしてその時、
改めて健康の大切さをひしひしと感じた。
「もの足りてもの見えず。」
健康な人ほど健康に対して無関心であるが故に、無知である。
充足の中にあってなお、自己を謙虚に見つめる目を持ちたい。
私はこれからも、病気などで倒れるわけにはいかない。
好きな酒も控えめにし、タバコはとっくにやめた。
自分の体は最後まで自分で守っていくつもりでいる。
それが、家族全員を守らなければならない
一家の主としての私の第一義であると確信している。
完
私の小さな勲章です。
この後
翌年も連続して
六甲連山縦走大会に挑戦し、
完走しました。
後年には
富士登山にも3回挑戦し、
3回とも無酸素で登頂を果たしました。
ハンディキャップを背負った体ではありますが、
周りの人には決して負けない体力を
少しずつ付けてきました。
今、東北大震災と原発事故で、
大変な時ではありますが、
どうか 「健康こそ第一」 であることを、
肝に銘じて活動されますことを、
皆様にくれぐれもお伝えして、
そして、
すべての方々の健康を
心からお祈りしながら
筆を置きます。
3回にわたる私の若い頃の
嘘隠しのない人生談を
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
「無知の代償 2/3」 ~非情なる決断~
「無知の代償 2/3」
それから1年余りのうちに、私は病院内で知り合った友を、
2人、3人と失っていった。
本人や家族にとって、その無念さはいかばかりかと思うが、
私も、それをただ手をこまねいて見ているだけしかできない己の無力さを、
去りゆく命の前で嫌というほど思い知らされた。
人がこの世の支配者であっても、その命はかくももろい。
英知がその弱さを補っているにすぎない。
厳然たる死の前には、どのような驕慢も存在しないのである。
症状の落ち着いた病は、それほど肉体的苦痛を伴わないだけに、
はたから見るととかく軽んじられがちであるが、
治癒までに非常に長期間を要することや、
生涯再発の危険があり、
ややもすると命を失う可能性があること、
そして薬の副作用の危険性をはらんでいることなどを思えば、
本人の精神的苦痛は計り知れない。
そのために、人生の落後者的観念に悩まされることもある。
私は、2年有余の投薬療法を続けて、なお症状が固定しなかったため、
とうとう手術のやむなきに至った。
最終判断は当然本人の意思によるものであるが、
相当の決意を要した。
その時、74キロで入院した私の体は、
入院しているにもかかわらず11キロも減少し、
63キロになっていた。
手術することに対し、
側面から検討を加えてくれた内科医の言葉が妙に耳に残った。
「切除するのはいつでもできる。
しかし切りとってしまったらもう元へは戻せない。」
手術には何の不安もなかったが、人生の遅れに対する焦りがあった。
「親からもらった大事な体を傷つけることには抵抗がある」と、
もっともらしく言ってみる私に、
手術を担当する外科医が言ったこの言葉が
私に非情な決断をさせた。
「親からは、良いものも悪いものもみんなもらって生まれて来る。
こだわって悪いものを残しておくと、決してためにはならない。」
(次回に続きます)
「無知の代償」 1/3 ~地獄への転落~
昨年書いたブログ、
薔薇シリーズの16。
若い頃生死の境をさまよった事を書いた。
その時のことを
ドキュメンタリーとして
3篇ほどに
簡単に綴って見た。
もしよろしければ、
短編小説を読むつもりで目を通し、
何かを感じていただければ幸せである。
「無知の代償 1/3」
25歳、精神的にも肉体的にもまさに恐れを知らぬ若さの時に、
それは突然に襲ってきた。
咳とともに口から鮮血がほとばしった。
喀血である。
病気と言えば風邪くらいしか知らぬ無知さ故に、
それはまさに突然の出来事であった。
身長180センチ、体重74キロの体は、それまでの寝汗もだるさも
そして咳までも、ただの疲れから来るものと見過ごしていた。
肺の病のなんたるかを知ったのは、不覚にもまさにこの直後であった。
否応もなく即入院・・・・。
隔離された世界で、初めての経験に茫然としている私を、
強引に現実の世界に引き戻す更に強烈な出来事が起こったのは、
それから1週間も経たない時であった。
病院の夜は異常なほど静かである。
その静寂を破る咳の音で目を覚ますと、同室の45歳くらいの男性が、
連続して起こるおびただしい量の喀血に苦しんでいた。
大量の血は容赦なく肺から口や鼻へと吹き出し、息を吸い込む暇もない。
その人はそれからわずか30分ほどのうちに執拗な喀血による窒息のため、
悲壮なうめき声を残して帰らぬ人となった。
ややもすると社会から侮られつつある病の、
かくも恐ろしい一面を目の当たりにして、
病気を軽視していた私の安易な心理は跡かたもなく消し飛んだ。
余りにも強烈な闘病生活の始まりであった。
(次回へ続きます)
誰にミセバヤ ~真冬に燃え上がる花~
この花が、
何の花か
花を見ただけで分かる人は
おそらく居るまい。
こんなにアップにして
観賞する花ではない。
でも、
良く見てみると、
かわいい形をした花ではある。
五弁の花びらを持つ
星形の花。
どのような理由からか、
それが集合体になって
丸い塊りになって咲く。
「ミセバヤ」
昨年12月3日のブログ、
「ミセバヤのその後 ~燃え上がる最後の命~」 で見ていただいた
あのミセバヤである。
多肉性の宿根草。
日本古来の
古典園芸植物の1つである。
現在、野生種は「特定希少野生動植物」の一つに指定され、自生地での採取は禁止。
違反者は一年以下の懲役または100万円以下の罰金。
そんなミセバヤ。
花が咲く前も、
花が咲いても、
そう目立つ植物ではなく、
観賞用としての人気では、
洋物の
多肉植物に負けているが、
真冬になると、
洋物には及びもつかない
目を見張るほどの芸がある。
花が咲くこの時期までは、
普段着の日本女性だが、
真冬になると、
派手な着物を来て、
隙のない化粧をした
京都の舞妓さんほどの
芸達者。
12月2日の
昨年の姿。
真っ赤に己自身を燃え上がらせて、
葉も茎も
最後にはみんな燃え尽きる。
すさまじいばかりの変化をする
「ミセバヤ」。
前掲の写真も
あとひと月もしないうちの、
このように燃え上がる。
紅葉の時期になっても、
どのようなモミジ葉にも負けない
小さいながら気丈な花を
私は好きである。






